48 シエルへ流れていた、とある四文字
王城にある王の執務室にて――
中央の執務机に腰掛け、目の前の相手が持って来た報告書を読み終えたシリウスは無造作に机に放った。鋭い瑠璃色の瞳で見上げると、にやにや顔の薔薇色の瞳と目が合った。相手――ヴェレッドは「へえ? 折角シエル様が書いたのに」と茶化した。シリウスの斜め後ろで控える宰相のマイムは冷や汗を流す。ヴェレッドがシエルの名前を使ってシリウスを揶揄したり煽るのは毎度のことなのに。
その度に、視線だけで相手を射殺せん勢いの眼力をヴェレッドにやる。当の本人は全く堪えてない。
「前に聞いた通りのことしか書かれていない」
「うん。だって、あれが全部だからね」
「小僧。お前なら、シエルがファウスティーナ嬢の居場所を異様な速さで嗅ぎ付けた理由を知っているだろう」
「知らないよ。強いて言うなら、父親の娘に対する愛情じゃない?」
「……」
シリウスは苦い顔をして瞼を閉じた。
8年前、生後半年のファウスティーナの存在を知り、シエルに無理矢理ファウスティーナを母親のアーヴァの親戚筋であるヴィトケンシュタイン公爵家の養女とさせた。“王太子の運命の相手”である可能性が非常に強かった。数百年振りに生まれたリンナモラートの生まれ変わりであったから。
出産と同時にアーヴァは亡くなった。後から聞くと、出産予定日を大幅に遅れての出産だったらしい。本来なら、母子共に亡くなっていてもおかしくなかった。ファウスティーナが生き残ったのは女神の生まれ変わりだから。
シリウスが口にすると、当時のシエルは酷く憔悴した相貌で言い放った。
『母親の愛ですよ。アーヴァは、あの子を命を懸けてお腹の中で守り続けた。アーヴァがあの子と対面したのはほんの一瞬です。その一瞬が……アーヴァにとって、最後の思い出となり、宝物となった』
その宝物を奪ったシリウスとヴィトケンシュタイン公爵家を――……シエルが恨まない日は永遠に来ない。
ヴェレッドの嫌味はシリウスの心を抉った。太いナイフを心臓に突き立て、柄を回して血を流し肉を抉り出す。
「……公爵家や王家だけだったら、ファウスティーナ嬢は間に合わなかったかもしれん。それは認めよう」
「……」
ヴェレッドはきょとんとしてシリウスを見下ろした。
「馬鹿じゃないの? 当たり前でしょう」
「……」
ヴェレッドの罵倒にシリウスの額に青筋が立つ。王に対し不敬だと一喝出来る者はいない。マイムは下手に口を出すと更にシリウスが追い込まれるのをよく知っているので黙っているしかない。
ヴェレッドがシリウスを敬う日は絶対に来ない。天文学的確率の確信である。この男の絶対はシエル。シエルが意味不明・理解不能と掲げるシリウスの味方には絶対にならない。
報告書を手にしたヴェレッドはペラペラとページを捲っていく。
「シエル様は頑張って書いたのに。徹夜で書いてたよ。その分、俺はシエル様に八つ当たりされて夜眠れなかった」
ピク、とシリウスの体が反応した。
「王様にはきっと分からないよ。気持ち良く寝ている所を叩き起こされて遊び相手にされる俺の気持ちなんて。……まあ、王様が相手に選ばれることは絶対にないから安心していいけどね」
ピク、ピクとまた反応した。
「じゃあ、帰るよ。報告書はしっかり届けたからね。ばいばいマイマイくん」
「誰がだ!」
「やっと喋ったね。君、ずっと黙りなんだもん」
誰のせいで口を挟めなかったか、と声を大にして言いたかったマイムは平常心を心の中で4回程唱え気を落ち着かせた。俯いて殺意のオーラを醸し出すシリウスに特に思うこともなく、ヴェレッドは執務室を出た――
「待て、小僧」
かったのに呼び止められた。面倒臭そうに振り返ると、急いでペンを走らせていた。軈て、書き終えた手紙を三つ折りにすると執務机に置いた。
「シエルに伝えろ。手紙に指定した日に登城しろと」
「してくれないと思うよ?」
「ヴィトケンシュタイン公爵も同席させる。これで文句はないだろう」
「……いいよ。序でだから、俺が公爵様に伝えてあげる。それ用の手紙も書いてよ」
「……」
不満そうに眉を顰めるも、ヴェレッドの言う通り公爵宛にも手紙を書いた。2枚の手紙を手にしたヴェレッドは、シエル宛のは懐に入れ、公爵宛のは封筒に入れてもらった。
今度こそ執務室を出るべく扉へ歩いた。扉を開き、閉める間際シリウスに向いた。
「あのさ、王様。一回王様も公爵家に行って、普段の生活を見るといいよ。……とっても面白いよ」
最後意味深な台詞を残しヴェレッドは執務室を出て行った。
残されたシリウスは難しい顔をして背凭れに背を預け、マイムは止まらない汗をハンカチで拭った。
「はあ……やっと帰った。陛下。シエル殿下とヴィトケンシュタイン公爵を交えて何を話すのです? ファウスティーナ嬢のことでしょうか?」
「……それ以外あるか?」
「陛下は、どのようにお考えです?」
「……報告書の最後に書かれていてな」
「何をです?」
シリウスは報告書の最後のページをマイムに見せた。文字を読んだマイムは息を呑んだ。
シリウスからしたら、驚く要素はない。
シエルがずっと機会を伺っていたのは知っていたから。
*ー*ー*ー*ー*
ソファーに腰掛けて物語を読むファウスティーナは、最後のページを読み終えると本を閉じた。う~ん、と両腕を思い切り伸ばした。リンスー、と呼ぼうと視線を上げた。ファウスティーナの私室には、リンスーの他にも2人の騎士が壁際に控えていた。肩を落とし、空の子豚のマグカップをリンスーに差し出した。
「オレンジジュースを頂戴」
「畏まりました」
リンスーが子豚のマグカップを持って一旦退室した。ソファーに寝転びクッションに顔を埋めたファウスティーナは内心深い溜め息を吐いた。
誘拐されて帰宅した2日後。これまでよりも屋敷の警備を強化すると聞かされた。また、誘拐犯の目的がファウスティーナだったことから、ファウスティーナには更に2名専属の護衛を付けられた。それが壁際にいる2人。
しかし、申し訳ない気持ちを抱きつつも、思わざるを得ない。
息苦しい。酸素のない水中で生活させられている気分だ。
何処へ行こうとしてもファウスティーナに着いて来る。彼等は護衛として当然の仕事をしているだけでも、ファウスティーナにしたら窮屈だった。
シトリンに一度寝ている時だけでいいと訴えたが聞き入れてもらえなかった。心配されてのことなのに呼吸がし辛い。
リンスーが戻るのを待っていると……外が騒がしい。耳を澄ませば、声の主に聞き覚えがあった。
気になったファウスティーナはソファーから起き上がって部屋を出ようとした。護衛の騎士はファウスティーナを止めるも、一緒に着いて来てと言われれば行くしかない。
ファウスティーナは玄関ホールに来た。
「手紙は確かに受け取りました。ですが、ファウスティーナに会わせる訳にはいきません。用が済んだのならお帰りを」
「へえ? 俺はシエル様に命じられて此処に来ているのに帰すんだ? いつから公爵夫人は王族より偉くなったの?」
「な……さ、さっきはそんなこと一言もっ」
中央で余裕のない様子でヴェレッドを追い返そうとしているリュドミーラがいた。シトリンは不在。
先程の会話を聞く限り、大事なシトリン宛の手紙をヴェレッドが届けに来て、何故か不明だがファウスティーナに会わせろとリュドミーラへ迫っているらしい。王弟の使者である彼を追い返すのは王弟を蔑ろにした、ということとなる。唇を震わせ、顔を青ざめさせるリュドミーラを視界に入れる瞳に温度はなかった。
自分が行った方が良さそうな気がする。ファウスティーナは護衛の2人を連れたまま中央まで歩んだ。ファウスティーナに気付いたヴェレッドはひらひらと手を振った。リュドミーラもファウスティーナに気付き、隠すように前に立った。鼻がリュドミーラのドレスの裾にぶつかった。
「ファウスティーナに、どのようなご用件でしょうかっ」
「内緒。教える義理がない」
「私はこの子の母親です! ファウスティーナが無事戻ったとは言え、まだ不安は拭えません。王弟殿下の用とは、ファウスティーナに直接でないと伝えられないご用件なのでしょうか」
「……」
シエルと両親の間に何があったのだろう。明確な敵意すら感じる。
状況が飲めないファウスティーナは、面倒臭そうにリュドミーラと対峙するヴェレッドと目が合った。
懐に手を入れたヴェレッドは1通の手紙を取り出し、リュドミーラのドレス付近で膝を折ると、後ろに隠されているファウスティーナに差し出した。
「シエル様から君宛の手紙を預かっているんだ。はい」
「う、うん、ありがとう」
ファウスティーナが手紙を受け取ったのを見届け、立ち上がったヴェレッドは何も言わず帰って行った。強風のような人だったな……と眺めた。
手紙はきっと、お礼の手紙で書いた入浴剤の購入方法の返事だろう。部屋に戻って読もうと両手で抱き締めるように抱くと「ファウスティーナ」とリュドミーラに呼ばれた。
「はい」
「手紙の内容に心当たりは?」
「え? えーと、お礼のお手紙に入浴剤の購入方法を訊ねたので、恐らくその返事かと」
「……」
一番思い当たるのを告げるもリュドミーラは険しい表情をしたまま。何が100%の答えか。居たたまれなくなったファウスティーナは失礼します、と頭を軽く下げて私室に戻った。
リンスーはまだ戻っていなかった。机の引き出しからペーパーナイフを探しているとオレンジジュースを入れた子豚のマグカップを持ってリンスーは戻った。
「お待たせしました」
「うん。テーブルに置いてて」
ペーパーナイフを見つけ、慎重に封を切っていく。封筒から便箋を抜き、ソファーに座って読んだ。
「誰からのお手紙ですか?」
「司祭様だよ。この前お礼のお手紙を書いた返事だよ」
ファウスティーナは達筆な文字に目を通していく。前回の人生でも、シエル程達筆な人はそうはいなかった。便箋から微かに花の甘い香りが。
「入浴剤は無くなったら知らせてって書いてる。良いのかな」
「王弟殿下がそう書いたのなら、良いのでは?」
「かな。後は何々……」
続きの内容を読み、薄黄色の瞳が微かに張った。
動揺を悟られまいとファウスティーナは子豚のマグカップを手に取ったのだった。
(あのお兄さん……ヴェレッド様か。な、なんで司祭様にベルンハルド殿下との婚約を私が破棄したがってるって言っちゃうのー!?)
最も知られてはならない相手の1人に知られてしまった。
(やばい……絶対やばい……次会った時絶対聞かれる。上手な言い訳考えなきゃ……!)
「お、お嬢様?」
急に涙を流し、構わずオレンジジュースを飲むファウスティーナに周章したリンスー。
まさか、ベルンハルドとの婚約破棄を願っていると王弟に知られて危機的状況に陥ったとは思わない。
ヴェレッドはシリウスとシエルの4歳下です。
マイムは髪の毛は丈夫ですが胃が段々と……
読んで頂きありがとうございます(´∀`*)