47 キスの経験はなし
夕食の時間。料理はファウスティーナの好物を中心に出された。料理長が泣きながら「お嬢様っ、お嬢様の喜ぶ料理を沢山作ったので食べてくださいね……!」と今日一番の出来であるクリームスープを置いた。ファウスティーナがシトリンにリクエストしてもらった料理だ。
料理長に満面の笑顔でお礼を言い、クリームスープを飲んだ。濃厚な牛乳と野菜の味が見事に混ざった美味しい味。これでグリーンピースとブロッコリーがなければ、最高だった。
浮かない表情で食事を進めるエルヴィラに気付き、そっとケインに囁いた。
「お兄様はあの後エルヴィラに何を言ったのですか?」
「当たり前のことを言っただけだよ。ファナが気にする必要はないよ」
「……」
ケインがそう言うのならそうなのだろう。エルヴィラはどんな注意をされても大抵落ち込むが、時間が経てば復活して普段通りとなる。
メインも終わり、デザートを楽しむとなった辺りで黙りだったエルヴィラが口を開いた。
「……お父様」
「どうしたんだい? エルヴィラ」
「わたしとお兄様の誕生日パーティーはちゃんと開いてくれますか?」
ファウスティーナが誕生日の当日に誘拐された。1ヶ月後、2ヶ月後に控えるケインとエルヴィラの誕生日パーティーに影響がないとは限らない。
シトリンは難しい顔をしながらも笑みを崩さなかった。
「そうだね……例年より、警備の数や招待する家を更に厳選する形となってしまうが2人はちゃんと開いてお祝いするよ」
「良かった……」
心底安堵した様子のエルヴィラは、デザートを食べ始めた。ケインがファウスティーナを気遣うように見ていたが本人は全然気にしていない。
「父上。俺からも聞きたいことが」
「なんだい?」
「今年は、ちゃんと司祭様に祝福を授けてもらえるでしょうか?」
「え」
え、と発したのはファウスティーナ。教会に赴き司祭に祝福を受けるのは毎年恒例の行事なのに、ケインが受けていなかったと初めて知った。驚くことにエルヴィラも司祭に授けてもらっておらず、2人に祝福を授けたのは助祭だった。
「私は司祭様でしたよ?」
「し、司祭様も忙しい方だから、どうしても無理な日もあるわ」
リュドミーラが慌てて説明するも、顔色が悪い。シトリンも同じ。ファウスティーナは1年前の誕生日を思い出すも、今年の良い気分を味わった誕生日が台無しになるので即止めた。
司祭――シエルと両親の間に何があったか知らないが、両親がこうも怯える理由は何か。前回こんな風にシエルに対し怯えていた時はあったか。……覚えていない。掠りもしない。
ファウスティーナはデザートを食べ終えるとリンスーと共に、私室ではなく浴室に向かった。シエルに貰った入浴剤を早速使おうと瓶の蓋を開けた。ふわりと香る甘い花の香りにリンスーもうっとりとした。
「嗅いだだけでリラックス出来ますね」
「うん! そうだ、リンスー。お風呂が終わったら司祭様宛に手紙を書くから、明日教会に届けてほしいの」
「先程の便箋は司祭様宛なのですね」
「そうだよ」
適度な温度に温めたお湯に入浴剤を投入した。お湯を混ぜ、ファウスティーナの体を先に綺麗に洗った後浴槽に浸かった。
「どうですか?」
「極楽だよ~。あ、そうだ。ねえリンスー。リンスーは司祭様が王弟殿下って知ってた?」
「はい。割と有名な話ですよ」
「そっか。私は知らなかったな」
「確か、王弟殿下が教会の司祭になられたのは8年前だと聞いております。経緯までは流石に知られていませんが」
8年前と言えば、自分が生まれた年。
「ふわあ……お風呂って気持ちいいから好きだけど、もっと好きになりそう」
「ですが、長風呂は厳禁ですよ?」
「分かってるよ。逆上せちゃうもんね。う~ん、はあ……この入浴剤って何処で買ってるのかな。毎回司祭様にお願いして貰うのは申し訳ないな」
「でしたら、お手紙にその旨についても書いてみては?」
「そうだね。そうする」
お礼と一緒に入浴剤の購入場所も聞こう。
ファウスティーナは甘い花の香りに包まれ、最後まで極楽気分だった。
入浴を終え、リンスーに体を拭いてもらい、髪を確りと乾燥させオイルを塗った。
部屋に戻るとリンスーはオレンジジュースを持って来る為に一旦退室した。その際、絶対に部屋を出ないようファウスティーナに言い付けて。
「信用ないよね……」
ベルンハルドが訪問する度に逃げ回っていたから、仕方ないのかもしれないが。
ファウスティーナは机の引き出しに仕舞ったあの本を取り出した。が、すぐに同じ場所に戻した。
「……続きは、夜中に読もう」
あの本の続きは今読まない方がいいと本能が伝える。
リンスーがオレンジジュースのピッチャーとグラスを持って戻って来るとファウスティーナはソファーに座った。
*ー*ー*ー*ー*
「あ……まだ夜中か」
オレンジジュースを飲み、シエルとヴェレッド宛に手紙を書き終えると眠ったファウスティーナは夜中に不意に目を覚ました。月の光が窓から差し込まれ、真っ暗闇ではなく薄暗い。オレンジジュースは全て飲んでしまったので無い。
水分を欲している訳でもないので、今日は厨房には行かないでおこう。
ベッドから降りて、窓へ近付く。
雲がない夜空を照らす満月は女王の如く君臨していた。
「綺麗……」
こういう日は、美味しいスイーツを食べながら満月を見ると更に美味しくなる。
「……」
外に出て見た方が更に綺麗。部屋の外には、多分だが数人の警備者がいる筈。ファウスティーナが誘拐されたのが夜中。なら、警備を強化したシトリンが見張りの数を増やさない筈がない。
窓の外も例外じゃない。でも、外に出たい。
窓の鍵を開けた。
…………。
……。
「やっぱり止めよう」
しかし、外に出て、見つかって、部屋に戻されるのがオチ。
はあ、と諦めたファウスティーナはベッドに戻って寝直した。
――ファウスティーナが寝息を立て始めた時、その人はそっと窓から侵入した。見張りの目を掻い潜って忍び込むのはお手の物。なんと言っても7年間公爵家を欺き、容易くファウスティーナを誘拐した本人なのだから。
「は……間抜けな顔」
その人――ヴェレッドはふにゃりとした寝顔を晒すファウスティーナの頬を人差し指で突く。擽ったそうにするだけで起きる気配はない。
「窓の鍵を開けて寝るなんて、不用心にも程がある。でもまあ、お陰で邸内に入る手間が省けた」
ヴェレッドはベッドに腰掛けてファウスティーナの寝顔を見つめる。
「シエル様も人使いが荒い。全部後始末だけど、俺1人だからとても疲れる」
シエルのヴェレッドに対するお願い。
公爵家と王家は未だ、カインを探し続けている。シエルは報告書にカインはいなかったと記載した。
なら、カインの扱いをどうするか。
昨日の夜中、シエルに無理矢理起こされ、遊んだ後言われた。
“ヴィトケンシュタイン公爵家に仕えたカインの死を偽装しろ”というもの。
王都から2時間程離れた底無し沼へ自殺した風を装った。着ていた執事服は処分したが、個人で使用していた靴等は予め残しておいたので、それを沼の近くに置いた。近くには、カインの書いた遺書を安物のナイフで木に刺して。
文字は利き腕じゃない方の手を使っていたのと、走り書きし余計汚く書いたのでバレる心配はない。
「王様のシエル様に対する執着っぷりは、見てる側からしたら愉快で堪らない。シエル様は不愉快でも。俺は見てて愉しい。だから絶対……王様は君を手放したりしない」
ファウスティーナが何故王太子との婚約破棄を望むのかは知らない。が、面白そうだから協力する。何より、それでファウスティーナがシエルの手元に戻れるようになるなら更に良し。
ヴェレッドは外の気配を探る。見張りが数人。
さて、どうやって逃げようか――……月光に照らされた冷たい美貌は、見る者を震え上がらせる程凄絶な微笑みを浮かべた。
翌朝――
「ん……?」
太陽の光の眩しさで起きたファウスティーナは大きな欠伸をして体を起こした。窓に目を向けあ、と発した。
「昨日鍵かけるの忘れてた……」
窓からの脱走を考え、止めて、開けた鍵を閉めるのを忘れていた。
ベッドから出て、誰にもバレていない間に閉めた。
ひと安心し、再びベッドに潜った。
「リンスーが起こしに来るまでまだ時間はあるから……」
そこで考えたのがあの本。
『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』
「……」
リンスーが来るまでに読もうと、ファウスティーナはベッドから飛び起きて机に向かった。引き出しを開けて本を出した。
栞を挟んでいたページを開いた。
読み進める分だけ、濃くなる内容に顔は瞬く間に真っ赤に染まった。
主人公と王太子の愛し合う光景を詳細に書かれ、これが続くと思うと先が読めなくなったファウスティーナはギブアップした。
本を引き出しに仕舞い、ベッドに飛び込んだ。
「む、無理……読める気がしない」
年齢を重ねても無理。キスシーンですら、想像すると羞恥心で顔が赤くなるのに。
「キスか……したことない」
されたこともない。
「あ……駄目……悲しくなってくる……」
脳裏に甦る、前回の記憶。
ファウスティーナに見せ付けるように、エルヴィラの額に口付けを落とす、ベルンハルドの蕩けるような瑠璃色の瞳。
決して自分には向けられないその瞳が欲しかった。
エルヴィラに向ける愛情を、ほんの少しでも向けてほしかった。
どんなに酷い言葉を吐かれても、冷たい視線を食らっても好きでいる気持ちは捨てられなかった。
「……他の人を好きになれたら、どれだけ楽だったんだろう。ううん、結局王太子の婚約者って立場があるから、好きになっても叶わない恋をする部分は同じか」
恋愛運が無さすぎる。
今度教会に行ったら、恋愛運でも上げてもらおうと嘆息した。
ーオマケー
明け方近くに戻ったヴェレッドは軽く汗を洗い流してから部屋に戻った。シエルはまだ寝ている筈。ふかふかなベッドに潜って目を閉じた。
が、約1時間後。
寝ていたヴェレッドは、人の気配を察知して重たい瞼を上げた。
「あれ、もう起きたの? 相変わらず敏感だねえ君は」
「……はあ」
どうせ、早く目が覚めて、やることがなくて、時間を持て余して、相手をしてくれる自分の所に来たのだろう。白々しいシエルに青筋を立てながらヴェレッドは起きた。
カインの時は、こうやって寝ている所を暇だからと起こしに来る相手はいなかった。ちょっぴり、カインに成り済ましていた時に戻りたくなった。
「眠い……」
「頭を使えば、その内目も覚めてくるよ」
「あっそ」
けれど、何だかんだ言いながらシエルの相手をするのも愉しいので付き合うヴェレッドだった。
*ー*ー*ー*ー*ー*
読んで頂きありがとうございます(´∀`*)