46 本を読むときはタイトルの確認も重要
1日振りに私室のベッドに寝転んだ。やはり、ずっと使い続けているベッドの方が安心する。シエルの屋敷で使わせてもらったベッドもふかふかで寝心地が最高だが、それとこれとはまた別の話である。
ベルンハルド達を見送り、邸内に戻ったファウスティーナはこの後どうしようか悩んだ。ケイン曰く、リンスーは疲労でまだ眠っている。泣きながら部屋を飛び出したエルヴィラのその後が気になったので、ケインの部屋を訪れようと決めた。一緒にお見送りをした侍女ミントにケインの部屋へ行くと告げた。はい、と頷いたミントは先頭を歩いてファウスティーナと部屋へ向かう。途中、再会した時以上に疲れた様子のシトリンと出会した。
『お父様!』
『ファナ。王太子殿下やシエル様は?』
『先程お帰りに。お父様を呼びましょうかとはお聞きしたのですが……』
シエルが必要ないと断った。
『そう……。いや、シエル様がそう判断したならそれでいいよ』
『そう、ですか?』
『うん。今から何処へ行くんだい?』
『お兄様の部屋に』
『そう。ファナ』
『はい』
『夕食はファナの好きな物を沢山作らせよう。何が食べたい?』
急に言われても思い付かない。うーん、と首を傾げ、あ、と声を出した。
『クリームスープがいいです! 司祭様のお屋敷で頂いてとても美味しかったので』
『うん。じゃあ、料理長に言っておくよ』
『……出来れば、ブロッコリーとグリーンピースは無しで』
『好き嫌いは良くないよ。量は少な目にしてあげるから、ちゃんと食べなさい』
『はい……』
ですよね、とファウスティーナは内心泣きつつ、シトリンと別れた。シエルの屋敷で食べたクリームスープには、グリーンピースは入ってなかったがブロッコリーは入っていた。食べれるようになったとは言え、まだ何処か苦手意識があるようだ。グリーンピースは更に上をいく。
若干落ち込んだままケインの私室へと向かった。ミントがノックをすると、リュンが出た。来訪者がファウスティーナと知ると『ケイン様、ファウスティーナお嬢様が』と部屋の方へ声を掛けた。通して、と少年特有の高い声がする。ファウスティーナはミントと一緒に室内に足を踏み入れた。
ケインは勉強机に向かって、難しい辞書を開きながら紙にペンを走らせていた。終わるとペンを置き、ファウスティーナに向き直った。
『殿下達は?』
『先程、お帰りになりました』
『そう。ミント、お茶の用意を』
『あ、それなら、司祭様に貰ったお花の紅茶を飲みましょう。とっても美味しいんですよ』
『畏まりました』
ミントは一礼をして部屋を出た。ケインとソファーに座ったファウスティーナ。リュンは両手で顔を覆って泣いていた。
『お、お嬢様……ほ、本当に、ご無事で良かった』
『あ、はは……心配掛けてごめんね。……私自身、全然実感なかったけど』
『ケイン様からお話は聞きました。寝ていて良かったのです。そのお陰で怖い思いをされていないということなのですから』
『うん……後は、あのお兄さんのお陰かな』
『司祭様と一緒にいた人?』
『はい。あのお兄さんが話相手になってくれたので、とても安心しました。お兄さん本人にも、全然怖がっている感じはありませんでしたし』
『……』
『お兄様?』
お兄さん――ヴェレッドに好印象を抱くファウスティーナに、考え込むケイン。怪訝な表情をされ、何でもないよと空色の頭を撫でた。
ミントがお茶のセットを持って入室した。手際よくティーカップを2人の前に置き、ティーポットを傾けた。綺麗な琥珀色から漂う甘いフルーツと花の香り。蕩けた顔で紅茶を見つめるファウスティーナにケインは苦笑した。
『ファナは甘い物が好きだね』
『女の子なら、誰だって好きですわ』
『そう。まあ、程々にね』
『はい!』
糖分を摂り過ぎれば、ぶくぶく横に太ってリュン一推し子豚の仲間入りになるからね。
続けてそう言われれば、上昇した気分は下降していく。ぶすっと拗ねた面でケインを睨むも、涼しい表情で紅茶を飲んでいるだけ。
子豚の言葉を聞いて目を輝かせるリュン。ケインはミントにリュンを連れて退室してと告げた。
『はい。行きましょう、リュン』
『はい……』
ケインに子豚の良さを知ってもらう貴重な瞬間だったのに……。肩を落としてミントと部屋を出た。
ファウスティーナは紅茶を飲み、ふふ、と笑った。
『どうしたの?』
『はい。何だか安心してしまって』
『安心?』
『私が誘拐されて、皆に迷惑を掛けてしまいましたが、何も変わらずにこうしてお兄様とお茶が出来るのって、本当は凄いことなんじゃないかって』
『そうだね。まあ、何も変わらずにってのは無理だろうけどね』
この後ケインと長く話し、ファウスティーナの無事を知らされ飛び起きたリンスーが迎えに来た。大泣きしながらファウスティーナを抱き締め、ずっと良かった、良かったと泣かれた。あまり怖い思いはしていないのに更に申し訳なくなった。リンスーが落ち着いたのを見計らい、部屋に戻った。
――で、現在。私室のベッドに寝転んだ。側にはリンスーが控えている。
ファウスティーナは上体を起こした。
リンスーは寝たお陰で大分体調も戻り、顔色もマシになったとケインは言っていたが、それでも普段と比べると悪い。
「リンスー。休まなくていいの? まだ無理をしない方がいいんじゃ……」
「お嬢様が無事に帰って来たのに、おめおめ寝ていられません」
「でも」
「私なら大丈夫です。多少の無理で倒れる程、柔ではありませんから」
「ほんと?」
「はい」
「じゃあ……いいのかな?」
「はい、良いんです」
微妙に納得いかない部分はあるがこれ以上言ってもリンスーは絶対に休まない。
ファウスティーナはベッドから降りるとソファーに移動した。
「明日からは、いつも通り……って訳にはいかなよね?」
「ですね……。カインの件を受けて、旦那様は公爵家に仕える使用人全員を改めて調べ、更に警備の強化を急いでいます」
「人は見掛けによらないってことなのかな」
「私も、最初は信じられませんでした。あのカインが……と。ですが、お嬢様の言う通り、意外な人が悪者だった、とはよくあることなのかもしれません」
「本でもよくあるよね」
「はい」
本と口にしてファウスティーナは書庫室に行きたいと告げた。
「夕食まではまだ時間があるから、読みたい本を選びたいの」
「では、参りましょう」
「うん」
リンスーを連れて部屋を出て、書庫室へ向かった。そういえば、あの後エルヴィラはどうしたのだろう。ケインにそのことを聞こうと思っていたのにすっかりと忘れてしまっていた。もう一度部屋を訪れて聞く程でもないか、と判断した。
書庫室に到着。子供用の本が置かれている本棚まで行き、読みたい本を探していく。
「……!」
ファウスティーナが一度見つけた時はタイトルのドロドロさから遠慮し、読みたいと思った時はなかった本。
『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』という、濃い青色のブックカバーに金糸で題名が刺繍された本があった。
今を逃したら次はないと、その本を選んだ。題名からして子供向けではないのは明らか。何故子供用本棚にあるかは不明。題名がリンスーに見えないようにしっかりと持ち、他に目ぼしい本が無かった為1冊だけ部屋に持ち帰った。
部屋に戻った。リンスーがいながら読むのは宜しくない。適当な理由を付けて1人になりたいが、誘拐されて帰宅した直後なので無理だろう。どうしよう、と思案する。
机に向かったファウスティーナはリンスーに振り返った。
「リンスー。夕食になったら呼んでね。本を読むから」
「はい」
ファウスティーナの邪魔にならないよう、リンスーが隅に移動したのを確認し、いざ表紙を開いた。
ページ数も中々に多いが夕食まで時間に余裕がある。半分くらいは読めるとファウスティーナは文字を追っていった。
数時間後――
隅に控えるリンスーに悟られまいと、ファウスティーナは真っ赤に上気した顔を必死に冷まそうとした。
(な、なんて本よ……)
主人公は公爵家の令嬢。生まれた時から王太子の婚約者であった姉がいる。その姉がかなり性格の悪い令嬢で、自分より容姿も才能も優れた妹を陰で苛め抜き、最後には殺し屋を雇って命を奪おうとする始末。婚約者の前では猫を被る姉も妹がいると理性が働かないのか、王太子の前でも妹を邪険に扱う。優しい王太子は自身の婚約者に苦言を呈し、虐げられる妹に優しく接する内に恋に落ちてしまった。それは妹――つまり主人公も同じだった。
内容の半分で夕食の時間が来た。リンスーに呼ばれ、本に栞を挟んで引き出しに仕舞った。
「お嬢様? 顔が真っ赤ですよ」
「え、き、気のせいだよ」
「そうですか?」
「うん!」
姉の数々の悪行が王太子にバレ、主人公の命を狙おうとしたことも露呈してしまい、姉は公爵家追放となった。
(なんか、前の私に似てるよね。主人公がエルヴィラで、悪役の姉が私、王太子がベルンハルド殿下。設定もかなり似てる。まあ、生まれた時から王族の婚約者っていうのは、無くはない話だから仕方ないか)
ファウスティーナが顔を赤くしたのは、姉が公爵家を追放となってからだ。晴れて妹と王太子は無事結ばれ、1年後結婚式を挙げた。
(何で子供用本棚に、大人向けのそういう本があるの……!)
誰が置いた! と怒りたいのと、題名からそういう本だと推測出来るのに手を取ったファウスティーナの自己責任である。
気掛かりがある。
題名には『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』とある。王太子妃とは主人公、王太子とは主人公と結婚したあの王太子。半分以降、主人公は王太子に捨てられるということなのか? だとしたら……。
(……ううん。最低って思っちゃいけない。元々、悪いのは主人公を嫉妬で苛めていた姉。主人公は被害者。王太子は、それでも健気に姉と仲良くしようと努力する妹に惹かれる。例え殺害未遂を起こさなくても、姉と婚約者は結婚しても仮面夫婦になっていただろう)
前の自分がもしベルンハルドと無事結婚していても、多分そうだ。それか、エルヴィラを愛妾として迎え入れていた可能性だってある。来もしないベルンハルドを毎夜待ち続ける。前の自分なら気が狂うだろう。
そう考えれば、殺害計画を事前に察知して断罪したベルンハルドに少なからず感謝する。気が狂う毎日を送るくらいなら、自分の見えない場所でエルヴィラと末永く暮らしたらいい。
(でもなあ……私が覚えてる限りじゃ、ベルンハルド殿下。私のことを毎回毛虫でも見るような目で見ていたのに、一度も婚約破棄をしたいと言ってこなかったな)
お互いの婚約は王家と公爵家が結んだ契約。個人の気持ちで解消出来る筈がない。
食堂に向かいながら考える。
誘拐されて無事戻って来たと言えど、恐らくベルンハルドとの婚約は解消されるだろう。婚約が結ばれてまだ1年も経っていない上に、公にはしていない。傷が残るのはファウスティーナで、ベルンハルドには傷が付かない。今ならまだ十分婚約者の変更が間に合う。
エルヴィラに婚約者になってもらわないと困る。そうでないとベルンハルドが幸せにならない。
2人は結ばれる運命にあるのだから。
(その為にも、やっぱりエルヴィラには勉強を必死に頑張ってもらわないと……!)
が、ファウスティーナが言っても聞かないのは理解しているのでここは父に頑張ってもらうしかない。後兄にも。
誘拐された過去を持つ令嬢を欲しがる物好きはいない。ファウスティーナは貴族学院を卒業したら、公爵家を出て平民になる予定だ。好きなことは今後見つける。平民になったらあれがしてみたい、公爵令嬢である今の内にはこれがしたい、と。
(そうだ。あのお兄さんに相談してみよう)
平民の生活を決して甘く見ていない。先ずは情報収集しないと。なら、一番平民の生活に詳しそうなヴェレッドなら色々と教えてくれるだろう。何しろ、ファウスティーナがベルンハルドと婚約破棄をしたいと知る数少ない人なのだから。それに、だ。何となく、ペラペラと他人に話すような人じゃない気がする。
「リンスー」
「はい」
前を歩くリンスーに食事後、便箋の用意を頼んだ。
食事後手紙を出そう。シエルといるなら、教会に届けても大丈夫だろう。
それとシエルにもお礼の手紙を書こう。ちゃんとしたお礼は言ったが、改めてお礼が言いたい。
念願の婚約破棄が間近に迫り、嬉しさを抱いたファウスティーナだった。
読んで頂きありがとうございます。
ファウスティーナは何を読んだのやら……( *´艸`)