6 こうしてスルースキルは上がっていく
昨日、ネージュの話題が出たせいか不明だが、朝目を覚ましたファウスティーナはじっと天井を見上げた。
夢で見て彼には申し訳ない気持ちで一杯になった。
本当に前回は沢山の人に迷惑を掛けた。ベルンハルドにも、ネージュにも、家族にも、友人にも、使用人達にも。
だから、だからこそ――。
「絶対に殿下との婚約を解消するんだから……!」
仮令、前回の記憶を持っていながらベルンハルドに恋心を持っていても、だ。前回のベルンハルドに向けられた憎悪に染まった瑠璃色を思い出すだけで背筋が凍り、全身は重りを乗せられたかのように動けなくなる。昨日疑惑の色を向けられただけで思い出すのは……。
「……弱気になるなファウスティーナ。大丈夫、大丈夫よ。今回の私は殿下を……好きだけど好きじゃない」
言っている本人が言っている意味を理解出来なくても、今日も1日を乗り切るぞとファウスティーナは勢い良く上体を起こしたのであった。
●○●○●○
今日もベルンハルドは来る。
昨日お見送りをした際そう告げられた。続けて来るのは珍しい。彼は間隔を空けてファウスティーナに会いに来るので。
朝食を終え、私室でリンスーと今日の打ち合わせ(ベルンハルドが来る30分前には絶対に部屋にいてくださいと念を押されているだけ)していると控え目に扉がノックされた。
向こうから届いた声にファウスティーナとリンスーは顔を見合わせる。リンスーが扉を開けると母リュドミーラがいた。
先日のこともあり、ファウスティーナはリュドミーラと必要な時以外顔を合わせないようにしていた。リュドミーラも気まずそうにするので無理に話しかける必要もなければ、そもそも母娘としてあまり会話をした記憶がないと思い出したのだ。
――あくまで私はヴィトケンシュタイン公爵令嬢でお母様はヴィトケンシュタイン公爵夫人。間違ってはないけど、お父様とは全然違ったものね……
母の瞳には何時だって父と妹と兄しかいない。自分はいない者同然だった。
だからなのだろう。前回、王太子の婚約者でありながら実の妹を害そうとしたが失敗し、公爵家だけではなく王家の顔にも泥を塗ったファウスティーナを――
『貴女なんて生まれてこなければ良かったのよ!!!』
戸惑いも躊躇もなく糾弾したのは。
前回の記憶と目の前の母が被ろうとして、思わず頭を振った。お嬢様? 怪訝な声を発したリンスーにハッとして、ファウスティーナは気まずそうにしながらも訪問理由を述べないリュドミーラに話し掛けた。
「どうなさいました? お母様」
「え、ええ」
言い難そうに口を閉ざすリュドミーラ。どうしたのだろうとリンスーと共に首を傾げる。
「きょ、今日ドレスの新調をしようと公爵家お抱えのデザイナーを呼んでいるの。エルヴィラや貴女もそろそろ新しいドレスが必要でしょう?」
ああ、そんなことか。
ファウスティーナは下を向いた。自分が今着ているのは、紺色の地味ではあるが品のある高級感溢れるドレス。明るい色より、暗くても静かで落ち着きのある色が好きだったりする。
対して、エルヴィラはファウスティーナと違い明るく華やかな色が好きである。本人達の性格にもよるが2人の好みは正反対。ベルンハルドに恋い焦がれ、少しでも彼に相応しい婚約者としてありたかった前回は正反対な色を好んで着ていた。
が、今回は無理をして自分には合わない色を着なくて良い。
上を向いたファウスティーナだが、デザイナーが来る時間とベルンハルドが来る時間が被ると必然的に彼を優先しないとならない。
「殿下が午後になる少し前からご訪問されるのですが、デザイナーが来るのは何時でしょうか?」
「成るべく時間が被らないように設定をしたから、後1時間後かしらね」
何故かホッとしたような表情をしたリュドミーラを、やはりファウスティーナとリンスーは顔を見合わせた。今日の母はどこか様子が可笑しい。先日のことが原因に違いないというのがファウスティーナの予想である。
デザイナーが来たら呼びに来させると告げてリュドミーラは自身の部屋へ戻って行った。
扉を閉め、ソファーに座ったファウスティーナはグラスに入れられたオレンジジュースをリンスーから受け取った。
「今日の奥様はどうされたのでしょうか。何だか様子が変でしたね」
「そうね。まあでも、ドレスを新調する時元に戻ってるわ。新しいドレスが好きですもの」
「お嬢様はあまり好きではないですよね」
「私はあまりお茶会とか行かないから。寧ろ、庭で花を眺めてる方が好きかも」
庭師が丹精込めて育てた花を眺めるだけが好き。態々、地面から離して花瓶に入れて飾ろうとはしない。美しい花瓶に生けられた花も綺麗だが、自然なままで咲く花を見る方が綺麗だというのがファウスティーナの感想。
「新しいドレスはどのようなデザインを?」
「そうね……あまり派手なのも嫌だけど、地味過ぎるのもダメよね」
「そうですね。お嬢様は公爵令嬢でありますし、未来の王太子妃でもありますから」
難しいと顔を困ったものに変えたファウスティーナはオレンジジュースを一気に飲み尽くした。
リンスーにお代わりを所望しても飲み過ぎですと代わりに水を渡された。
1時間後、予定通り公爵家お抱えのデザイナーが沢山の生地やデッサン画を持ってヴィトケンシュタイン邸を訪れた。
この後にはベルンハルドが来訪するのでファウスティーナは先にデザインしてもらった。
疲れたように私室のソファーでぐったりとするファウスティーナに、さっきは飲み過ぎだからと渡さなかったオレンジジュースを差し出したリンスー。受け取ったオレンジジュースを飲んだファウスティーナは遠い薄黄色の瞳をした。
「かなりお疲れですが何かあったのですか?」
「どうもこうもないわよ……」
隣国の式典から国王夫妻が戻れば、また城と屋敷を行き来する生活が再開する。城までは馬車で向かうとは言え、城内は徒歩。普段着用は成るべく動きやすいシンプルで、且つ派手さを控え目にしてほしいと言ったのにどんどんファウスティーナの要望とは離れたデザインを書いていかれた。途中で何度か口を挟んでも公爵令嬢、未来の王太子妃であるファウスティーナにはこのデザインのドレスが似合うと聞かないデザイナーに先に匙を投げたのはファウスティーナだった。
よくよく考えれば、今ドレスを新調しなくても袖を通していないドレスはまだまだある。自分の分はいらないとリュドミーラの了承を得ずにサロンから私室へと戻ったのだ。
「後でまたお母様に叱られるわね……」
「公爵令嬢であるお嬢様の要望を聞き入れなかったデザイナーが悪いのです!」
「お母様とエルヴィラには最適みたいだけど、私はあの人合いそうにない」
背凭れに凭れたファウスティーナは、ふと、前回自分が着ていたドレスの全部がさっきのデザイナーが手掛けたドレスだと思い出した。
未来の王太子妃としては相応しくてもどうも派手で自分には似合わなかったなと顔を苦くする。肝心の相手は、婚約者よりも婚約者の妹に夢中だったせいかもしれない。
ただ……
『お綺麗ですよファウスティーナ嬢』
父や兄、王妃以外で本心から綺麗だと言ってくれたのは一人だけだった。
昨日話題に出たせいか思い出すことが多い。
コンコン
扉が静かにノックをされた。開けると執事長がいて。ベルンハルドの来訪を知らされた。この為にリンスーと大人しく(単に疲れたせいでもあるが)待っていた。
執事長に続いて客室へ向かうファウスティーナは、途中一階の玄関ホールでリュドミーラとエルヴィラの見送りを受けるデザイナーを横目で見、何か思う事もなく進む。
デザイナーも仕事だから仕方ないが今度からは相手の意見をしっかりと聞いた方が良いと思う。
(……あれ? でも、お母様とエルヴィラの意見には応じてたわね。……私だけ?)
ファウスティーナが地味なドレスよりも華々しいドレスが似合うという確信を持って、要望とは真逆のデザインを勧めた、等と知らないので今度から自分だけ別のデザイナーに頼もうとスルーするだけ。
(私のスルースキルも殿下のお陰で磨きがかかってるわ。これなら、前なら嫉妬して激昂した場面でも華麗にスルー出来る。寧ろ、鑑賞用として楽しむ余裕すら出来るかも)
それはそれで楽しそうである。
本で読むより、実物の恋愛を見る方が現実味があって近い感情を抱ける。
変な自信だけは着実に上がっていくファウスティーナは執事長に続いて客室へと入った。
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