過去―彼女がいない後⑨ 慈悲のない刺―
今回はベルンハルドとヴェレッドがメインです。タイトル通りです。
先代ヴィトケンシュタイン公爵夫妻から視線を逸らしたシエルが先へ進もうとした時だ。袖を引っ張られた。振り返るとヴェレッドが多種類のスイーツに目が釘付けになっていた。彼の手はシエルの袖を掴んでいる。スイーツからシエルに目を向け、袖を離したヴェレッドはバイバイと手を振った。こんな仕草をして似合う男性はほぼいないだろう。見た目だけで言うと2人揃って歳相応に見えない。
『……』
ジト目でヴェレッドを睨むシエル。スイーツを食べたい欲が強いヴェレッドはシエルの反応も見ず、好きにスイーツを取り皿に置き始めた。深い溜め息を吐いたシエルは『1人は寂しいのに』と肩を竦めた。
『寂しくないでしょう。元公爵夫妻がいるんだから』
『私が話すことは何もないのに』
『ふふ……行ってらっしゃい。俺はお利口さんにしてテラスで待ってるね』
『会場で食べないの?』
『うん。だって』
チラリとヴェレッドは横を見た。呆然と立ち尽くすベルンハルドを心配するエルヴィラがいる。
『……やれやれ。だから来たくなかった。屋敷でゆっくりしたかったのに。今日は一応目出度い日だから、飛び切り美味しいスイーツを用意していたのに』
『3時のおやつで仲良く焼いたパイを食べたでしょう。あれで我慢しなよ』
『そうだね。張り切って作ったのに、黒焦げにして落ち込んでいるのが可愛かった』
『悪趣味』
呆れた眼をシエルへとやり、満足いくまで取り皿に乗せたヴェレッドは食べながらテラスへと行った。行儀が悪い行為なのに、優雅な仕草とヴェレッドの美しい容姿のせいで注意をする人はいなかった。
未だ強い視線をぶつけられ、シエルはひっそりと笑みを深め、そのまま会場を出て用意されている客室に入った。
*ー*ー*ー*ー*
『うん。美味しい』
テラスに出て、人の気配がない奥へ進み、ポツンと置かれている長椅子にヴェレッドは座った。今食べているのはマカロン。大好物の1つ。王城へ向かう時思ったが今日は満月がとても綺麗だ。月を見ながら食べるマカロンも悪くない。飲み物は選んだスイーツを全て食べてからにしようと、次はチーズケーキにフォークを入れた。
咀嚼し、飲み込むと前を向いた。
彼が来るのは簡単に予想していた。
険しい顔付きでヴェレッドを追い掛けて来たのはベルンハルド。
シエルのあの態度から、あの後追い掛けても話を聞いてくれないと踏んで自分の所へ来たのだろう。
浅はかだ。
シエルは一応、叔父という立場からベルンハルドを多少は気遣って言葉を選んだのに。
『どうしたの? 王太子様。今日は王太子妃様のお目出度い日なんだから、ずっと側にいてあげなきゃ』
『……エルヴィラは私の従兄弟に任せた。叔父上が駄目なら――』
『シエル様が話さないものを俺が話すと思うの?』
『っ』
図星を突かれ、唇を噛み締めた。
ヴェレッドは次にブルーベリーパイにフォークを入れた。
『あのさ、王太子様。王太子様はお嬢様に捨てられたと思ってるみたいだけど、どこを間違えたらそう思うの? 捨てたのは王太子様だよ』
一口サイズに切ったブルーベリーパイをベルンハルドに向け、反論される前にヴェレッドは発した。
『“お前のような底意地の悪い相手が婚約者となった僕の気持ちにもなれ! お前は僕の唯一の汚点だ!” ……だっけ?』
驚愕に目を開き、真っ青な表情でヴェレッドを見つめるベルンハルド。ふふ、と底無しの闇を纏った瞳がベルンハルドを見上げた。
『よくもまあ、こんな台詞を吐いた相手に捨てられたなんて思うよね』
『……』
『可哀想なお嬢様。愛され、大事にされ、幸せになる為に生まれてきたのに。なりたいと願ってなった訳じゃない王太子の婚約者にされ、妹贔屓する母親のせいで性格が歪み、愛されたいと願った婚約者に心の底から突き放されて、認めてほしかった相手にどんな努力をしても振り向いてもらえなくて』
『…………めろ』
『見た目とお涙頂戴しか取り柄のない妹に婚約者と母親の愛情を持って行かれて、正しく育つ筈だった感情は歪みまくって最後は本物の殺意を抱くまでに至った。
――婚約者と母親のせいで』
『……止めろと言っている……!』
必死に音量を抑えた、縋るような切羽詰まった声色。
苦しげな表情でヴェレッドを睨むも、向けられる薔薇色の瞳からは一切の同情も容赦もない。
ショートケーキに乗っているイチゴをフォークで刺し、眼前に持ってきた。
『何? 俺は事実しか言ってないよ? 他人から聞かされて、今更お嬢様にしてきた仕打ちを実感して逃げたくなったの?』
『何も知らない人間に何が分かる!?』
『うん。知らない。どうでもいいから』
イチゴを口内へ入れた。甘酸っぱいイチゴは幾つ食べても美味しい。今日はシエルの我儘を聞いて王太子妃の誕生日パーティーに来たのだから、明日はシエルが我儘を聞く番だ。朝一番街に行ってイチゴを買おうと決めた。
『王太子様の気持ちなんて俺には心底どうでもいい。不敬だろうがなんだろうがね。俺が気にするのはシエル様だけ。ただ、お嬢様が君から受けてきた仕打ちは知ってる。でないと、君が11歳の頃お嬢様に吐き捨てたさっきの台詞、知ってる訳ないでしょう』
『っ……』
『良いこと教えてあげるよ、王太子様。物事にはなんでも限度がある。人の想いだって同じ。お嬢様がどれだけ王太子様を好きでいても、底があった。
……あんな言葉を吐かれても好きでいるお人好し、何処にいるんだよ』
ハッとした面でヴェレッドを見やるベルンハルド。
彼を見上げる瞳は――更に冷酷さが増した。
『王太子様が見てきたお嬢様は全て偽りだったんだ。全部、あの可愛い妹に婚約者の座を譲る為、というか君が可愛い妹を選ぶように仕向けたもの』
『……ファウスティーナが……エルヴィラを……』
『うん。後は自分で考えてね。教える義理ないし』
何か言いかけたベルンハルドを一睨みで黙らせ、思っていたよりも速く無くなったスイーツに眉を下げた。沢山取っても、苛立ちをスイーツで誤魔化した結果が空になった取り皿だ。
シエルが気になるのもあり、スイーツのお代わりを取りに行ってシエルのいる所へ行こう。腰を上げたヴェレッドは、ついでに飲み物も貰おうと過る。カクテルがいい。
ギムレット、甘口のマティーニ、気分転換したいのでスティンガーも捨て難い。が、それ以前にどんなカクテルが用意されているのか知らない。なかったらなかったで適当なのを飲もう。
ヴェレッドがベルンハルドの横を過ぎ去らず、立った。
『捨てたくせに拾おうとしている所は王様そっくりだね』
特大の皮肉を囁くと歩き出した。
『……に……かる』
微かにベルンハルドの声を聴覚が拾い、足を止めた。
『お前に……何が分かる……』
『さあ』
『あの時、ファウスティーナに確かに酷いことを言った。頭が冷えた後、自分でもとても酷いと思った。だから謝罪の手紙を書いた。会って謝りたいとも送った。……けどっ』
ファウスティーナは返事も送らなければ、ベルンハルドと会おうともしなかった。そこからだ、ファウスティーナのベルンハルドに対する態度がエルヴィラがいない時だけ変わったのは。
血が出る程拳を握るベルンハルドがヴェレッドへ向いた。過去の後悔しかない感情が刻まれた相貌を見ても、ヴェレッドの心は何1つ動かされない。はーあ、と心底どうでも良さそうな溜め息を吐いた。
『ほんと、そっくり。突き放して、でも一番大事なのが何か気付いた後には、大事な存在に突き放されてる所が――王様にとってもそっくり』
『ファウスティーナの居場所を知っているんだろう!』
『シエル様も言っていたでしょう? 知らないよ。シエル様が知らないことを俺が知る訳ない』
『ならっ、何故ファウスティーナのことをよく知っている!?』
『君がお嬢様に酷い言葉を吐いた日、珍しくシエル様が登城していた日だったんだ。俺も付いて行った。そこで1人泣きじゃくって話せないお嬢様を拾った。喋れるまで落ち着いたお嬢様は、もう嫌だとシエル様に泣き叫んだ。何をしても自分を見てくれない、認めてくれない王太子の婚約者から解放されたい、そんなにエルヴィラが好きならエルヴィラを王太子妃にしたらいいじゃない、って』
『…………』
ヴェレッドから突き出されるファウスティーナの本音の数々。ただ、ただ、呆然とするベルンハルドの心に鋭利な薔薇を刺した。
『どこをどう考えたら、お嬢様に捨てられた、なんて発想が出るの? 自業自得だよ』
ヴェレッドは歩き出した。膝を崩したベルンハルドを振り向きもせず。
ベルンハルドの言う謝罪の手紙は、当時カイン=フックスとして執事をしていたヴェレッドが捨てていた。ベルンハルドがどんな謝罪を書いているか気になって中身を見た。話が王妃辺りにいって叱られでもしたのか、走り書きした謝罪文があっただけ。ファウスティーナの精神に更なる負荷が掛かりそうで、見せて傷付けるくらいならと見せなかった。どうせ、あの時のファウスティーナもベルンハルドからのその後等何も期待していなかったのだから。
会場に戻り、周囲の視線を気にせず取り皿を近くを通った給仕に渡して別方向から会場を出た。スイーツを食べる気分じゃなくなった。
目指すはシエルのいる客室。何となくシエルのいる場所が分かるヴェレッドが、適当に選んだ部屋にノックなしで入った。
室内には、床に座り込み泣き崩れる先代公爵夫人と、彼女の肩を抱いてシエルを真っ青な表情で見上げる先代公爵。……一切の感情が消えた相貌で2人を見下ろすシエルがいた。
読んで頂きありがとうございます。
ファウスティーナのとある年齢から記憶がない理由明かしも兼ねてる感じです。