44 不敵な微笑み
面白いことでも起きたのか。ニヤニヤとした顔で扉に凭れているヴェレッドは、瞬きを繰り返すファウスティーナとベルンハルドへ近付いた。
ファウスティーナの隣に座った。
「王子様。シエル様と公爵の話が終わったから、帰る準備をしてね」
「う、うん。それより、ファウスティーナの隣に座らなくてもいいだろう!」
「うん? どうでもいいでしょう。お嬢様は俺が隣にいるの嫌?」
「嫌じゃないけど、顔がにやけてるよ」
「ああ、うん、面白いことあったからね」
ヴェレッドの指す面白い。嫌な予感がする。
「面白いこと?」
ベルンハルドが訊いた。
「そう。面白いこと。王子様やお嬢様も見たら良かったのに」
「何を見たの?」
「内緒。君のお兄さんに聞けば?」
「……」
絶対にエルヴィラとケインだ、とファウスティーナはがっくりと肩を落とした。お母様、と泣き叫びながら部屋を飛び出したエルヴィラだ。リュドミーラの所へ行ったのは明白。リュドミーラに泣き付き、後を追ったケインが状況説明をしていたのをヴェレッドが目撃した。
「叔父上は何処に?」
「シエル様は、お嬢様に渡すお土産を取りに行ってる」
「紅茶と入浴剤?」
「そう」
今日の夜中ファウスティーナが気に入ったのであげるよとは話になっていた。経緯を知らないベルンハルドに説明するとむくれ顔をした。
「……僕も起こしてくれたら良かったのに」
「でも、寝ている殿下を起こすのは」
「その人は叔父上に起こされたんでしょう?」
「あのさ、熟睡しているのを叩き起こされるのがどれだけ不快か、王子様にはきっと分からないよ」
第1王子として生まれたベルンハルドは、今まで雑な扱いをされたことがない。シエルに犬猫のように首根っこを掴まれていたが、あれも今回が初めて。寝ているのを叩き起こされた経験もない。だがヴェレッドの言う通り、良い気分ではない。
小さく欠伸をしたヴェレッドは、テーブルに置かれているお茶とイチゴタルトに気付く。じぃーっと見ているので、ファウスティーナは呼び鈴を鳴らした。
入って来たのはトリシャではない違う侍女だ。侍女に「新しいティーカップとイチゴタルトを持ってきて」と告げた。
侍女が退室するとヴェレッドに向いた。
「ちょっとだけ待っててね」
食べたいとは言わなかったが、視線が食べたそうにしていた。
また欠伸をして、でも頷く。
連続で欠伸をするのは眠いのだろう。教会から王城までの移動中も席を丸々利用して寝ていたくらいだ。
侍女がティーカップとイチゴタルトを持って再び入った。ヴェレッドの前に置くよう指示を出した。
ティーカップに置かれているティーポットを持って紅茶を注いだ。
「失礼致します」
侍女が出ていくとファウスティーナは「どうぞ」と言う。
「うん」
ヴェレッドはテーブルに予め置かれていた砂糖瓶を引き寄せた。蓋を開け、角砂糖をぽちゃぽちゃ入れていく。
「い、入れすぎじゃないのか?」
ベルンハルドが6個角砂糖を入れた辺りで待ったを掛けるもヴェレッドはまだ入れる。10個でストップした。
ティースプーンで紅茶を混ぜる。
ティースプーンを置き、取っ手に指を掛けてティーカップを持ち上げ、躊躇もなく飲んだ。
ヴェレッドの反応が気になるファウスティーナとベルンハルドは注目する。
「美味しい」
角砂糖10個入った紅茶。甘い食べ物が大好きなファウスティーナでも飲めるか。自分の紅茶に角砂糖10個を入れた。ファウスティーナ!? と驚くベルンハルドに「ちょっとだけ気になって……」とティースプーンで紅茶を混ぜ、飲んだ。
「……美味しい」
意外そうな表情で告げたファウスティーナ。ベルンハルドは味を気にしつつ、実際に試して全部飲む自信がないので止めておいた。
「甘いのが好きなの?」
「だったら?」
「別にどうこうって訳じゃないよ。気になっただけ」
「あっそ」
「……」
素っ気ない。シエルに対しての素っ気なさと同じだろうがこうも素っ気ないと地味に傷付く。シエルは付き合いが長いから思うことはないのだろう。
「エルヴィラ嬢をケインが追い掛けて行ったけど、戻って来る気配がないね……」
「そうですね……。様子を見に行きましょうか?」
「その必要はないんじゃない? 冷めるよ、紅茶」
紅茶が冷めるから行かないを理由にしていいものか。イチゴタルトにフォークを入れたファウスティーナとベルンハルド。扉のノック音と共に開かれると「やあ、お待たせ」と公爵邸に到着した時とは違う、綺麗な微笑を浮かべたシエルが片手に紙袋を提げて入った。
「ベル。食べ終わり次第、私と王城に戻ろう」
「はい」
「ああ、だからって急いで食べなくていいよ。ゆっくりしなさい」
「シエル様が行きたくないだけでしょう。こてんぱんにした王様もちょっとは復活してそうだし」
ケチの付け所がない、優雅な動作でイチゴタルトを食べるヴェレッドを意外そうにファウスティーナは見上げた。貧民街の孤児だと話していたが、食べ方は上流貴族のそれ。シエルに教わったのだろうか。
シリウスの復活発言に、まだ凹んでいてくれた方が内心いいな……と考えているベルンハルドだがイチゴタルトを飲み込み頷く。ファウスティーナの横に回ったシエルは「はい」と紙袋を渡した。
「ありがとうございます! 司祭様!」
「うん。無くなったら何時でも知らせて。届けさせるから」
「誰に届けさせる気?」とヴェレッドがイチゴタルトを食べながら訊く。
「さてさて、誰だろうね」
「シエル様が届けに来たらいいじゃない」
「私が毎回来たら公爵夫妻の負担が増えちゃうから」
「あっそ」
「司祭様にもお茶のセットを用意してもらいますね」
ファウスティーナが気を利かせて呼び鈴を取る。シエルは「いいよ」と小さな手に触れた。
「夜中や移動中に沢山紅茶を飲んだからお腹一杯なんだ」
「そうですか?」
「うん」
ありがとう、と空色の頭をポンポン撫でられる。シトリンに撫でられるのとは違う安心感が湧き上がり、寧ろそれより温かく優しい手付きが懐かしいと思えてしまう。
前の人生でこうしてシエルと関わった記憶が――
『はい、君の大好きなスイーツを沢山用意したから食べなさい』
『わーい! ありがとう――様!』
『ねえ、シエル様俺の分は?』
『ちゃんとあるでしょう』
ない、なのに一瞬過った記憶は何か。今より数年分大きくなったファウスティーナとシエル、ヴェレッドの3人でスイーツを囲んでいた。
覚えていないだけで、実は関わりがありましたというのが多い。今回の誘拐もきっとそうだ。シエルに頭を撫でられつつ、今夜【ファウスティーナのあれこれ】に頭痛が襲おうが何だろうが意地でも思い出してやると密かに決意。
記憶の中の自分はシエルを何と言っていたのだろう。そこの部分だけ聞こえなかった。
ファウスティーナの頭を撫で終えると、シエルは空いているベルンハルドの隣に腰掛けた。
「叔父上」
「何かな」
「公爵とは、どんな話をされたのですか?」
「ファウスティーナ様を拐った誘拐犯や健康状態かな」
「誘拐犯……カインが……」
自分を拐ったのが長年公爵家に仕えたカインだと聞かされた時、間違いだと信じたかった。
ファウスティーナにとって、カインは非常に物静かで仕事熱心な執事、という印象だった。挨拶はするがそれ以外の会話はなかった。礼儀正しく、仕事もきっちり決められた時間通りに、それでいて一切の妥協はなかった。使用人の鑑のような人、というのがシトリンを始めとした人達の印象だった。
角砂糖10個入った紅茶を飲む。甘い。とても甘い。でもいける甘さだ。
ベルンハルドがイチゴタルトと紅茶を食したのを見、シエルは紫がかった銀糸に手を乗せた。
「さて、城に戻ろう」
「はい、叔父上」
2人が立ち上がるとファウスティーナも立ち上がる。ヴェレッドは食べ終わっているが座ったまま。小さな欠伸をした。
「行かないの?」
ファウスティーナの問いには答えず、面倒臭そうにシエルを見上げた。意味ありげな視線を寄越すだけ。はあ、と溜め息を吐いたヴェレッドは立った。
「あ、お父様達を呼んで来ます」
「その必要はないよ。もう帰るからって公爵には伝えてあるから」
「でも、お見送りを」
「シエル様にこてんぱんにされた公爵が来ても仕方ないよ」
「?」
何故父がこてんぱんにされる必要が?
首を傾げるファウスティーナにふわりと微笑むシエル。ファウスティーナも釣られて微笑み返す。
結局公爵のお見送りは不要とのことで。だがこのままなのもいかず。ファウスティーナがお見送り役を買って出た。外に控えていた侍女と共にシエル達と正門まで行った。
乗って来た馬車が停車していた。
御者が馬車の扉を開けた。
「さあ、ベル行くよ」
「はい。あ、ファウスティーナ」
シエルに促されて馬車に乗り込む前に、ベルンハルドはファウスティーナの前に立った。
「落ち着いたら、またゆっくり話そう」
「はい」
「お城に招待するから来てね」
「(あ……逃げられないやつだ……)はい、勿論です」
内心「うわあああーん! 逃げ出せないじゃないー!」と叫びつつ、令嬢の微笑みで了承した。
良かった、と安堵したベルンハルドはファウスティーナの頭をそっと撫でてから馬車に乗り込んだ。初めてベルンハルドに頭を撫でられ、ポカンとする。前の人生でベルンハルドが頭を撫でていたのは常にエルヴィラだったのに。
胸のチクチク感が痛い。無視を決め込んでも――痛い。
「うわっ」
ベルンハルドが馬車に乗り込んだのを見届けると強い力で上から頭を押さえられ、危うく体勢を崩しかけた。「あのさ」と頭上から降ってきた声に、相手がヴェレッドだと判明。
「シエル様達が来る前、自分で言っていたこと覚えてる?」
「う、うん」
もう助からない。諦念から初対面の相手に王太子との婚約は何れ自分から妹に変わると話してしまった。落ち着いて考えてみると、あのような状況で出す話題でもない。話してしまった事実は変えられない。
「今日の君と王子様を見てて思った。君は本当に王子様が妹を好きになると思ってるの?」
「……思ってるよ」
だって、前がそうだったから。
「王子様は君が好きみたいだけど?」
前と違ってエルヴィラを虐めてもいなければ、自分勝手な我儘な性格じゃないから。
「それでも君は王子様が妹を好きになると信じてるの?」
何度ベルンハルドに訴えても、振り向いてもらえるよう努力しても、ベルンハルドがファウスティーナに好意を示したことは一度だってなかった。
ヴェレッドの謎の質問に疑問を抱きつつ、こくりと頷く。
「……そう」
ヴェレッドはファウスティーナの頭から手を退けた。
ファウスティーナは乱れた髪を手で整えつつ、ヴェレッドを見上げた。
不敵に笑う薔薇色の瞳。
「なら、決まったね」
「何が?」
「……近い内に分かるよ」
シエルもシエルだが、ヴェレッドもヴェレッドで意味深な行動をする。
「ヴェレッド?」
シエルがヴェレッドを呼ぶ。
肩を竦めたヴェレッドはファウスティーナの横を通り、シエルの後に続いて馬車に乗り込んだ。
御者が馬を走らせた。
遠くなっていく馬車を見えなくなるまで見送ったファウスティーナであった。
『じゃあさ、協力してあげるよ。君と王子様の婚約破棄』
『どうするの?』
『ふふ……今までの、君の考えた生温いやり方じゃない。本物の悪党が作るシナリオを用意してあげる』
『そうしたら、殿下はエルヴィラを選ぶ?』
『うん。……強制的にね』
*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*
読んで頂きありがとうございます。
多分知っている人だと思います……