43 3兄妹は通常運転
42話の後書きを一部修正しました。
ややこしくてすみません。
使用人に支えられる形で私室に戻ったリュドミーラ。使用人にカウチに座らされ、落ち着くまで部屋を出る様促した。心配した様子ながらも使用人は「失礼します」と一礼して退室した。真っ青な表情のまま、リュドミーラは先程までのシエルの冷酷な顔を思い出し更に震えた。
ファウスティーナが誘拐され、それをシエルが救出した。シエルがファウスティーナを連れて公爵家へ来ると知っていれば表へ出なかった。今頃シトリンは必死にファウスティーナを取られまいとシエルに抵抗しているのに、自分は何も出来ない。不甲斐ない。
「ファウスティーナは私の娘……私の娘よ……」
8年前、夫シトリンに従妹であるアーヴァの娘を引き取りたいと相談された。自分達の子は自分達の手で育てたいというシトリンの気持ちと、産後の肥立ちが少し良くなかったリュドミーラを気遣って、ケインが生まれてすぐ領地で暮らしていた。のんびりとし、澄んだ空気の田舎だが非常にゆったりとした時間はリュドミーラの身体を予想より早く回復させた。また、本来なら世話を乳母に任せる所をシトリンの希望もあって、乳母の手を借りながらリュドミーラは自分でケインの世話をしていた。
詳しい事情は聞かされていない。貴族学院を中退して以来音沙汰のなかったアーヴァが半年前女の子を出産したが同時に亡くなってしまい、また、父親が王弟であるシエルなのが問題となり、親戚であるシトリンが引き取る話となった。引き取る前に話してくれた夫の誠意を嬉しく思いながら、何も知らない赤子の内に引き取った方がケインにとっても女の子にとっても良いだろうとリュドミーラも賛成した。この頃、既にエルヴィラがお腹に宿っていた。
その際――
『リュミー。アーヴァが生んだ子を、君が生んだ子として思ってほしいんだ。ケインと同じように、これから生まれてくる子と同じように、自分の子として愛してやってほしい』
立場が立場だけに、女の子がシエル――王弟の娘と知れれば色々と面倒なことになる。リュドミーラは決してシエルとアーヴァの子と口にしないよう、夫と自分の間に生まれた子と自分に言い聞かせた。
リュドミーラなりに大事に育てていたつもりだ。女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。輝かしい未来を守る為に、また、未来の王妃を育てた母親としてある為に、必要以上に厳しく接した。
跡取りであるケイン、王妃になると決められているファウスティーナとは違い、末のエルヴィラはゆっくりと将来を決めたいと思っていた。婚約者もエルヴィラが一緒になりたいと願った相手と出来れば結ばせてやりたい。ただ、相手がエルヴィラに釣り合った場合のみだが。
ファウスティーナへの厳しさは全部ファウスティーナの為。優しくして、甘やかしてやりたい気持ちはある。それを押し込め、与えられない分をエルヴィラに注いだ。エルヴィラも可愛い娘なのだから。
シエルに怯える必要は何処にもない。ちゃんとファウスティーナの母親として、シトリンは父親としてあの子を立派に育てている。
そう自分に言い聞かせたリュドミーラは、多少顔色が回復した。まだ話し合いは続いているだろうか。だが、まだ立つ力がない。胸の前でぎゅっと手を握り締めた。
――…………あぁぁ……!
――……い、……ィラ!
「……エルヴィラ? ケイン?」
正確には聞き取れなかったが遠くからエルヴィラとケインの声が届いた。どうしたのだろうと、リュドミーラは震える足を叱咤し、部屋を出た。
*ー*ー*ー*ー*ー*
――一方、両親がシエルと話し合いがあるからとファウスティーナはケインに連れられ客室へと来た。ベルンハルドもいる。中に入るとファウスティーナとケインは先にベルンハルドを席へ案内し。彼が座ると自分達も向かい合うように座った。
呼び鈴をケインが鳴らすとエルヴィラ付きの侍女トリシャが入った。
ファウスティーナを目にすると「お嬢様!」と駆け寄った。
「よくご無事で……!」
「うん。ただいまトリシャ」
「はい、お帰りなさいませ」
「トリシャ。殿下にお茶の用意をして」
「はい」
ファウスティーナの頬を涙目で撫でるとトリシャはお茶の準備をするべく一旦退室した。
(トリシャにも前は迷惑かけたなあ……)
前の人生、エルヴィラ付きの侍女は、どうもエルヴィラに甘いのが目立った。何かあるとすぐにリュドミーラに泣き付くせいもあったのだろう。その中でトリシャは多少甘い部分はあれど、エルヴィラを甘やかしたりしなかった。叱り方は甘かったが……。前のファウスティーナはリンスー以外の使用人からは腫れ物扱いをされていた。一番の被害者であったエルヴィラに仕える侍女からは天敵扱いをされていた中、トリシャは――
『お嬢様。ファウスティーナお嬢様がああ仰有られるのも、お嬢様にも原因が御座います』と暗にベルンハルドに近付くからこうなるのだと語っていた。
(エルヴィラには届かなかったけどね……)
前の回想を終え、ファウスティーナは意識を現実へと戻した。
「殿下、司祭様とお父様達との話し合いが終わるまで此処で待っていましょう」
「うん」
「ねえファナ、本当に大丈夫? というか、寝てたの? ずっと」
「う……は、はい」
ケインの心配は本心。ファウスティーナも感じられる。だからこその気まずさがある。皆が必死になって自分を捜索している間、当の本人は夢の中でコールダックに追い掛け回されていたのだから。ただ、疲れてパイを食べている時は何もしてこなかった。
じぃーっと凝視されていただけ。
ファウスティーナの頭をポンポン撫でつつ、ケインはもう1つ聞いてみた。
「ところで、司祭様がいるのはどうして? 殿下がいるのは……先にお城に行ってからだったから?」
「あ……そういえば」
普通、1番気にする所なのにとても肝心なことを聞くのを忘れていた。
ファウスティーナはベルンハルドへ何故シエルが居場所を突き止められたのか訊ねた。
「僕にも分からないんだ」
ベルンハルドは2人に困ったように苦笑した。
「昨日、朝食を取った後部屋に戻ろうしたら叔父上がいて。とても急いで帰ろうとしてたから、何かあったのかなって。気になって話し掛けて、ファウスティーナの居場所が分かったって聞いて……」
「王妃様も言っていましたがどうやって知ったのでしょう……」
どちらも突き止められなかったファウスティーナの居場所をシエルが簡単に知れた理由。ファウスティーナとベルンハルドが疑問を紡ぎ合う最中、ぽそりと「……シエル様に言わなくてもファナは助かったのに」とケインが意味深な呟きを零すも、考えるのに夢中な2人には幸い届いていない。
コンコン
ノック音と共に扉が開かれた。カートにお茶の用意を乗せたトリシャが戻った。ベルンハルド、ケイン、ファウスティーナの順に飲み物を置いていく。ベルンハルドとケインが紅茶なのに対し、ファウスティーナはオレンジジュース。
「ファウスティーナはオレンジジュースが好きなの?」
「はい。とっても」
「そっか。……オレンジジュース……」
「?」
ぼそぼそと何かを言っているベルンハルドを見つめていれば、視線を察知され、何でもないよと慌てて紅茶に手を付けた。
ベルンハルドの様子を気にしつつ、ファウスティーナもオレンジジュースに手を伸ばした。トリシャは3人分のイチゴタルトとオレンジジュースの入ったピッチャー、ティーポットを置くと再び退室した。
「そういえば」とベルンハルドが不意に。
「エルヴィラ嬢の姿がないようだけど」
(キタ……!)
エルヴィラの話題を出したので、ファウスティーナの目がキラリと光った。
ファウスティーナが喋るのを遮るようにケインが「エルヴィラは部屋で過ごさせています」と答えた。
「ファナの誘拐があって、エルヴィラも狙われていたら危険ということで、必要のない時は部屋にいるようにと言い付けられているので」
「ん? でも、お兄様は普通に部屋を出ているではありませんか」
「知ってたファナ? 令息よりも令嬢の方が狙われやすいんだよ。貴族の令嬢って、基本的に容姿が良い子が多いから」
ふと、誘拐されている間ヴェレッドが言っていた――
『……大抵は、幼女趣味の年寄りとかに売り飛ばされるんじゃない?』
(幼女趣味……)
つまり、幼女を好む特殊な性癖を持つ男性……。ブルブルブル、と鳥肌が立った。
「ファウスティーナ?」
「な、なんでもありません」
ベルンハルドに心配されるも平静を装う。
ファウスティーナはケインに食ってかかった。
「で、でも、それを言うなら貴族だけとは限りません! あのお兄さんも顔が良いせいで脅されていたんですよ!」
「あのお兄さんって、司祭様と一緒にいた?」
「そうです! 顔が良いと苦労するんです!」
「……やけに顔に拘るね」
「私だって女の子ですから。顔の良い人は好きです」
「顔……」
訂正しておくが前のファウスティーナは決してベルンハルドを顔だけで好きになった訳じゃない。顔が良いだけなら、何時まで経っても自分を見てくれないベルンハルドから他の相手に切り替えていた。恋、という感情は一言ではない済まない言葉が多々ある。顔も好きという感情には入っていただろう。だが、それよりももっと別の何かでベルンハルドに惹かれていた。
面食いなのをケインに少々引かれ、向かい側に座るベルンハルドは「顔……あの人より叔父上は更に上だよね……父上と似てるから……」と少々違う方向へ思考がいって落ち込んでいる。
「お兄様だって、性格の割に顔は良いんですから、狙われていてもおかしく、あいたっ!」
「性格の割に顔が良くて悪かったね。ファナもおっちょこちょいで百面相する割に可愛いよ」
「それ、喜んでいいんですか!?」
「勿論。褒めてるよ」
「全然褒められてる気がしません……!」
おでこをでこぴんされてからの台詞。刺々しいのにケインは微笑を浮かべたまま言うので、却って恐ろしい。
ケインとのやり取りも日常と変わらない。
この調子なら、すぐにでも普通の日常が戻って来るだろう。
――そうファウスティーナが抱くと、控え目に扉がノックされた。ケインが「どうぞ」と返事をした。
「エルヴィラ……?」
てっきり、話し合いが終わったのを知らせに来てくれた誰かと思ったが、予想は外れエルヴィラだった。
薄桃色のフリルのついた可愛らしいドレスを着て、ドレスと同じ色のリボンでハーフツインにした髪型がエルヴィラの愛らしさを全面的に押し出していた。
紅玉色の瞳が見る見る内に見開かれていく。
「ベルンハルド様……?」
だよね、とファウスティーナは言いたくなった。誘拐されて、帰って来たファウスティーナには反応せず。
こっちもいつも通りで逆に安心した。
「エルヴィラ」とケインが発する前に、瞳を潤ませたエルヴィラがベルンハルドへ一直線に駆けた。
ソファーに座っているベルンハルドに抱き付いた。
え、え、と困惑するベルンハルドに構わずエルヴィラはぎゅうぎゅうと更に密着する。予想以上の大胆な行動にファウスティーナは口をあんぐりと開け、ケインは直ぐ様エルヴィラを引き剥がすべく動いた。
ケインに引き剥がされたエルヴィラは不満顔で声を張った。
「何をするのですかお兄様!」
「それはこっちの台詞だよ。エルヴィラ、王太子殿下にいきなり飛び付くなんて無礼にも程がある。ファナはいいけど」
婚約者なので。
「お姉様……?」
ケインに言われてやっとファウスティーナがいると気付いた。瞳を大きく見開くもすぐにまたケインに噛み付いた。
「お姉様が犯罪者に拐われて、わたしずっと怖かったのですよ……!」
「それと王太子殿下に飛び付くのと、何がどう繋がるの?」
「ベルンハルド様を見た瞬間とても安心しましたの! わたしも拐われるかもしれない怖い気持ちはベルンハルド様にしか消せません……!」
「「……」」
ベルンハルドとファウスティーナは、エルヴィラの力説にただただ呆然と瞬きを繰り返す。ケインは「はあー」と深い溜め息を吐いた。
ファウスティーナは内心、以前考えた、今のエルヴィラは前の自分の人格が乗り移った説が現実味を帯びてきて戦慄する。
仮に当たっていたとして、果たして今の自分に前の自分を止められるか?
(無理……!)
自信がない。
「あのねエルヴィラ。誘拐犯の狙いはファナだけ。仮に、狙いがヴィトケンシュタイン家の姉妹だったら、エルヴィラも漏れなく連れ去られてたよ。相手は誰にも気付かれず、痕跡すら残さずファナを連れ去った凄腕だ。3日経ってもエルヴィラが無事なのは、最初からエルヴィラは標的にされていなかっただけ。まあ、怖がるのは当然だよ。でも、それを王太子殿下に押し付けようとするなんて馴れ馴れしいにも程がある」
「お、お兄様落ち着いて」
「ケイン、僕は平気だから」
珍しく苛立ちを隠さないでエルヴィラを叱っているケインに、叱られていないファウスティーナが恐る恐ると止める。ベルンハルドもケインにオロオロとしながら落ち着かせようとしている。
「王太子殿下に無礼を謝罪して、部屋に戻りなさい」
「っ~~~!!」
悔しげに、悲しげに頬を膨らませ、大粒の涙を大量に流し、エルヴィラは泣きながら部屋を出て行った。
ただ「お母様あああぁぁぁ……!!」と叫びながら。
はあ、と違う溜め息を吐いたケインはベルンハルドに謝りを入れてエルヴィラを追い掛けて行った。
台風が過ぎ去った静けさが室内を包む。
「……」
「……」
2人は何を発して良いか分からず固まったまま。何か喋らなくては、とファウスティーナはベルンハルドへ向いた。
「殿下、妹の無礼をお許しください」
姉として、代わりに謝罪するしかない。
「あ、うん。ファウスティーナは気にしなくていいよ。エルヴィラ嬢も不安で仕方なかったんだよ」
「それでも殿下に対して」
「驚いたけど、ケインがあれだけ叱っていたんだ。僕から言うことは何もないよ。ただ」
「ただ?」
「3人は兄妹なのに、性格が全然違うんだね」
「血が繋がっていると言えど、性格が同じとは限りませんから。あ、でも、見た目はそっくりですけどね。お兄様とエルヴィラ」
母リュドミーラ譲りの黒髪と紅玉色の瞳を受け継いだ2人が並ぶと兄妹だと見える。
ファウスティーナは父シトリン譲りの空色の髪と薄黄色の瞳を受け継いでいるのでパッと見兄妹とは見えない。
「殿下やネージュ殿下はそっくりです」
「……そう?」
「はい」
ネージュの名前を出すと不満そうにそっぽを向かれた。あれ? とファウスティーナが首を傾げた時だった。
「――ねえ」
話し合いの場に同席していたヴェレッドが開かれたままの扉に凭れていた。
……ニヤニヤとした顔をしているのは何故。
読んで頂きありがとうございます。
ネージュだけ名前で呼ばれるのが悔しいだけ。とは言えないベルンハルドです。