42 女神の生まれ変わりだったから
内心深い溜め息を吐きつつ、表ではその周辺だけ異様な雰囲気を醸し出す3人に注視した。
ヴィトケンシュタイン公爵夫妻に応接室に案内されたヴェレッドとシエル。ヴェレッドはこっそり抜け出そうとしたが気配を察知したシエルに首根っこを掴まれて此処まで連れて来られた。
今から行われる光景に誰が好き好んでいたいと思うか。公爵夫人は真っ青な顔をしてカタカタと震えている。公爵が安心させるように声を掛けるが何の助けにもならない。何故彼女がここまで脅えるのか、単純に怖いからだ。
「さて、どんな話をしようか」
天上人のような美貌には微笑が張り付いているのに、彼が纏う気配が一言でも間違いを紡げば容赦しないと物語っていた。こんな時のシエルは非常に危険だ、と長年の付き合いであるヴェレッドはまた溜め息を吐いた。いざという時、止められるのはヴェレッドだけ。左袖の中に隠しているナイフの出番がないのを祈る。
シエルの切り出しに公爵――シトリンが戸惑いを浮かべた。
「どんな……ファウスティーナを誘拐した一味の話でしょうか?」
「そんなどうでもいいことを言うと思うかい?」
ヴェレッドはまたまた溜め息を吐く。駄目だ、完全に頭にきている。異母兄のシリウスの会話の時から限界値を越えてはいたが……実際にヴィトケンシュタイン公爵邸を訪れ、見当違いな問いをした公爵に余計苛立ちが増した。
早くも自分の出番となるか――……3人の表情が窺える位置の壁に凭れているヴェレッドは三者を黙って見続ける。
「あの子を誘拐した連中の調べはついている。宝石や金銭を奪うよりも子供を奪う方が容易かった。……どういうことだろうね? 公爵」
「警備に不備はありませんでした。ただ」
「ただ?」
「……、……彼が、カインが、7年間忠実に公爵家に仕えてきた彼がアーヴァを慕っていた内の1人だと、見抜けなかったのです」
実際にカイン=フックスとしてヴィトケンシュタイン公爵家に仕えていたヴェレッド自身、アーヴァがどんな女性か知らない。見たことすらないのだ。昨日のシエルの話と8年前本物のカインから聞かされた人物像しか知らない。
ファウスティーナが誘拐されたと知ってすぐ、警備の者に聴取をした。だが、誰も不審者も不審物も、それどころか不審な形跡も発見していないと答えた。
警備の裏をかき、誰にも知らされずファウスティーナを誘拐した張本人は、苦しげに話を進めるシトリンやずっと真っ青な顔をして震えているリュドミーラを見ても何も感じなかった。
シエルの苛立ちが頂点を突破しないかという心配しかない。
「そう……。まあ、あの子の誘拐事件の話は後日陛下から聞いたらいいよ。必要な報告は、私も戻ったら書類に纏めて陛下に届けさせる」
問題は別にあると暗に言うシエルに公爵夫妻に更なる緊張を与えた。
「公爵は“8年前の約束”を覚えておいでですか?」
「も、勿論です。1日たりとも忘れた日はありません」
「そう。……じゃあ、この後私が言いたいことが何か分かるね?」
「お、お待ちください! ファウスティーナが誘拐されてしまったのは、確かに我が家の落ち度です。ですが、ファウスティーナがいなくなったと知った時すぐに捜索を――」
「だから?」
シトリンの訴えをシエルは綺麗さを奥へ引っ込めた暗い青をぶつけ、一蹴した。
「捜すのは当然でしょう。あの子は数百年振りに生まれたリンナモラートの生まれ変わり。更に“王太子の運命の相手”だ……ヴィトケンシュタイン家の当主である貴方が、あの子がどれだけこの国に必要な存在か知らない筈がない」
「っ……」
「……全て、貴方や陛下が8年前私に言った台詞ですよ? 忘れましたか?」
「っいいえ……決して」
8年前の真実。これがシエルとシリウスやヴィトケンシュタイン公爵家の確執の原因。
ヴェレッドは詳しい事情を昨日聞かされた。
アーヴァという女性を知らなくても、シエルにとってアーヴァは大切な宝物だったのは確か。
そして……
「……8年前、あの子を引き取る際、貴方は言いましたね。
“絶対に不幸にさせない。危険な目にも遭わせない。必ず幸せな子に育てる”と……その結果が、これ――誘拐ですか」
「……」
ファウスティーナを誘拐した真の犯人が斜め後ろにいると知りながらの台詞。
シエルに聞かされた。毎年誕生日の日に教会で祝福を受けに来るファウスティーナの様子を。
毎年表情から笑顔が消えていき、ファウスティーナにだけ飛び切り優しい司祭を演じるシエルにも笑顔を見せてくれなくなったと。俯いて両親の後ろを付いて歩くファウスティーナを何度抱き締めて連れて逃げてあげたかったかと。今年は両親、特にリュドミーラは何も言わず、ファウスティーナも終始ご機嫌な様子だったので公爵を脅すことはしなかった。と聞かされた。
「未婚、まだ子供ですが貴族の令嬢が誘拐などされて無傷のまま社交界に出られるとは思っていませんよね?」
「……陛下との協議次第ですが、恐らくこのまま王太子殿下との婚約継続を強行するつもりです」
「だろうねえ……」
やっと生まれた女神の生まれ変わり。それも“王太子の運命の相手”である彼女を、王家――シリウスが逃す筈がない。また、理由はそれだけじゃない。
「シエル様にも原因があるんじゃないの」
不意にヴェレッドが会話に割って入った。応接室にはお茶を運んで来た使用人も出ているので、公爵夫妻とシエル、ヴェレッドしかいない。突然声を発したヴェレッドに三者の視線が集中した。
「王様はシエル様が大好きで大好きで仕方ないからね。もしあのお嬢様と王子様の婚約を解消したら、シエル様に関われる正当な理由がなくなる。それを恐れてるんじゃないのかな」
「鳥肌が止まらない冗談は止めて」
「冗談? よく言うよ。本当はシエル様が一番気付いてる。気付いてて無視をしてるんだ」
だって――
「心底どうでもいいからね」
絶対零度の言葉を吐き出すようにシエルは紡いだ。シトリンまでリュドミーラと同じ顔色に染まった。この場にシリウスがいれば、同じ顔色になっていたことだろう。シエルを揶揄したヴェレッドでさえ、背筋が凍りついた。
「どうでもいい話は終わり。ヴェレッド、当分黙っててね」
「はーいはい」
次会話に入ったらヴェレッドもタダでは済まない。
人の上に立つのに必要な冷酷さは、シリウスよりもシエルの方が何倍も持ち合わせている。
「話を戻そう」
絶対零度の微笑みを浮かべ、シエルは出されたお茶を一口飲んだ。
「公爵。君はどうなんだい? あの子と王太子殿下の今後の婚約を」
「……僕は、出来ればこのまま継続でいてほしい。だが、王家や我が家がどんなに隠していても、バレてしまえば両家にとって取り返しのつかない痛手となる。勿論、ファウスティーナや王太子殿下にも言える」
何時爆発するか不明な爆弾を抱えているよりかは、どうにかシリウスを説得してファウスティーナとベルンハルドの婚約解消をするかしかない。
そう答えたシトリンに「そう」とシエルは変わらぬ微笑みを浮かび続けていた。
だが――
「……え、いいえ……!」
「リュドミーラ?」
ずっと顔を青く染めて震えていたリュドミーラが不意に声を上げた。
「ファウスティーナは、まだ始まったばかりとは言え、王太子妃となるべく必死に頑張っていました! それだけではありません! あの子は公爵令嬢としての教育にも必死に励み、王太子殿下の婚約者として相応しくあろうとしました! 今婚約が解消されれば今までのファウスティーナの努力が……」
その先をリュドミーラは言う勇気がなかった。
表情から一切の色が抜け落ち、深海の暗闇を映す青が自分を視界に入れていた。血の気を失った状態で更に震えが強くなったリュドミーラを、シエルから庇うように抱き締めたシトリン。よく見ると彼も更に顔色が悪くなっている。
これはヤバイ――ヴェレッドは即座に判断。シエルが口を開きかけたのと同時に瞬く間に距離を詰めて、背後から左袖の中に隠していたナイフをシエルの頸動脈に当てた。
「シエル様って、見かけによらず短気だよねえ」
「……はいはい、怒らないからナイフを離して。君のナイフは生き物みたいで怖いから」
ヴェレッドの邪魔で苛立ちを無理矢理抑えたシエル。言われた通りナイフを退けたヴェレッドは移動することもなく、そこに居続けた。
「やれやれ……一気に苛立つことがあるとこうだ。終わったら、あの子の笑顔でも見て癒されたい気分だよ」
「それくらいしても良いんじゃない? だって、シエル様がお嬢様を助けたんだから。ねえ? 公爵」
「それは構いませんが……」
シトリンはリュドミーラを痛ましげに見ると、呼び鈴を鳴らした。使用人が入室すると「部屋で休ませてあげてほしい」と任せた。フラフラと覚束ない足取りで使用人に支えられる形で退室したリュドミーラ。
リュドミーラがいなくなるとシトリンは再びシエルに向き直った。
「リュドミーラを責めないであげてください。彼女も必死なんです」
「私は何も言ってはないけどね」
「シエル様の顔だけで迫力十分だったからね」
「はいはい、そこ茶化さない」
「……シエル様。僕もリュドミーラも、決してファウスティーナを蔑ろにしていません。特に妻は、ファウスティーナが王太子妃として、公爵令嬢として相応しい令嬢になる為に厳し過ぎる面もありました。ですが全てファウスティーナの為です」
お嬢様の為ねえ、とヴェレッドはちらっとシエルを盗み見た。もう何を聞いても表情を崩さなかった。怒髪天を越えて無の境地に達したらしい。張り付けた微笑があるだけ。
ファウスティーナがリュドミーラの厳しい態度に隠れて泣いている時、確かにシトリンはファウスティーナを探して慰めていた。何度かファウスティーナへの態度を軟化してあげなさいという場面も見た。が、最終的にはファウスティーナの為と力説されてそれ以上何も言えず。ファウスティーナが泣く回数も増え、更に妹のエルヴィラにだけ甘いから母親に対し噛み付くようになっていった。
リュドミーラが異常な程シエルに怯えていたのは、シエルの纏う気配から尋常じゃない殺気じみたものを感じ取っていたからだ。これ以上この場にいさせるくらいならとシトリンが退室させたのも頷ける。
「……ねえ、公爵」
川に流れる水のような静けさを持つ声でシエルは紡いだ。
「君があの子を大事に思っていても、夫人は実の所どう思っているんだろうね?」
「ど、どういう意味ですか」
「夫人にとってあの子は、夫の従妹が生んだ娘。自分の娘じゃない。例え大事な女神の生まれ変わりでも……」
シエルの言いたいことを理解したシトリンが「そんなことは決して!」と否定するも、ヴェレッドから聞いた話、前年までの教会でのファウスティーナに対する態度が全て物語っている。
シエルは座っているソファーから立ち上がった。
「今回の誘拐、運良く私の耳に素早く情報が入ってくれたお陰で大事にはならなかったが、もしなっていたら……」
横にいるヴェレッドにも意味ありげに視線をくれると――
「――私は君や陛下を……殺していたかもしれないね。
アーヴァが命を懸けてまでお腹の中で守り続けて生んだ私の娘を、……奪った君や陛下を憎まない日はないよ」
8年前……当時を思い出したシエルの横顔があまりにも痛々しくて、……揺れる青の瞳からは後悔と怒りの感情が溢れ出そうであった。
何も言えないシトリンにもう話は終わったと、言わんばかりにシエルは「行くよ」とヴェレッドに声を掛けた。
「……うん」
ヴェレッドはアーヴァがどんな相手か知らない。
だけど、ファウスティーナのことは公爵家にカインとして仕える前から知っていた。
――生まれたばかりの女の子を抱いてシエルが泣いていたのを……見ているから
読んで頂きありがとうございます。
皆様の中には気付いている方もいらっしゃるだろうなと思いつつ、今回の話を書きました。まだまだ謎は残されてますが引き続きよろしくお願い致します。
※追記
ファウスティーナをリュドミーラがお腹を痛めて生んだ発言。これについては説明不足で申し訳ないです。詳細はまた追々明らかにします。皆様が仰有るように設定が強引過ぎる感や矛盾はありますが何卒よろしくお願い致します。
……リュミーさんは一度思い込むと中々抜け出せません(予告)