41 やっと実感しました
「ほーう……」
普段一緒にならない人と同じ馬車に乗るだけで、前回の18年を合わせて合計26年見慣れた光景を新鮮な気持ちで眺められる。膝立ちして窓に手を当てて過ぎ行く外を見つめるファウスティーナと、その隣ベルンハルドも釣られて一緒に見ている。
彼も基本城から出ることがないのでやはり新鮮なんだろう。ファウスティーナのように声は漏らさないが幼い顔には好奇心が浮かんでいた。
馬車が平民街から貴族街に入った。高位貴族になる程、上へと行く。平民街と比べると道は綺麗に整理され、馬車の揺れは格段に少なくなった。後はひたすら待つだけ。平民街を眺めるのは楽しいのに、貴族街になると楽しみが無くなるのはどうしてか。
ちゃんと席に座ったファウスティーナの前、ベルンハルドも座り直した。
「やっと屋敷に戻れるね」
「はい。でも、誘拐されてたって実感があまりないです」
「ファウスティーナは運が良かったんだ。ずっと早く起きていたら、きっと今みたいに冷静じゃいられない」
ファウスティーナ自身そう思う。となると、自分が起きなかったのは夢に出てきたあのコールダックのお陰となる。見た目可愛いのに中身は凶暴とは誰に似た。
ふと、ファウスティーナは斜め前に座るヴェレッドに話し掛けた。
「そういえば、私が眠っている間、どうやって運んだの?」
「配達人を装っていたから、寝ている君を箱に仕舞って運んでた」
「よく警備兵の検問に引っ掛からなかったね」と皮肉を込めて言うのはシエル。ヴェレッドは面倒くさそうに「実際に配達する荷物も宵積みしてあったから。君を入れた箱は別段特別扱いしてなかったけど、一番最後に運ぶからって奥に仕舞ってた」と欠伸を交えて話した。
「あと、王子様のこれからの為に教えといてあげる。小さい子供を扱う人身売買の商人はね、そこのお嬢様の時みたいに箱に詰めて他の荷物に紛れ込ませて運ぶんだ。難点は大人数を運ぶのには向いてない。1人とか2人なら、子供を入れてある分だけ最後に届けるとか誤魔化せばいい。普通は伝票を確認して、中身を確認する時は緊急時だけ。今回みたいに、秘密裏の捜索じゃ逆に何かあったと怪しまれて全部は見られない」
「……」
ベルンハルドは俯いて、何も言えない。
女性好きを除けば賢王と名高い先王やその王の才能を引き継いだ現王シリウスを筆頭に王国の治安は、大陸中最も安定している。しかし、必ず手が回らない部分がある。犯罪が激減したと言えど零じゃない。必ず隙間を狙って犯罪者は手を伸ばす。貧民街が良い例だろうか。大昔よりは幾らかマシになっただけでまだまだ解決しないとならない問題は山積みだ。今回みたいに公爵令嬢を拐える程の誘拐犯がいるとは予想外だが。
ヴェレッドに呆れた眼をやるシエル。まだ8歳の子に聞かせる話じゃないだろうと言いたげだ。
「後は自分で考えなよ」
「……」
俯いていたのを少しずつ顔を上げた。言葉を失ったさっきとは打って変わって、重要な考え事をしている面になっていた。
「……」
そんなベルンハルドを見たファウスティーナは……気付かれないようそっと視線を外へ移した。
子供でも、前の面影はある。本人なのだから当たり前だが。
ヴェレッドが言いたいのは、子供を扱う人身売買の商人の手口を教えた、対策を考えてみろ、そういうことなのだろう。8歳の子供にどんな考えをさせるんだ、と言いたいがベルンハルドは王太子、余程の理由がない限り次期国王の座は決まったも同然の人。
顔を上げたベルンハルドのそれは嘗ての姿と同じ。貧困に喘ぐ貧民の為に次々に政策を打ち出し、時間はかかるがそれでも貧民街の改革は良い方へ進んでいった。『ピッコリーノ』でヴェレッドに語った、遠くない未来今よりも貧民街が良くなるというのはこのこと。未来を知っているファウスティーナだからこそ、確信を持てる事実。
だが――
(私は? 殿下が貧民街の改革に奔走している間、私は何をしていたの?)
その時の年齢は確か貴族学院に入学していた筈。
自分が何をしていたかの記憶がない。
はっきりと覚えているのが、ベルンハルドの隣に常にいたエルヴィラを虐げていた部分だけ。
思い出せない。
『じゃあさ、協力してあげるよ。君と――の――――』
「?」
一瞬、誰かの声が響いた。一瞬だったので誰か全然分からない。
誰だろうと首を傾げれば「着いたね」とシエルが発した。
ハッと、ファウスティーナは窓を見た。
毎日目にしていたヴィトケンシュタイン公爵家の屋敷があった。
「……帰ってきたって実感がやっぱりない」
遠出し、日帰りしたような感じしかしない。
うーん、と悩むファウスティーナにシエルは苦笑し、空色の髪を優しく撫でた。何故だろう、誰に撫でられるより一番安心してしまう手付き。シエルを見上げ、満面の笑みを浮かべた。シエルもふわりと微笑んでくれた。寧ろ、今浮かべている微笑みは別格と言って良い。
これがシエルを慕う令嬢であれば卒倒していた。
御者が出入口の扉を開けた。
前方には見慣れた屋敷。シエルが先に降り、ファウスティーナに手を差し伸べた。その手を取り馬車を降りた。
外からでも伝わる緊迫した空気。ごくり、と唾を飲み込んだ。
「な、なんだかいつもと雰囲気が違う」
「違うに決まってるでしょう。ファナが誘拐されて大騒ぎになってたんだから」
「ですよね……。……ん?」
はて、誰と喋っているのか。
ファウスティーナは横を向いた。
3日振りに会った兄ケインが普通にいた。
「お帰り、ファナ」
「はい、ただいま帰りました。……うん?」
再度疑問符を語尾に付けた。元からケインが大人びた冷静な少年なのを26年付き合いのあるファウスティーナは理解している。しかし、誘拐され戻ってきたファウスティーナに対する態度が普段通り過ぎて逆に疑問を抱いてしまった。ヴェレッドからベルンハルドを受け取ったシエルは彼を下ろし、ファウスティーナとケインのいる方へと距離を縮めた。
ベルンハルドは自分で降りれるのに……と不服顔をしていたがスルーした。
「やあ、ヴィトケンシュタイン公子」
「……何で司祭様? 王太子殿下がいるのも何で?」
「え、ええっと、なんと言うか……」
チラッとケインは眠そうに欠伸をする彼にも目を向けるも一瞬だったので誰も気付かなかった。
ファウスティーナは伝えられる限りの情報をケインに伝えた。そう、と素っ気ないが納得した声色で返事をしたケインにファウスティーナは安堵した息を吐いた。
シエルに父の居場所を聞かされ、案内役を買って出るも――
「――あ、あああああああああ!? お、お嬢様あああああぁ―っ!?」
外へリュンが出てきた。
「あ、リュンだ」
「ただいまー」
「はいお帰りなさい――じゃないですよー!! 何でケイン様普通にいるんですか!? そこは普通お嬢様のお帰りを知らせる所ですよ!? お嬢様もお嬢様で、もっとこう……!!」
「大声出すのは苦手」
「こういう時くらい大騒ぎしてくださいよ! すぐに旦那様達を呼んで来ますね!!」
かと思えばまた邸内へ戻って行った。
よく見ると普段外で掃除をしている使用人達がいない。ケイン曰く、ファウスティーナが誘拐された日から誰も殆ど寝ずに起きていたので皆限界が来て倒れているとか。外にいた使用人達は交代で外にいたが丁度今が時間。次の人を起こしに行っているのだ。
2日間寝ていたせいで誘拐された実感が皆無に等しかったファウスティーナは、此処に来て誘拐の事実が重石となってのし掛かった。途端に顔を青ざめさせたファウスティーナを心配したケイン。
「あ」
ファウスティーナは逃げるようにシエルの後ろに隠れてしまった。
「ファナ?」
ケインがファウスティーナを呼んでもシエルの後ろから出て来ない。
シエルは苦笑いをした。
「公子。事情は後程ご説明致します。今はそっとしておいてあげてください」
「だけど……」
尚もファウスティーナの真っ青な表情を不安に感じ、誘拐犯に何かされたのではと心配するケイン。
「あのさ」
ケインの不安をヴェレッドが吹き飛ばした。
「その子、助け出される直前までずっと寝てたから心配することは何もないよ」
「は?」
「っ~~~」
真っ青だった顔色が真っ赤に変わっていく。
キョロキョロと視線を泳がせるファウスティーナを見て悟ったケインは深い溜め息を吐いた。
「驚かせないで……怖い思いをしてそんな反応をしたと思っていたのに」
「ご……ごめんなさい。皆が大変なことになっている時にずっと寝てたって知られたらどうしようと思いまして……」
「寧ろ、そっちの方が安心したよ。ファナらしくていいけどさ」
シエルの後ろから出てきたファウスティーナに近付き、頭をポンポン撫でた。
「早く父上達に会って安心させよう」
「はい……!」
実感はない。
誘拐され、帰って来た実感は。
けど、こうしてケインに頭を撫でられると帰って来たと心の底から思えてしまう。
ケインとファウスティーナの様子を眺めるベルンハルドも安堵した。冷静と言えど、ケインも内心とても心配していたのだろう。初めて笑っている顔を見た気がする。
大きな音を立てて扉が開かれた。そちらへ目を向ければ、リュンに知らされたシトリンとリュドミーラが大慌てで出てきた。ケインにぼそっと「リンスーは無理に起きて寝込んでるから、後で会いにいってあげなよ」と耳打ちされたファウスティーナは頷いた。今すぐに行きたい衝動に駆られるも今は我慢だと。
他にも出ては来ないがファウスティーナの無事を確認しようと使用人達が集まって来ていた。おーい、とファウスティーナが手を振ると無事で良かったと泣き崩れる一同。
「ファナ!」
「ファウスティーナ!」
「あ、お父様、お母様。ただ今戻りました」
目前まで距離が近くなっていたシトリンとリュドミーラに駆け寄って行った時だった。
シトリンとリュドミーラの動きがピタリと止まった。2人はシエルを見て固まっている。
特にリュドミーラは顔を真っ青にしている。
怪訝を抱いたファウスティーナがシエルを見上げても、変わった様子はない。
「な、何故王弟殿下がここに……」
「……さてね。公爵は知っているんじゃないのかな?」
「……」
リュドミーラの問いには答えず、シリウスから連絡が届けられている筈のシトリンに問うた。
両親の異変。戸惑いがちに両親とシエルを見比べるファウスティーナ。
シトリンと目が合った。シトリンはしゃがんでファウスティーナの頬を撫でた。
「お帰りファナ。無事で、本当に良かった」
「はい、お父様」
「戻ってすぐでごめんね。少しシエル様と大事なお話があるから、部屋で待っていてくれるかい?」
「そ、それは構いませんが……」
「うん。ケイン、ファナと一緒にいてあげてくれ。王太子殿下のことも頼んだよ」
「はい」
行こう、とケインに手を引かれ側を離れた。
「殿下、此方へ」
「う、うん」
ベルンハルドも公爵夫妻のシエルに対する不自然な態度を訝しげに思っていた。気にしながらもケインの案内に付いて行く。あ、と足を止めたファウスティーナはヴェレッドを見上げた。
「一緒に来る?」
「……行かないよ。見てみなよ、シエル様のあの顔」
「?」
言われて見てもファウスティーナには分からない。微笑を貼り付けた表情としか。
「行って来なよ。君を心配している人達に顔、見せないといけないでしょう」
「うん。そうだね、行って来ます」
「はーいはい」
バイバイ、とヴェレッドに手を振り、ケインとベルンハルドと共に邸内へ入って行ったファウスティーナを見届けると――
「ヴェレッド」
笑いを堪えるような声色でシエルに呼ばれた。
「面白い冗談だね。逆に笑えないくらいだ」
「……どうだっていいでしょう」
「そうだね。さて公爵。馬車の中で話すかい?」
「……いいえ、応接室で話しましょう。ご案内します」
「そう」
固い表情のまま、シトリンは真っ青な表情のリュドミーラの肩を抱いて歩き出した。
シエルも続き、ヴェレッドは少し遅れて歩き始めた。
「……悪趣味」
ぽそりとヴェレッドは呟いたのだった。
読んで頂きありがとうございます(´∀`*)