40 悪趣味なのはどちら?
重苦しい。
全身に鎖を巻かれ、海の底へ沈められたような感覚に陥らせる、圧倒的威圧感と他者の発言を決して許さない支配者の空気を纏った人間が2人。言い争うでもなく、対峙しているだけで室内の酸素を根刮ぎ奪っていく。
国王の執務室の隣室に設けられた簡易休憩室のカウチに座るシリウスとシエル。シリウスの後ろにはベルンハルドとファウスティーナを王妃の元へ連れて行った後に此処へ来たマイム。出入口付近の壁に凭れるのがヴェレッド。
此処にいるのは4人だけ。後は人払いがされた。執務室には誰もいない。会話を聞かれない為に。
シリウスの冷たく澄ました表情とシエルの微笑を張り付けた表情。同じ父親の血が流れていても、母親が違うだけでこうも印象が違うのは2人の間にある確執が主な原因だろうか。顔立ちは似ているのに。
「シエル」
先に口火を切ったのはシリウス。
「ファウスティーナ嬢の救出ご苦労だったな」
「ええ」
「王家や公爵家が必死に捜索していたものを、どうしてお前があっさりと見つけられた?」
「運が良いだけですよ」
「……」
シリウスの表情に鋭さが増す。空気の重圧も増した。後ろに控えるマイムは冷や汗を流し、壁に凭れるヴェレッドは2人を注視していた。
「そんな戯れ言が通用すると思うか?」
「そう言われても、こう言うしかないのですよ」
「……だったら此方も単刀直入に言おう。
――此度の誘拐、お前が仕向けたものじゃないのか?」
「……」
誰かが内心「陛下あぁー!」と叫びたくなった。シエルは微笑を浮かべたまま――だが笑みを深め、ふふ、と穏やかにわらう。
「私が? 自分で仕向け、最後は後片付けをしたと?」
「カイン=フックス。成る程、奴の計画は確かに完璧だった。7年にも渡って正体を隠し、水面下で計画を進め、絶好の機会を狙ってファウスティーナ嬢を拐った。奴は痕跡を一切残していない。王家や公爵家が必死になってカインの次の行動を探っている間に、お前が簡単にファウスティーナ嬢の居場所を突き止め、助け出した事自体が有り得ないんだ」
「私には優秀な崇拝者がいるみたいです。その内の1人に手掛かりを聞いてあの宿屋に目を付けただけですよ」
実際は、登城した際何故かファウスティーナの居場所を知っていたネージュに教えられたから助け出せただけ。あの子が当時のことを知っている且つ、ファウスティーナの居所を知っている理由を聞いてみたいものの、聞いてはいけない気がしていた。
シリウスが何故ファウスティーナを短時間に救出出来たかを問うてくるのは予想出来ていた。用意していた適当な理由でのらりくらりと逃れようとするも、伊達に王位を継いでいないらしい。簡単に逃がしてくれない。
更に追及しようとするシリウスの前にシエルは発した。
「私からも言いたいことがあるのですよ、陛下。今回の誘拐、そもそも公爵家がきちんと使用人の素性を調べていれば起きなかったのでは? アーヴァの盲信者が、アーヴァに似ているあの子を狙うことだって容易に考えられるのに」
「……確かにそうだ。だが、カインは一切悟らせなかった。皮を何重にも被った狸の化けの皮を剥がすのは並大抵じゃない。奴は素性すらも巧妙に隠していたみたいだからな」
「……」
「しかし公爵も愚かじゃない。アーヴァに似て、王太子妃になる可能性がある娘の周囲には最大限配慮していた」
「じゃあ、7年間騙し通したカインが何枚も上手だった。要はそういうことじゃないですか」
シリウスとシエルの言葉はどちらも刃だ。相手を一切気遣わない研がれた鋭い刃。一太刀浴びれば多量の血を流し、言葉を失う。刃を仕舞う鞘がこの2人にはない。
正確には、相手が目の前にいる異母兄弟になるとなくなる。
「……あくまで白を切るつもりか?」
「……決定的な証拠を見せてくれるなら、私だって認めますよ」
「っ……」
シエルが今回の誘拐を仕向けた黒幕だったとしても、シエルがそうしたという証拠が無ければシエルは無関係な人間。悔しげに表情を歪めたシリウス、普通の微笑を浮かべるシエル。
マイムは冷や汗を流しすぎてハンカチで顔を拭いている。カインとして7年間公爵家を欺き、ファウスティーナを誘拐した張本人のヴェレッドは心の中で悪趣味と呟いた。
「行こうか、ヴェレッド」
話は終わったとばかりにシエルはヴェレッドへ顔を向けた。
「いいの?」
「私の話は終わった」
「待てシエル! 私の話はまだ終わっていない!」
「何ですか。貴方忙しいでしょう。忙しい人が何時までも話し込んでもしょうがないでしょう」
「シエル様だって忙しいでしょう」
「私は手を抜いて程々でやってるから」
「生臭じゃん」
「物臭と言いなさい」
「似たようなものでしょう」
「似てても言葉のニュアンスというのは大事なのだよ」
「あっそ」
「っ……!」
マイムは軽口を叩き合うシエルとヴェレッドを憎々しげに睨むシリウスにハラハラとした。
この異母兄弟の、主に兄側の面倒臭い執着を身を以て知っているので噴火しないか心配なのだ。
シリウスの言葉を受けず、カウチから立ち上がったシエルは出入口に近付きヴェレッドの頭をポンポン撫でた。
「陛下を煽らないでー!」とマイムは叫びたかった。が、シエルは知っていてやっているのか不明。ヴェレッドは面倒臭そうな顔をシエル、シリウスに向け。ジェスチャーで此方に何かを必死に伝えようとしているマイムには口パクで「知るか」と告げた。
シエルはシリウスに一礼した。
「では国王陛下。私共はこれで」
「待てシエル! 人の話を聞け!」
荒々しく立ち上がったシリウスへ張り付けていた微笑を剥がし、無機質で灯りのない蒼の瞳を見せた。
「……これ以上苛つかせないで下さい。只でさえ“8年前の約束”を破ってくれた公爵に腹を立てているというのに」
「確かに今回の誘拐は公爵家側に不備があった。だが、初動から公爵は必死にあの子を探していた。決して無下に扱ってはいない、大事に育てているのはお前だって知っている筈だ!」
「だから? 大事に育てるのは当然でしょう。王太子の婚約者に決められた娘を大事にしない貴族が何処にいます? 私が言いたいのはそういうことじゃないのですよ。はっきり言いましょうか? 今ここで」
「っ」
苛立ちは増し、声色が段々殺意にも似た憎悪に染まっていく。側にいたので肌で苛立ちが頂点に達しかけていると察したヴェレッドは「シエル様」と呼び掛けた。
「あのお嬢様って、もしかして、このまま王子様の婚約者のままになるの?」
ヴェレッドの意外な疑問に苛立ちが下降したのか、シエルは目を丸くした。
「どうして君がそれを気にするの?」
「……」
左の襟足を左手で触って口元へ運んだ。
シエルの瞳が微かに震えた。
「そう……」
シエルは先程の苛立ちが吹き飛んだのか、普通の微笑を張り付け、再びシリウスに一礼すると今度こそ部屋を出て行った。
ヴェレッドも続こうとしたのをマイムが呼び止めた。
「待ちなさい。君はさっき、シエル殿下に何を言った?」
「マイマイくんに言わなきゃいけない理由が見つからない」
「誰がマイマイだ!」
「だって、マイム・マイムくんは長いし、カタツムリくんはカタツムリが可哀想だし」
「言い方を変えただけで結局はカタツムリ呼びじゃないかっ!」
「あ、ホントだ。まあどうでもいいや。
じゃあねマイマイくん、王様。王様も、嫌ってるくせに変にしつこくするからシエル様は嫌がるんだよ。突き放したなら、最後までその道を通しなよ」
最後に特大の皮肉をシリウスに放ったヴェレッドは一礼してそのまま退室した。
執務室も出るとシエルが待っていた。シエルが歩き出すと斜め後ろに付いて歩く。
「何を話していたの」
「うん? うん。カタツムリ呼びはカタツムリが可哀想だなって話してた」
「じゃあ、今度からマイム・マイム君と呼んだらいいよ」
「長いからマイマイくんでいい」
「結局はカタツムリだね」
「そうだね。……ねえ、シエル様」
「うん?」
「夜中話したアレ、本気?」
「本気だよ。それが私が君に対するお願い」
「お願いねえ……」
ヴェレッドはシエルの“お願い”に対し面倒くさげに溜め息を吐く。シエルが来ずとも、時を見てファウスティーナをシエルの元へ連れて逃げる予定だった。本物のカインや他の連中を殺した上で。
道行く人々は、王弟であるシエルが通る度に頭を垂れる。
2人が向かうのは王妃がよく使うサロン。
サロンの前に着くと見張りの騎士が2名。中に誰がいるか確認すると扉を開けてもらった。
「あ、司祭様!」
王妃シエラに静かに叱られているベルンハルドと、オロオロしているファウスティーナと、心配げにベルンハルドとシエラを見比べているネージュがいた。ファウスティーナはシエルの所へ嬉しそうに駆け寄った。
シエラはベルンハルドの説教を終了した。最後はしゃがんで頬を撫で、幾つか言葉を紡いだ。
シエルへと向き直った。
「お久し振りですシエル様」
「やあ、王妃殿下」
「陛下は……ああ、言わなくて良いです。いないということはこてんぱんにされたのですね」
「さあ、なんのことだか」
態とすっとぼけるシエルに今頃部屋で落ち込んでいるシリウスを慰めに行こうと決めた。
「私は陛下の所へ行きます。ネージュは部屋に戻りなさい」
「やだ! ぼくだけ除け者にしないで!」
「なら、朝のお薬を飲みなさい」
「うぐっ」
「あはは……苦いですもんね、あの緑色の薬」
ファウスティーナも飲んだ覚えのある栄養は高くても味は苦く大人でも顔を歪ませる薬。朝食の後飲まないといけないのをネージュは嫌がって飲まなかったのだ。痛い所を突いてくる母にガックリと首を落とした。
「はあい……」
「よろしい。ラピス、ネージュに薬を飲ませて」
「はい。さあ殿下、お部屋に戻りましょう」
「うん……」
専属侍女ラピスに促され、諦めの表情をしたネージュは頷く。
「じゃあね兄上。後で一杯お話しようね」
「うん」
「ファウスティーナ嬢もゆっくり休んで。また会ったらお話しよう」
「はいネージュ殿下」
一瞬ベルンハルドはファウスティーナに不満そうな目を向けるも「ベルンハルド」とシエラに呼ばれたのですぐに元に戻した。
「私と陛下の所に行きましょう」
「はい……」
母親の次は父親に叱られる。胃が重たくなるとはこのことか。
ヴェレッドがそっとシエルに耳打ちした。不思議そうに見上げるファウスティーナと目が合った。
「ねえ」
「は、はい」
「君も王子様に最後までお見送りされたいよね?」
「へ」
「王子様だって、折角王様や王妃様に叱られるのを覚悟でシエル様に付いて行ったんだ。公爵邸まで送り届けたいでしょう?」
「そ、それは……そうだけど」
ベルンハルドは伺うようにシエラを見上げた。頬に人差し指を当てて「そうねえ」と考えたシエラはふわりと笑った。
「今陛下は、シエル様にこてんぱんにされた後だから元気がないでしょう。ファウスティーナをちゃんと送り届けてから叱られなさい」
「は、はい……」
内心、元気がない今がいいな……と思っていたりするベルンハルド。
シエルに2人をよろしく頼みますと告げ、シエラはサロンを出た。
意外な人からの助け船にファウスティーナはヴェレッドの服の裾を引っ張った。
「ねえ、さっき司祭様に何を言ったの?」
「君に言う必要ある?」
「……」
そう言われればない。
不服そうな顔をするファウスティーナに、懐からある物を取り出したヴェレッドは「あげる」とファウスティーナに渡した。
カブトムシの幼虫である。
「!!!?」
声にならない悲鳴を上げて幼虫を宙に投げベルンハルドに抱き付いた。
ベルンハルドは抱き留めたものの、急激に顔を赤く染め。ファウスティーナもハッと我に返ると顔の体温が急上昇した。
お互いどうしたらいいか分からず固まった。
宙に放り出された幼虫をキャッチしたシエルは「良く出来てるねえ」と感心した声を漏らした。
ヴェレッドが渡したのは、カブトムシの幼虫を真似たぬいぐるみだ。リアルに近く作られたそれを本物と勘違いしたのだ。
互いを見つめ合ったまま固まるベルンハルドとファウスティーナを後目に、シエルは幼虫をヴェレッドへと返し。
「何を企んでるの?」と疑問を提示した。
「ふふ、面白いものが見れる期待」と答えた。
「悪趣味」
普段ヴェレッドに言われている台詞を今度はシエルが紡いだ。
固まった2人を抱き上げたシエルはサロンを出た。ヴェレッドも続く。
シエルに抱っこされているベルンハルドとファウスティーナに通り過ぎる人々は驚く。
馬車の停留所まで戻って乗り込んだ。ファウスティーナを自分の隣に、ベルンハルドをヴェレッドの隣に座らせると。
「ヴィトケンシュタイン公爵邸へ向かえ」
御者に言い放った。
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