39 小さな嫉妬と近付く不協和音
3日前通った道を、家族ではない人達と通るのは新鮮だなと、膝立をして窓越しから外を眺めるファウスティーナは感じた。侍女が持たせてくれた朝食は数種類のサンドイッチだった。レタスとハムを挟んだだけの、シンプルでありながら素材の味を味わえるサンドイッチは美味しかった。
「ファウスティーナ様」
布できつく縛られたティーポットもあったので、食後は人数分のティーカップに紅茶を注いでもらった。きちんと座り直しティーカップをシエルから受け取った。
席順は奥からファウスティーナ、ベルンハルド、シエル。ヴェレッドは向かい側の席を1人で座っている。
1人なのをいいことに席を丸々利用し、壁に背を預け寝ている。
「司祭様が起こすから眠り足りなかったのですよ」
「私がヴェレッドを起こすのは昔からだよ? 文句を言いながら付き合ってくれるから」
母親が平民でも、父親は王族の頂点だった人。王族の血が流れている第2王子に文句を言える人はほぼいないだろう。況してや、彼は貧民の孤児。シエルの言う通りにしないと不敬だと罰せられることだってある。
が、シエルは気にしない。気に入った相手がどんな性格だろうと見た目だろうと、彼が面白く楽しいと感じられる相手なら誰だろうと構わない。
「……」
真ん中に座るベルンハルドはティーカップで顔を隠しながらも、不満げな顔をしていた。
叔父であるシエルは、常に気難しく、冷たく澄ました顔をしているシリウスと違って、物腰が柔らかく誰に対しても人当たりの良い笑みを浮かべているので接しやすい。ベルンハルドもシリウスよりもシエルと会話をする方が気が楽で、年に1回誕生日に教会へ行った時短時間でも話をしたがる。特殊な事情があって先代司祭の代わりを務めていると聞くシエルの過去をベルンハルドは詳しく知らない。強いて言うなら、知っているのはそれくらいなのだ。
何故彼が教会に身を寄せているのか、一度シリウスに問うたことがあった。
その時のシリウスは、苦虫を噛み潰した表情をした。長い時が流れたと錯覚させる重い空気が漂う中、重い口を開いたシリウスが発したのは――
『……お前が知る必要はない』だった。
ベルンハルドが生まれるずっと前に何かあったと乳母や周囲の者は言うが誰も詳細な話をしてくれる人はいない。口を噤むだけ。
自分はまだ知っちゃいけないのだと幼いながらに悟った。
自分を間に挟んでシエルとファウスティーナは会話をする。シエルが話を振って、ファウスティーナが答えるだけなのだが……自分と話す時より会話が弾んでいるのが少し悔しい。しかも、早くから起きて3人でお茶をしていたと聞いて疎外感を味わった。寝ているから起こされなかった。ただそれだけなのに(無理矢理起こされたのが1名いるが)
「へえ、じゃあファウスティーナ様は虫を見ても驚かないんだ」
「はい。でも幼虫や足の多い虫は駄目です。あ、でもミミズは大丈夫です」
花をじぃっと眺めるのが多いファウスティーナは虫と遭遇する回数もままある。花の蜜を集める蜜蜂、木の上にいる蝉、花畑に必ずいる蝶々等一般的に見られる虫は大丈夫だが、やっぱり見た目に問題がある幼虫や足の多い虫は駄目。ミミズも見た目の色や姿は中々エグいのに平気なのは珍しいと、隣で話を聞いているベルンハルドはティーカップから顔を上げた。
「ミミズが見れるなら、幼虫も見れるんじゃないの?」
「初めて見た時は腰を抜かしましたけど、後から農家の人達にとってミミズは土壌の改良をしてくれる益虫だとお兄様に聞いたので、それ以来ミミズは見ても平気になりました。寧ろ、我が家の庭の土を良くしてもらう為に沢山いてもいいのではないかと」
「それはそれで驚く人が増えそうだな……」
「そうですね。ミミズじゃないですけど、去年、お兄様と蝉の脱け殻を庭で沢山取ってお母様に見せたら失神されましたから、虫が苦手な人は駄目ですよね」
一緒にいたシトリンに「程々にね2人とも」と苦笑された。エルヴィラもいたら大泣きして事態は更に面倒になっていただろう。
他にも、気付かない間にてんとう虫がドレスにくっ付いてワンポイントになっていたり、かくれんぼで掃除小屋に隠れていたら小さいクモが天井から糸を垂らして現れて吃驚した話をした。
「クモは害虫を食べてくれるって言うし、殺すと縁起が悪いと聞くからそのままにしておこうね」
「はい。殿下は平気なんですね虫の話」
「ネージュがずっと部屋にいる分、図鑑でしか見られないのは可哀想だと思ってね。庭園で見つけた蝶々なんかを捕まえてネージュに見せていたんだ。後、僕もファウスティーナ達みたいに蝉の脱け殻を集めたことがあるんだ」
ベルンハルドも蝉の脱け殻をネージュに見せてあげようと沢山集めたことがある。ただ、その時ネージュの部屋には王妃シエラもいて、大量の蝉の脱け殻を見てリュドミーラと同じように失神してしまったらしい。目が覚めたシエラはベルンハルドを叱りはしなかったが「苦手な人もいるから、今度からは気を付けるのよ」と苦笑したとか。因みにネージュ本人は喜んでいた。
「王妃様ですか?」
「苦手な人が多いのが普通だからね」
「貴族の令嬢の苦手な物の代表だからね」と優雅に紅茶を飲むシエルが言う。令息でも苦手な子はいる。要は個人の問題。
ティーポットをティーカップに傾けたシエルは「おや、もう無くなった」と中身の無くなったティーポットを席の間に設置された小テーブルに置いた。クッキーの入った瓶もある。
「途中停車して紅茶を淹れてもらおうか」
「で、ですが父上が待っているのでは」
「いいのいいの。陛下は待つのが好きだから」
良いのだろうか?
王弟がいいと言うのだから良いのか。
宣言通り、途中街の紅茶屋の前に停車し、新しい紅茶を淹れてもらって再び出発した。
「司祭様は紅茶が好きなんですね」
ファウスティーナが新しい紅茶をシエルに淹れてもらっていると「違うよ」と、先刻まで寝ていたヴェレッドがいつの間にか起きて否定した。小さい欠伸をし、眠そうな薔薇色の眼をシエルにぶつけた。
「楽しんでるだけだよ」
「人聞きが悪い。紅茶が好きなんだよ」
「じゃあ、紅茶2割と残り8割は楽しんでるって解釈するよ」
「楽しんでる?」
ベルンハルドが訝しげに反芻すれば、2人は黙る。シエルは微笑を浮かべて紅茶を飲み、ヴェレッドはまた欠伸をし、小テーブルに置かれている瓶を引き寄せ、中のクッキーを摘まんだ。食感を楽しむ固いクッキーを咀嚼する。嚥下し、再びクッキーを摘まんだ。
2人から発せられる名前のない雰囲気にベルンハルドもファウスティーナも何も言えず、ティーカップの縁に口を付けたまま黙りとなった。
不意に窓を見たファウスティーナが「あ」と漏らした。ベルンハルドも釣られて見た。
見慣れた王都が見えてきた。
もうすぐ帰れる。といっても、誘拐されたという実感がどうしても湧かない。起きて割とすぐに救出されたのと冷静沈着だった彼がいたからか。自分1人だったら、不安と恐怖に押し潰されて頭を抱えていた。
ティーカップで口元を隠しながらヴェレッドを盗み見た。
眠そうな顔でクッキーを食べ、時折シエルを睨んでいた。ファウスティーナの視線に気付いて一瞥をくれたのでにこりと笑んで見せた。
「……」
無反応で目を逸らされ、欠伸をされた。
「……」
心なしか、地味に悔しい。
「ファウスティーナ?」
ティーカップで口元を隠しながら面相を変えるのを怪しく思われた。ベルンハルドに慌てて何でもないですと誤魔化した。
馬車も王都に入った。王城へはもう間も無く到着する。段々とベルンハルドの表情が緊張して強張っている。
「殿下……? 大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫だよ。ファウスティーナは心配しなくていい」
戻って、シリウスに会って、開口一番謝罪しよう。王族、王太子としての自覚があるかと問われれば答える言葉も用意した。誉められたものじゃなくてもシリウスに偽りは出来ない。
ファウスティーナの無事を見たかった。シエルが誰よりも早く居場所を突き止めた理由は知らなくても、シエルに付いて行けばファウスティーナに会えると確信したからこそ、無理矢理連れて行ってもらった。
ベルンハルドの緊張を余所に馬車は王城にある馬車停に停車した。
御者が扉を開けた。
外には報せを聞いて待っていた多数の騎士や侍女、高級な衣装を着込んだ若い男性が立っていた。
奥から外を伺ったファウスティーナは彼が誰か知っていた。前の時ほぼ関わりがなかった相手だ。王国の宰相を務めているマイム=ヒューム。マイムは先に降りたシエルに頭を垂れた。
「お久し振りで御座いますシエル殿下」
「やあ宰相殿。昔みたいにマイム・マイム君って呼んでいい?」
「それは異国の踊りの名前です」
「じゃあカタツムリ君って呼ぶよ」
「止めてください。お断りします」
「そうだね。此処にカタツムリいないしね」
「……」
マイムの眉間が苛立ちでピクピク動いていた。幼少の頃より次期国王であるシリウスの右腕たれと育てられたマイムは、母親の違うシリウスとシエルの確執の被害に遭っていた。主にシエルに関わりたいシリウスにはシエルの元へ遣いをされ、シエルにはカタツムリとは仲良しでしょって嫌がらせの如くカタツムリとセットにされた。そして毎回追い払われた。カタツムリは夏の風物詩と言われたが嬉しくない。
マイムがカタツムリと仲良しと思われるのは、夏の時季花を見に行くと高確率でカタツムリと遭遇していたから。で、カタツムリを見て悲鳴を上げる場面をよくシエルに目撃されていたから。
気を取り直すように咳払いをした。
「陛下が執務室にてお待ちです。王太子殿下と公女をお連れするようにと」
「あっそ」
素っ気ない返事。2人の関係性を表しているかのよう。
シエルは様子を伺っていたベルンハルドとファウスティーナを馬車から下ろした。
「こおらヴェレッド。君も降りる」
1人降りてこないヴェレッドに外から声をかけた。嫌々とした様子でヴェレッドは降りた。げえっとマイムを見て発した。
マイムも顔が引き攣った。貧民街で拾ったとシエルが後宮の隅で彼を一時的に住まわせていた時期があった。シリウスの遣いとしてシエルに会いに行くと彼もいて。彼はマイム・マイムくん、と嘘の名前を紹介され、そしてその時もカタツムリと遭遇していたのでカタツムリとセットにして紹介された。未だにヴェレッドの中でマイムの名前はカタツムリくんにされている。
「ねえ帰っていい? このまま子供達と王様の所まで行くんでしょう?」
「いいや」
含みのある笑みを浮かべ見せたシエルはこう言い放った。
「陛下の所に行くのは私と君だけ。王太子殿下とファウスティーナ様は休ませてあげて」
ヴェレッドの首根っこを掴んでそのまま歩き出した。シリウスからはベルンハルドとファウスティーナも連れて来るよう命じられたマイムは「しかしっ」と口を開くが――
「先に大人の話し合いを済ませたいんだ。……この意味、君なら解るだろうマイム」
「っ……!」
明るさが消えた非情な蒼で射抜かれ息を呑んだ。声色も表情も変えていない、瞳の色を変えただけで豹変した。
表面上は穏やかに見せながら相当腹を立てているとすぐに悟った。ファウスティーナを誘拐したのがアーヴァの盲信者だったせい、そして“8年前の約束”を守れなかった公爵家と王家に対する憤り。
シリウスとの話し合いが終われば次はヴィトケンシュタイン公爵と会うだろう。シリウスよりもあっちの方に対する苛立ちが強そうだ。
「……承知致しました」
掠れた声でシエルに一礼したマイムは、顔色が悪いまま驚いて声が出ないベルンハルドとファウスティーナへ振り向いた。
「王太子殿下、ヴィトケンシュタイン公女。お部屋まで案内致します」
「……」
引き摺られるようにして連れて行かれているヴェレッドは、段々と近付く修羅場に重たい溜め息を吐いたのであった。
読んで頂きありがとうございます(´∀`*)
マイムさんの名前を付けた時たまマイム・マイムを思い出して意味を調べてみました。水を掘り当てて人々が喜ぶ様子を歌ったイスラエルの楽曲みたいです。小学生の頃、意味も知らずなんとなく踊ってました。
マイムさんはシリウスとシエルに挟まれる不憫な人です。