過去―彼女がいない後⑥ 幸福で神聖な庭―
前話の後書きにて、お城に戻りますと書きましたがすみません、順番を変更してもう1つ過去回を追加しました。
今回はネージュだけです。
カーテンが閉められた、陽の光さえ入らない薄暗い室内。テーブルとソファー、ベッドしかない殺風景な部屋に2人の人影が。1人はベッドに腰掛け、もう1人は相手の足下に跪いていた。白魚のような白く滑らかな手を取って甲に口付けを落とした。
『ねえ……君は幸せ?』
薄暗い室内でも王妃譲りの金糸は輝きを失われない。彼――ネージュは、宝石の輝きを放ちながらも感情を宿していない薄黄色の瞳を見上げた。彼女――ファウスティーナは、ネージュの声に何も返さない。目尻を下げ、柔らかな微笑を浮かべるだけ。
『ぼくは幸せだよ。こうして、君と2人だけの世界に浸っていられるのだから』
幸福に満ち溢れたネージュの声を聞いても、顔を見ても、彼女は微動だにもしない。温もりのない、冷たい手の甲にもう1度口付けた。触れる唇から伝わるのは冷たさだけ。それが愛おしいと言わんばかりに手を額に当てた。
『早く……ぼくと君が愛し合っている所を見せつけたいよ。そうしたら、きっと兄上は心から諦めてくれる。君をね』
だから早く来て――
シリウスにファウスティーナの秘密裏の捜索を禁じられたベルンハルドは、表面は平静を装っているが内面は酷く荒れていた。王太子と言えど、頂点は父である国王。その王が決定したのなら、従わないとならない。夫の変化に気付いていないのか、それとも彼の演技が上手だからか、エルヴィラは王太子妃の仕事もせずのんびり庭園を散歩していた。最低限はさせているが、それもお膳立てがあってこそ。その準備も他の仕事も全て1人捌いているアエリアは噴火寸前だろう。なので、エルヴィラとアエリアが運悪く鉢合わせしないよう周囲は気を配っている。一度顔を合わせた時があり、ファウスティーナに絡んでいた時以上に辛辣な言葉を並べてエルヴィラを泣かせたことがあるから、周囲も気を付けている。
『アエリア嬢は暇潰しにもならないって退屈そうな顔をしていたよ。エルヴィラ嬢は、君と違って張り合う価値がない相手だから、って』
相手がファウスティーナなら、数倍にして仕返しをするのに対し。エルヴィラは悔しげに涙を流して周囲に泣き付くだけ。自分自身で考え、行動し、どう対処するかという心理がまるで起きない。
同じ公爵家の血が流れていながら何故こうも違うのか。正解を持っているネージュは、何を言っても反応を示さないファウスティーナに語り続ける。
『ああそうだ……いいこと思い付いた。兄上に早く君の姿を見せる方法を。ふふ……きっと兄上は喜んでくれるよね。父上に禁じられても諦め切れない君と会わせてあげるのだから』
手の甲への口付けを止め、跪いたまま後ろに下がり足首を掴んだ。足の甲へ同じようにキスをした。何処に触れても冷たい。温もりのない肌をそっとなぞった。
幸福に浸るネージュと貼り付けた笑みを浮かべるだけのファウスティーナ。
ネージュしか喋らない此処は彼だけの幸福で神聖なる楽園。
――例え、それが彼だけのものだとしても……。
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