35 曲がり道を行く
2個目になります
下から届く怒号、激しい物音に伝わる緊迫した空気。8歳の誕生日も終え、後は寝て翌日の朝に起きるだけだったのが誘拐されているとは誰が思うか。目を覚ました先に見た天井は全然知らないもの、視界に入る情報を得ようと首を左右に動かすと見事な薔薇色の髪と瞳の青年が哀れんだ表情でファウスティーナを見下ろしていた。青年に事情を聞いて涙も出なかったのは、1つの予想もしていなかった展開だったからだ。ショックの限界値を越えて呆然とした。ファウスティーナの覚えている限り、誘拐された記憶はない。
しかし、覚えていないだけで実はされていたのかもしれない。8歳の時に。自身の誕生日の心配やフワーリン公爵家のお茶会の心配をしている場合ではなかった。覚えていたら、無理矢理にでも枕を持って思いもしない場所で寝ていた。
気を紛らわそうと青年と会話をしていると起きたこの騒動。恐怖のあまり、初対面の青年に抱き付いた。そっと背中に回された手が温かくて、安心感が宿るも乱暴に扉を開かれて覚悟を決めた。
「――ファウスティーナっ!!」
飛んで来た第一声は、何故? という声だった。今の年齢を考えると来るのは有り得ない相手。
悲鳴とも取れる叫び声を上げた相手――ベルンハルドに、青年に抱き付いたまま顔を上げたファウスティーナは恐る恐る振り向いた。
「……で……殿下……?」
大人の足下にいる8歳のベルンハルドの姿が――
『ファウスティーナ!!』
一瞬、嘗ての姿と重なった……。
*ー*ー*ー*ー*
「こーら、ベル。私との約束を早速破ってくれたね?」
「うわっ」
ベルンハルドの紫がかった銀髪に大きな手が乗った。白と青を基調とした衣装を着る貴族然とした男性とつい最近会っているファウスティーナは、ぽかんと「司祭様?」と口にした。
司祭の格好こそしてなくても、男性は教会の司祭だった。
何故? 約束? それに王国の王太子を愛称で呼んでいいの?
様々な疑問がファウスティーナの思考を巡る。すると薔薇色の青年が意外な言葉を発した。
「シエル様」
この場にいる中で名前が判明していないのは薔薇色の青年と司祭だけ。
青年が紡いだのは人の名前を発した。
ということは。
ファウスティーナが司祭――シエルを見ると蒼の瞳が見開いた。
「ヴェレッド? どうして君……」と言いかけた所で口を閉じた。数秒考えた後、いや、と首を振った。
ベルンハルドの首根っこを掴んで2人が座っているベッド付近まで来るとファウスティーナの頭を撫でた。子供を安心させる、不思議な手。
「無事で良かった。見た所怪我もないし、無理矢理拘束されている訳でもない……何かをされた痕跡もないね……」
「ああ、だってこの子、ついさっきまで寝てましたから」
「「え」」
ファウスティーナの様子を見ながら呟くシエルの疑問をヴェレッドが簡潔に答えた。シエルとベルンハルドの声が見事に重なった。
ヴェレッドから、自身が2日間眠り続けていたと聞かされファウスティーナは「道理で夢が長いと思った」と言った。
「夢?」とベルンハルドに訊ねられて大した夢じゃないと慌てて顔の前で手を振った。
ファウスティーナが見ていた夢は、多種類のパイを食べ終えて、目を覚まそうと思ったら食べている間いなかったコールダックが急に現れて、追いかけ回されたり飛び蹴りを食らったりしたというもの。
絵本やぬいぐるみでしか見たことのない世界最小のアヒルは可愛い見目に反して凶暴だった。が、疲れてパイを食べようとしたら何もしてこなかった。
食べて、起きようとして、追いかけ回されて、疲れたらまたパイを食べての繰り返しだった。
誤魔化しの笑いを零すファウスティーナを訝しむベルンハルドだが「シエル様」と部屋に入った騎士に意識が逸れた。
「人身売買の商人一味を全員捕らえました」
「分かった」
「ただ……」
騎士はシエルの耳元で囁いた。
聞き終えたシエルはふうー、と息を吐いた。
「逃げ足が早いのか、潔いのか分からないな。内々に処理しておいて。後、誰か至急城へ戻らせてファウスティーナ様の無事を確認したと陛下に報せて」
「はっ」
「後、ファウスティーナ様達は明日の朝に戻すとも。もうじき夜だからね。王太子と公爵令嬢を夜道に連れて馬を走らせるのは危険だ」
「承知しました」
騎士は一礼をして部屋を去った。
シエルは3人に振り向いた。
「一先ず此処を出よう。此処は教会から近い場所にある。ファウスティーナ様もベルも今日は教会に泊まりなさい」
「は、はい」
続いて、ヴェレッドへ視線をやった。
「君もだヴェレッド」
「うん」
ベルンハルドは首根っこを掴まれたままなので暴れるが「大人しくする」と叱られ、怒られた犬みたいな目でシエルを見上げた。が、ヴェレッドからファウスティーナを受け取って片腕で抱いていた。ファウスティーナは保護された被害者なので扱いの差に不満を言うつもりはない。只、自分で歩くと言いたいだけ。
すると、急に持ち上げられた。ベッドに乗せられたと思いきや、ファウスティーナと同じように抱き上げられた。シエルを見上げても「2人共しがみついててね」と言われるだけ。
シエルは2人を抱きながら部屋を出た。ヴェレッドも後に続く。忙しく宿屋の中を走る騎士達はシエルが通る度に一礼していく。
ベルンハルドはシエルからファウスティーナへ向いた。
ファウスティーナも見ていたらしく、薄黄色の瞳と瑠璃色の瞳はぱっちりと合った。
口を開閉させ、言葉を探すファウスティーナより先に口を開いた。
「ファウスティーナ」
「は、はい!」
「身体に異常はないか? 2日間眠り続けていたということは、薬を盛られていた可能性もある」
「い、いえ、何処も異常はありません」
「そう、か」
「あの、殿下、聞いてもいいですか?」
「うん。何だって聞いてくれ」
「どうして殿下がいるのですか? その、私が言うのはあれですが危険な場所に殿下が来るのは……」
尤もな質問だろう。王太子といえどまだ8歳。婚約者の居場所を突き止めたからといって来ていいわけじゃない。護衛やシエルがいても、万が一ベルンハルドの身に何かあれば責任を取らされるのは同行している彼等。周囲に迷惑がかかる行動をした自覚があるベルンハルドは、ばつの悪そうな表情をした。
答えあぐねているベルンハルドの頭上から助け船が出た。
「そう言わないであげてファウスティーナ様。後で陛下に叱られるよって脅しても、君の無事な姿を見るまで絶対に私から離れないと駄々を捏ねてね。私より先に歩かない、側を離れないとかたーく約束して連れて来たんだ。すぐに破ってくれたけどね」
「うっ」
それは恐らく、ファウスティーナとヴェレッドがいた部屋のことを言っているのだろう。
「ファウスティーナが心配で……どうしても、早く助けてあげたくて……」
「城に戻ったらある程度は弁解してあげよう。後はベルがどうにかしなさい」
「はい……」
無謀な行動を取ったと、軽率な真似はするなと父である国王に叱られる未来がありありと浮かぶ。沈んだ表情をしながらファウスティーナを見た。
またぱっちりと目が合った。
ファウスティーナは「でも」と切り出した。
「殿下が来てくれた時心の底から安心しました。殿下が助けに来てくれたんだと」
「ファウスティーナ……」
あと、起きてずっと話相手になってくれていたヴェレッドの存在もある。取り乱しもせず、落ち着いたヴェレッドのお陰でファウスティーナも下手に感情を乱したりせずにいられた。こんなすぐに助けが来るとは思わなくても。
安堵しきったからこそ見たファウスティーナの笑み。瑠璃色を揺らし、微かに頬を染めたベルンハルドは恥ずかしさから、プイッと逸らしてしまった。
(あ……私の馬鹿! 殿下はエルヴィラを好きになるのよ。婚約者だから、婚約者としての行動を努めようとする殿下に何をしてるんだか……)
等と内心ショックを受けているとは知らないベルンハルドは……
「……可愛い……」とそっと紡いだ。こんな時に思うのもどうなのかという気持ちだった。ファウスティーナを可愛いと思うのは今に始まったことじゃないのに。ただ、あまり自分には見せてくれない素の笑顔に胸が高鳴った。敬意を表す畏まった微笑みを浮かべられるのは、ファウスティーナの教育が進んでいる証だ。が、身内に向ける笑顔と比べると……明確な差があって、羨ましくなってしまう。
急激にベルンハルドの顔の体温が上昇していく。鏡で見たら真っ赤になっているだろう。
幼い婚約者の2人の様子を眺め、笑いたいのを堪えるシエルの口は無理矢理引き締めるせいで時偶揺れていた。微かに肩を震わせるシエルを、後ろを歩くヴェレッドは呆れたように見ていた。
『ピッコリーノ』を出たシエルは前に停車させていた馬車に乗り込んだ。ヴェレッドも続く。出入り口の扉を御者が閉めた。
シエルはベルンハルドとファウスティーナを左右に座らせると窓のカーテンを閉めた。向かいにはヴェレッドだけ座っている。
馬車に乗り込む際、大勢の野次馬が周囲を囲んでいた。ファウスティーナがいた部屋の下からも騒ぎの音は届いていたのだ、十分周りに聞こえても可笑しくない。
「あ、あの、司祭様」
「何かな、ファウスティーナ様」
馬車が走り出すとファウスティーナはシエルの話を聞きたがった。教会の司祭が王太子を愛称呼びすることは勿論、何故彼が此処に来たかが気になった。うーん、と腕を組んだシエルは暫しの沈黙の後。
「隠してもその内知れるし、絶対に隠さなきゃいけないことでもないから話そう。今じゃ教会で司祭をしているが、元は王族。今の陛下の弟だよ」
「弟……王弟殿下なのですか?」
「そうだよ」
道理でベルンハルドを愛称呼びする筈だ。
「弟といっても陛下は正妃の子。私は先代陛下が平民の母に生ませた子。片方しか血は繋がっていない」
先代の国王は、愛妻家の今の国王と違い女性関係が酷かったと聞く。何人もの側室や愛妾がいたらしく、今では封鎖されている後宮には沢山の美しい娘達が押し込められていたそうだ。
けど、女性関係は残念でも、王として国民の為に様々な政策を出し尽力した立派な王でもあった。
今の国王も進めている、平民の文官起用をする法案を作ったり、貧しくても十分な教育が受けられるように孤児院に多額の寄付をしたり、最近では条件は厳しいが平民でも貴族学院に通える制度を作ったりもした。
「権力争いに巻き込まれるのはごめんだったからね。早々に王位継承権を放棄して教会に身を寄せたのさ。王族の暮らしより、教会でのんびりと暮らす方が私には性が合ってるからね」
「父上は叔父上に中々会えなくて、時折寂しそうにしてますよ」
「ふふ、ねえベル。大人には色々と事情があるんだ。相手の見せるものを全部信じるのはおすすめしない。例え身内であってもね」
「……」
何か言いたげなベルンハルドの頭を撫でてやる。訳ありな関係がぷんぷん匂う話ぶりだが深入りしては駄目。
ならば、とファウスティーナはヴェレッドを標的にした。
「貴方と王弟殿下はどんな知り合いなの?」
「ファウスティーナ様。私のことはシエルか司祭で構いませんよ。今は王族籍から抜けておりますので」
「王族籍から抜けても、国王の弟である事実は変わらないでしょう」
「王弟と呼ばれるのは好きじゃないのさ」
「あっそ」
素っ気ない。
2人の口振りからするに長い付き合いがあるのは感じる。が、素っ気ない。ファウスティーナでもこんな扱いをされたら凹む。
シエルは慣れているのか、気にした様子はない。
「私とヴェレッドは、私が子供の頃に出会ってね。なんとなく付き合いが続いてるって感じだよ」
「なんとなく?」
「シエル様がそう言うならそうじゃないの」
「そっか……」
ヴェレッドに不満がないならそれで良い。不満げではあるが無理矢理納得したファウスティーナ。
ヴェレッドは貧民街で育った孤児だと言っていたが何処でシエルと出会ったのだろう。言っていいのかファウスティーナには判断出来なかった。
凡そ10分程走った馬車が停まった。御者が扉を開けると一行は降りた。
「ほーう」
夜に見る教会はファンタジー小説でいう、ラスボスの根城感満載だった。
「ファウスティーナ」
「あ、はい」
ベルンハルドに声を掛けられ、大人組が移動し始めていたのを知り、手を引かれ後ろを付いて行く。
ファウスティーナが2日前入った正面ではなく、裏手に回り、木々に囲まれた道を暫く進んだ先に一軒の屋敷があった。
予め伝えていたのか、執事と数人の使用人が正面で待っていた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「うん。ベルンハルド殿下とファウスティーナ
様に食事を作ってあげて。ヴェレッドは私と話をしよう」
「はーいはい」
どんな話か予想はついても含みのある微笑を向けられると警戒してしまう。
中に入ると真っ直ぐに進んで行く。ファウスティーナとベルンハルドは客間に通されたが、シエルとヴェレッドは前を通り過ぎて奥の部屋へ進む。
執事は2人に飲み物のリクエストを聞くと部屋を出て行った。
ファウスティーナとベルンハルドは並んでソファーに座るが……
「……」
「……」
会話がない。
(あああああー! 話題、何か話題を! 明るい話題!)
内心悲鳴を上げていたファウスティーナの願いは届いた。
「ファウスティーナ」
「はいっ」
ベルンハルドは何故か不安げな表情をしている。ファウスティーナは肩から力を抜いて待つ。
「その……誕生日プレゼントに贈ったリボン……気に入ってくれた……?」
「はい。殿下の瞳と同じ、とても綺麗な瑠璃色でした」
「そっか。……良かった」
「?」
安堵の息を大きく吐いたベルンハルドの最後の声は小さくてファウスティーナには聞き取れなかった。
表情から不安が抜けたベルンハルドはそれから色んなことをファウスティーナに聞いた。
「そうか。誕生日パーティーが開けなかったのは残念だけど、事情を考慮した結果なのだから仕方ないよ」
「でもその代わり、今年は今まで一番良い誕生日になりました」
「そうなのか?」
前の時も、記憶を取り戻す前も、嬉しいのは嬉しいが今年は一味違った。自分なりに理由を探ってみた。
で、答えに辿り着いた。
(きっと、ベルンハルド殿下やお母様に貰ったプレゼントが今までと違った、からかな)
そして、素直に嬉しいと感じられた自分自身も前とは違ってきているのだろう。ベルンハルドと婚約破棄を願う時点で大きく異なるのだが。
欣然としたファウスティーナにベルンハルドも釣られて笑みを零す。
「ああでも、お兄様やエルヴィラの誕生日は例年通りパーティーは開きます」
「そういえば、ファウスティーナ達は1ヶ月違いだったな」
「珍しいですよね」
ベルンハルドは一瞬目を上へ向けるもすぐにファウスティーナに戻った。
「ファウスティーナは公爵にどんな誕生日プレゼントを貰ったの?」
「今年は私からリクエストをしまして。ぬいぐるみと平民に人気のアップルパイをお願いしました」
「アップルパイ?」
「はい。リンゴがゴロゴロ入った、食べ応えのある甘くて美味しいアップルパイでした」
「平民の店、か。僕もその内食べてみたいな」
「殿下は偏見はないのですか?」
「ないよ。彼等の生活を知りたいと、前に言ったでしょう? ファウスティーナを見てると美味しかったのが伝わる。大きくなったら一緒に街に降りて食べに行こうね」
「はい!(あ……)」
返事をして、自分の考えの無さに後悔した。その時自分はもうベルンハルドの婚約者ではなくなっているかもしれないのに。
私の馬鹿ー! と叫びつつ、他にどんなお店を知っているか尋ねられたので、リンスーから聞くお店の話をしたのだった。
――ファウスティーナとベルンハルドが仲良く談笑している一方。
シエルの私室で向かい合って座る2人。
使用人は葡萄酒をグラスにそれぞれ注ぐと部屋を出て行った。
「ヴェレッド」
晴天のように澄んだ青は閉ざされ、覗いた者を暗闇の底へ墜とす深淵がそこにあった。
「あの子をこんな危険な目に遭わせた理由を聞かせてくれるね?」
目も口元も笑っているのに――
「……いいよ」
黒く混ざった青は拒否権は一切無いと告げていた。
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