34 薔薇色の青年とファウスティーナ
ファウスティーナを拐った2人組は配達人を装い、実際に引き受けた荷物を届けつつ、王都より南方へ馬車を走らせていた。途中、街を巡回する兵士に荷物を確認されたが伝票と荷物に貼られたラベルを見せ、全て実在する人間の名前と住所と分かると通してくれた。中身の確認をされても問題はなかった。ファウスティーナを仕舞った箱は、巧妙に造られた御者の座る椅子の隠し場所に置いているから。
「……」
ヴィトケンシュタイン公爵令嬢を拐って2日が経った。
2人組は南端に位置する宿屋に一旦馬車を停めた。休憩と食糧調達を兼ねて。椅子の下に隠してあった箱の蓋を開け、麻袋にファウスティーナを詰めて『ピッコリーノ』と掲げられた看板の宿屋に入った。受付を済ませ、指定された部屋に入り鍵を閉めた。
麻袋からファウスティーナを取り出した。幸福に満ちた寝顔を晒し、時偶パイを食べている寝言を漏らす。
幸せな夢を見ているのだろう。
その幸せが現実世界に戻ったら崩壊すると知ったら、幼い娘はどんな反応をするのか。
泣き叫び、絶望し、暗闇に染まった未来を想像してどん底へと蹴り落とされるだろう。
下卑た顔を浮かべ、大笑を上げたいのを堪えて肩を震わせる髭の濃い男を――その人は酷く冷ややかに見つめた。
見事な薔薇色の、左襟足だけが肩まで届く程長い髪と同じ色の瞳をした冷たい美貌の青年だ。
扉が控え目に4回ノックされた。
男は相手が誰か分かっているようで確認もなく扉を開けた。
切り揃えられた赤色の髪に睫毛がほぼない小さな黒い瞳の、言っては失礼だが顔の造形が残念な男。
カイン=フックス。
7年も前から、ファウスティーナ誘拐を水面下から企てていた男性である。
ベッドに寝かされているファウスティーナを見るやいなや、恍惚とした表情で両手を広げて大股で近付いた。
すると、ファウスティーナの寝顔を眺めていたその人が袖に隠していたナイフを無駄のない動作で投げた。ナイフはカインの頬すれすれで飛んで行き、天井に刺さった。
硬直したカインにその人は髭の濃い男に向けていたものよりも更に零度を纏った眼をぶつけた。
「不用意に近付くな。起きて騒がれたら面倒でしょ」
「貴様……っ、元は名もない孤児の分際で」
「その孤児に公爵令嬢の誘拐を頼んだのは何処の誰?」
「っ……」
その人に痛い所を突かれたカインは悔しげに唇を噛んだ。
その人がいなければ、この計画は成功しなかった。
「さて旦那。この国から脱出する為の話でも、しようじゃないですか」
「……ああ、そうだな。おい、ファウスティーナを確りと見張っておけ。目を覚ましたら、声が出ないよう猿轡でも噛ませておけ」
「……」
返事もせず、じっと虚空を見るだけのその人に最初から期待していないカインはふんっと鼻を鳴らし、男を連れて部屋を出て行った。
「……君も不幸だね。アーヴァとかいうのに似たせいで、あんな変態に目を付けられてさ」
アーヴァとは、シトリンの従姉妹の名前。
厳重な公爵家の警備の目を盗んでファウスティーナを拐うのに7年の月日が必要だったのは、それだけカインが慎重だったのと絶対に失敗は許されないものだから。
公爵家は必死になってファウスティーナを捜索しているだろう。それはきっと王家も。
見つかる筈がないと傲慢に笑うカインと髭の濃い男は馬鹿だろうか。確かに此方は7年もの月日を費やして計画を練った。しかし、相手だって馬鹿じゃない。最高位の貴族が死に物狂いで捜索をすれば――何れ見つかる。
対策はしている。
そもそもヴィトケンシュタイン家に仕えていたカインの姿は偽物だ。
公爵家も王家も、毎日黒髪をオールバックにした眼鏡を掛けた男と認識している。実際は、切り揃えられた赤色の短髪と睫毛がほぼない黒い小さな瞳の男が真実。
それも――その人が人工皮と人工毛髪を被って偽った姿だ。
「シエル様……」
その人は誰かの名前を呟いた。
「ん……、んう……?」
「……」
ミルク色の瞼がピクリと動いた。
重々しく開かれた奥に隠されていた薄黄色の瞳がぼんやりと天井を見上げた。
ぱち、ぱち、と瞬きを2度繰り返すと顔を左へ向けた。
その人がいる方である。
「「……」」
寝惚け眼の薄黄色と薔薇色の瞳が見つめ合う。
ぱち
ぱち
ぱち
一定のリズムを保って瞬きを繰り返したファウスティーナの目が限界まで見開かれた。
「え? ええ?」
右、上、左、上、右、上。
動ける方向へ首を動かして室内を確認し終えたファウスティーナはがばりと起きた。口をあんぐりと開けて絶句している。ギョロっと不気味な人形のような動きでその人へ向いた。
「……ど……何処ですか……此処……」
「……可哀想だけど、君、誘拐されたんだよ」
「…………」
小説に出てくる登場人物がショックのあまり石化してしまう場面がある。今のファウスティーナが正にそれだ。物語の中の状態は現実でも起きるのか、とぼんやり思ったその人。
数分くらい固まっていたファウスティーナは、動き出すなりその人の裾を掴んだ。
「……そっか……じゃあ、貴方も被害者なんだね……」
「……」
――……は?
「誰か知らないけど、すごく綺麗な顔をしてるもん。容姿が良いせいで誘拐されたんでしょ……?」
「……」
現実を理解して、泣き喚くか、助けを求めて大声を出すとか、逃げ出すとか。どんな行動を起こすのかと待っていると――予想外の反応をされた。されて、その人の思考回路は停止した。
すぐに復活して何となく下を見た。
ファウスティーナを拐った時に着ていた執事服は既に処分済み。至って普通の平民の服を着ている。
「平民の服を着てるってことは平民なんだろうけど、……顔が良いせいでこんな目に遭うなんて……運がないね」
「……」
「はあ……運がないのは私も一緒か。寝てる間に誘拐されるなんて……ん? でもよく誘拐出来たね。見張りの騎士とかいるのに」
「……」
その見張りの目を盗んで君を拐ったのは自分です――と言えば良いのか、それとも哀れな被害者を装えば良いのか。
真実を話して騒がれても面倒と判断し、ファウスティーナの話に合わせることにした。
「まあ……おれは君と違って、起きてる時に拐われた。拐われたというか、脅された」
「そうなんだ……ねえ、貴方名前は?」
「ない」
「へ?」
「平民の格好をしてるけど、元々は貧民街で育った孤児だった。だから、名前はない。そもそもこの服は誘拐犯に着せられた。みすぼらしいと目立つと言われて。風呂に入れてもらえたのはある意味ラッキーだったかも」
「そ、そうなんだ……」
嘘と真実を織り混ぜて話すのは簡単だった。拐われたのは嘘。しかし、その人が語った生い立ちは事実。
話を聞いて俯いたファウスティーナにその人は「お貴族様には分からないよ」と発した。
生まれた時から恵まれた環境で育った貴族とその日生きていくだけでも命懸けの貧民では、生活の質は天国と地獄。
皮肉を言いたかった訳じゃないが、皮肉めいた言い方になってしまった。何も言わないファウスティーナに再び話し掛ける前に「でも」と先を越された。
「そう遠くない内に、貧民街は今よりもずっと良くなる」
「何故そう言える?」
「内緒。でも、本当だよ」
「……」
確証もないのにはっきりと、力強く断言したファウスティーナの自信はどこからくるのか。これから自分がどうなるか分からなくて不安な筈なのに、強い意志の灯った薄黄色の瞳をその人にぶつけるのは……。
その人は「あっそ」と興味なさげにファウスティーナから視線を逸らした。脳裏に晴天の色をした青が浮かぶ。
「……私達、これからどうなるんだろう」
ファウスティーナは膝を抱えた。初めて出した不安な声色。
貴族の子供が誘拐された場合は主に身代金を要求されるか、人身売買の商品にされてしまうのがおち。
移動中、髭の濃い男は身代金を要求する気満々だったので止めておけとその人は言った。危険が大きすぎる、と。
金はカインが多額の報酬を用意している。前払い分、成功した暁には更に3倍の額を出す、と告げた。
カインが何故そんなお金を持っているか。その人が7年間公爵家で働いた賃金が5割、残り5割はカインの両親の遺産。7年前カインに会い、自分のことを知った上で今回の計画を持ち掛けてきた時に勝手に聞かされた。
「……大抵は、幼女趣味の年寄りとかに売り飛ばされるんじゃない?」
「!?」
「あと、誘拐犯が言ってたけど、君珍しい容姿をしてるから、頭のイカれた集団に売り飛ばすのもありだって言ってた」
「!!?」
どれも絶体絶命の危機。売られた先での絶望的生活しか想像出来ない。
「ね、ねえ、2人で此処を脱出する方法ってあるかな?」
「ない。あったら、おれ1人でとっくに逃げてる」
「……だよね」
この世の終わりの顔をして仰向けに倒れたファウスティーナ。口から魂的な何かが出たがすぐに戻って行った。
ファウスティーナがまた起き上がったので。
「今出て行くのは?」
「見張りがいる。それに、誘拐犯がいつ戻るか分からないのに危険な行動を起こせるか」
「だよね……」
実際外に見張りがいるかどうかは知らない。多分いるだろうと憶測で言った。
ファウスティーナは窓越しから外を見た。夕焼けに染まった空が美しい。自分がもう、朱色の光景を見られる機会はない。
ファウスティーナは掴んでいたその人の袖を強く握り締めた。
「やりたいこと……沢山見つけたかった……」
「やりたいこと? 貴族なら何だって出来るだろう」
「そんなことないよ。自由に見えて制約が多いんだよ。私はこんな容姿だから、生まれた時から王太子殿下の婚約者に決められたの。
毎日厳しい淑女教育にマナーレッスン、今年になって王妃教育も始まった。苦だった訳じゃないよ。とても楽しいし、新しいことを知ったらもっと色んなことが知りたくなった」
「……」
「でも……私は王太子妃になるつもりはこれっぽっちもないの」
「何故?」
貴族にとって王族との婚姻は有益になる筈。カインとして執事をしていたその人は、毎日王太子妃になるべく励むファウスティーナを何度も見た。
ふと、王太子が来る度に逃げ回っていたなと思い出す。
勉学には励むくせに王太子からは逃げる。
矛盾した行動の意味を今、欠片でも見た気がした。
「だって、殿下が好きになる人が私の妹なんだもん」
「……」
ファウスティーナの妹というと、エルヴィラのことだ。
王太子が来ると必ず現れて隣をキープしていた。その人も何度か注意をしたので覚えている。
「一国の王子が婚約者の妹に心変わりすると思ってるのか?」
「見たら分かるよ。私と妹に対する、殿下の態度の差を」
「……」
言われてみれば、ファウスティーナを待っている間エルヴィラと話をするベルンハルドは楽しそうで。ファウスティーナとなると何故か話題が途切れる。2人揃って口を閉ざしてしまう。ただ、ファウスティーナが来ない日はいつも悲しそうな様子で帰って行く。
「まあ、無事に助かっても殿下との婚約は破棄されるけどね。誘拐された令嬢と婚約関係を続けたら、他の貴族達の格好の餌食になるよ。
……あれ、ってことは、もし助かったら殿下とは婚約破棄になって、で、家が変わるより相手が変わる方がマシって事を強調したら……念願の婚約破棄になるんじゃ……」
「?」
最後の方、長い割に聞こえるか聞こえない程度の音量で呟くのでその人の耳には入らず。
だが、すぐに顔色が変わった。
諦念の情が滲んだ横顔が嬌艷と抱いてしまった。
たった、8歳の幼女に。
ゾッとした寒気がその人の背筋に走った。
カインが言っていた、アーヴァという女の話。ファウスティーナとそっくりだと高らかに語っていた。どの辺が似ているかは、話を聞き流していたので全く不明。
大人になったら間違いなく美女に育つ要素を持ち、アーヴァという女と似たものを持ったファウスティーナを……予想に過ぎないがカインは……。
そこまで考えた時だった。
突然、下から大勢の怒号が響いた。慌ただしい足音や悲鳴、金属の鳴り合う音がこの部屋にまで届いた。
驚いてその人にファウスティーナは抱き付いた。
「な、なにっ」
(来たな……)
足音が更に多く、大きくなった。
男の悲鳴と何かが斬られる音。ファウスティーナは更に怯えてその人にきつく抱き付いた。
「こ、こんな事だったら、パイを食べ終わって起きようとしたら、ずっとコールダックに追いかけ回されたり飛び蹴りを食らう夢を見続けていた方がマシよおおおぉ!」
(そんな夢見てたのかよ)
にしては幸せな寝顔と寝言だったな、と心の中でツッコミを入れつつ、震えるファウスティーナをそっと抱き締めた。
と、同時に――扉が乱暴に開かれた。
「――ファウスティーナっ!!」
悲鳴とも思える叫び声の主に、恐る恐る顔を上げたファウスティーナは……
「……で……殿下…………?」
大人の足下にいる小さい筈のベルンハルドが一瞬だけ――ファウスティーナが覚えている前の姿と重なった。
読んで頂きありがとうございます(*´∀`)
ベルンハルドがいる理由については次回。
そして、お知らせですがそろそろこの章も終わります。
フワーリン公爵家のお茶会までを予定しております。
ヒーロー不在とよくお声を頂く連載ですがこれからもお付き合い頂けたら幸いです。