32 黒い魔手
真っ白なテーブルクロスが敷かれたテーブルに置かれた、リンゴとシナモンの甘い香りを漂わせたアップルパイ。本日一番のキラキラをアップルパイへと注ぐファウスティーナの様子に、アップルパイの話をしたリンスーは心底安堵した。好奇心旺盛で、休みの日によく街に行くリンスーに平民の生活やお店を聞きたがるファウスティーナ。
開店1時間前に行っても買えなかったアップルパイを誕生日プレゼントに選んだと聞かされた時は、少しだけ後悔した。平民には人気でも、公爵令嬢として毎日高級食材を使った一流の料理人が作る料理を食べるファウスティーナの舌に合うかは別の話となる。例え口に合わなくてもファウスティーナは顔にも口にも出さない。美味しかった、ときっと言ってくれた。
買ってすぐに食べない場合は、食べる直前に温め直すと出来立てとそう変わらないと店員に教わった。
ファウスティーナの好物であるオレンジジュースをリュンのプレゼントである子豚のマグカップに注いだ。何故子豚なのかとリンスーは初めリュンを問い詰めた。大事なお嬢様が太っているとでも言いたいのですかと、凄まじい剣幕で迫った。たじたじになりながらも、是非ファウスティーナに子豚の可愛さを知ってほしくて子豚のマグカップにしたのだとか。受け取った本人が嬉しそうなのでリンスーもそれ以上は言わなかった。
期待を込めた瞳でナイフとフォークを流れるような動作で使い、アップルパイを一口サイズに切った。
王太子との婚約が決まってからのファウスティーナは変わった。周囲の人に言っても、大きな変化はないと思われるかもしれない。ファウスティーナが3歳の時から世話を任されているリンスーには解る。
まず、リュドミーラに何を言われても激昂せず、反論しなくなった。しても冷静に無感情の面を被って対処する。
次に…………特になし。
エルヴィラに対しては今とほぼ同じ。
(旦那様やケイン様に対しても変わってないので、やはり奥様にだけ対応がガラリと変わられましたね)
王太子との婚約を嫌がっている理由をリンスーは知らない。
王妃教育や普段の家庭教師との勉強は頑張って評判は上昇していくのに対し、ベルンハルドが来ても逃げる。
執事長が教えてくれた。一度ファウスティーナは、ベルンハルドに婚約破棄をしたくなったら何時でも言って下さい、と言ったとか。何故!? と驚愕する所だろうがベルンハルドから逃げ回るファウスティーナを見ていると、大きな衝撃はなかった。
只、ベルンハルドから逃げる理由、婚約破棄をしたがる理由が不明なだけ。
教えてほしいと願う。一介の侍女でしかない自分がファウスティーナに出来ることは数少ない。それでも、ちょっとでいいから心情を明かしてほしい。
「とっても美味しいよリンスー!」
「お嬢様に喜んでいただけて良かったです」
「オレンジジュースのお代わり頂戴」
「はい」
お日様のように温かくて眩しい笑顔の裏にある、小さな主の……願いを。
*ー*ー*ー*ー*
ー夜、ファウスティーナの私室ー
「はは~特別な1日っていいね~」
今年の誕生日は、前回も含めて今までの誕生日で一番幸福な日だった。
だからこそ、前の自分の傲慢、強欲、視野の狭さが嫌になる。
「ベルンハルド殿下に好きになってもらうように空回ってばかりだった。自分が好きな物を要求するって思考がそもそもなかった」
ベルンハルドが好みそうな色のドレスを欲しがり。少しでも視界に入れてほしくて、温かい笑みを見せてほしくて、好きになってほしくて。
相手ばかりに自分勝手な要求を突き付けた。性格の悪さと実の妹を虐める陰湿さに零の感情は更に下降してマイナスへと変化した。
「来年は何を言おうかな」
夕食も日常の中に豪華さをプラスされた食事だった。
お風呂も入り、髪も乾かした。
寝るだけ。
「夢……見れるかな」
過去の夢を見て、空白となった記憶を埋めたい。婚約破棄へと繋ぐ、重要な手懸かりもそうだが、自分が何故死んだかを知りたい。アエリアが知らないなら、他に知っている人はもう誰もいない。
ファウスティーナ自身で思い出すしかない。
「よし、寝るわよ」
布団の中に潜り、瞳を閉じた。
意気込んで眠れば、却って目が覚めて寝れないもの。寝ようと思ったらすぐに眠るファウスティーナには通用しない。
「すー……すー……」
あっという間に寝息を立てて眠った。
――途端、ドアノブが下がった。扉が静かに開かれた。そっと扉を閉めて、ファウスティーナが眠るベッドに近付いたその人はぷにぷに頬っぺを人差し指で突いた。擽ったそうに顔を歪めるも起きる気配はない。
布団を退かし、小さな体を丁寧に抱き上げた。大事に抱え直して部屋を出た。外に置いてあった大きな箱の中に、膝を抱えるようにファウスティーナの体を丸め仕舞った。
蓋をし、持ち上げて、移動し始めた。
時刻は既に夜遅い。
この時間、邸内を歩く者はいない。
屋敷の裏口から外に出て、一旦箱をそっと地面に置いた。
8歳の幼女を箱に入れて移動するのも中々の重労働だ。うっすらと汗が浮かんだ額を袖で拭い、再び箱を持ち上げた。
裏門に回ったその人は、予め開けられている門の前にいる男性に箱を渡した。
「乱暴に扱わないで下さいよ」
「分かってる。大事な商品に傷をつける真似はしない」
「……」
ファウスティーナを商品呼ばわりされ、その人は不快そうに顔を歪めた。相手の男性は知らぬ振りをし、大量に積まれた藁を避け箱を置いて上に藁を被せた。
「この国じゃお伽噺も現実になる。女神様の生まれ代わりだか何だか知らないが、この娘を人質にすれば王家や公爵家から莫大な身代金が手に入る」
「……さっさと行くぞ。見つかれば面倒だ」
「おう」
その人は門を閉め、荷台を引く男性の後に続こうとした。
複雑な面持ちで公爵邸を見つめた後、男性に呼ばれ歩き始めたのであった。
――翌朝、ファウスティーナを起こしに部屋を訪れたリンスーが「お嬢様がいません!!」と血相を変えて食堂でファウスティーナを待っていたシトリン達に告げたことで大騒ぎとなった。
箱の中で寝ていると知らないファウスティーナは――
「アップルパイ……もう、食べれ……にゃい……」
「「……」」
夢の中でもアップルパイを食べていた。
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読んで頂きありがとうございます。
ファナを助けてくれるのはエイプリルフールに出てたあの人、とかにはなりません。
誰も聞いてないですがもしかして……となったらあれかな……と思い(´・ω・`)