31 父の温もりと兄の……
書庫室に置かれている回転椅子に座って、くるくるくると回りながら考え込むファウスティーナ。回転が止まったら床を蹴って回り。止まったらまた蹴って回る。腕を組んでうーんと何を悩んでいるのか。リンスーがいたらお行儀が悪いと言うが今はいない。
昼食後、読みたい本を探しに来たものの、これといった本はなかった。誰もいないのをいいことに回転椅子に座って回り始めた。回りながら考え事をするのも意外と楽しい。が、そろそろ気分が悪くなってきた。回るのを止め、高い天井を見上げた。
昼食時を思い出す。
3時のおやつにファウスティーナご所望のアップルパイが出る。ファウスティーナの分だけ、量を少なくしてもらった。それはいい。
普段通りに食事を進めていく中、今日はとても静かだとファウスティーナは感じた。チラリとエルヴィラを見た。気のせいか、落ち込んだ様子でナイフとフォークを使っている。次にケインを見た。相変わらず涼しい顔をしている。ケインはいつも通りで不明だが、エルヴィラは何かあったと判断。
ファウスティーナが聞いても答えて貰えなさそうなので敢えて聞かなかった。サラダに手を伸ばした際、苦手なグリーンピースがあり眉を八の字に曲げた。独特な食感が好きになれない。じぃっとグリーンピースを見つめ、良案を思い付いた。他の野菜を多目で一緒にグリーンピースを口に入れた。器用にグリーンピースを口内の端に避け、他の野菜を咀嚼し、グリーンピースだけ1度噛んで飲み込んだ。苦手なのに飲み込むのにも時間がかかって余計食べ辛かった。これなら、何とか食べられる。
これだけならグリーンピース攻略法を編み出しただけになるが、現実はそうじゃない。他より量が少ないファウスティーナは最初に食べ終えた。食後のオレンジジュースを出された時だった。
『お母様』
『なあに、エルヴィラ』
『わたしのお誕生日では、盛大なパーティーを開いてくれますよね?』
不意にエルヴィラが2ヵ月後にある自身の誕生日パーティーの話をリュドミーラに切り出した。エルヴィラのあの落ち込んだ様子は、自分の誕生日パーティーが開かれないのではないかという不安から来ていたものだった。と、ファウスティーナは判断した。
(誕生日は年に1度しかない貴重な日だもんね。エルヴィラが不安がるのも仕方ないか)
『ええ、勿論。ファウスティーナは仕方なかったけれど、ケインやエルヴィラのお誕生日は例年通り誕生日パーティーを開くわ』
エルヴィラはホッとしたような安心した表情を浮かべた。
それからは何もなく、オレンジジュースも飲み終え書庫室へと向かった。
「気のせいだといいけど、なんか嫌な予感がする」
ケインやエルヴィラの誕生日パーティーでやらかした記憶はない。
気持ち悪いのが抜けて、またくるくるくると回り始めた。
「う~ん」
「ファナ?」
「ふぁう!?」
不意に声を掛けられ変な声を上げてしまった。恥ずかしさから、顔に体温が集中していく。回転椅子を止めて後ろを見ると、片手に古い本を持ったシトリンが立っていた。
「目が回って気分を悪くするから、あまり回っちゃダメだよ」
「は、はい(さっきまで悪くなってました……)」
「本でも探しに来たのかい?」
「はい。でも、読みたい本がなくて……」
「ああ、そういえばアレイスター書店に連れて行くと言ってあったね」
2ヵ月前、王妃主催のお茶会当日の朝食の時の会話で出た。あの時はシトリンが多忙だったのもあり、代わりにリュドミーラが付き添うとなっていたが、お茶会でファウスティーナが倒れたので有耶無耶になってしまっていた。
「お父様の時間がある時で良いので連れて行ってほしいです」
「なるべく早く時間を作るようにするよ」
「出来た時で構いません。お仕事優先ですから」
公爵という立場上、自由に出来る時間はとても限られている。それでも工夫をして家族との時間を作ってくれる父がファウスティーナは大好きだ。無性に抱き付きたくなってシトリンの腰に抱き付いた。
「おや、今日のファナは甘えん坊さんだね」
「えへへ、お父様はいつもお花のいい香りがします!」
この香りが前の自分も大好きだった。極端に甘くない、仄かな花の甘い香り。香水の作られた香りじゃない、自然な香りが一番心休まる。頬をすりすりすると頭に暖かい手が乗って、髪を乱さないように慎重に撫でられる。
前もそうだが、父親とは親子らしい触れ合いが出来るのに母親になると出来なくなるのはどうしてか。自分が甘えたら良かったのか、それとも母が望む通りの公爵令嬢を演じれば良かったのか。最後にあのような末路を辿ると知っていたら、ファウスティーナだって馬鹿な考えも行動も起こさなかった。
全ては自身の強欲と傲慢が引き起こした自業自得の末路。同じ道は通らない。通りたくない。
シトリンに甘えつつ、今後どうやってベルンハルドとエルヴィラをくっ付けるか考えた。
エルヴィラに何もしていないので今の所ベルンハルドからの印象は悪くない、筈。寧ろ、向こうはファウスティーナを婚約者として扱ってくれている。悪印象を持たれないまま、円満に婚約破棄をする道はないものか。エルヴィラといる時のベルンハルドは、ファウスティーナに向ける表情よりも楽しげで嬉しそう。2人が“運命の恋人たち”なのは、態々言葉を思い浮かべなくても理解している。
ファウスティーナがこのまま、問題なく過ごせばまた王妃教育は再開される。婚約者の立場もそのままに。演技をして倒れる、という選択肢もあるも、周囲に迷惑を掛ける行為は控えたい。が、婚約破棄を選択した時点で何処かで腹を括らねばならない。
(結局、ベルンハルド殿下自身に気付いてもらうしかないのかな。エルヴィラが好きだって。まあ、私が動かなくてもエルヴィラの方からベルンハルド殿下に近付いて行っているから、そこで殿下が気付いてくれた……ん?)
1つ、閃いた。
ファウスティーナは前のこともあり、ベルンハルドと会っても会話も長く続かず沈黙が長くなる。ベルンハルドも何を話せばいいのか話題に悩んでいる節が多々あった。
しかし、エルヴィラはどうだろう。元々話上手なエルヴィラが相手であれば、自然と会話は増え、話題は尽きない。
エルヴィラと長く会話をし、過ごせば、自ずとベルンハルドも気付いてくれるだろう。
どちらといた方が心躍り、どちらといた方が好意を向けられているか。
(よし! 気長になるけど、この作戦でいこう。今後殿下と会っても会話はなるべく短く。これで殿下も、エルヴィラを好きだと気付いてくれる!)
鼻唄を歌って周囲に小花を咲かせるファウスティーナが、まさかベルンハルドとの婚約破棄作戦で良案を思い付いたから上機嫌とは知らず。シトリンは、3時のおやつに食べるアップルパイが余程楽しみなのだろうと勘違いした。
辞書を取りに行ったシトリンが戻って来ないので執事が書庫室まで来た。娘に甘えられて喜んでいる主人に申し訳なさを抱きつつも、書類の処理を促した。そうだったね、と執事に向いたシトリンから離れたファウスティーナは部屋に戻りますと告げて書庫室を出た。
名作戦だと自負している円満婚約破棄作戦を思い付き、ルンルン気分で私室へ向かう。掃除をしていたり、洗濯物を運んでいたり、働いている使用人達は上機嫌で鼻唄を歌って小花を咲かせて歩くファウスティーナを温かい眼差しで見守ったのであった。
*ー*ー*ー*ー*
部屋に戻り、早速机に向かってノートを広げた。
【ファウスティーナのあれこれ】である。
簡潔に書き纏めていき、ある程度まで書き終えてペンを置いた。
「これでいっか。あ、そうだ。フワーリン公爵家で開かれるお茶会の対策をしないと」とは言え、前はお忍びで参加したベルンハルドにずっっっと引っ付いて迷惑がられただけ。
ファウスティーナが取る行動は1つ。
ベルンハルドに近寄らない。
これだけである。
「なんて簡単で呆気ない悩みの時間……ううん、殿下の幸せを思うと呆気ないとか言っちゃいけない。にしてもフワーリン公爵家……クラウド様か……」
王妃シエラの甥。ベルンハルドとネージュとは従兄弟になる。
王子達の側にいた、数少ない心許せる友人。
「クラウド様……全然記憶にない。私がベルンハルド殿下に夢中だったのもあるけど、他の令息って殆ど印象にない」
同じ爵位持ちの家でも、交流があるとないとでは違ってくる。王太子の婚約者であったのだから、何かしら会ってはいた筈。
が、何も覚えていない。
貴族学院時代を思い出そうにも、何もない。
覚えていないのではなく、何もなかったから何もない。
そう結論を出した。
「うーん、いっか、クラウド様も近寄らなければ良いのよね。これでいこう」
挨拶はしてもその後は自由な時間。クラウドとベルンハルドにさえ近付かなければいい。ノートに綴っていく。
ペンを所定の位置に戻し、ノートを閉じてベッドの下に隠した。
おやつまで時間はあり、ベッドに仰向けになった。
教会から戻ってつい寝てしまった際に見た過去の夢。夢の中に思い出せない記憶を垣間見る機会はあるのではないか。眠気はないが瞼を閉じて体を横にしていれば、知らない内に寝てしまえるだろうとファウスティーナは眠ることにした。
体から力を抜いて、思考を手放し、意識を眠りへと落としてい――
「あれ? 寝てるの? ファナ」
きはしなかった。
ケインが部屋を訪ねた。ファウスティーナは起きようか一瞬迷うも、今回は狸寝入りすると決めた。起きない自分に兄が何をするかワクワク半分、不安半分。
「ファナ?」
ケインはベッドで寝るファウスティーナに近付き頬を突く。身動ぎもしない様子から熟睡しているのだと勘違いをした。ふう、と息を吐き、ベッドに腰掛けると頬を撫でた。
「ねえファナ。さっき、母上にフワーリン公爵家からお茶会の招待状が届いていると聞かされたんだ。ファナも知っての通り、王妃殿下の生家だ」
(知ってます)
「日取りは来月。あと、これは敢えて母上には言わなかったけど」
(なんだろう?)
「そのお茶会にはね、お忍びで王太子殿下達が来るんだ」
(お兄様はベルンハルド殿下と手紙のやり取りをしてるから、それで聞いたんだろうな。前もそんなこと言ってたし)
「ファナが王太子殿下の婚約者とはまだ公表されていないけれど、殆どの貴族は知っている。ファナの容姿と年齢的に考えれば、王太子の婚約者が妥当だから。まあ、ファナが倒れてからは王家に自分の娘をって勧めるのが続出中らしいけどね」
(大変だなあ陛下も。殿下もお兄様には何でも話すのね)
「……ねえ、ファナ。ファナが王太子殿下から逃げる訳を俺なりにね、考えてみたんだ」
狸寝入りを決めているファウスティーナは知らない。
この時のケインの紅玉色の瞳が、綺麗とは程遠い、どろりとした血の色となっていたのを。
「考えて……答えは出た。答えは敢えて言わない」
(気になる言い方……! でもここで起きたら擽ったさを耐えて狸になってる私の苦労が……!)
「言えるのは、ファナが後悔しない選択をしろってこと、だけかな」
頬から手を離して、ベッドから下りた。寝ている相手に語ったって声は届かないがそれでいい。聞いてほしくないから語った。変わらない姿で眠り続けるファウスティーナを一瞥し、じゃあねと部屋を出て行った。
扉が閉まった音を聞いて目を開けた。
「……」
ケインの言葉が脳内で繰り返される。
“後悔しない選択をしろ”――姉妹神と同じ、薄黄色の瞳が強い輝きを灯した。
「分かっていますわ、お兄様」
例え心のチクチク感が、いつか大きな痛みに変わって襲い掛かっても――後悔が残らないよう、目標を達成して見せる。
上体を勢いよく起こして両腕を掲げた。
おー! と。
読んで頂きありがとうございます!