29 過去の夢を教訓にします!
司祭とシトリンの話はそう長くならなかった。シトリンが迎えに来るとリュドミーラの後にファウスティーナは控え室を出た。
階段を降りて、下層礼拝堂を通る。中にはまだ沢山の人がいる。すると、人々が頭を垂れ始めた。ファウスティーナが目を瞠ると「驚かせたかな?」と柔らかな声が頭上から降った。見上げると司祭がいた。
「司祭殿」
――今日のお父様はどこかおかしいわね
普段はどんな相手にも穏やかな態度を崩さないのに、司祭に対してだけは少し苦々しい表情をする。チラッとリュドミーラを見ると、彼女も同じ表情をしている。ファウスティーナが司祭を見上げた。視線を感じた司祭は気付いてふわりと微笑んだ。
「公爵家御一行をお見送りしない訳にはいかないでしょう」
尤もらしいことを言うが、司祭には別の理由があるような気がしてならない。両親の様子からして、昔何かあったのかと思うも、ファウスティーナの覚えている記憶の限りではなかった。
結局そのまま司祭の見送りを受けて馬車停まで行き、馬車に乗り込んだ。
窓越しから司祭が手を振るのでファウスティーナも振ってみた。
「やめなさいファウスティーナ!」
急にカーテンを閉めてファウスティーナに厳しい声色で叱責したリュドミーラ。貴族令嬢がする振る舞いではないと言われた。気分が急降下していく。馬車の中から手を振るくらい良いのではないかと反論したくなるも、リュドミーラの「あ……」という反応を見ると、どうも教会――というより、あの司祭と昔何かあったなと睨む。
動き出した馬車の中、反対側の窓に手を当て過ぎ行く光景を眺めることにした。
――前の私にとって、教会って誕生日に祝福を授かりに行く程度にしか思ってなかったのよね
教会でベルンハルドへの想いが実るようにとか、祈った覚えがない。女神に頼むよりも自分自身の力でなんとかしたかったのだ。
帰りの道中誰1人として喋らなかった。妙に重い空気が漂うだけ。ファウスティーナは窓を見ながらずっと考え事をしていた。
馬車が公爵邸に到着した。執事長や侍女達の出迎えを受け、屋敷に入った。
リンスーにただいまと声を掛け、部屋への道を歩く。
「如何でしたか?」
「平民の人達が大勢来ていたの。皆、どんなお祈りをしたのかしらね」
「それは内緒というものですよ。昼食までもう少し時間がありますので、お部屋でゆっくりして下さい」
「うん。あ」
「どうしました?」
「リンスー。後で便箋を用意してほしいの。殿下にお礼の手紙を送りたいの」
「分かりました。どの様な便箋を用意しましょう?」
「そうだね……」
ベルンハルドはどんな花が好きだったかを思い出す。王城の南側庭園に咲いている赤い薔薇が一番綺麗だと話していた。
エルヴィラに。
(ああ……また泣けてきた……)
ベルンハルドの好きな物はなんだって答えられる自信はある。が、そのどれにもエルヴィラが関わっていることをうっかり忘れていた。
泣きそうになるのを堪え、リンスーに薔薇柄の便箋を用意してと伝えた。
部屋に戻り、はあ~と深い溜め息を吐きながらソファーに座った。
「ん?」
テーブルに見覚えのないピンク色の包装紙に包まれた小さな箱が置いてあった。今朝もらったプレゼントにこんな箱はなかった。
同じ色のリボンを解き、丁寧に包み紙を開いた。真っ白な箱の蓋を開けた。
「マグカップだ」
一体誰からだろうと思いつつ、マグカップを取り出し――目を点にした。
マグカップの色はピンク色、描かれている小麦の実のような縦長な目。そして、特徴的な豚の鼻。
取っ手の下には尻尾らしきものがある。
「……」
マグカップの贈り主はひょっとして……
ふと、視線を感じて扉を見た。
隙間から、期待の籠った眼でファウスティーナを見つめるリュンがいる。
……いつぞやの、ケインとのお茶会でのやり取りで子豚の可愛さを全面的にアピールしてきた。誕生日プレゼントで子豚をモチーフにした物を贈るとは……。
リュンの、子豚に対する愛着を感じられた。ケインのようにからかい等はなく、純粋にファウスティーナも子豚のように可愛いと信じているので怒るに怒れない。
ファウスティーナは再度マグカップに視線を移す。ずっと見ているととても愛嬌のある顔。ファウスティーナが飼ってみたいコールダックとどちらが可愛いかは分からない。ファウスティーナにしたら、コールダックが一番可愛いので。
「ふふ」
これがもしも兄からのプレゼントだったらプリプリ怒っていただろう。またからかわれたと思って。リュンにはそれがないので嬉しいと感じ取れる。
「ありがとう! リュン!」
「はい! ファウスティーナお嬢様!」
こっそり覗き見ているのがバレたのに、可愛い笑顔でお礼を言われたリュンはそのまま返事をしてしまった。
ニコニコと子豚のマグカップを今日から使おうと決めたファウスティーナは知らない――
「……お嬢様の部屋の前で何をなさっているので?」
「リ、リンスー!?」
ファウスティーナに頼まれた便箋を用意したリンスーが、扉の隙間から中を覗き見しているリュンに向けて、般若の面をしていたことを。
*ー*ー*ー*ー*
机に向かい、薔薇柄の便箋を広げて羽ペンを走らせていく。前のファウスティーナは、誕生日パーティーに来ない理由は何故かと延々と書き綴っていた。今回はパーティーそのものがない。文章は丁寧に、多忙な王太子に時間を取らせないよう簡潔に書き綴った。便箋を綺麗に三つ折りにし、お揃いの封筒に入れた。
「よし。リンスー。封蝋を押して、王太子殿下宛に届けて」
「はい」
手紙をリンスーに渡した。
リンスーは一礼して部屋を出た。
リュンに貰った子豚柄のマグカップを持ち、ソファー前のテーブルに置かれたオレンジジュースの入ったピッチャーを持った。
オレンジジュースがマグカップに注がれていく。水の注がれる音を聞くと妙に落ち着く。
オレンジジュースを入れ終わり、ソファーに座った。
「美味しい」
オレンジジュースを飲みながら時計を一瞥した。昼食まで多少の時間はある。
目蓋が少し重い。マグカップをテーブルに置いて仰向けになって寝転がった。
「時間になったら起こしてくれるよね……」
睡魔に従順なファウスティーナは眠った。
――眠った筈のファウスティーナは、何故か外にいた。
見覚えのあり過ぎる王城をバックに、人の気配がない緑豊かな場所にいた。
「ここって……」
覚えがあった。
ここは、前の自分が王妃教育が終わった後よく来ていた場所だ。人が殆ど来ない此処は、1人になりたい時打ってつけの場所だった。
ファウスティーナの前に大きな木が生えてある。子供1人隠れられる太い幹。何となく、後ろに回り込もうと足を踏み出した時だった。
『ファウスティーナ嬢』
「!」
横からネージュがやって来た。危うく転びそうになるも踏み止まった。ネージュは幹の後ろにいたファウスティーナの手を引いて表へ連れ出した。
今のファウスティーナが着ている空色の動きやすいドレスとは違う、薄桃色のフリルが多くついたドレス。ベルンハルドの瑠璃色の瞳に少しでも可愛く映りたくて、全く似合っていないドレスをよく着ていた。
確か此処で泣いている所をネージュに見つかったのは10歳辺りだった筈。
ネージュは薄黄色の瞳を濡らしているファウスティーナの目元を、そっと袖で拭った。
『やっぱり此処にいた。前も此処で泣いていたからすぐに分かったよ』
『す、すみません……』
『ううん。謝らなくていいよ。悪いのは兄上なんだから。ファウスティーナ嬢は必死に悪い所を直そうとして、王太子妃になる為に努力しているよ。それを見ないで、君の悪い部分を何時まで経っても根に持ち続ける兄上がいけないのさ。ほら、こんな所で泣いてないでぼくとおいで。ファウスティーナ嬢の好きな甘いお菓子を用意したんだ』
『で、でも、私に気を遣ったらネージュ殿下がまた……王太子殿下に怒られてしまいます』
『そんなのどうでもいいよ。ぼくが勝手にしているんだから。さあ、おいで』
「……」
前の自分の記憶を夢として見ているだけなのに……ファウスティーナは泣きそうになっていた。
「いつもそうだった……私が泣いていると必ず来てくれたのはネージュ殿下だった」
ベルンハルドはきっと知らない。
ファウスティーナがいつもこの場所で泣いていたのを。
時に王妃教育の厳しさに耐えきれず泣いて
時にベルンハルドの冷たすぎる態度に耐えきれず泣いて
王城で泣いて、泣いて、沢山泣いていると、いつもファウスティーナに手を差し伸べて暖かく迎えに来てくれたのはネージュだけだった。
公爵邸で泣いている時来てくれたのはケインやシトリン、リンスーといった、ファウスティーナをずっと見てくれていた人達だけ。……その中に母がいたことは一度もない。
この頃から少しずつ、ベルンハルドとネージュの仲は悪くなっていった。ファウスティーナが絡まないと普段通りなのに。それを言っても、ネージュは「ぼくが勝手にしていることだから、気にする必要はないよ」と微笑みを浮かべるだけだった。
元々仲良しな兄弟の仲を自分のせいで悪くした。心の底から申し訳ないことをしたと、ずっと反省していた。
記憶の中の2人がファウスティーナの前を通った。
『ファウスティーナ嬢の好きなオレンジジュースも用意してるから、沢山飲んでね。後、もう泣いちゃダメだよ。ファウスティーナ嬢の笑顔はとても綺麗なんだから』
『私にそんなことを言うのはネージュ殿下くらいですよ』
『ぼくは嘘は吐かない。ファウスティーナ嬢の笑顔はとても綺麗で可愛いよ』
『……ありがとうございます』
(これがベルンハルド殿下だったらどれだけ良かったか……って思ったんだっけ)
瞳は涙で濡れながらも、ネージュの真っ直ぐな気持ちが嬉しくて前の自分は笑った。
2人の姿が見えなくなるまで見続けようとファウスティーナはそこを動かなかった。だが、何故か他に誰かいそうな気がした。周囲を見回し、上を向いて顔をギョッとさせた。
「え……ええ?」
2階の開いている窓からベルンハルドが見下ろしていた。
初の事実発覚にファウスティーナは何度も瞬きをした。
ベルンハルドの瑠璃色の瞳がかなり険しい。視線は後ろ姿が遠くなった2人に向けられていた。
ベルンハルドの後ろから従者が声を掛けた。何を言っているか聞こえないが、ある程度の読唇術を身に付けているファウスティーナは従者の口の動きで言葉を読み取るが首を傾げた。
「“お茶の用意が出来ました”……。ってことは、殿下はお茶をする筈だったのに、外を見たら大嫌いな私がネージュ殿下と一緒にいるのを見て機嫌を悪くしたってとこかな……」
タイミングが悪いとはこれか。
知らない所でベルンハルドの機嫌を損ねていたなんて、と頭を抱えたくなった。ベルンハルドが何を言うか気になったので視線は外さなかった。
「“そんなもの頼んでない”……。ああ……そりゃあ、ご機嫌も斜めになっちゃうよね」
ベルンハルドはそれだけ言うと窓から姿を消した。
「今日は折角の誕生日なのに、こんなショックを受ける夢を見なくても……ううん、違うか。これを教訓に、ベルンハルド殿下とネージュ殿下の仲を壊すなってことよね。その為にも、早く殿下との婚約を破棄しないと」
片手を挙げ、絶対にやり遂げるぞー! と意気込んだファウスティーナであった。
――という所で目を覚ましたファウスティーナは、目を開けて視界に最初に入ったリンスーに驚き悲鳴を上げた。うっかりソファーから落ちそうになるも、一緒に起こしに来てくれていたリュンに間一髪キャッチされた。
「あ、ありがとうリュン」
「いえ」
「もう、リンスー! ビックリするじゃない!」
「起こそうとしたら、お嬢様の瞼がピクリと動いたので起きるかなと期待してつい……」
「もう……。え、もうお昼?」
「はい。旦那様達がお待ちになっているので食堂に参りましょう」
リュンに立たせてもらい、リンスーにドレスを整えてもらって、ファウスティーナは昼食を食べに向かった。
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