番外編その1
——領地へ出発したファウスティーナやケイン達を乗せた馬車が見えなくなるまで見送るシトリンは、そろそろ戻ると発したシエルに振り向いた。
「シエル様は教会に戻られるのですか?」
「うるさい助祭さんや叔父上がいるからね」
内心先代司祭だったオルトリウスに職務を押し付ける気だったとシトリンは知らない。
「ん?」
見送った馬車とは別方向から1台の馬車がヴィトケンシュタイン邸に向かって来ているのをシトリンが見つけると釣られたシエルも同じ方向を向いた。徐々に鮮明になると知っている御者の顔が見え、シトリンは「あれは確かフワーリン家の……」と呟いた。クラウドがよくケインを訪ねて遊びに来ていた為、御者の顔をシトリンは覚えていた。何だか大層慌てている気がしてならない。城に戻るつもりだったシエルは足を止め、2人の近くで馬車が停車するとフワーリン公爵夫妻とルイーザが慌てて降りた。
「あ、シトリン君! シエル様まで」
「え! 司祭様!?」
最初に降りたアーノルドが車内にいるクリスタに手を差し出しながらシトリンとシエルの名を紡ぐ。シエルの名を聞いてひょっこりと顔を出したルイーザは制止する声を華麗に流し、1人降りるとシエルの側に駆け付けた。紫紺色の瞳を輝かせてシエルを見上げる様は恋をする少女そのもの。年に1度か2度しか会えない慕う人と会えれば誰だって歓喜する。
「おはようございます司祭様!」
「やあ、ルイーザ様。それにアーノルド様とクリスタ様も。3人はまたどうして」
この面子の中にクラウドがいないと気付き、ご長男は? とシエルに聞かれたアーノルドは思い出したようにシトリンにある事を訊いた。
「シトリン君、うちのクラウドが来ていないか?」
「クラウド様? いや、来ていないよ」
「ああ……ということは……」
此処にクラウドがいないと聞かされた途端、頭を抱え出したアーノルドに寄って背中を擦るクリスタ。事情が見えないシトリンとシエルが訳を訊ねると——驚きの内容を聞かされた。
「今朝、朝食を摂る時にクラウドがまだ来ていない事をクリスタが言ったんだ。そうしたら父上が……」
『ああ、クラウドならファウスティーナ様とケイン様が暫く領地で過ごす事を聞いて付いて行ってしまったよ』と何でもない風に告げられたのだ。
いつもの何を考えているか読めないふわふわな笑みを浮かべて。数秒の間、誰も声を発せなかった。イエガーの言ったファウスティーナとケインの領地行に付いて行ってしまった等と、誰がすぐに解せるのか。最初に我に返ったのはアーノルドだ。口振りからしてイエガーは知っていた、知っていたのに止めなかったのは何故だと。問い詰めれば、このままベルンハルドの婚約者がエルヴィラに代わって王太子妃になってしまうと、後継者の座を降りるとケインは宣言した。唯一無二の親友と思っているクラウドはケインが後継者の座を降りるなら自分も降りる、暫く領地へ行くなら付いて行って楽しむと考えた。普通他家の領地に長期間滞在するのは特殊な事情を省いてない。
「早朝に出発したなら、まだギリギリ間に合うのではと思って急いで駆け付けたんだ」
「そ、そうだったのかい……。済まない、僕はケインに何も聞かされてないんだ」
「ケイン様は知っていてクラウドを止めなかったのだろうか」
我が子ながら感情をあまり表に出さないケインの考えはよく分からない。従者のリュンも同行している為、事実を知る者は誰もいない。
「あ」と発したクラッカーに視線が集まった。
「何か心当たりが?」とシトリン。
「は、はい。数日前の事です。書庫室で手紙を読んでいたケイン様をトリシャが見掛けておりまして。その時、大層呆れられた様子でしたのでトリシャがお声掛したら……」
『ケイン様? 如何なさいました?』
『うん? ああ、トリシャ。いや、友達が送った手紙を読んで脱力してるだけ』
『お友達というとフワーリン家のクラウド様でしょうか?』
『当たってる。まあまあ長い付き合いだけど、クラウドが何を考えているか俺にはさっぱり分からない』
という会話をした。
手紙の内容はケイン達の領地行に付いて行く旨が書かれていたに違いない。
「クラウド様の性格を考えて、止めても付いて来るか、それともただの冗談なのか、ヴィトケンシュタイン公子にも計れなかったのかな」と言うシエルの台詞を誰も否定出来ない。
「実際にいなくなってしまっているので、ケイン様達に付いて行ってしまったのは間違いないでしょう……」
「イエガー様だけが知っていたのは、大方、君やクリスタ様に知られれば反対されるのは目に見えていたからだろうね」
「反対するに決まっていますよ! ああ……あの子は本当に祖父によく似ている……」
再び頭を抱え出したアーノルドの背を引き続き撫でるクリスタの表情もどこか諦めている。
イル=ジュディーツィオという、他人の運命の糸に触れてその運命を見られる能力を持つ者は、並大抵の事では動じない精神力ととてものんびりな気質を持つ。細かい事が気になり、他者への思い遣りのある人ではイル=ジュディーツィオの役目は務まらない。
「そういえば、君の叔母様もよくそうやって頭を抱えていたね」
「全くだ。これがフワーリンの特徴と言われると自分の中にも同じ血が流れているせいで何も言えなくなる」
シトリンの発したアーノルドの叔母とは、隣国の伯爵家に嫁いだイエガーの妹を指す。青銀の髪に紫紺色の瞳を持った美しい貴婦人であった。既に故人となっているが、叔母の孫娘が同じ容姿を受け継ぎ、現在は隣国の筆頭公爵家に嫁入りしている。
隣国という言葉を聞いたシエルが思い出すのは1年前。11年前、司祭の座をシエルに譲るなり嵐の如く旅立ち、1年前嵐の如く戻ったオルトリウスが連れ帰ったのがその令嬢だ。理由が理由だけに最初はヴェレッドやメルディアスと一緒になって散々詰り、オズウェルに大層呆れられていた。本人は必死で誤解だと弁解していたのをよく覚えている。誰も彼も違うと分かっていても、オズウェル以外は持て余していた暇をオルトリウスを弄る事で発散し、後で叱られたのは言うまでもない。
『良い歳した大人が3人も揃って年寄りを虐めるんじゃありません!!』と。
「司祭様がいるのはファウスティーナ様やケイン様のお見送りですか?」
今まで空気を読んで黙っていたルイーザがそろそろ口を挟んでも良いと読み、声を掛けたくて仕方なかったシエルに問うた。
「そうですよ。ファウスティーナ様を長く教会で預かっていた身としては、せめて見送りくらいはしたいと」
「女神様の生まれ変わりが王都や教会以外に長期滞在しても良かったのですか?」
「一応、国外にも出てはいけないという決まりはありません。ヴィトケンシュタインの領地なら、何ら問題はないと私や陛下が決めたのですよ」
「私てっきり出てはいけないものだとばかり思っていましたわ」
当のファウスティーナでさえ思っていた。ヴィトケンシュタインの領地に今まで行かせなかったのはシトリンの独断によるもの。『女神の狂信者』は何時だってリンナモラートの生まれ変わりを狙っており、特に王都には連中が恐れるフワーリンとフリューリングがいる為、出来る限り出さないように心掛けていた。領地に行かせなかったのはオールドの存在があってのものだが。
「ファウスティーナ様やケイン様が領地に行ったなら、エルヴィラ様もご一緒ですよね。今度、お母様が開くお茶会にご招待したかったのに残念です」
「エルヴィラ様はお留守番している筈ですよ。でしたね公爵」
ルイーザの疑問に答えたのはシエルで、実際の回答をシトリンに求めた。急に話を振られたシトリンは驚きながらも明確に答えた。ファウスティーナとケインの2人が長期不在になるのにエルヴィラ1人王都の屋敷に残ったのがルイーザには不思議に思うらしく、小首を傾げていた。
「エルヴィラ様寂しくないのかしら」
「寂しくないと言うと嘘になるが、領地は王都と違って娯楽が何もないからね。退屈になって王都に帰りたくなると分かっているから、エルヴィラは行かなかったんだ」
「分かります!」
実際は違うがルイーザの納得した様子を見てシトリンは一安心した。
「クラウドに仕えている侍女が1人屋敷にいないのを見ると同行しているのは明らかよ。連絡は定期的に送るとお義父様は仰っていたから、先ずは最初の便りが来るのを待ちましょう? 旦那様」
「そう、だな……」
クリスタの助言を受けて立ち直ったアーノルドはシトリンとシエルに頭を下げた。
「シトリン君、シエル様。朝早くからお騒がせしてしまい申し訳ありませんでした」
「僕は構わないよ。誰であっても混乱するよ、きっと」
「私も気にしていないよ。まあ、イエガー様の孫らしいと言えばらしいかな」
朝の騒動は終わりを見せ、名残惜しそうに見上げるルイーザの頭を撫でてシエルは自身の乗って来た馬車に乗り込んだのだった。
——同じ頃。離宮で過ごす兄を訪ねてオルトリウスが足を運んでいた。今日は寝ているか、寝ていないか、どちらか。いつも兄ティベリウスに会いに来る時は賭けなければならない。大した用事はない為、寝ていても問題はないのだが。
寝室を訪れると今日は起きていたらしく、クッションを背中に当てて濃い青い本を手に持っていた。
「読書の邪魔をしたかな?」
「いや……」
顔を隠す布を外している為素顔は丸出し。現在の年齢は60代にも関わらず、肌は20代とほぼ同じ。髪の艶だって衰えがない。
国を建て直す為に女神と契約した代償がこれ。妻だった女が知ったら、発狂して襲い掛かっていただろう。呪いの如き願いを曇りがなく純粋な願いとして聞き入れる辺り、女神と人間の基準は大きく異なる。
「ローゼは行ったか?」
「行ったんじゃないかな。今の時刻だと出発した直後くらいだよ」
「そうか」
金の刺繍で題名が刻まれている濃い青の本を見下ろす蒼の瞳に浮かぶのは虚。
映しているようで映していない。
読んでいただきありがとうございます。




