出発③
「よし! 書けた」
書き終えた手紙の内容に不備はないか、誤字や脱字がないかを確認後、封筒に仕舞って封蝋を押すとリンスーを呼んだ。
「この手紙をラリス家のアエリア様に届けて」
「はい!」
リンスーに手紙を渡したファウスティーナは思い切り両腕を伸ばした。時計を一瞥すると自身が思っていたより時間が経っていたと気付いた。畏まった内容は書いていないが手に力を込めて書いていたと知る。
「お嬢様、ファウスティーナお嬢様!」
リンスーと入れ替わるようにリュンがやって来た。その慌てぶりにどうしたのかとファウスティーナが椅子を降りれば、すぐに来てほしいと頼まれた。後ろをひょっこりと見ればケインもいた。
「お兄様も? 一体何があったのですか」
「それがケイン様とファウスティーナお嬢様の領地行きについての話を聞いた奥様が激昂してしまわれて……」
「え」
何故? どうして? と言いたげにケインを見ても首を振られた。
「俺もなんとも。それを知る為に早く行こうか」
「は、はい」
ケインの言う通りで、リュンに頼んで部屋へ案内してもらった。
部屋の前に到着し、リュンがノックをして扉を開ければ、興奮冷めやらぬ状態でシトリンに突っ掛かっているリュドミーラの視線が2人に突き刺さった。大いに眉間に皺を寄せ、怒りの面を隠そうともしない久しぶりな姿にファウスティーナが小さな悲鳴を上げ、ケインはそっとファウスティーナの前に立った。領地行の話を聞いて激昂したと聞いたが何故激しい怒りを露にするか見当もつかない。
室内に足を踏み入れた2人に気付いたシトリンが苦い面を貼り付けていた。
「ファウスティーナ、ケイン。2人とも急に呼んで悪かったね」
「いえ……。リュンに、俺とファナの領地へ行く件で母上が反対していると聞きましたが何故ですか」
リュドミーラを刺激しないよう、言葉を選ぶケイン。
「何故? 何故と聞きたいのは私の台詞です。ケイン、ファウスティーナ。どうしてこのタイミングで領地へ行くなどと思い至ったのです。それも、貴方達が戻るのは貴族学院入学の前と旦那様は仰っていましたが」
「事実ですよ、母上」
「何故……!」
あっさりと認めたケインに対し、尚も色をなして抗議するリュドミーラの勢いは止まらない。そういえば、とファウスティーナはこの場にエルヴィラがいない事に気付いた。
「お父様、エルヴィラは……?」
「エルヴィラには退室してもらったよ」
話の途中でこうなってしまったリュドミーラを見、泣き出し怯えてしまったエルヴィラをトリシャに頼み部屋に戻したのだとか。母に全幅の信頼を寄せるエルヴィラと言えど恐怖を感じてしまうのは仕方ない。
「ケイン。貴方は我がヴィトケンシュタイン家の跡取りであるという自覚はありますか?」
「はい」
「ならどうして……!」
「『建国祭』の夜にも言いましたね。もしも、エルヴィラが王太子妃になる事になれば、俺は後継者の座から降りると」
「エルヴィラが王太子妃になるとはまだ決まっていません」
「だとしても、現状エルヴィラが王太子妃になる確率が非常に高いと母上とて解っている筈です」
『建国祭』の日、姉妹神によってベルンハルドとエルヴィラは“運命の恋人たち”に選ばれてしまった場面を王国中の貴族が目撃してしまった。女神の生まれ変わりたるファウスティーナという婚約者がいようと女神の定めた運命の決定は絶対であり、覆せないというのが一般的な意識。
「王太子殿下以外に、未婚の男性王族がいなければ、女神が決めた運命を覆す羽目には恐らくなっていたでしょう。若しくはエルヴィラを正妃、ファナを側妃にという可能性もあった。ですが現実はそうではありません」
ネージュという第2王子や独身という点なら王弟のシエルがいる。女神の生まれ変わりが嫁げる王族はいるのだ。
「通常であれば、王太子殿下との婚約が無くなったファナはネージュ殿下と婚約が結ばれそうですが……」と途中で言葉を切ったケインの視線はシトリンへ向けられた。話の続きを求められたシトリンは「あ、ああ」と役目を引き受けた。
「現状、エルヴィラは王太子殿下の婚約者にはなれない。姉妹神の決定と言えど、求められる能力や素質の最低ラインをクリアしない限り。リュドミーラ、これについては君も納得してくれたね」
「え、ええ。納得しました。でも、私が怒っているのはそういう事ではありません」
リュドミーラはファウスティーナとケインを見下ろし、納得がいかないのは2人だけで領地へ行くのかという点だった。
「貴方達が領地に行きたい理由は旦那様に聞いています」
「なら」とファウスティーナが声を出すもリュドミーラは強い口調で遮った。
「エルヴィラを除け者にするのはどうなのです」
「お母様。私とお兄様はエルヴィラが嫌いで除け者にしたくて2人で領地に行きたいと言った訳ではありません。仮にエルヴィラに一緒に暫く領地へ行きましょうと誘っても付いて行くと言うと思いますか?」
「それはっ」
誰もが口を揃えて言う。
絶対に行かない、と。
王都を遠く離れ、広大で美しい自然が溢れる領地に行って楽しめるのは精々2、3日の話。日数が過ぎていけばいくだけ飽きが生じ、王都に戻りたいとエルヴィラが声を上げるのは目に見えていた。
「エルヴィラはまだ私と殿下の婚約破棄の件を知りません。なら、少しでも殿下にアピールをする為に王都に留まると主張するのは目に見えていますし、私に対しても敵意を露にします」
ベルンハルドの婚約者は運命の相手として選ばれた自分だと突っ掛かっているのをリュドミーラとて知っており、ファウスティーナの言葉にぐうの音も出せないでいる。
「お兄様もそんなエルヴィラを見てしまえば注意をして、殿下の婚約者になりたいなら現実に向き合わせようと厳しい言葉を掛けてしまいます。エルヴィラが意固地になって癇癪を起こす事も予想出来ます。一旦エルヴィラに落ち着いて現実を見てもらう為にも、エルヴィラの刺激になってしまう私とお兄様が長期的に視界から消えた方がいいと話し合ったんです」
「……」
「決してエルヴィラを除け者にしたわけではありません」
自分達の今後を考えていく上で今まで1度もしてこなかった行動を起こし、違った視点を見つけたくなり、その為にはエルヴィラと物理的に2人同時距離を取る選択肢を取った。今までだとエルヴィラが領地に送られていたものの、結果は乏しい。なら、エルヴィラを王都に置いて行く選択に出た。
ファウスティーナの真剣な訴えをリュドミーラは飲み込むように何度も深く息を吸っては吐いてを繰り返した。いつものリュドミーラなら激昂してファウスティーナの言葉を何倍にも返していた。今回のリュドミーラは違うのだろうか。
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