現実を突き付ける
庭に移動し、よく母とエルヴィラがお茶をするテーブルに着いた3人はそれぞれ席に座った。
「妹君はどうしたの?」
「部屋にいますよ」
拗ねて部屋に行ってしまった旨は言わない。余計な一言を漏らせば必ず食い付かれる。
「お嬢様と坊ちゃんが領地に行くのは俺も賛成。たださ、妹君を領地へ行かせる考えはないの?」
「ありませんよ」
即答したケインは白々しいと言わんばかりに愉快な笑みを浮かべる彼を見つつ、今までエルヴィラを領地へ送っても何の成果もなかったと話した。ファウスティーナやケインがいない分、突っ掛かる時間と気持ちが消えたのなら余裕が出ると期待しても家庭教師との勉強に泣くだけで終わったのだ。貴族学院入学前、王都に戻ってクラス分けテストを受けた結果が毎回物語っていた。下から数えた方が早いと溜め息交じりに零した。
「ぶっちゃけ、司祭様や陛下が許可してくれるかが問題かと」
「問題ない筈だよ。考えてみて、お嬢様が4年間教会で生活を送れたのはどうしてだと思う?」
「司祭様がいるからですか?」
その通り、とヴェレッドは頷く。
「領地や教会へ行くと言っても国を出るわけじゃない。女神の生まれ変わりが国外を出ちゃならないって決まりはないけど、あまりしない方がいいのは確かだ。国外に出ればそれだけ連中の目に届く範囲に来てしまう」
ヴィトケンシュタイン領も教会もどれも国内な為ファウスティーナが王都を出ても問題ではない。但し、側に王族が……というより、腕の立つ者がいないと駄目。王都は警備が厳重な邸内で過ごし、移動も常に万全の状態を保たれていた。教会での生活においてもそう。神官に扮したシリウス直属の部下が常に護衛をし、護衛がいなくてもヴェレッドやシエル等が常にいた。
街へ行ったら何度かシエルを慕う過激な女性に危害を加えられそうになっても無事でいたのは彼等のお陰。
「ヴィトケンシュタインの領地へ行くとなったら、司祭様や陛下が納得する人を連れて行かないとならない、という事ですよね」
「そうなるね。どうせ俺になるんだろうけど」
ヴェレッドが言わなくても本気でファウスティーナが領地行を望むならそうなる。
「私はヴェレッド様が来てくれるなら心強いです」
「あっそ」
「でも、司祭様はよくヴェレッド様に頼み事をしていますし、実際は難しいのかも……」
何をお願いしているかファウスティーナは知らない。この4年間、シエルが何を頼んでいるか訊ねても「大人のお願いなんだ」と向けられるとそうなんだと納得してしまう笑みを見せられるせいで深く訊ねた事がない。ヴェレッドに思い切って訊ねても大人の事情だとしか教えてもらえなかった。
「いいよいいよ。シエル様に扱き使われる回数が減るなら、喜んでお嬢様と坊ちゃんに付いて行ってあげる」
ファウスティーナが心配というより、ヴェレッドの本心はシエルに扱き使われるのを防ぎたい為に領地行に付き合いたいだけ。私情丸出しの理由だが彼らしい言葉にファウスティーナは一縷の望みを見出せた。残る難関は実際に領地行を認められるかどうかであるがヴェレッドを信じる事にした。
「そうだお嬢様。今朝の王太子様の様子、気にならない?」
「殿下の? 聞きたいです」
夜中に会ったばかりのベルンハルドは、睡眠時間が普段より短くても快眠したと言わんばかりの起床ぶりを見せた。謎の悪夢に魘され、顔色が悪く体調不良が続いていたのに、それがまるで嘘のようになくなった。またベルンハルドは王城でヴェレッドと会うなり小走りで駆け寄り、目線を合わせてもらいこう告げてきた。
『昨夜はありがとうございました。お陰でファウスティーナとお互いの本音を言い合えて良かった』
『俺の言った通りでしょう? お互い、腹に抱えたものを話せって』
ファウスティーナがどうしてベルンハルドを避けていたのか、妙にエルヴィラを勧めてくるのはどうしてか、謎がハッキリしたベルンハルドもまた己が抱えていたものを吐き出した。
「1つお聞きしても?」
「なあに、坊ちゃん」
「ネージュ殿下の様子はどうでした?」
「第2王子様?」
ヴェレッドはベルンハルドを王太子様、ネージュを第2王子様と呼ぶ。唐突なケインの言葉に目を丸くしつつ、とても元気になったベルンハルドと食事をして喜んでいたと話す。
「お兄様? ネージュ殿下がどうされたのですか」
「俺が繰り返しをしているのはネージュ殿下が運命の輪を回したせいだ。それも2度も」
ケインにとって現在5度目となる前の4度目、ネージュはエルヴィラこそがベルンハルドの運命の相手だと信じ、行動に移した。最初の1度目の時——つまりファウスティーナにとっての繰り返しの時——エルヴィラばかりを優先してファウスティーナを蔑ろにし続けたベルンハルドに常に苦言を呈していた。兄弟で言い合いになる程。ファウスティーナは心当たりがあるのか、先程までの楽し気な表情は消え、悲し気に申し訳なさげな表情を浮かべた。
「ネージュ殿下はベルンハルド殿下の目を私に向けようと私の為に何でもしてくれました。私が態と殿下を遠ざけ、エルヴィラのところに行かせていると知らず……ネージュ殿下には申し訳がありません」
「2度、3度、までは俺が頼んだのもあってベルンハルド殿下がファナを見る様に協力はしてくれた」
ただ、4度目でもベルンハルドはファウスティーナではなくエルヴィラを選んだ(正確には周りがそうするように仕向けた)
ネージュが2度、3度の時ケインに協力するように4度目ではケインがネージュに手を貸した。ベルンハルドとエルヴィラが“運命の恋人たち”になった時、ファウスティーナがまたシエルの所へ行けるように細工をしていったのだ。
笑いを堪えているのが丸分かりなヴェレッドが「俺もいい? ねえ坊ちゃん——」と言い掛けた、ら。複数の足音が聞こえ、揃って振り向けば母と手を繋いだエルヴィラがやって来た。後ろにはトリシャを始めとする侍女も数人いる。
ギョッとするエルヴィラとファウスティーナやケインを視線に移した後、2人と同じ席に着くヴェレッドを見るなり顔を顰めたリュドミーラ。エルヴィラもヴェレッドの存在を知ると眉間に皺を寄せた。
「まだその失礼な人と会っているのですか! お姉様もお兄様も」
失礼な人は否定しないが会うなり怒るのは違うとエルヴィラを諭すがリュドミーラがエルヴィラを後ろに下がらせた。険しい顔付きでヴェレッドに向く。
「ケインとファウスティーナにどの様なご用でしょうか」
「大した用事じゃない。シエル様のお使い。シエル様の代わりにお嬢様の様子を見て来てって頼まれたんだ」
前々から感じてはいたがリュドミーラはとことんヴェレッドが気に食わないと見た。人を揶揄って愉しむ性格なのは数度対面している為とエルヴィラ経由で既に知られているのかもしれない。警戒心を露わにするリュドミーラをものともせず、ケインとファウスティーナに再び意識が向けられた。
「公爵夫人は、俺がお嬢様や坊ちゃんと関わるのが嫌みたい。お嬢様と坊ちゃんは全然そんな事ないのにね」
はあ、と溜め息を吐いたのはどちらか。相手を刺激すると解ってて態と煽っている。
蟀谷が動いているリュドミーラをこれ以上刺激しては激昂されてしまうと予感し、1人愉しげに笑うヴェレッドを制止を掛けたのファウスティーナだ。
「ヴェレッド様。司祭様にお使いを頼まれていると言ってませんでしたか?」
「そうだけどさあ、シエル様の用事って疲れるの。人を扱き使うのが好きなせいで次から次へと頼んでくる」
「司祭様もヴェレッド様を頼りにしているだけですよ」
シエルにお使いを頼まれていない。態と話題を変えたファウスティーナに言及せず乗ったヴェレッドに内心安堵し、お使いをしてくるよとヴェレッドは席を立った。
「公爵夫人や妹君は俺が気に食わないみたいだからもう行くよ。また様子を見に来るね、お嬢様、坊ちゃん」
「わたしがベルンハルド様の婚約者になれば、1番に貴方の事を罰してもらいますからね!!」
大人しくヴェレッドが帰るなら何も起こらないと安心したのがファウスティーナとケインの間違いだった。エルヴィラは母の横を通って前に出るとヴェレッドに言い放った。口をポカンと開けるファウスティーナは、隣から発せられる絶対零度の冷気によって瞬時に我に返った。慌ててエルヴィラを止めようと立ち上がるも、ヴェレッドが大笑し頭を撫でられた事で動くのを止めた。
涙目になった薔薇色の瞳が呆気に取られるエルヴィラとリュドミーラを視界に入れた。
「あのさあ、妹君が王太子様の婚約者に正式に決まったって公爵様が言っていたの?」
「い、いえ。旦那様も私もエルヴィラにそんな事は……!」
「だよねえ。でもさあ、本人が王太子様の婚約者になったつもりでいるのはどうなの? いくら“運命の恋人たち”に選ばれたと言えど、妹君は王族に嫁ぐ素質ははっきり言ってない」
「なんですって!!」
はっきりと否定され激昂したエルヴィラをリュドミーラが抑えるのを眺めながらヴェレッドは続ける。
「王様、王妃様、シエル様、先代様、ヴィトケンシュタイン公爵夫妻誰1人として妹君が王族に嫁げる素質がないと思ってる」
「う、嘘です!!」
否定をしてほしいと視線でリュドミーラを見たエルヴィラだが——気まずげに眉を下げられ頷かれ言葉を失う。
「だから皆頭を抱えてるの。君がお嬢様と同じか、それ以上に相応しい子だったら誰も困らなかったんだ」
何度もリュドミーラに否定してほしいと願ってもエルヴィラの望む言葉は出されない。瞳に涙を溜め、泣き出しても慰めてはくれてもエルヴィラが求める言葉は出されなかった。
「ヴェレッド様、これ以上は……」と待ったを掛けるとまた頭を撫でられた。見上げた先にある薔薇色の瞳は……一瞬だけ無機質な色を見せていた。ファウスティーナと目が合うといつもの色に戻った。
「じゃあねお嬢様。俺は戻るよ」
「はい……」
一瞬だけ見えたあの瞳が意味するものとは……。
「ファナ」
泣いているエルヴィラをリュドミーラが慰めているのを背景に、ヴェレッドの背を見つめるファウスティーナは自分を呼んだ声にゆっくりと振り返った。
「お茶は俺の部屋でしよう」
「クラッカーさんにそう伝えましょうか」
「ああ。ファナは先に行ってて」と言うなりケインは遠くなった背を追い掛けて行ってしまった。
「——うん?」
次のお使いはなく、戻るには少々早く、道草をして王城へ戻るつもりのヴェレッドの服の裾を誰かが握った。ちらりと下を見やると追い掛けて来たらしいケインが引っ張っていた。
「追い掛けて来たの? なんでまた」
「昨夜話してくれたお祖父様の現状に疑問があります」
「自分の祖父さんが生きてて嬉しくないの?」
「お祖父様について俺個人は何とも。オルトリウス様が麻薬を使ってお祖父様を動けなくするなら、息の根を止めた方が確実に今後余計な真似はしなくなるのに、どうして生かしたのか知りたくなりました」
「直球〜」
真剣なケインに対してヴェレッドは相変わらずな態度を取るが瞳を不敵に細めると膝を折って目線を合わせ、自分がオールドを生かすように言ったと話した。意外だと紅玉色の瞳が丸くなった。稀に見れた表情に満足し、怖い祖父が1人いた方がエルヴィラには丁度良いだろうから、とだけ話すと立ち上がる。
「エルヴィラを牽制する意味でお祖父様を生かしたのですか」
「もしも妹君がまた我儘を言おうとしたら、じいさんを王都に呼び付けるって言えばいい。そうすれば、じいさんが怖い妹君は大人しくなるんじゃない?」
「まあ、効果は短そうですが使えなくはない手段ですね」
エルヴィラがオールドの名前を出され怖がろうとすぐにリュドミーラやシトリンが慰める。ケインの言う通り、効果はあってもすぐに時間切れとなるだろう。
オールドの件についてケインは納得し、ひらひらと手を振るヴェレッドを見送ったのだった。
——城に戻り、オルトリウスお気に入りの四阿に足を運ぶと目当ての人物が1度に2人いてくれた。
オルトリウスとシエルだ。
「お帰りヴェレッド」
声を掛ける前にシエルが存在に気付いた。
「ただいま」
「様子はどうだった?」
「超元気とは言えないけど、夜中に王太子様を連れ出した甲斐はあったよ」
「そう」
昨夜ベルンハルドを連れ出しファウスティーナに会わせようと提案をしたのがヴェレッド自身。ただ、連れ出す相手が相手なだけに一応シエルの許可を得ておこうと事前に話を通していた。(ヴェレッドにとっては)運悪くシリウスもその場にいて、周囲にバレないなら良いと見て見ぬふりをされたのだ。
「ところでお嬢様と坊ちゃんに相談されたんだ。2人とも、妹君と距離を取りたいからヴィトケンシュタインの領地に行きたいんだって」
「エルヴィラ様をじゃなくて?」
「そう。妹君じゃなくて、お嬢様と坊ちゃん」
領地に行くくらいならまた教会に戻ればいいと言い掛けたシエルは一旦言葉を飲み込んだ。ファウスティーナが希望しているのはケインと共にヴィトケンシュタインの領地に行く事。『女神の狂信者』の目が何処にあるか分からない現状、無暗に王都を出て行かれるのは拙い。王家直属の護衛を付ける必要がある。
「ふむ……なら、私が2人に付いて行こうか」
「駄目に決まってるでしょうシエルちゃん。教会の司祭の仕事はどうするの」
「折角王都に戻ったのなら、もう1度司祭をしましょうよ」
「ちゃんと仕事しなさい!」
「えー?」
「ローゼちゃんの真似しないの!!」
「全くもう!」と呆れ果てるオルトリウスは溜め息を吐き、ファウスティーナとケインの要望を叶えてやるならやはり王家直属の護衛が必要になると話し、ヴェレッドを見上げた。
「適任はローゼちゃん、かな。行ってくる?」
「どうせ、俺が行けって言われるのは分かってたよ。シエル様に扱き使われなくなるから行ってもいいよ」
代わりに扱き使われるようになるのはメルディアスとなるだけ。
「ファウスティーナちゃんやケインちゃんじゃなく、エルヴィラちゃんでは駄目なのかい?」
「本人達が行きたいって言ってるんだ。妹君に言ったら、王太子様に会えないってギャン泣きしちゃうよ?」
容易に浮かぶ光景にどちらも溜め息を吐くしかなかった。
読んでいただきありがとうございます。




