最後にわらったのはーー33
真摯な態度と言葉は、いつかの時のベルンハルドと同じ。同じで当然だ。同じ人なのだから。必ず女神が決めた運命を否とし、もう1度ファウスティーナの婚約者になれる様になると言い切ったベルンハルドに対し、ファウスティーナの方は次の言葉が出せずにいた。運命を否とすると決めたベルンハルドの為に自分がすべき事は何かと考える。ただ待っているだけでは駄目。自分で考えて動かないと。暫し口を閉ざしていたファウスティーナは意を決した。
「私も。私も、もう1度殿下の婚約者になれる様に私なりに方法を見つけてみます。待っているだけでは、きっと駄目な気がするんです」
「ファウスティーナ……。うん。ありがとう」
婚約破棄を願っていた自分とはもうお別れにしないと新しい1歩は踏み出せない。ふとベルンハルドと視線が合った時だ。扉が控え目に叩かれた。驚いた2人が向けば、少しだけ扉を開けたヴェレッドが隙間から顔を出した。
「王太子様。そろそろ時間だよ」
「分かりました」
時計を見れば随分と2人で話し込んでいたと発覚。お互い顔を見合わせると笑い合う。
「あの人が機会をくれるなら、またこうやって会いに来てもいい?」
「真夜中だと殿下が寝不足になってしまうのでは」
「ファウスティーナに会えるなら、寝不足なんてどうという事はない。寧ろ、ファウスティーナこそ大丈夫?」
「私は慣れていますから平気です」
「慣れ?」
教会に移り住む前から、日常的に真夜中の不法侵入者と会話をしていたファウスティーナにとって苦ではない。うっかり口を漏らし、何でもないと誤魔化した。
再度ヴェレッドに促されたベルンハルドが腰を上げたらファウスティーナが呼んだ。無防備な手を自身の両手で包み込んだ。自分より少し大きな手は、大人になったらもっと大きくなると知っている。心臓の鼓動が早い。口を開けば心臓が飛び出してしまうのでは、と思ってしまうくらいに。最後に自分自身の気持ちを伝えるかのように——
「またこうやって手を繋いで一緒に色んな場所に行きましょう。——ベルンハルド殿下」
心の底から沸き上がる相手を想う気持ちを乗せた笑顔は、顔が真っ赤なせいで台無しになっているだろう。それでも、どうしても、漸く名前で呼べたベルンハルドに見てほしかった。
「……」
ベルンハルドの反応がなくて急に不安に陥ると、ハッとなった彼の面が見る見る内に赤く染まっていく。ランタンの灯りがあるとは言え、薄暗い室内なのにベルンハルドはファウスティーナ以上に赤い。
そして瑠璃色の瞳は気付かぬ間に涙を流していた。
「で、殿下?」
「え、あ、ご、ごめん。ファウスティーナに名前を呼んでもらえて嬉しいんだっ。ただそれだけなのに、泣くなんておかしいよねっ」
どうして泣いてしまうのか自分自身分かっていないベルンハルドは袖で目元を拭って無理矢理涙を止め、自身の手を包むファウスティーナの手にもう片方の手を乗せた。
「僕も同じだ。ファウスティーナともっと色んな場所に行きたい。絶対に」
「はい!」
お互い手を強く握り合った。此処で交わした約束を必ず果たすと誓わんばかりに。
名残惜しいが時間は迫っており、そっと手を離すと不意にファウスティーナが声を出し、ベッドを離れると机の許へ。引出しを開け、中を漁っていると「あった」と何かを見つけたらしく、手に何かを乗せてベルンハルドの側に戻った。
「殿下。これを殿下に」
ベルンハルドが見せられたのは青色の紙に包まれた飴。『建国祭』の露店で引いた一見普通の飴。飴を手に取ったベルンハルドに飴屋の主人が人間の振りをした運命の女神フォルトゥナだと伝えると大層驚かれてしまう。
「女神が人間の振りをするなんて」
「私も先代司祭様に聞いて初めて知りました。どうして飴屋の主人に扮していたかは分かりません。先代司祭様曰く、待っている人間がいるとの事でした」
「大叔父上は女神様に会った事があるんだ……」
ファウスティーナもオルトリウスに聞いて初めて知った際には、驚きが強すぎて現実味がなかったと思い出す。
「私が青だと思う人に渡したらいいとフォルトゥナ神は仰っていました」
青はベルンハルドの瑠璃色の瞳を指していると信じ、開かれた掌に飴を乗せた。
「今食べてみてもいい?」
「はい」
丁寧に包みを剥がし、口に放り込んだベルンハルドは舌で飴を転がす。
「どうですか?」
「不思議な味がする。不味くはないけどすごく美味しいって訳でもない。似ている味も上手く言えないや」
以前“運命の恋人たち”にされたベルンハルドとエルヴィラの結ばれた糸をクラウドが引き千切る際、ファウスティーナが持っていた黄色の飴を食べた時も同じような感想を述べていた。人間が作った飴ではないから、味の判別が難しいのか。
飴を食したベルンハルドに変化はないかと訊ねるが特にないと返された。クラウドに変化があったのは能力持ちだからという可能性が高い。
「不思議な飴だったけど、何だか元気になった気がするよ」
「本当ですか? 良かった」
「ありがとうファウスティーナ」
「お礼なら、私よりフォルトゥナ神に」
「もしも、会える日があるなら」
飴のお礼とファウスティーナ以外の人と運命を結んだ恨みの両方があるものの、後者の方は自分自身の力で打ち勝って、会える機会があるなら言ってしまいたい。
秘密の逢瀬が終わり、先を歩くヴェレッドの後を付いて行くベルンハルドはずっと自身の手を見つめていた。時折前を歩くヴェレッドとぶつかりそうになるも何も言われない。きっとあの時の場面を見ていただろうに、人を揶揄う絶好の機会なのに意外にもヴェレッドは揶揄ってこない。無言で城を目指すだけ。
それがベルンハルドにとって幸いだった。11年間生きていた中であの瞬間は、永遠に忘れられない幸福な時間となった。
見る者を幸福に導く純美な笑顔を向けられた事がない訳じゃない。ファウスティーナが心底信頼する人達に比べると物足りなさを感じていた。
あの時ファウスティーナに名前で呼ばれた瞬間ベルンハルドの中で誰かが泣いて——笑った。
脳裏に過った光景には、無数の赤い糸で縛られた大きくなった自分がいて。ファウスティーナに名前で呼ばれた直後無数の赤い糸は消え去った。解放されたもう1人のベルンハルドは涙を流しながら……救いの笑みを見せ、何かを呟いた後光景は消えた。何だったのかと疑問になりつつ、急に体が軽くなった。
「本当に何だったんだろう……」
「どうしたの」
「あ、いえ。何も」
心の中で呟いたつもりがしっかりと声に出ていて、前を歩く彼に問われると誤魔化した。
体が軽くなっただけじゃない、心まで解放された気分を味わう。『建国祭』当日の日でさえ、悪夢に魘され寝不足が祟ってしまったのに、蓄積された疲労が全て吹き飛ぶ程の全快振りに驚きを隠せない。ひょっとするとファウスティーナに貰った飴のお陰もあるかもしれない。
「王太子様、お嬢様に名前で呼んでもらって嬉しそう。興奮して眠れなくなっても知らないからね」
「ちゃんと寝ます!」
揶揄ってくるが声色には人を小馬鹿にする色がなく、気のせいかシエルが甥を気に掛ける声に似ている。一緒にいるから移ったのだろう。
見つめていた手をギュッと握り締めた。
光景に映った大きくなった自分が何なのか、どうして無数の赤い糸で縛られていたのか分からなくても、最後に笑ったあの姿を見て救われたならそれでいいと思えた。
ファウスティーナともう1度一緒にいられるように、最後まで笑い合えるように、明日から気持ちを切り替えて努力をしようと決意。
——なのだが、ベルンハルドは急に止まったヴェレッドにぶつかった。立ち止まった理由が余所見をしたまま歩くベルンハルドならぶつかってくるだろうという意地の悪い笑みで言われ、折角の気分が台無しになったのは言うまでもない。
読んでいただきありがとうございます。




