最後にわらったのはーー32
2人きりにさせて、邪魔者は退散とばかりに部屋を出たヴェレッドは付いて来たケインに戻るの? と訊ねた。敢えて何処へ? とは出さず。
「戻りますよ。真夜中に騒ぐ真似は、ファナも殿下もしないでしょう」
「まあね」
「どうして殿下を此処に?」
「さっき言った通り」
婚約破棄が決定になってしまった以上、あの2人は気軽に会えなくなる。最後に1度、お互いの本心を曝け出せば、誰かさん達が辿った未来とは別の未来が来るきっかけになるのではと愉しく笑う。
「そうですか」
「そうそう」
「なら、ファナと殿下に賭けるしかないですね」
「そうだ」と発したケインは迷いない足取りで自身の部屋の前に着いた。灯りもなく歩けても驚きはない。
「もしも、ファナと殿下がやり直せるなら、どうにかしたい事が幾つかあるんですが」
「妹君?」
「それもあります。ただ……」
「ああ……連中ね」
言い淀んだケインに察したヴェレッドが『女神の狂信者』に触れた。頷いたケインは『女神の狂信者』の正体をヴェレッドなら知っているのではと問う。1番知っていそうなのが彼なのだ。
「一言で言うなら横恋慕野郎さ」
「横恋慕?」
「そう。リンナモラートに魅了され、愛の告白をしたけど振られちゃったんだ。リンナモラートに憎しみを抱いて殺そうとしたが失敗。フォルトゥナにえげつない呪いを掛けられた以降は知らない」
何時の話なのかと問われたヴェレッドは初代国王の時代だと告げた。暗くてよく見えないがきっとケインは瞠目している。愉し気に笑った後独り言を零した。
「いい加減……本格的に調べないといけないか」
●○●○●○
「2人でゆっくり話しな」と言い残し、部屋を出て行ったヴェレッドと同意したケイン。所在なさげにしていたベルンハルドがカボチャの形をしたランタンを床に置いた。部屋を出る間際のヴェレッドに渡されたランタンだ。
ベルンハルドの顔をチラ見した。太陽が顔を出している時間帯ならよく見えただろう顔は、橙色の光に照らされると酷く落ち込んでいるように見える。ヴェレッドが此処に連れて来たのは、気軽に会えなくなってしまう以上、最後に思い切って話し合わせる為。気を遣って2人きりにしてもらったがどちらも最初の言葉を探して中々会話が始まらない。
念願だった婚約破棄が漸く訪れたというのに、嬉しさなど微塵もない。
「……ファウスティーナ」
ファウスティーナを呼んだベルンハルドの声はとても弱弱しく、普段の声を知っている者が聞いたら驚くだろう。
「ヴィトケンシュタイン公爵から……もう聞いてるよね」
「はい……」
「婚約破棄、か……。僕も、ファウスティーナも、何も悪い事はしていないのに、なんで……こうなってしまったんだろう」
王国は運命を信じる。王国が崇拝する姉妹神が選んだ“運命の恋人たち”は幸福の象徴なのだと誰もが信じる。結ばれた相手がエルヴィラなのはどうしてか、ファウスティーナじゃないのはどうしてか、とずっと考えていると力なく零したベルンハルドは心の底から落ち込んでいる。
婚約破棄になった経緯も知っており、フォルトゥナ神が決定した運命を否とするなら、人間は代償を払わないとならない。エルヴィラに運命を否とする理由がなく、ベルンハルドにある以上、ベルンハルドに大きな負担が強いられる。それが今回の婚約破棄。
「殿下……もしも、の事を想像してみてください」
「もしも?」
「もしも、エルヴィラがこのまま殿下の婚約者になるという想像です」
“運命の輪”を見る前までのファウスティーナなら考えるまでもなく想像し、運命によって結ばれた2人が婚約するなら両手を挙げて賛成した。
今は違う。
ファウスティーナに促されたベルンハルドは「想像なんてしたくない」と拒否を示した。
「僕はファウスティーナとこれからもずっと一緒だって思っていたんだ。それがこんな事になって……」
「フォルトゥナ神が決定した運命を否とする代償が婚約破棄以外にないなら、私は受け入れるしかないと」
「僕だってそう思おうとした。でも駄目だった」
共に笑い合い、手を取り合って生きていく相手はずっとファウスティーナだと信じていたベルンハルドにとって、今更他の相手と……等考えられなかった。エルヴィラの事はファウスティーナの妹だからよく知っている。もう周りに言われなくても自分を慕ってくれていると知っている。
だけど、とベルンハルドはエルヴィラに申し訳ない気持ちはあれど婚約者になってほしい気持ちが一切ないと断言するのだった。
「自分に好意を持ってくれている人を拒絶するのはすごく辛い。この苦しさから解放されたかったら、エルヴィラ嬢を選んでいた」
「殿下は……エルヴィラを選ばないのですか……?」
「選ばない。僕はファウスティーナを選びたい。いや、選ぶ」
真っ直ぐ自分を見つめる瑠璃色の瞳に宿る意思の強さに嘘偽りはない。ベルンハルドの正直な気持ちに瞳を揺らすファウスティーナだが、目を逸らしては駄目だと自身に言い聞かせ、覚悟を決めた。
「殿下。私の話を聞いてくれますか?」
7歳の時、高熱で倒れた際に夢で見た話と前提した上でファウスティーナは、過去の行いをベルンハルドに話した。
父に未来の旦那様だよ、と見せられた肖像画を見た時から会うのを楽しみにしていた事。
初めてベルンハルドが屋敷に来る日、自分では似合わないエルヴィラが好むデザインの服を着てベルンハルドが待つ部屋に行くと、部屋で待つよう言われていたエルヴィラが先にいた事。
ベルンハルドと談笑するエルヴィラに怒り、追い出したファウスティーナはベルンハルドに妹を泣かせる冷たい人間と嫌われてしまった事。
ベルンハルドに嫌われ、母の愛情を独占するエルヴィラが憎くて度々彼女を虐め、その度に関係が険悪になった事。
貴族学院に入学してもそれは変わらず。ベルンハルドの気持ちを取り戻すにはエルヴィラがいなくなればと考え、エルヴィラの殺害計画を企てるも失敗。これを理由に婚約破棄をされ、公爵家を追放された。
夢で見た体でファウスティーナがした過去の一部分を語り終えた。最後まで黙って聞いてくれたベルンハルドは困り顔を浮かべていた。
「ファウスティーナがそんな事をすると僕は思えない」
「夢のお陰なんです。夢を見る前の私は、夢の通りの人間でした」
母が好むデザインはファウスティーナには似合わないのに、着ていればエルヴィラのように可愛いと褒めてくれると信じていた。厳しい勉強も淑女教育も頑張れば褒めてもらえると信じていた。
結果は叱られてばかりで、もっと上を目指せと言われ続けた。
妹のエルヴィラは泣くだけで勉強を休み、母と2人でお茶をし、時に買い物へ出掛けた。ファウスティーナも同じようにしたいと言えば、そんな時間はないと叱られるだけで終わった。
「私はエルヴィラが羨ましかった。お母様に愛されて、何でも許されるエルヴィラが」
「ファウスティーナ……」
「夢を見ずに殿下と会っていたら、きっと私は夢のようにエルヴィラを追い出していました。そして……きっと殿下に嫌われていました」
本当は夢じゃない。過去に起きた実際の出来事と知るのは、此処にいる人で限るとファウスティーナのみ。
「夢の世界で見た殿下は、エルヴィラといると幸せそうに見えました。夢を教訓にして私は殿下の幸せを優先にして、殿下の幸せはエルヴィラと結ばれる事なんだと考えたんです」
「もしかして、初めて会った時に好きな人が出来たら婚約破棄って言っていたのも、夢を見たからだったの?」
初めて出会った時は同じ間違いを繰り返さないと意気込んだせいで空回りをしてしまった。突然初めて会った婚約者に言われたベルンハルドはかなり驚いていたのを思い出し、申し訳なくなった。
幸いエルヴィラは夢で見た通りベルンハルドに好意を抱いた。後は、ベルンハルドにどうエルヴィラを好きになってもらえるかを考えて来た。4年前までの自分なら、婚約破棄を喜んで受け入れた。これでベルンハルドはエルヴィラと結ばれて幸せになり、エルヴィラを害そうとしなかったファウスティーナは公爵家を追放されない。誰も不幸にならないハッピーエンドを迎えられたと信じた。
「今は違います。殿下と婚約破棄になったと聞いて全然嬉しくありませんでした」
「嬉しいって思われたら僕も複雑だったかな……。ねえ、ファウスティーナ。僕の話も聞いてほしい」
「殿下の?」
ベルンハルドによるとファウスティーナと初めて会う日、馬車でヴィトケンシュタイン公爵家に向かっている時に抱いた気持ちを明かした。ファウスティーナと同じでベルンハルドも自身の婚約者を肖像画でしか知らなかった。
初めて見たのに、初めて見たと思えなかった。ずっと前から知っていたような感覚が生まれたと聞き、繰り返しの影響がベルンハルドに少なからず出ているのだとファウスティーナは予想するも、今は黙ってベルンハルドの話に耳を傾けた。
「馬車で向かっている時、どんな子なのかなって考えていたら、僕は今度こそ間違えてはいけないと強く思ったんだ」
何を間違えるのかと聞かれると分からず、漠然とした気持ちにもやもやしながらファウスティーナに会いに行ったのだと苦笑しながら話される。結局、ファウスティーナが高熱を出して倒れてしまった為、初めての顔合わせは延期された。
「今でも何を間違えてはいけないのか分かってない。唯一分かるのは、ファウスティーナに嫌われたくないって事」
「私が殿下を嫌うなんて」
「ファウスティーナが見た夢や僕が感じた危機感は、きっと気のせいなんかじゃないんだ。ファウスティーナや僕がそれのお陰で間違えずに済んだのなら、意味が分からなくても少しは感謝するべきかもね」
「殿下……」
まさかベルンハルドが4年前にその様な感覚に生まれていたとは露程も予想していなかったファウスティーナは驚く。お互いが見たもの、感じたものが偶然とは言い難い。
会話が途絶えてしまった。お互い、まだまだ話したい言葉が沢山あると感じ取れるのに、肝心の言葉が出て来ない。段々重くなる空気に危機感を覚えたファウスティーナは「そういえば、ヴェレッド様はどうやって殿下を此処まで連れて来たのですか?」と思い切って内容を変えた。
「え、あ、ああ。あー……」
一瞬戸惑いを見せたベルンハルドはすぐに意味を察したが、表現が難しいのか言葉を探していた。
「ごめん……あの人に内緒って言われたんだ。ファウスティーナに話したら、もしも次の機会があったら連れて来ないって言われた……」
「そうですか……」
ヴェレッドの事だから口止めしていると予想していたら案の定であった。長年気になっていた侵入方法を漸く知れるチャンスだと期待していたがショックはあまり受けていない。
「ヴェレッド様が突然殿下を連れて来て吃驚しましたがこうやってお話が出来て良かった。これからは、こうやってお話が出来なくなりますから」
真意はどうであれ、気を利かせたヴェレッドがベルンハルドを部屋に連れて来たお陰で今まで話せなかった事を話せた。満足感を得るファウスティーナに対し、ベルンハルドは真剣な面持ちを見せ姿勢を正してファウスティーナを呼んだ。
ファウスティーナも釣られ姿勢を正した。
「もう1度ファウスティーナを婚約者にしたいなら女神が決定した運命を僕自身で否定しろって、あの人に言われた」
「ヴェレッド様が?」
「うん。運命を否定するのは容易な事じゃない。受け入れた方が楽でエルヴィラ嬢も僕と婚約するならきっと公爵令嬢らしくなるんじゃないかとも言われた」
ファウスティーナが思い出した過去やケインが繰り返してきた過去を顧みてもエルヴィラの勉強不足はどの回でも同じであった。子供の今が絶好の機会と言われても微妙な気持ちになる。
「殿下はヴェレッド様に何と?」
「女神の運命を否定してもう1度ファウスティーナの婚約者になれる様になる。エルヴィラ嬢には申し訳ない気持ちはあるよ。これだけは譲れない」
婚約者はただ1人。誰の目から見ても分かる程好意を寄せてくれるエルヴィラだろうと、選ぶ権利はベルンハルドにあり、彼が選ぶのはファウスティーナだけだ。
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