最後にわらったのはーー㉙
誰にもバレないよう教会へ行ったのなら、戻る時もバレないように戻った。
帰りの馬車内は一切会話がなく、重い沈黙に包まれていた。俯いて何も発さないファウスティーナを心配げに見つめていた新緑色の瞳は、宙を見つめ無言を貫くケインを映した。
「公子……」
ケインは緩く首を振る。話を聞いてくれる意識だけは残してくれていた。
「……お兄様……」
上層礼拝堂の地下を出た時から無言のファウスティーナが小さな声でケインを呼び、袖を頼りない力で握った。
「私……どうしてずっと殿下はエルヴィラと結ばれるべきだと、エルヴィラが殿下の運命の相手だと思うのは……前の記憶を取り戻して、幸せな2人の姿を見続けていたからだって思っていました」
「うん」
「実際は違いました。私が殿下と一緒にいたら、殿下が不幸になってしまったんです」
ファウスティーナが“運命の輪”を見た直後に思い出したのは、7歳で高熱を出して寝込んでいた時に見ていた夢と同じで全く違った。初対面でやらかしたのは同じ、努力を重ね王妃の力を借りて悪い部分を直してもベルンハルドが認めてくれなかったことは同じ。以降は記憶の欠片を思い出す程度で詳細は分からず、貴族学院入学以降の記憶しかない。
11歳の時城でベルンハルドと言い争いになって、その時ベルンハルドの言葉で深く傷付いたファウスティーナを偶然登城していたシエル達に保護された下りはケインに聞いて知り、全てを思い出した後はファウスティーナ自身で話した。
「司祭様はとっても殿下に怒っていました。私がお母様やエルヴィラを気にしないようにするのと一緒に殿下への気持ちが消えるように。お兄様も知っての通り、お母様やエルヴィラへの関心や拘りはすぐに捨てられました。殿下だけは駄目でした。司祭様やヴェレッド様が殿下からの関わりを断ってくれても……」
「うん」
「貴族学院に入学する時公爵家に戻ったのはお兄様が言っていた通りです。教会から王都まで毎日通学するのは時間的にも大変なので」
公爵家に戻る前、シエルがシリウスと会わないとならず、1度王城へ行きファウスティーナだけ離宮で待っていた。関係者以外立ち入り禁止の離宮は王族であっても容易に足を踏み込めない。護衛の騎士と共にシエルを待っていたら、立ち入り禁止の筈の離宮にベルンハルドが来てしまった。ファウスティーナが離宮にいると耳に挟み急いで。
「殿下とは何を?」
「殿下は今までのことを全て私に謝罪しました」
ファウスティーナと最初からやり直したいこと、今後は決して自分だけの目で相手を見ないこと、エルヴィラと関わらないことを言われた。シリウスやシエラに見捨てられ、エルヴィラを婚約者にされれば王太子妃の役割を熟せないと危機感を抱いたからでは? と当時のファウスティーナは指摘しベルンハルドの謝罪もやり直しを受け入れなかった。
「俺の知ってる今までと同じ。ファナはその後どうしたの?」
「貴族学院に入学後も殿下は何度も私に謝って最初からやり直したいと言いました。毎日毎日謝罪されては、私も参ってしまって。殿下に諦めてもらうつもりで条件を付けました」
ファウスティーナが提示した条件とは、ヴィトケンシュタイン家を訪れエルヴィラと会おうと挨拶以外一切の会話をしないこと、エルヴィラがベルンハルドに見向きもされずファウスティーナやケインに助けを求め断られ泣いて走り去っても追い掛けないこと、数日置きにお茶をする席を設けファウスティーナの話す内容を全て覚えること。他にもいくつか出したが大きいのがこの3つ。どうせできはしないと出した条件をベルンハルドはあっさりと受け入れてしまった。
「エルヴィラ云々については多分殿下は実行しただろう。で、最後のファナの話。抑々当時のファナが殿下に話したいことってあった?」
「……ないです」
ヴィトケンシュタイン家に訪れたベルンハルドを昔と変わらず出迎えたエルヴィラは、挨拶をされるだけで見向きもしてくれないベルンハルドの変化に戸惑い涙を流した。呼ばれたファウスティーナが来て淡々とベルンハルドの対応をしている最中もめげずに居座ったものの、誰にも相手にされず昔と同じように泣いて走り去った。ベルンハルドなら追い掛けて行くだろうとファウスティーナは予想していたのに、彼は追い掛けなかった。
『ファウスティーナとやり直したい。あれは冗談なんかじゃない。私の本心だ。ファウスティーナが私を信じてくれるようになるまでどんな要求だって受け入れる』
お茶の席に着いたところでファウスティーナは何を話そうか、と何も考えていなかった。
ベルンハルドを信じていなかった。その気持ちが大きくて何も。
「私の話を聞くことを要求されたのに、当の私が何も話さないなら、殿下は諦めてくれるんじゃないかと期待しました……」
「俺の知ってる殿下は諦めが悪いよ」
「私も同意見」
「はい……無言のお茶会が何度もありました」
ベルンハルドの方もファウスティーナが自分では無理だと思われて指定した条件だと感じていた筈。ファウスティーナが気まずそうに黙っていようと何も言わず、出されたお茶を無言で飲んでいた。
「手紙は?」とケインに問われ、子供の時に書けた枚数が多く長い手紙は書けないと当時を思い出しながら苦笑する。
「殿下と話せないなら、手紙にだって書けません。諦めが悪くてもいつか殿下が折れてくれると当時私は思いましたが全然です」
回数を重ねていくと段々と話すようになった。教会で暮らしていた話、南の街と王都の違い、教会関係者のこと、少しずつゆっくりと。どんな小さな内容でもベルンハルドはファウスティーナの話を聞き続けた。信じてみようと気持ちが動き始めたのもそれから。
「殿下と最初からやり直すと決めたのは、確かその年の『建国祭』でした」
今と変わらず昼は『建国祭』を祝う王都で露店巡りをし、夜は城で記念日を祝うパーティーに出席。1度会場を離れ、外の冷たい空気を吸っている時にベルンハルドはやって来た。
改めて4年間のことを謝罪され、ファウスティーナともう1度最初からやり直したい旨を伝えられた。
もう1度信じてみたい気持ちがファウスティーナにはあり、貴族学院在学中に1度でもベルンハルドを信じられなくなったら婚約解消を条件に受け入れた。
最初にやり直したいと言った時からのベルンハルドの変化は大きい。
初対面の時から見せていた嫌悪溢れる表情、毛虫を見る冷たい瞳、ファウスティーナの声を遮る冷酷な声色が消えた。
いつか綻びが生じ、元の関係に戻って無かったことになるかもしれない。心の片隅で考えていたファウスティーナは、エルヴィラが入学してからも変わらないベルンハルドを段々と信じていった。
「エルヴィラは、ファナに絡まなかったの?」
「絡んできましたよ。屋敷にいても学院にいても」
ずっと嫌われていたファウスティーナが貴族学院に入学して以降、ベルンハルドはヴィトケンシュタイン家を訪れエルヴィラが出迎えても挨拶しかしてくれず、その後はずっとファウスティーナとだけ会った。エルヴィラが2人のいる場所へ突撃したら冷たく追い帰され、今まで止めなかったリュドミーラにまで注意を受けて部屋に閉じこもった始末。よく知っている現実なだけにケインは遠い目をして溜め息を吐いた。
「俺の知ってるエルヴィラと同じ」
「お兄様も同じでしたよ。私やエルヴィラ、殿下に容赦がないところは全然変わっていません」
「そう?」
「今こうしてお兄様とお話して違和感を感じないんです。お兄様は繰り返しをする前と後、変わったところはありません」
ケインにだけ抱く信頼や安心感は、ファウスティーナにとっての最初のケインと何1つ変わっていない為持てる。1つでも変わった部分があれば、記憶を思い出し違和感を覚えただろう。
「ファナ」と無表情ながらも声色に強みが増したケインに呼ばれ、背筋を伸ばしたファウスティーナは何を言われるかと身構えた。
ケインが問うたのは何故ベルンハルドの運命の相手がエルヴィラなのかということ。
「地下にいた時に言っていたね。ファナは3度繰り返しても殿下を助けられなかったと。それがエルヴィラだと殿下を救えるのは何故?」
ファウスティーナが“運命の輪”を使った理由。
ベルンハルドの死。
死んだ原因についてだが……。
「ごめんなさい……1番大事なところを思い出せてなくて……」
ふむ、と誰かが零す。
「ファウスティーナ様にとって強いトラウマになっているから、身体が思い出さないようにしているとか?」とアエリアに出されハッとなる。運命の繰り返しをすることで阻止したい未来はベルンハルドの死。原因たるベルンハルドの死を思い出せないのは痛いがファウスティーナの精神面を考えると妥当だ。
「エルヴィラしか殿下を助けられない理由についても思い出せません。ただ、フォルトゥナ神にこう言われました」
“運命の輪”を使い、運命を繰り返しても失敗するファウスティーナにフォルトゥナはベルンハルドが助からない理由をルイスではないからだと言った。
「どういう意味?」
「リンナモラート神の生まれ変わりが生まれるように初代国王ルイス=セラ=ガルシアの生まれ変わりもまた生まれます。フォルトゥナ神は、殿下が私の婚約者に選ばれたのは、誕生の洗礼で女神像が反応したからだと仰っていました」
女神の像が反応=王子の運命の相手がいる。
王族の運命の相手は女神の生まれ変わりである確率が非常に高い。
「女神の像が反応したのに殿下はルイスの生まれ変わりではなかった。女神が誤審をすると思えませんが……」
「詳しくは教えてもらえてません。女神の生まれ変わりと結ばれるのはルイスの生まれ変わりだけで、殿下を助けられないのは殿下がルイスの生まれ変わりではないからです。ルイスの生まれ変わりが誰かもフォルトゥナ神は教えてくれませんでした」
「女神が把握していないってこと?」
「知ってはいるみたいでした。何処の誰か言えない“誓約”を交わしているって」
「誓約……」
「……」
ファウスティーナとアエリアがフォルトゥナやルイスについて言葉を交わしている最中、無言のケインは御者席で会話を聞いているであろうヴェレッドをそっと見やる。後姿だけでは変哲もない。前に回り込めば少しは変化を見られるのだろうか。
「ルイスの生まれ変わりについては一旦置きます。問題なのは、ベルンハルド殿下がどう無事に生きられるかどうかです」
「ファウスティーナ様の話を聞くに、ルイスではない殿下が生きる為にはファウスティーナ様と離れないとならないわね」
その為の——婚約破棄。
「ねえ」
御者席にいるヴェレッドが不意に声を発した。
「お嬢様と王太子様の婚約破棄については一旦置こうよ。どの道、お嬢様が婚約破棄を願ったところで王様達が認めるとは考えにくい。ルイスの生まれ変わりについても置いておこうよ。探そうたって簡単にはどうせ見つからない」
「はい……」
「なら」とケインがルイス探しを手伝ってほしいとヴェレッドに頼んだ。
「人探しとか得意ではありませんか?」
「あのね坊ちゃん、今俺はルイスのことも後回しにしようって言ってるの。却下」
「そうですか」
ファウスティーナは声色に妙な白々しさを2人から感じ取るも明確な答えを持っておらず口を開かなかった。
「問題は王太子様の身の安全。ルイスの生まれ変わりじゃないから、女神の生まれ変わりと結ばれないのはまあ仕方ないんだ。けどね、女神が口を挟まなかったのならそれでも良かった筈なんだ」
ヴェレッド曰く、ファウスティーナとベルンハルドの最初が悪かったのは、ルイスの生まれ変わりではないベルンハルドではファウスティーナの中にあるリンナモラートの魂を感じられなかったせい。もしもルイスの生まれ変わりなら受け入れられた。2人の婚約は本人達の努力の甲斐あってベルンハルドが死亡するまで継続された。この時1度たりともフォルトゥナは介入していない。
「女神がお嬢様と王太子様の婚約を問題無しと見ていたのなら、ルイスじゃない王太子様とお嬢様が結ばれたって良いってこと」
「ですが、ルイスじゃない殿下を運命の糸は絶対に助ける力を発揮しないとフォルトゥナ神は」
「だったら」
ファウスティーナの台詞を途中で切ったヴェレッドは2人の能力者に強力な祝福を授けてもらえばいいと放った。
「イル=ジュディーツィオとイル=マーゴの力を持つフワーリン家の坊ちゃんとフリューリング女侯爵様の力を使えばいい。王太子様やお嬢様の為なら、惜しみなく力を使ってくれるよ」
馬の手綱を握るヴェレッドは淡々と話すが内心妙な焦りを覚えていた。
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