27 兄と手のかかる妹(下)
王城内にある、第2王子の部屋――
ベッドに座ったまま、むすっとした顔でスプーンで掬われた緑色を睨み続けるネージュを、食事を食べさせている侍女は困った顔をして食べて下さいと促す。微熱が続くネージュの為に栄養が高い食べ物を摂らせているが中々食べてくれない。困った侍女はスプーンを一旦引っ込めた。
「殿下、お願いですから食べて下さい」
「だって美味しくない」
「殿下のお体を良くする為に栄養価の高い食材を使用しております。今暫くの辛抱です。どうか、食べて下さい」
「……分かったよ」
渋々と再度侍女が向けたスプーンを口に含み、緑色を飲み込んだ。子供でも食べやすいように料理人が工夫して調理してくれてはいるが美味しくないのは美味しくない。拗ねたままの顔で全て飲み干すと侍女は安堵した表情を浮かべた。最後に苦い薬を煎じたお茶を飲むと、侍女は食器を下げた。
「はあ」
何度繰り返しても、あの不味く苦い料理や薬だけは慣れない。身体が弱いのは持って生まれた体質だからどうしようもない。ネージュはベッドに仰向けに倒れると真っ白な天井を見上げた。
今日はファウスティーナの8歳の誕生日。
「ファウスティーナが今までと違うから、兄上のプレゼントまで違う物になっちゃったなあ。まあ良いけど」
前回――否、ずっと真っ白なリボンだったプレゼントは瑠璃色のリボンに変わった。
「白は一番無難な色だから、銀髪とかじゃない限りは白は誰にだって合う。……ううん、違うか。嫌々だったもんね。”何故あんな性格の悪い相手の為に選ばなきゃいけないんだ”、って。それで、従者の無難な色のリボンにしたらっていう提案で白のリボンにしたんだっけ」
でも、とネージュは天使のような愛らしい微笑で紡いだ。
「ファウスティーナの最初が同じだろうが変わろうが何も変わらないよ。結局は、兄上はエルヴィラ嬢を好きになってファウスティーナを捨てるんだから」
――そうしたら、“運命”で結ばれた兄上とエルヴィラ嬢は幸せになれるんだから
例えそれで彼の大事な女性が捨てられる形になっても。
「そうなっても、どうせ幸せになれるのだから……」
*ー*ー*ー*ー*
ーヴィトケンシュタイン公爵邸ー
誕生日を迎えた姉ファウスティーナは、両親と共に馬車で教会へ行ったので私室には誰もいない。朝食を食べ終え、トリシャに朝の支度をしてもらったエルヴィラは、そっと部屋に入った。誰にも見つからないように。
ソファーの前に置かれているテーブルに近付いた。先程入った時に見た瑠璃色のリボンの入った箱がない。出掛ける際、瑠璃色のリボンは使っていないと聞いたのに。何処だろうとキョロキョロと部屋を見渡す。ファウスティーナが勉強する時に使用する机にその箱はあった。
「これだわ……!」
瑠璃色のリボンは使用された痕跡がない。むすっと頬を膨らませた。
「これじゃあ、わたしが使ったらすぐにバレちゃう!」
何故使わないのか。
リボンの贈り主はファウスティーナの婚約者であるベルンハルド。心底羨ましいと思った。エルヴィラがお願いしても、きっとプレゼントはくれない。ファウスティーナは婚約者だから贈られた。
皺一つないリボンを自分の髪に結べない。でも結んで姿見の前に立ちたい。
「お姉様もお姉様だわ。折角ベルンハルド様が贈って下さったプレゼントを身に着けないなんて。わたしなら、その場で身に着けるのに」
ベルンハルドが来る度に毎回逃げてリンスーに追い掛け回されているんだ。本当は婚約が嫌で嫌で仕方ない筈。なのに、王妃教育は真面目に受けて王妃からの評判はかなり良い。自分の姉のことなのに意味が分からないとエルヴィラは首を横に振るが、次は何故か落ち込んだ表情を浮かべた。
「お姉様もだけど、お兄様もよく分からないわ……」
ファウスティーナもケインも、将来が生まれた時から決まっていた。
ファウスティーナは未来の王妃。
ケインは公爵家の跡取り。
エルヴィラはよく母リュドミーラと一緒に色んなお茶会に参加する。兄は、同年代のどの子よりも落ち着きがあって頭が良い。大人びているとよく聞くがそんな一言では済まない何かがある気がする。
後、一緒に暮らしているのにケインが笑った場面に遭遇した回数がほぼない。呆れるか、怒り顔か、普通の顔。それくらいしかない。
ファウスティーナはというと、随分と変わった。最初に倒れる前と後では。そのせいか、リュドミーラはよくファウスティーナに話し掛けたい空気を出すものの、本人から拒絶されているせいで遠くから眺めるしか出来ないでいる。エルヴィラ自身は、元からあまり接点がなかったのでよく兄には小言を言われたりからかわれたり、母にはよくお説教されているくらいにしか思わなかった。だが、それもベルンハルドとの婚約が決まるまで。
ファウスティーナといる時よりも、絶対に自分といた方がベルンハルドは嬉しいに違いない。周囲が何を言おうと自分の方が似合っている。
エルヴィラは瑠璃色のリボンを箱から取り出した。結ばなくても髪に当てるだけならバレる可能性は低い。姿見の前に立ってリボンを広げ髪に当てた時だった。
扉が開いた。
ファウスティーナが外出しているのは屋敷にいる者は皆知っているのでノックはない。
入った人物――ケインの従者リュンは、中にエルヴィラがいて驚いた後、ケインに聞いていたベルンハルドからの贈り物を勝手に使おうとしているエルヴィラに慌てて近付いた。
「エルヴィラお嬢様っ、それはファウスティーナお嬢様の物です。勝手に入って触ってはいけません」
「べ、別に良いじゃない! 汚そうとしてた訳じゃないんだから!」
「そういう問題ではありません。人の物を許可なく使おうとしているのが問題なのです。さあ、それを置いて部屋に戻りましょう。今見たことは旦那様達には内緒にしてあげますから」
「――それは駄目だよ? リュン」
ギクッとリュンとエルヴィラの肩が大袈裟な程跳ねた。
後ろを向くと分厚い本を2冊両手に抱えたケインが冷たい紅玉色の瞳で2人を捉えていた。特に、勝手に――姉と言えど――人の持ち物を使おうとしたエルヴィラには殊更冷たい視線を寄越した。
エルヴィラは泣き出しそうな表情になった。
「リュン。怒らないといけない時はちゃんと怒らなきゃ。
エルヴィラ。そのリボンはファナに聞いて取り出したの?」
「ち……違います……っ」
「だよね。いくらファナでも、相手が贈ってくれたプレゼントを他人に使わせたりしない。ねえエルヴィラ、他人の物を勝手に使っていいと誰に教えられたの?」
「っ……」
「ケイン様、そこまで言わなくても」
「少しキツいことを言われたくらいで泣くなら、そもそもやらなければいい」
エルヴィラは黄色のドレスの裾を強く握った。瞳からは大粒の涙が流れ落ちているが、説教をしてきているのは泣いても容赦のない兄。リュンが言い過ぎだとケインに諫言するも「リュン」と冷めた声で名を呼ばれた。
「甘いよ。こういうのはね、癖になる前に言って聞かせないと駄目なんだよ。後から困るのはエルヴィラだ。ねえエルヴィラ、エルヴィラが姉の持ち物を勝手に使う妹だと知ったらベルンハルド殿下はどう思うかな?」
「っ!!」
エルヴィラの顔が真っ青に染まる。そんなことが知れたら幻滅されて嫌われてしまう。
「い、いや、いやですっ、ごめんなさい、ごめんなさいお兄様! もう二度とお姉様の部屋に勝手に入りません……! お姉様の持ち物にも触りません……!! だ、だから、ベルンハルド様には……!!」
嫌われたくない。
嫌われたら、二度とお話出来なくなる。それ以前に会ってすらもらえなくなる。
必死に謝るエルヴィラが可哀想に見えてきたリュンがケイン様と困った表情で返答を待つ。
「はあ……。なら、リボンをリュンに渡して。リュン、元通りにして」
「はい」
ケインはエルヴィラがリボンをリュンに渡したのを見ると、もう一度溜め息を吐いた。
「全く……。エルヴィラ、ちょっとはその自分勝手な性格を直さないといつか痛い目を見るよ」
「お兄様はっ、どうしてわたしにだけ、そのように厳しいのですかっ」
「そう? ファナには更にキツいことを言ってるけど。それこそ、エルヴィラに言ったらギャン泣きされるくらい」
「お、お姉様がそうやって泣いている所なんて、見たことありません!」
「ファナだからね」
「答えになってません!」
「ケイン様、戻しましたよ」
最初からずっとそこにあったように戻したリュンにお礼を言うと、エルヴィラを部屋へ戻してと言い残し、ケインは2冊の分厚い本を抱えたままこの場を去った。
1人長い道を歩く。
ベルンハルドから贈られたプレゼントを見て嫌な予感はしていた。少しの期待を抱いてファウスティーナの部屋を訪れれば、それは跡形もなく砕け散った。
予想通りの行動をしてくれたよ、と3回目の溜め息を吐いた。
「どうしたらマシになるんだろう。ファナよりも、エルヴィラの方がやっぱり問題か……」
ケインは私室に戻り、抱えていた本を一旦ベッドに置くと机に向かった。引き出しから便箋を取り出した。椅子に座ってペンで素早く書き終えると四つ折りにして封筒に入れた。
「やれやれ……手のかかる妹達だよ……」
エルヴィラを部屋に送り届けたリュンが来ると、封筒に封蝋を押して出しておいてと渡した。
届け先を聞いたリュンが手紙を持って出て行く。
椅子から降りたケインはベッドに置いた2冊の本を取るともう一度戻り、必要なページを開いたのだった。
「そういえば、なんでリュンはファナの部屋に行ったんだろう?」
ーオマケー
「ねえリュン」
「はい」
「ファナの部屋へは何をしに?」
「ああ、忘れていました。ファウスティーナお嬢様の誕生日プレゼントを置いて行こうと思いまして」
「直接本人に渡したら良いじゃない」
「ファウスティーナお嬢様には是非驚いてほしくて!」
「どんなプレゼント?」
「ファウスティーナお嬢様に子豚の可愛さを知ってもらいたくて、子豚のマグカップにしました。ピンク色でとても可愛いですよ!」
「……そう」
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読んで頂きありがとうございます!
ファウスティーナがこの場にいたら、怒るに怒れないでしょう(笑)