最後にわらったのは――26
街の入り口付近には先代司祭オルトリウスが子供の頃、勝手に建てて以降、時折オズウェルが掃除をしに来る以外誰も使わない小屋がある。小屋の裏側に馬車を停車させ、ファウスティーナ達が降りるとヴェレッドは小屋の中に入って行った。気になって3人も付いて行った。掃除をされていると言うだけはあり、人一人寛ぐには十分なスペースは手入れが行き届いていた。壁に掛けられてあるバケツを取ると「水を汲みに行くからちょっと待ってて」と言われ、ヴェレッドが戻るまで小屋で待機することに。
「『リ・アマンティ祭』の時もそうでしたが先代司祭様や司祭様は、建物に仕掛けをしたり作ったりするのが好きなんですね」
「城にも、陛下やシエル様の知らない抜け道があるって聞いた」
「お城にも作っていたのですか」
淡々とケインに教えられても驚きはなく、納得が強い。
「ファナ」と唐突に呼ばれ、背筋が伸びた。
「今から俺達が向かうのは、教会の上層礼拝堂にある隠し通路。これを聞いて何か思うことはある?」
「思うこと……」
最初に誘われてから感じていた違和感や、初めて聞いた筈なのに聞き覚えがあるような、元から知っていたような感覚。考え、ゆっくりと言葉にしていくとケインの反応は「そう」で終わった。
これに異議を唱えたのはアエリアだ。
「そう。ではありません。どうも、公子は冷静が過ぎるのでは?」
「お兄様は元からこんな感じですよ」
「そうね。私も同感。でも、私と同じようにループしているとは言え、公子も……ネージュ殿下も違い過ぎるのではありませんか」
「あ……」
ここにきて出たネージュの名前に反応を示してしまい、2人の視線を受けたファウスティーナは意を決してケインに『建国祭』の時の話を切り出した。
「私、お兄様とネージュ殿下がテラスに出ていたところを偶然見てしまって……2人が話していることも全部ではありませんが聞いてしまいました」
「そうなんだ」
「怒らないんですか?」
「いいや? ファナに色々なことを暴露しているんだ、当然ネージュ殿下の話だっていつかはした」
怪しいと睨むアエリアに苦笑しつつ、改めてケインとネージュの関係を問う。ヴェレッドが戻る気配はなく、ケインは壁に凭れて語り出した。
「俺とネージュ殿下は共犯者と言うべきかな。最初に繰り返しをした時から俺と殿下だけが記憶を持ち続けている」
「最初?」
「アエリア嬢を巻き込んでしまったのは正直計算外。いや……抑々ループを起こすアレを2度も使うなんてことが予想外だったんだ」
上層礼拝堂にあるという隠し通路の先にある物。それが人生の繰り返しを起こしている道具。
「『ラ・ルオータ・デッラ教会』っていうのは、その道具の名前から来ている」
羅針盤の形をしたそれの名は運命の輪。運命の女神フォルトゥナが王国に授けた最後の切り札。王族にのみ使用が許された時間を巻き戻す人外の装置は、ある条件の下で発動する。
「条件?」とファウスティーナ。
「使用者が強く願いを込めて運命の輪を回すんだ。そして、時間が巻き戻り使用者が望む未来にならないと最初に巻き戻った時間に強制的に戻される」
強制的に戻される時間は何時だって同じだった。赤子のファウスティーナを父が抱っこしていて、ケインは侍女に抱っこをされ、眠るファウスティーナの頭をそろり、そろりと撫でていた。
現実に同じ動作で頭を撫でれば、赤子の時と同じふにゃりとした笑みを見せる。
「ループをする前もこうしていたんだろうなって」
「私もそう思います。お兄様の手は何時だって温かくて優しくて安心するんです」
「そう」
ファウスティーナの頭から手を離すと続きを語った。
「俺とネージュ殿下は、今で5回繰り返しをしている」
「……え?」
「は……?」
反応は2人それぞれ。呆けるファウスティーナと愕然とするアエリアに分かれた。
「5回……5回と言いました? 公子やネージュ殿下がいながら、何故5回も繰り返すのです」
「ご尤もだよ、アエリア嬢。俺やネージュ殿下の意識や詰めが甘かった」
「ファナ」と強い視線を受け、呆けていたファウスティーナは慌てて佇まいを直し、真剣な表情でケインの声を聞く。
「ベルンハルド殿下は確かにファナが嫌いだった。俺のこともだけど」
兄と姉揃って末の妹を泣かせ虐める冷たく最低な人間だと嫌い、涙を流すエルヴィラを庇い続けていた。
前回の記憶を持つファウスティーナもその通りだと頷いた。部屋にいなさいと言われているのに、言い付けを破ってベルンハルドと会い、当時はベルンハルドや母の愛情を得ようと必死だったファウスティーナはエルヴィラを追い出し、泣いて部屋を去るエルヴィラをベルンハルドが追い掛けるのが恒例だった。現在はそんな事1度たりともしていない。
「2度、3度、4度とも、母上もエルヴィラも自分の意思を変えようとしなかった。勿論ファナもだけど」
「うぐっ」
もっと冷静に、エルヴィラを相手にして頭に血を上らせるなとは目の前の兄の言葉だった。どれだけ言葉で諭され、実行しようとしても、現実になってしまうと当時のファウスティーナは自制心が働かなかった。
「今と違ってどの繰り返しにおいても、ファナと殿下の関係が良好になる事はなかった」
「私、何度か前の記憶を思い出すんですが教会で暮らしていた事がありましたよね?」
「毎回だよ。毎回ファナは、11歳になると教会で暮らすようになるんだ」
「11歳から?」
今回は8歳からお世話になっている。
「ちゃんときっかけはある。詳しくは言えないけど……殿下と言い争いになったファナが城で泣いているのをシエル様や一緒にいる人が見つけてファナを保護するんだ。ファナが公爵家に戻るのは貴族学院に入学してから」
両親やベルンハルドと和解したからではなく、王都と教会の往復は難しかった為だ。
「お兄様、私は何を言って殿下を怒らせてしまったのですか」
「言ったでしょう。詳しくは言えないって。まあ、敢えて言うなら、泣く事が取り柄のエルヴィラと殿下はお似合いだって言って、殿下が逆上してファナを傷付けたってこと」
「……」
暗に泣くだけで自身の力で解決もしなければ誰かに守られてばかりのエルヴィラを庇い続けるベルンハルドは滑稽だと言っているもの。逆上されても仕方ないのでは、と言い掛けるも当時の自分の心情を解しているだけに口にはしなかった。
「肉体と精神、どちらも深く傷をつければ治るのに時間はかかる。唯一の違いは、肉体は治す術があって、精神は治す術がないってところ。誰であろうと言葉で相手の心を深く傷付けていい人はいない。仮令王族であっても」
「お兄様……」
背筋が凍る冷たい紅玉の瞳をされ、悪さはしていなくても叱られている気分になってしまう。
話はファウスティーナが教会に保護されてからの内容に戻る。
「公爵家は母上という前科がいる。泣きじゃくるファナを見ても、ファナが悪いとしか言わないからと公爵家が連れ戻そうとしてもシエル様は許さなかった」
また、ファウスティーナがその様な状態になった理由を国王夫妻も当然知らされた。原因たるベルンハルドはその頃から両親に見捨てられたとケインは語った。
「見捨てられた?」
「そうだよ。最初はファナがやらかしたにしろ、2人の関係が険悪なのは殿下が何時まで経ってもファナを妹を虐げる嫌な令嬢という認識を捨てなかったからだ。王妃様がファナの性格を矯正してくれたように、殿下の事も必死に説得してくれていたんだ」
「王妃様が……」
間違いを正し、公爵家を追放されるまでファウスティーナの味方でいてくれた王妃シエラ。ファウスティーナが知らないところでも味方をしてくれていた。胸が熱くなり、目頭がジワリと滲むも袖で拭き取った。
「殿下は陛下に婚約者をエルヴィラに変えてやると言われたんだ。お前の望み通りにしてやると」
「そうなるでしょうね」
呆れの溜め息と同時に吐いたアエリアの言葉には同意しつつ、結局婚約者が変更されなかったのは何故なのか。この答えをケインは当然持っていた。
「殿下が拒否したんだ」
「殿下が? 私のことが大嫌いなのに?」
「ああ。陛下に婚約者の変更を言われた時、必死になってファナがいいと言ったんだって」
今更だ、お前が望んだことだ、と突き放されようがベルンハルドはシリウスが撤回してくれるまで婚約者の変更は嫌だと縋り続けた。聞かされて思うのは強い疑問。頑張って思い出してもベルンハルドと仲直りをした記憶は存在しない。
「殿下がそう言っても、誰も彼もが今更だとして取り合わなかった。一応、婚約者の変更はされなかったけど」
問題はここから。教会で保護をされたファウスティーナはシエルや教会関係者の献身もあって荒んだ心はなくなり、元々の優しい性格を取り戻し、愛情を注がれて育った。ベルンハルドからファウスティーナ宛に何通もの手紙が届くも、全てシエルが処分し、且つ、ファウスティーナの振りをしてベルンハルドの接触を徹底的に断った。シエルの筆跡だと悟らせないよう、利き手とは反対の手で書いた文字がファウスティーナの文字ではないとベルンハルドは自身で1度も気付けなかった。
自分を知ってほしくて毎回長く枚数が多い手紙を送っていたのに文字を覚えていてもらえなかった。今のベルンハルドなら一目でファウスティーナの書いた文字ではないと見抜けるだろう。
「呆れて物も言えませんわ。妹君と一緒で顔の皮が分厚いのではなくて?」
「さて。俺からは何とも。シエル様が徹底的にファナから殿下を断ったお陰かな、ファナは次第に殿下や母上、エルヴィラへの関心が薄くなっていった」
努力をしても認めずエルヴィラしか愛さないリュドミーラとベルンハルドを気にしないと心穏やかに暮らせると解った。2人に拘らなければエルヴィラも気にせずに済むと知った。ストレスの元凶たる3人を意識から取り除くだけで心穏やかになると知ったファウスティーナが教会で暮らして以降3人、特にリュドミーラとエルヴィラを気にすることはなかった。ベルンハルドだけはそうはならなかった。
「今の司祭様も前の司祭様もきっと一緒だったんですね。私の悪いところを理解して、私を肯定してくれて、私を守ってくれていた。司祭様なら何でも話せて頼ってしまえる理由が分かりました」
「そうだね。司祭様はファナの絶対的な味方だ。だからこそ、シエル様を敵に回したら、今の殿下がファナを好きでいようとあっさりと殿下はシエル様に見捨てられる」
2度〜4度のベルンハルドは全てシエルに見捨てられ、徹底的なまでに運命の相手はエルヴィラだと印象付けられた。拒否をしようと周りが許さなかった。ファウスティーナの側に行きたくても同じ。
「貴族学院で私と殿下の関係が改善……はないですよね」
「ファナはシエル様の言い付け通り、エルヴィラが入学するまで徹底的に殿下を避けまくっていたからね」
エルヴィラが入学してからは態と人の多い場所でエルヴィラを虐め、ベルンハルドが駆け付けては自分がこんな真似をするのはベルンハルドがエルヴィラしか見ないから、エルヴィラを庇い続けるからと周囲に印象付けた。やり直したいのに言葉を訂正したくても学院に在籍する者達は2人の関係を知っており、ファウスティーナの言葉が嘘ではないと知っている。故にベルンハルドは強く言い返せなかった。言い返したとしてもファウスティーナが聞く耳を持たなかった為、周りはより関係の険悪振りを見続けた。
軈てベルンハルドとエルヴィラが“運命の恋人たち”と認められると、今までの行いが嘘のようにファウスティーナは2人に近付かなくなった。目的を果たした以上、関わっても意味がないから。しかしベルンハルドはそうは許さなかった。人のいない場所にいようと必ずエルヴィラを連れてファウスティーナの前に姿を見せた。
「嫌がらせ……?」
「そう、嫌がらせ」
「私が殿下とちゃんと話をしようとしなかったからですか?」
「それもある。殿下1人だとファナは目すら合わせようとしなかった。側にエルヴィラがいた方がまだ意識をしてくれると思ったんだろうね」
「同感ですわ。逆に、ファウスティーナ様といたら殿下に睨まれましたわ」
「え」
王太子妃の座を奪い合うベルンハルドとは違う意味で仲が悪いアエリアもなのに、一緒にいる場面をよく見られた為だと話される。心を開いた相手だけ向けられる純美な笑み。幸福に浸れるそれを欲しても手に入れられない者は渇望し、いつしか不幸のどん底に落ちていく。
アエリアだけじゃない、ケインも同じ。ネージュについても。ネージュの名前が出るとファウスティーナが「お兄様」と発しかけた、ら。
「お待たせー」
水を汲みに外へ出ていたヴェレッドが戻った。
「馬の餌と水を置いたから、そろそろ出発するよ」
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