最後にわらったのは――22
言葉を失い、唖然とする面々。静まり返った室内で聞こえるのは呼吸音のみ。突如投下された爆弾の意味を解するのに時間は掛からなかった。最初に声を上げたのはシリウス。
「父上っ、いきなり何を言い出す——」
「運命を否とする以上、此方も代償を払わないとならない」
シリウスの言葉を遮ったティベリウスが発したのは、姉妹神が認めた“運命の恋人たち”を否とする場合の代償。婚約解消や白紙ならば、まだ理解を示せた。但し婚約破棄となると話が変わる。どちらかに原因がある訳でもないのなら解消や白紙にすべきところを破棄とする理由を求められたティベリウスは、先程と同じ静かな口調で述べた。
「イエガー。お前の言う通り、他に運命の相手がいる王太子は女神の生まれ変わりの伴侶として相応しくない。お前の求める言葉は、すまないが私もオルトも話せない。女神との約束でな」
「一旦それについては保留としましょう。貴方が王太子殿下とファウスティーナ様の婚約を破棄とするのは何故」
「さっきも言った。フォルトゥナやリンナモラートの決定を否とするのは、運命を信じる王国の信仰心に逆らうも同等。女神が運命を否とするのを認めようと決めたのは我々人間、相応の代償を払わねばならん」
「それが殿下とファウスティーナ様の婚約破棄、ですか」
溜め息交じりに出したイエガーは理解しようがないと首を振った。運命を否とするのに代償を払わなければならないのは概ね理解を示せる。肝心の代償がベルンハルドとファウスティーナの婚約破棄では不相応。2人に問題がある訳でもないのに。
「“運命の恋人たち”を否とする理由は、王太子に婚約者がまずいること。王太子の相手が婚約者の妹であること。運命の相手では、王太子の婚約者に相応しくないと我々人間が決めたこと」
これだけではエルヴィラにのみ責が偏る為、ベルンハルドにも責を負わせる目的で婚約破棄が妥当だというのがティベリウスの主張。異議を唱えられる予想もしており、事実、誰も納得していない。
「父上」とシエル。
「貴方の言い分に納得するとでも?」
「納得しようとしまいとこれについては私も譲れん。シエル、お前が何を言いたいかは分かる」
「なら、せめて解消か白紙にしてくれませんか」
微かに混ざった苛立ちと強い疑念の声色をシエルから発せられようと己の主張を変える気はなく、首を振るだけだった。隣にいるオルトリウスから非難の視線を浴びても同じ。
「僕が交ざったら言い合いになりそうだから静観していようと思ったけど止めた。兄上、僕もシエルちゃん達と同意見だ。何も破棄じゃなくたって」
「“運命”そのものに王太子と女神の生まれ変わりの関係が断たれたと認識させる手段で最も効果的なのが婚約破棄だ」
ゆらり、とティベリウスの身体が前へ揺れ、テーブルに肘を立てて突っ伏さずに済んだ。顔を片手で覆い、オルトリウスから今度は心配の声が上がると「いい」と声で制した。
「一瞬眠気が来ただけだ。まだ起きていられる」
「無理は禁物だよ。僕はともかく、兄上はもう無茶が出来る体じゃないんだから」
「ああ」
突然襲った強烈な眠気はすぐに去り、手で顔を支えなくても上体を保てるようになるとテーブルから肘を退けた。かと思えば、また眠気が襲いティベリウスの体が傾き掛け、テーブルに手を置いて保った。これ以上の着席は本人や周囲の目から見ても無理だと判断し、外で待機している先王の護衛騎士をシリウスが呼んだ。即座に入室した護衛騎士2人がかりでティベリウスを支え退室をする間際、顔を重そうに動かしたティベリウスが最後に言い放った。
「シリウス、シエル、王太子と女神の生まれ変わりの婚約はさっきも言ったように破棄しろ。そうでなければ……2人、もしくはどちらか1人死ぬ」
「どういう意味——」
答えが気になる言葉ばかり出され肝心の本人は長年の無理が祟って長時間起きられなくなったしまって解答を聞けずに終わった。上げ掛けた腰を下ろしたシリウスは難問を出されたような表情を見せ、シエルに至っても同様の反応をした。運命を否とする代償を婚約破棄によって支払わなければベルンハルドとファウスティーナの2人、もしくは1人死ぬとはどういう事なのか。シエラやシトリンがオルトリウスに問うても両手を上げられる始末。
「僕もこればかりは分からないが兄上は意味のない言葉は決して言わない人だ。兄上がああ言うのなら、ベルンハルドちゃんとファウスティーナちゃんの婚約破棄を真剣に考えないとならないね」
「婚約破棄となるなら、どちらかを有責にしなければなりません。それについては?」
シエラが皆の言葉を代弁し問う。眉間を指で揉み、悩み悩んだ挙句オルトリウスの出した答えは——。
玉座に君臨していた時代から護衛騎士を務める者達に離宮の寝室へ運ばれ、寝台に寝かされたティベリウスは護衛騎士達を外へやると重い体を起こし、サイドテーブルに置かれている1冊の本を手に取った。
濃い青の表紙、金の刺繍で表す題名は『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』。そっと刺繍を指でなぞり、ページを開いた。文字が書かれている筈が白紙。しかし次々に文字が浮かび上がる。ティベリウスは昔オルトリウスやシリウスやシエル、ローゼにも見せた。皆題名も文字も読めない、何も書かれていないと首を傾げていた。
見えるのはティベリウスだけ。何故、と思う日はもうない。
「……ローゼよ……お前は偽者であっても、あの子と想い合っているならそれでいいと言ったな」
1人退屈だからと離宮の何処かにいるローゼには届かないと分かっていて語る。
物騒な題名の本を読まずとも内容は既に把握しているのに、1日に何度か表紙を開いてしまう。
「私にだけ読めるのは……私がオルトよりも濃くフォルトゥナの呪いを受けてしまったからだ」
嘗て初代国王ルイスと魅力と愛の女神リンナモラートの力によって生まれた王国は、腐敗し、滅亡の危機に瀕していた。国を建て直す為、リンナモラートの愛した男が残した国を守る為に弟と共にフォルトゥナと契約をした。願いを叶えた代償が大きくともシリウスやシエルの成長した姿を見られるだけで満足だった。
『捨てられた王太子妃と愛に狂った王太子』に登場する人物と書かれる物語は、どれも現実に起きてしまった事。
「私以外にも、この本を読める者を見つけなければ、変化を伴う5度目であろうと結局また同じ結末が待ち構えている」
そうなれば6度目の繰り返しが起きてしまう。
本者が認めれば、偽者であろうと女神の生まれ変わりと結ばれる。昨夜ローゼは話し、聞いていたティベリウスは「そうか」とだけ零した。内心は違う、と否定した。
とあるページに、王太子妃の姉とある男の会話がある。
“お嬢様って物好きにも程がある。よく王太子様を許す気になったよね”
“許していませんよ。一生許さないと言った私に殿下はそれでもいいと、何時か受け入れてもらえるまでずっとやり直し続けると言ってくれました”
“お嬢様が認めても俺は嫌。王太子様も都合が良すぎるよ”
“ふふ、厳しいですね”
「お前が認めていないんだ。ローゼよ」
本を置いていたサイドテーブルに手を伸ばし、ペンにインクを付け、後ろのページを開いたティベリウスは物語の続きを綴る。何時から自分以外の繰り返しを夢で見るようになったかは覚えていない。初めて見た時は夢ではないとすぐに悟った。既視感はなくても知っている気がしたからだ。
誰かにとっての今の5度目とは違い、別の誰かの繰り返しがある。その誰かは3度繰り返した。3度繰り返しても変わらない結末に絶望し、願いを叶える為なら愛する人に憎まれようと行動した。結果——2人は死んだ。
堪えられる眠気の限度を超え、ペンと本をサイドテーブルに置いたティベリウス。重い瞼を閉じ、今日は目覚めぬ眠りに就いたのだった。
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