最後にわらったのは――⑱
朝食の場に姿を見せたファウスティーナは先に席に着いている両親とエルヴィラに挨拶をしつつ、リンスーが引いた椅子に座った。後はケインが来るのを待つだけ。いつもは自分やエルヴィラより早く来ているのに、まだいないことに驚かない自分がいる。理由は朝早くからの会話。ただ、それを知らない3人は珍しくケインがいなくて首を傾げていた。
そこへリュンがやって来た。
「申し訳ありません。ケイン様、朝方まで本を読んでいたようでまだ眠っていらっしゃいます。朝食は起きてから食べるとのことです」
「ケインが? 珍しいね。余程、面白い本だったのかな」
「みたいです」
「じゃあ、皆頂こう」
疑うこともなく、リュンの説明に納得したシトリンの合図で皆朝食に手を伸ばした。
こっそりとリュンを盗み見たファウスティーナは、冷や汗を流す彼を見て悟った。やはりケインは誰にも内緒で何処かへ行ったのだ、と。
――お兄様……何処に行ったんだろう……
今までになかった行動をする兄を気にしつつ、アエリアからの返事は何時来るだろうかと期待して待つ。
○●○●○●
「は……」
『ラ・ルオータ・デッラ教会』の上層礼拝堂に隠されている秘密の通路。代々司祭にしか伝えられない秘密を使用して、5回繰り返して2回回したと語ったケインの紅玉の瞳は、笑っているのに顔が思い切り引き攣っているヴェレッドを見上げている。予想通りの反応。秘密を知っている者からすれば有り得ない。繰り返しの方はともかく、2回回したのがそもそも有り得ないこと。
「冗談……ではないか。5回も繰り返すってさ、よっぽど坊ちゃんや坊ちゃんの協力者が後手に回り過ぎているから?」
「まあ……そんな感じかと」
「ねえ坊ちゃん。俺の髪と目の色が元に戻ったらちゃんと付き合ってあげる。だから、理由を教えてよ」
何の理由か言わなくても分かるだろうと瑠璃色の瞳が投げかけて来る。無表情のまま、ケインは頷き、一寸無言の間を挟んで語り始めた。
「ファナとベルンハルド殿下。今は貴方も知っている通り、あの2人の関係は良好です。だけど今までの4回は違った」
「……」
「4回までのファナは、何かにつけて母上に優遇されるエルヴィラに突っ掛かっていました。エルヴィラ本人が自慢しに行っていたのもありますが……それはベルンハルド殿下と初めて顔を合わせた時もありました」
婚約者として初めての顔合わせをする日。客室で待つベルンハルドに会いに行ったら、本来なら私室にいなければならないエルヴィラが客室にいて、ベルンハルドと楽し気に会話をしていた。当時のファウスティーナに今のスルースキルはなく、当然エルヴィラを部屋から追い出した。姉に叱られ、泣いて部屋を出て行ったエルヴィラを――ベルンハルドがファウスティーナを責めた後追い掛けた。
身内の恥を話そうがケインは淡々と口にしていくだけ。内心はどうであれ。
「っ、あ、ははははははは!」
続きを話そうと口を開き掛ければ、隣の彼が大笑しだした。顔を手で覆ってもう一方の片手をケインの前に出した。
笑いが収まったのを見計らって声を掛けた。
「落ち着きました?」
「うん。ははは…………はあ……ごめんごめん。坊ちゃんが話し終わるまで黙って聞くつもりだったんだけどさ、あんまりにもお嬢様が言っていた通りで堪えられなくなった」
「ファナが?」
関係が良好なのにファウスティーナが婚約破棄をしたがっており、理由が夢の中の自分はエルヴィラを虐める最低な姉で、それが原因でベルンハルドに嫌われているから、だそう。夢の話というのは前の自分の話をしたところで誰にも信じてもらえないから。
「もう大丈夫。続き話して」
「それから、ファナと殿下の関係が改善されることはありませんでした。殿下は陛下や王妃様、周りに何を言われようがエルヴィラを泣かせるファナが悪いと歩み寄らなかった。ファナの方は、殿下に見直してもらおうと王妃教育を頑張って、殿下をお茶に誘い手紙も沢山送りました。効果は一切ありませんでしたが」
「王太子様は優しいからね。1度でもそんな光景を見れば、可哀想な妹君を放っておけなくなる。ねえ、妹君がお嬢様を悪く言っていたのもあるんじゃないの?」
「ええ」
これについてはエルヴィラを問い質し、実際にベルンハルドから聞いて知った。ベルンハルドが屋敷に来ると誰よりも早く駆け付けたエルヴィラは、ファウスティーナが来るまでは楽しくベルンハルドと話し、ファウスティーナが来たら泣いて部屋から逃げ出し、追い掛けて来たベルンハルドに自分が如何に姉に嫌われ虐められているかを泣きながら語った。ある時は2人がいる時に感情が一切なくなった声でいい加減にしろと吐き捨てた。どちらが悪いか、悪くないかは冷静な判断と思考があれば解る。分かろうともしないベルンハルドも、抑々悪いのは自分なのにファウスティーナを悪役にするエルヴィラもどっちも似た者同士だと。
「坊ちゃんは王太子様相手にも容赦がないねえ」
「容赦をする理由がどこに? 確かに殿下は王族で王太子です。けれど、俺にとれば妹の婚約者。ファナにも問題があったにせよ、圧倒的に問題があったのは殿下とエルヴィラだ。非難をするのは当然では」
「ああ、うん。これ以上聞いたら話が脱線しそうになるから、続き話して」
言葉ではそう言いつつ、表情は別の続きを期待している。が、ヴェレッドの言う通りの続きをした。
「そんな感じで4年が経ちました。ファナが11歳になった時、決定的な出来事が起きた」
それが王城でファウスティーナがシエルに保護された件。王妃に諭され、自分を見つめ直し、悪い部分を直そうと必死に努力をしても、与えられた役目を熟そうと努力してもエルヴィラしか見ないベルンハルドに遂にファウスティーナの方が我慢の限界に達した。
ファウスティーナに詰られ、泣くしか取り柄のないエルヴィラとお似合いだと言い放たれたベルンハルドは侮辱されたと頭に血が上り……取り返しのつかない言葉を放った。
これを言おうか迷い、過去のベルンハルドが言ったことであって現在のベルンハルドとは無関係だと前提して告げた。
ベルンハルドが言い放った台詞をケインから聞かされたヴェレッドは再び大笑した。
背中を丸め、笑いを抑えようとするヴェレッドは王様と同じだと発した。
「陛下と?」
「そうっ。はは……あ、ははは……。……はあ……王妃様に似てる部分が多くても王太子様はちゃんと王様の子供なんだ……王様も昔シエル様に同じことを言ったんだ。そうしたら、ちょっとだけ抱いていた王様への関心はシエル様の中から消えて、言った後に後悔した王様がシエル様に擦り寄り出したんだ。ひょっとして王太子様も?」
過去4回ともヴェレッドはよくベルンハルドはシリウスに似ていると揶揄していた。取り返しのつかない発言をする部分まで同じとは。けれど過去の台詞はそこから来ていたのだと今納得した。
「王城の人目のつかない場所で泣き叫んでいたファナを保護したのが、偶々城に来ていたシエル様でした。ファナに理由を聞いたシエル様は、ヴィトケンシュタイン公爵家にも圧力を掛けてファナを屋敷に返さなかった。殿下が仕出かしたことは当然陛下や王妃様も知るところになった」
この辺りはネージュから聞いた。婚約者をベルンハルドの望み通りファウスティーナからエルヴィラに変えてやると冷徹に放ったシリウスに縋ったのはベルンハルド自身。嫌だと、ファウスティーナ以外嫌だと声が枯れるまで縋り続けたと。隣の彼がまた笑い出しそうになり、顔を手で覆うので話すのを止めたら
「い、いいよっ、ちゃんと聞くから続けてっ」と震えた声で促されてしまう。
「それからシエル様はベルンハルド殿下からの接触を全て断った。シエル様に保護され、今のように教会で生活を始めたファナはとてものびのびとしていましたよ」
教会には手を伸ばしても振り払う母も、自分が如何に母やベルンハルドに大事にされているか自慢しかしないエルヴィラも、常に毛虫を見るような目で睨み名前を呼ぼうものなら他者が震え上がる冷たい声で黙らせてくるベルンハルドも来ない。大切に、愛してくれるシエルの許で暮らし始めたファウスティーナは元の純粋で優しい性格をあっという間に取り戻していった。
「ファナが他者に対してキツく当たったのはエルヴィラだけです。原因が全部エルヴィラや母上のせいだから、ファナだけが悪いんじゃない」
「知ってるよ、お嬢様はとても優しい子だ。能天気で単純なとこもあるけど」
「知ってます」
伊達に何年もファウスティーナのお兄ちゃんをしていない。
「ベルンハルド殿下から何度も謝罪の手紙が届いていたそうです。どれも全部、ファナが目を通すこともなくシエル様が処分していました」
「だろうね。シエル様は、自分の懐に入れた相手は大事にするけど、1番大事なお嬢様を傷付けた王太子様はその時点でシエル様にとっては要らない。ゴミと一緒になる。お嬢様の心の負担にしかならない王太子様の手紙なんて見せるわけないよ」
「ええ。手紙の返事もシエル様の文字だと気付かれないよう細工をしてシエル様が出していました」
「シエル様が? へえ」
自分の事を知ってほしくて、よく長く枚数の多い手紙をベルンハルドに送っていた。真面目に読んでいればそれがファウスティーナの字ではないとすぐに見抜けた。
ベルンハルドは見抜けなかった。シエルの書いた返事をファウスティーナが書いたものだと信じた。
「過去の王太子様は駄目駄目なんだねえ。今の王太子様がそうだったら、そっちの方が面白そうだったなあ」
「はあ……」
5回目も同じだったら繰り返す意味がない。
「昨日の『建国祭』で殿下とエルヴィラが“運命の恋人たち”に選ばれたでしょう? 今までなら、もう少し後だった」
「なるほど、同じことは起きてたんだ」
「今の歳でも似たようなのは起きてました」
「うん?」
“運命の恋人たち”とはいかなくても、想いを寄せる相手の色を示す花が咲いたと語った。ファウスティーナの足元には蕾。開花すらしていないから誰を示す色か分からなかった。エルヴィラの場合は勿論瑠璃。瑠璃はベルンハルドを示す。
ベルンハルドの場合は、赤い花。なのだが。増殖し、ベルンハルドが動く度に増えて側に寄ろうとした。まるで周囲の言い付けを守らず、ベルンハルドの側に引っ付くエルヴィラのような花。
隣で吹き出す音がした。また隣の彼が顔を覆って背を丸めている。気にせずケインは続ける。
「貴族学院に入学してからもあまり変わりません。通学の理由でファナはヴィトケンシュタイン家に戻りましたが、相変わらずエルヴィラはファナに突っ掛かってばかり。母上の方は、すっかりと自分に見向きもしなくなったファナに常に切っ掛けを探してましたね」
ベルンハルドの方はファウスティーナと接触したくても学院にいる間は常に逃げられ、屋敷に来てもエルヴィラしか来ずファウスティーナはケインの所に逃げていたから会いたくても会えず。同じ建物内にいても接触する機会がほぼなかったのだ。
「ねえっ、坊ちゃん、一旦ストップ。笑うのを堪えるので必死でちゃんと聞いてあげられないっ」
「はあ。じゃあ、落ち着いたら言ってください」
すっかりと笑いのツボに入ったらしく、暫くヴェレッドの笑いが収まるまで待つこととなった。その間ケインは何げなく空を見上げた。
今日も昨日と同じ快晴。姉妹神やファウスティーナの髪と同じ空の色が広がっている。
……あの場所も、同じ色だった。
読んでいただきありがとうございます。




