最後にわらったのは――⑯
事情を聞いたベルンハルドは「そうだったのか」と納得した様子を見せ、改めてクラウドに目をやると痛まし気に顔を歪ませた。
「クラウドは早く医務室に行くべきだ。僕はもう大丈夫だから」
「勿論後で行くよ。……はあ……」
深く項垂れたまま吐かれた溜め息。声からしてもかなり体力を消費している。
「医務室に行く?」
「そうだね」
ケインに問われ、肯定しながら顔を上げたクラウド。額から頬にかけて血は流れたまま。行く前に話す事があるらしい。
「ベルとエルヴィラ様の運命の糸を強制的に千切った訳だけどベルの体に異常はない?」
「全然。寧ろ、今の方が体が軽くなって気分が良いんだ」
「そっか」
部屋に入り、眠っているベルンハルドに駆け寄った時は顔色が悪く多量の汗が浮かんでいた。現在は、汗は引き顔色も幾分かマシになっており、声も溌剌としている。
汗……「あ」と発したファウスティーナに3人の視線が集まる。呼び鈴を手に取ったファウスティーナは「ごめんなさい」とベルンハルドに謝った。
「ファウスティーナ?」
「殿下に着替えをしてもらわないと汗で濡れた服で風邪を引いてしまうかもしれないのに思い出すのが遅くなってしまって……」
「そんな事気にしないで。クラウドにも言った通り今とても気分が良いんだ。少しくらい平気さ」
けれど人を呼んで湯浴みをしたいと思うのも事実だと笑って見せられたファウスティーナは安心した笑みを見せ、呼び鈴を鳴らした。すぐにやって来たのは侍女。目を覚ましたベルンハルドに湯浴みと着替えをしたいと頼まれるとすぐに準備をしますと言って出て行った。
「僕はもう大丈夫だから、早くクラウドを医務室に連れて行ってあげて」
振り向いたベルンハルドの顔色は本人が言う通り良くなっている。クラウドを支えながらケインは出て行き、ファウスティーナも続いて出て行った。
医務室に向かう傍ら、3人の間では会話が成される。
「はは」
「急に笑い出すなんて不気味だよ」
「ごめんごめん」
謝っているがクラウドは悪びれていない。とある考えをして、答えを見つけたらつい笑ってしまったと話される。今回フォルトゥナから与えられた飴を食べ、能力を増幅させた状態でベルンハルドとエルヴィラの結ばれた運命の糸を無理矢理引き千切った影響はエルヴィラの方に出ていると語った。悪夢に魘され、全身汗だくだったのにも関わらず、糸を引き千切った事によりベルンハルドは体調が快方に向かっている。
医務室に向かう前にエルヴィラの様子を見たいクラウドの言葉にケインも同意した。話を側で聞いていたファウスティーナも。
「もしもエルヴィラに影響が出ていたらどうしますか?」
「どうも? 抑々、呪われているのはエルヴィラ様だけでベルは巻き込まれただけ。僕が運命の糸を無理矢理千切ったのはベルの為さ」
「それを言うとクラウド様が2人の運命の糸を結んでしまったからじゃ……」
「うん。ちゃんと後始末をしたでしょう」
そう言われるとファウスティーナはそれ以上言えなくなる。エルヴィラの呪いに関しては、今日が終わり次第リオニーと相談となる。
「エルヴィラは何処にいるんだか」
「お父様とお母様が一緒の筈ですし、変な場所には行っていない筈です」
「使用している客室を虱潰しに探す訳にもいかないし、どう見つけるか」
既に会場に戻っている可能性もある。大怪我を負っているクラウドを支えたままケインは会場に戻れないのでファウスティーナだけ会場に行くと発した掛けた時、遠くの方からエルヴィラの声が届いた。3人は顔を見合わせ、様子を見てくるとファウスティーナが先行。
「こっちだわ」
エルヴィラの声がしたのは、扉が開いている客室から。中をそっと覗いたら——ソファーで横になって体を丸くし震えていた。側には父や母の姿がある。
咄嗟にケインとクラウドに向き、この部屋にいると視線だけで伝えるとケインの手から離れたクラウドが額から頬にかけて血を流したままの状態でファウスティーナと同じようにそっと覗いた。
「僕の予想通りだったか」
「無理矢理糸を千切った反動がエルヴィラに来ているってことですよね」
「だろうね」
「どうしたら助けてあげられますか」
「さあて。言ったろう。エルヴィラ様は、フワーリンとフリューリングの誰かにかなり憎まれている。張本人を見つけない限り、エルヴィラ様は呪いから解放されない」
呪ったのが誰かは恐らく永遠に見つからないというのが正直なところ。フワーリン家で力を持つのはイエガーとクラウドの2人。フリューリング家では先代侯爵とリオニーのみ。共通するのはどちらもエルヴィラに強い呪いを掛ける理由がない点。
扉から離れ、今度こそ医務室へ行こうとなった。足下がふらついたクラウドを支えたケインは、来た時と同じでクラウドを支えながら歩く。
「やっぱり駄目か」
「大丈夫だと思った時が1番危険なんだ」
「だね」
「一先ず、ベルンハルド殿下がエルヴィラから解放されて悪夢からも解放されたならそれはそれで良しとしよう。エルヴィラについては後日リオニー様と相談する。ファナもそれでいいね」
後回しとなってしまうが今はそれしかない。納得するしかない。
「はい」
4年前の自分が今の自分の気持ちを知ったら大いに戸惑うだろう。前回と同じにならない、不幸にしてしまった人達の為に自分以外は幸福となる
幸福な結末を目指してベルンハルドとの婚約破棄を目標としたのに。仲良くなって嫌な事はない、良い事しかない。いつかお別れの時が来るまでは、と思っていた自分もいつの間にか小さくなっていった。2人が女神に祝福され、ルビーレッドの光が注がれ、待ち望んだ“運命の恋人たち”になった瞬間を見た気持ちは——全く嬉しくなかった。時間を掛け過ぎたというのもある。これが記憶を取り戻した年であればファウスティーナは己の目標が早く達成され喜んだであろう。ベルンハルドも戸惑いを覚えながらもエルヴィラを受け入れた。
ファウスティーナはクラウドを支えて歩くケインの背を見やる。自分と同じで前の記憶を持っていて、且つ、自分やアエリア以上にきっと詳細を知っている人。
「お兄様」
「どうしたの」
「私とアエリア様と後日お茶をしませんか? お兄様には、聞きたい事が沢山あるんです」
「なら、クラウドを医務室に置いて行ったらアエリア嬢を見つけて日を決めようか。俺もいい加減ファナに言っておきたい事があるんだ」
「え〜? 僕は除け者?」
「まあ、ね」
不満げに笑いつつもクラウドは「じゃあ、仕方ないか」とあっさりと引き下がった。
医務室に到着すると滞在していた医師にクラウドを託し、2人は会場へと戻った。一体何処でこんな怪我を負ったのだと驚愕され、質問攻めに合うクラウドを置いて行く際、恨めし気な瞳を貰ったのは2人揃ってスルーした。
賑わいを見せる会場にファウスティーナが足を踏み入れると周囲の視線が一気に集まった。女神の生まれ変わりで正式発表されていないとは言え、王太子の婚約者で確実なファウスティーナが自身の妹と王太子が“運命の恋人たち”に選ばれた件をどう感じているのか周囲の貴族達の値踏みする視線が集中する。居心地の悪さを感じながらも、堂々としていたらいいと言うケインの言葉通り、周囲の視線を一切気にせずアエリアを探した。時折兄に向ける微笑みが嘗て魔性の令嬢と呼ばれた女性を彷彿とさせ、誰かが無意識にアーヴァの名を出した。
ピンクゴールドの髪は目立つが人が多いと埋もれてしまう。ましてや今は子供。分かれて探そうと提案するも後で合流するのを考えると得策じゃない。ラリス家の面々を見つけられれば早いのだがやはり見つからない。
「今日が終わった後に手紙を送りますか。人が多くて見つかりませんから」
「そうしようか」
諦めた2人は一旦会場の外へ出ようとテラスを訪れた。ちらほらといる人達から離れ、空いている長椅子に座った。
「ファナは」
「はい」
「これからどうしたい。クラウドが殿下とエルヴィラの運命の糸を引き離した以上、あの2人は“運命の恋人たち”ではなくなった。エルヴィラと殿下が婚約をする必要は消えたんだ」
「お兄様の言う通りではありますが私はどうしてか……殿下とエルヴィラは結ばれないといけないって考えが頭の中から消えなくて……殿下とエルヴィラが結ばれるのは嫌だと思えるのに、結ばれないとならないって考えをするのは矛盾してますよね」
「……そうだね」
納得のいく理由があればいいのに、ないのだ。何も。気持ちだけが訴えている。
「お兄様に聞いてもいいですか? 前の私が公爵家を勘当された後、殿下とエルヴィラは“運命の恋人たち”として幸せでしたか?」
「いいや、全然」
幸せだったのはエルヴィラだけ。抑々の話、とケインは前置きをして2人は貴族学院在学中に“運命の恋人たち”ではなくなっていると話した。驚くファウスティーナに淡々とケインは続けた。
「クラウドが今回のように無理矢理2人の運命の糸を引き千切ったんだ。当然、同じように大怪我を負った」
「クラウド様は何故」
「理由は教えてくれなかった。1つ言えるなら、殿下の為じゃないかな」
「殿下の……」
今はともかくとしても前回の人生では、誰が見てもベルンハルドはエルヴィラを愛していた。愛する人と幸福の象徴たる“運命の恋人たち”となったベルンハルドをエルヴィラから引き離す理由は何なのか。エルヴィラだけが幸せだったとする理由を訊ねた。
これも淡々と「殿下もそうだっただけど、ファナも大概でね。2人揃って意地を張りまくった挙句、ファナはエルヴィラの嘘の殺害計画を企てたのを態と殿下が早く気付くように仕向けたんだ」と紡がれた。
「嘘? え、私嘘の計画なんて練っていなかったですよ」
嘘ならすぐに見破られてしまう。
「ファナが計画したんじゃない。ある人がファナの殿下から逃げたいっていう気持ちに協力したんだ」
「ある人?」
「司祭様と一緒にいる人」
「!」
候補はいてもすぐに頭に浮かぶのは、常に愉しい何かを探している薔薇色の髪と瞳を持つ人。
「ファナはあたかも自分が計画し、実行しようとしている風を装っていただけ。実際は司祭の側にいる人が考えた。エルヴィラを始末する殺し屋もその人が用意していたんだ。と言っても、本気で実行する気はなかったんだけどね」
目的はベルンハルドがエルヴィラ殺害計画に気付き、阻止すること。計画を知ったベルンハルドに捕えられ、牢に繋がれたファウスティーナは王家と公爵家の相談の結果公爵家を追放された。
「お兄様が知っているのはヴェレッド様に聞いたからですか?」
「ファナが計画したんじゃないってまあまあの人が知っていたよ。まずは陛下や王妃殿下」
計画書の文字はファウスティーナの筆跡に似せていたが態とシリウスに気付かれる筆跡を残していた。計画内容もまず普通の人間だったら思いつかない残酷なもの。貴族の娘が、特殊な思考回路を持っていないファウスティーナでは絶対に練られない時点で疑われてはいた。
「俺や父上もね。父上の場合は俺が後から言ったんだ。それとリオニー様もね」
「予想していたより沢山の人に知られていたんですね……」
気付いた人がいるのなら、気付いていない人がいるのも常。母とエルヴィラ。予想内の答え。
口にしようか悩むもファウスティーナはベルンハルドはどうだったのかと問うた。気付いていようとなかろうと前回のベルンハルドは愛するエルヴィラを虐げるファウスティーナを常に嫌い続けた。これ幸いと思っただろう。
「殿下? 殿下は卒業前に陛下から聞き出していたよ」
追放されてすぐに迫っても教えられず、貴族学院卒業を間近にして漸く聞かされた。計画書の内容も練った本人が誰か、筆跡はシリウスに向けて態とバレるようにしていた件もしっかりと。
「お兄様はその計画書を読みました?」
「ああ」
「私の字じゃないって気付いてましたか?」
「何年ファナのお兄ちゃんやってると思ってるの。どれだけ似せようとファナの字とそうじゃない字くらい分かる」
「ふふ。お兄様らしいなあ」
心が嬉しいと、擽ったいと感じる。前のベルンハルドは字を覚えてくれていなかった。自分を知ってもらうために長く枚数が多い手紙を何度も送っていたのに、まともに読んでいなかった。目を通していたかさえ怪しい。
今のベルンハルドならきっと気付く違いを前のベルンハルドは気付けなかった。
「殿下は……前の殿下は私の事が大嫌いでした。エルヴィラを虐めて自分勝手な私が。記憶を取り戻した時は、大嫌いな私と早く引き離して“運命の恋人たち”となったエルヴィラと結ばれて幸せになるのが殿下の為だって思いました。それが正しいのだと信じました。今は……嬉しくないんです。きっと時間を掛け過ぎたせいもあるのかもしれません」
「そうだね」
「殿下と仲良くなれて嬉しい。でも、やっぱり殿下はエルヴィラと結ばれるべきで……殿下と婚約破棄しないといけないって考えは消えないんです」
「……フォルトゥナは……俺にこう言ったんだ」
「え」
きょとんと振り向いたファウスティーナに静かな声で初めが違えば運命は違う。但し、誰の初めなのか、と。
「誰の……?」
「ファナが母上やエルヴィラを気にせずにいたら、殿下とは険悪にならずに済む。実際、エルヴィラの我儘や母上の癇癪をファナはスルーしてたでしょう? これが正しいのだと思っていた」
「違う、のですか?」
「ああ。どこで、とは言えないけどある程度の確信は持ってる」
詳しい話は後日アエリアを交えて話そうとなり、続きを聞きたいがここは引き下がるのが得策だと判断したファウスティーナは渋々受け入れた。
「殿下とエルヴィラが“運命の恋人たち”ではなくなったのは言わないでおこうね」
「クラウド様が先代司祭様にお願いしていましたね」
「ああ。フワーリン公爵への時間稼ぎもあるのだろうけどこの国は運命を大切にする」
女神によって認められた恋人となったのに、既に運命ではなくなったと知れば周囲はベルンハルドとエルヴィラに女神の認定から外されたと好奇の目を向ける。運命の女神に見捨てられた者の末路は残酷だ。次期国王と公爵令嬢がそうなると知れば周囲が黙っていない。
「前のお話をもう少しだけ聞いてもいいですか?」
「いいけど、何が聞きたいの」
「殿下が私と婚約破棄をしなかった理由です」
以前エルヴィラが教会へ突撃しに来た際、女神の生まれ変わりしかヴィトケンシュタイン家は王子と結婚出来ないと知った。“運命の恋人たち”に選ばれたのなら、大嫌いなファウスティーナに婚約破棄を突き付けエルヴィラを新しい婚約者に据えられた筈。何故しなかったのかが気になっていた。良い機会だからとケインに訊ねてみた。
「大嫌いな私と離れられる絶好の機会だった筈なのに」
「最初に言ったでしょう。殿下もファナもお互い意地を張りまくっていたんだ。ファナもあれだったけど殿下の方は何倍も拗らせていた。エルヴィラと結ばれても王太子妃になるのはファナだって認めなかったんだ」
「エルヴィラが王太子妃の役割を熟せないと殿下も分かっていたからでは?」
「あるとは思うけど……クラウドが在学中に糸を無理矢理引き千切ったって言ったでしょう? 恐らく殿下と何かやり取りをしたんだろう。実際、2人の結ばれた運命の糸が引き離されていたんだ。ファナが追放されていなかっても2人は既に“運命の恋人たち”ではなくなってる。女神が運命を否としたとでも言えばファナが王太子妃になっても問題はない」
「……何だかお兄様の話を聞いていると前の殿下は私が大嫌いなのに私を婚約者でいさせたかったと思ってしまいます」
エルヴィラには向ける甘く蕩ける瞳ではなく、氷のように冷たく毛虫を見る瞳を常に向けられ。
エルヴィラには聞かせる優しい声ではなく、他者を震え上がらせる冷徹な声を出され。
思考を回転させてもベルンハルドに好かれていたと自信を持って言える箇所は何もない。嫌われていた部分は沢山言えるのに。
大嫌いなのに、婚約者でいさせたかった。ファウスティーナを王太子妃にし、妃の仕事をさせながら自分はエルヴィラと密かに愛を育む気でいたかのかと溜息混じりに吐き出した。ら、それは違うとケインは首を振った。
「もしも、ファナが王太子妃になっていたら母上や父上同様に爵位を継いですぐエルヴィラも領地に押し込めていたよ。領地に閉じ込めてしまえば、いくら殿下と言えどエルヴィラとの接触は不可能になるからね」
「お兄様には容赦という2文字はないのですか」
「ない。エルヴィラ相手に容赦して何の得がある?」
「…………ないです」
この場にエルヴィラがいなくて良かったと顔を引き攣らせつつ、話を続けた。
「前の殿下は追放されたファナをずっと探し続けていたんだ」
「私を?」
「ああ。陛下に禁じられようと、シエル様に警告されようと、俺がエルヴィラの所へ押し返そうと。ひたすらファナを探していた。
ねえファナ。ファナは婚約破棄したい? 殿下とエルヴィラが“運命の恋人たち”ではなくなったのに」
改めて訊ねられたファウスティーナは、一寸の間口を閉ざすも。
徐に開き自身の気持ちを発した。
「ちゃんとした理由は分からないです。分からないですが殿下と婚約破棄をしないと殿下は幸せになれない、不幸に終わってしまうと私の中で強く訴えるんです。理由が分かれば婚約破棄をしなくても殿下を不幸にさせない方法があるかもしれないのに……」
「なら、アエリア嬢とのお茶は俺が指定しる場所でしよう。危険はあるけどね」
「ど、何処でお茶をするつもりですか」
「きっとファナが行ったら手掛かりになるヒントくらいはある場所、かな」
場所を聞いてもはぐらかすケインにめげずにしつこく訊ねると仕方ないと教えてもらえた。
「ラ・ルオータ・デッラ教会の上層礼拝堂にある隠し通路で行ける場所さ。王家も知らないフォルトゥナ神が人間に与えた秘密がそこに眠ってる」
読んでいただきたありがとうございます。




