最後にわらったのは――⑮
遡ること凡そ30分前——
エルヴィラが王太子妃になるなら、跡取り候補から外れると宣言したケインに一緒に領地引き籠り案を示されたファウスティーナ。声色から察しても冗談なのか、本気なのかが読めない。ケインの事だから本気寄りな冗談な気がしてもならない。ただ、本当に前回のようにエルヴィラが王太子妃になってしまったら有言実行をしてしまいそうだ。2人で部屋を出て、取り敢えず泣いて飛び出したエルヴィラと追い掛けて行った両親を探そうとなり歩き出した。
「お兄様」
「なに」
「本当にエルヴィラが王太子妃になったら、お兄様は跡取り候補から外れるのですか?」
「さっきも言ったけど俺にだって仕える相手を選ぶ権利はある。エルヴィラみたいなのが王太子妃、未来の王妃になるのなら俺は御免だ」
「もしもそれで国にいられなくなったら……?」
「そうなったら、そうなったで考える。たださ、ファナ。エルヴィラがそうなったらファナは俺と来る?」
「お兄様、と一緒ですか」
確実性のない未来。選択肢によっては有り得てしまう未来。
もしも、前回のようにエルヴィラに何もしないまま彼女が王太子妃となった場合、ファウスティーナはお役御免となるわけで。そうなったら、別の王族に嫁がされるだろう。女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐのが大昔から変わらないルール。女神の生まれ変わりしか王家に嫁げないヴィトケンシュタイン家出身のエルヴィラが王族に嫁ぐ時点でルールは変わる。
「“運命の恋人たち”ではないのにヴィトケンシュタイン家の出身者が王家に嫁いだらどうなると思いますか?」
「いきなりだね」
「なんとなく」
「考えた事なかった」
“運命の恋人たち”になれたからこそ、前回エルヴィラは王太子妃となった。もしもならなかったらどうなるか。抑々の話、前回ファウスティーナはエルヴィラ殺害を企てた罪によりベルンハルドに婚約破棄をされた挙句公爵家を追放された。女神の生まれ変わりが王族に嫁げなかった時点からルールは変わってしまっている。
「あ、ケイン、ファウスティーナ様」
これはアエリアに訊ねるべきか、それとも今隣にいるケインに訊ねるべきか。思考を回していたらのんびりな声が2人を呼び止めた。曲がり角から現れたのはクラウド。
「クラウドも会場を出ていたの?」
「うん。さっきまでネージュも一緒にいたんだけどね」
クラウド1人だけということはネージュはいない。会話を終えたらネージュを置いて1度会場に戻り、まだケインやファウスティーナが戻っていないのを見て探しに来たのだとか。
「ちょっと前にエルヴィラ様とヴィトケンシュタイン公爵夫妻を見かけたよ。エルヴィラ様が随分と泣いていたようだけれど」
「あー……あはは……ちょ、ちょっと色々ありまして」
笑って誤魔化そうとするファウスティーナは知ってると言わんばかりに首を振ったクラウドに最早諦めた笑みしか出ない。
「エルヴィラ様がね、自分が王太子妃になったらケインが公爵家の跡取りから外れるって言ったのを聞いちゃって」
「あー…………」
「ケインが公爵にならないなら、僕も跡取り候補から外れようかな」
え。
ファウスティーナとケイン、2人同時に出た1文字。見慣れているふわふわとした笑みを浮かべたままとんでも発言をしたクラウド。驚きから呆れの表情に変わっていくケインと驚きを維持し続けるファウスティーナ。
ケインが公爵にならないからクラウドまで公爵にならない理由がない。理由を訊ねたファウスティーナに当然の如くクラウドは「つまらないから」と言ってのけた。
「ケインが一緒の方がきっと楽しいし、面白いと思うんだ。ケインが公爵にならないなら僕もならない。ルイーザに当主の座を渡すよ」
「もしも、お兄様が公爵にならなかったらクラウド様はどうするのですか」
「そうだなあ……ケインやファウスティーナ様の所に転がり込もうかな」
「え」
「エルヴィラ様が王太子妃になっちゃったら、当然ファウスティーナ様はベルとの婚約が無くなる訳でしょう? なんだか他の王族に嫁ぐってイメージがないし、かと言ってケインの代わりで公爵家を継ぐイメージもない。2人で領地に籠りそうだなって予想を立てたんだ」
「それで転がり込む発言……」
「うん。どうケイン?」
話を振られたケインは呆れが多分に込められた溜め息を吐いた。仮の話なのに現実味があるのはどうしてなのだろう。大体、である。
「こっちに来なくてもフワーリンの領地に引き籠れば?」
「1人は嫌」
「ちょっとちょっと、そこで怖い話をしてる子供達」
“運命の恋人たち”となったエルヴィラとベルンハルド。自身の気持ちは取り敢えずとしても、仮の話が現実になってしまえば次期公爵としての期待値が高い2人が纏めて跡取り候補から容易く離れてしまう。ヴィトケンシュタイン家やフワーリン家、王国としてもこれは避けたい話。
クラウドの方が乗り気な雰囲気になってきた辺りでオルトリウスがやって来た。3人の話を聞いていたらしく、優しい微笑を浮かべてはいるが微かな焦りと呆れが混ざっていた。
「先代司祭様」とファウスティーナ。
「年寄りに怖い話を聞かせないでおくれ。将来有望な子供達が簡単に未来を諦めちゃいけないよ」
「簡単ではありませんよ。現実にエルヴィラとベルンハルド殿下が“運命の恋人たち”に選ばれてしまった以上、2人が婚約するのは確実となったでしょう? エルヴィラみたいなのに仕える気は更々ありません」
「ベルンハルドちゃんの婚約者になったら、人が変わったように成長するかもしれないと言っても?」
「なる訳ないでしょう」
可能性が砂粒程の極小さな大きさであろうと世界には奇跡という2文字がある。奇跡を信じる者と信じない者。ケインは後者と捉えられる。ばっさりとオルトリウスの言葉を切り捨てたケインの表情は無そのもの。声色にも感情はない。
「王太子殿下の婚約者になってエルヴィラが変わるなら、誰も不要な苦労も不幸も訪れない。変わらないから訪れる。エルヴィラ1人しか幸福になれないハッピーエンドなんて俺は御免なので」
「まるで見たことがあるような物言いだね」
「エルヴィラと暮らしていたら簡単に想像が浮かぶ未来を言っただけです。エルヴィラを知っていたら先代様も簡単に頭に浮かびますよ」
ファウスティーナだけはケインの言う言葉が実際見ているからだと確信を持つ。とっくの昔に愛想を尽かしている相手に情も義理もないと切り捨てたケイン。ファウスティーナが戦慄し、何度目かになるか不明な決意を固めたのは言うまでもない。
「長くこの国の為に働いていた僕から言わせてもらうと将来有望な子供達に揃って次期当主の座から降りられるのはまずい。かと言って、エルヴィラちゃんとベルンハルドちゃんの運命の糸をどうこうする力は僕にはない」
瑠璃色の瞳がクラウドを映す。
「どうかな? あの2人の運命の糸、次期フワーリン家の当主の目にはどう見える?」
「歪だなって」
「歪?」
「普通、運命の糸が結ばれても特定の誰かを強く拒絶する現象なんて起きない。運命の糸に触れられる僕の手が弾かれることもね。僕でああなら、運命の糸を作り出せる女神も何らかの影響はある筈さ」
考えもしなかった点にファウスティーナとケインの瞳が丸くなる。ふむ、と興味深げに声を漏らしたオルトリウスはとある話をした。
「運命の女神は極稀に人間の振りをして姿を現す時があると話したね。今回の『建国際』を祝う昼の祭りが正にそうだった」
「会ったのですか? フォルトゥナ神に」
「会ったよファウスティーナちゃん。というか、君も会っているよ」
「へ」
「思い出してごらん。飴を売っているお店に行ったでしょう?」
あめ……あめと言われると飴が浮かび。
次に客引きをしていたコールダック。
最後に浮かんだのは、フードで顔を隠した不思議な女性店主。「あ」と声を出したファウスティーナは勢いよく顔を上げオルトリウスに確認をした。あの女性が人間の振りをした運命の女神だと肯定されるとただただ驚くしかなかった。
聞いた事のある声、何故か知っていると覚えた感覚は自分がリンナモラート神の生まれ変わりで相手がフォルトゥナ神だったからだ。
あの時点で気付いていたら沢山聞きたい事があったのに、と項垂れる。
腕が腰に当たった。
時。
妙な違和感を感じた。ポケットの中には何も入れていない筈なのに固い感触に触れた。ポケットに手を入れて中身を取り出すと「これって……」と紡ぐ。
ファウスティーナの掌に乗っているのは黄色の包み紙に包まれた飴。飴屋で自分が引いた飴だ。
持って来ていないのにどうしてポケットに入っているのかと呟く。
「フォルトゥナ神に貰ったの?」とケイン。
「いえ、私が糸を引いて当てた飴です」
女性店主がフォルトゥナ神なら、飴の色は何かを表している筈。青い飴を貰った時に言われた言葉が蘇る。
——貴女が青だと思う人に渡したらいい。と。
「僕が行く途中、君が店から離れるのを見たんだ。あの女神様は待っている人間がいると言っていたけれどね」
「先代様を待っていたのですか?」
「僕じゃない。君でもなかったのなら……一体誰を待っていたのやら」
「……」
掌に乗る黄色の飴を見やる。運命の女神から与えられた飴にどんな力があるのかと問うとオルトリウスは緩く首を振る。実際に口にしないと分からない、と。
「ふーん」
「クラウド様?」
ファウスティーナが持つ飴を覗くクラウド。じっと見つめているだけと思いきやファウスティーナの掌から飴を取った。黄色の包み紙を外し、中にあった黄色の飴を臆せず口に放り込んだ。吃驚するファウスティーナやケインの声に構わず、飴を口の中で転がすクラウドが発したのは——
「不思議な味だね」だった。
「どんな風ですか?」
「まずくはないけど特別美味しいとも感じない。最初に言ったように不思議な味。少し甘いくらいかな」
「フォルトゥナ神から貰った飴を食べて何か変な感じとかはないですか?」
「ないよ」
「そうですか」
人間の振りをしてまで渡した飴がなんの効果もないただの飴とは思えない。暫く飴を食べるクラウドを観察した。食べ終わっても変化はない。ただの飴だったのかと沈みかけた時、不意にクラウドが笑った。目を丸くして見ていたら左手を広げ掌を上にした。ファウスティーナ達の目には何も映らない。クラウドの目にしか映っていない。
「クラウド様?」
「フォルトゥナ神はこうなる事が分かっていてファウスティーナ様に飴を渡したのかな」
「変化はあった?」
「あったよ。イル=ジュディーツィオか魔術師。どちらかが食べる想定をして渡したんだろうね」
目に見える変化はなくても確実に飴の効果は出ていると話すクラウドは、自分にしか見えないとある運命の糸が掌にあると話した。それはベルンハルドとエルヴィラの糸。好奇心から結んでしまった当初は触れようとするとクラウドを拒絶してきた。今は微かに痺れを感じる程度。
「能力が増幅したら、触れられなかった殿下とエルヴィラの糸に触れられるんだ」
「そうみたいだね」
「千切れる?」
「やってみようか。あ、そうだ。先代司祭様」
オルトリウスへ振り向き、この件は祖父に黙っていてほしいとクラウドは頼んだ。
「どうもお祖父様はベルとエルヴィラ様の運命の糸を外さなくても良いと思っているみたいで。どうしてって聞いても教えてくれないんです」
「イエガー君ね……イエガー君に黙っていても、君が糸を千切れば必ず気付く。理由作りは僕に任せて。そういうのは得意だから」
「じゃあ、お願いします」
話は終わり。
糸を左右の手で摘まみ引っ張った直後——目に見える強い光がクラウドを覆った。雷の如き音が鳴り、引き裂こうとするクラウドを容赦なく襲う。悲鳴に近い声を上げ止めようとしたファウスティーナをケインが止めた。誰に頼まれたのもでない、自分自身の意思でベルンハルドとエルヴィラの結ばれた運命の糸を千切ろうとしているのだ。
ファウスティーナ達の目には見えない糸は、強く拒絶しても糸を千切る手を緩めないクラウドによって徐々に引き裂かれそうになっていた。光はより強まり、焦げ臭い香りが漂い始めた。クラウドの額から頬に掛けて鮮血が流れ出した。
「もうそこまでにしよう。これ以上すると君の身がもた——」ないとオルトリウスが言い終わる前にクラウドの両手は左右に大きくいった。運命の糸は常人では見えないのに、光の粒子がクラウドの前に現れるとすぐに消滅した。
「…………はあ〜〜〜…………」
額から頬にかけて血を流し、服の至るところが焦げて煙を上げるクラウドは長い長い溜め息を吐いて項垂れた。
「しんど……」
「大丈夫? クラウド。医務室へ行こう」
「それよりベルの所に行ってみよう。エルヴィラ様の糸と離れた今なら、ファウスティーナ様がベルに触れても吹き飛んだりしない筈だよ」
怪我の手当てよりも糸を無理矢理千切った結果が出ているかが気になるクラウドを何度医務室が優先だと話しても聞いてもらえず、仕方ないとケインが零し、疲れ果てているクラウドを支えて歩き出した。
「クラウド様」
ケインとクラウドの隣で歩き始めたファウスティーナは、大怪我を負ってまでベルンハルドとエルヴィラの結ばれた運命の糸を千切った理由を問うた。従弟の為だけにしては代償が大きい。ケインに支えられて歩けているクラウドは何でもないように答えた。
「糸に触れて見えた未来は、たった1人を除いて幸せになっていない。エルヴィラ様しか幸せになっていないんだ」
「エルヴィラだけ……」
「でもまあ……悪夢に魘される呪いを掛けられている時点で最後まで幸せかって聞かれると微妙だけどね」
それでも分かった事が1つだけあるとクラウドは答えた。
「やっぱりエルヴィラ様に呪いを掛けたのは——フワーリンとフリューリングだ。誰が掛けたかまでは分からなかったけれど」
「フワーリンとフリューリングの誰か……」
精神に多大な影響を与える呪いは強い憎しみを持たないと掛けられない。分からないのは理由。
「エルヴィラに強い憎しみを持っている人が両家にいるとは思えないです……」
「僕も同感」
「……」
心当たりのないファウスティーナとクラウドと歩くケインは、無言のままそっと瞼を伏せた。
(エルヴィラに呪いを掛けたのは……クラウドとリオニー様だ)
身内に対して情の篤い人ほど、失った原因を強く憎む。
(俺が貰った黄色の飴は——)
読んでいただきありがとうございます。




