最後にわらったのは――⑬
「兄上……」
顔を真っ青にし、ベッドに寝かせられたベルンハルドの呼吸はかなり落ち着きを見せ始めた。今日は『建国祭』という目出度い日なのに、こんな目に遭ったベルンハルドを心配し、顔を覗き込むネージュを侍女のラピスが呼ぶ。
「殿下はこの後如何なさいますか?」
「うーん……会場に戻るよ。兄上が心配だけど、もし目が覚めたらぼくは会場に戻りなさいって言われるだろうから」
まだ心配だがベルンハルドならきっとそう言う。ネージュはベルンハルドを一瞥するとラピスを連れて部屋を出た。
後ろを歩くラピスには見えない。微かに唇の端を吊り上げる小さな主を。
――ある意味では予想通りで、ある意味では予想外かな。
4度目の『建国祭』と言えば、会場にはシエルに連れられたファウスティーナの願いをフォルトゥナが叶え、ベルンハルドとエルヴィラに祝福を授けた。足元に愛する人の色を現した花を咲かせる奇跡を見せたものの、肝心のベルンハルドの足元には赤い花が増殖していった。まるで言うことを聞かず、自分の意志を貫きベルンハルドに纏わりつくエルヴィラそのものだった。
今回はとても早い段階で2人は‟運命の恋人たち”に選ばれた。ネージュにとっても予想外と言える。
前回とは違う展開ばかり。多少鬱陶しいと思う事はあれど、違うものとは新鮮で楽しい気分にさせる。ファウスティーナに前の記憶があるからこその展開ばかり。
会場に戻ったネージュは取り敢えず、従兄のクラウドを探した。途中、令嬢達から声を掛けられるもやんわりと申し出を断りクラウドを探す。
「どこにいるのかな……」
人が多く、広い会場で子供の自分が誰かを見つけるのは難しい。人が多い故の空気の重さが段々と苦痛になり、仕方なくテラスに出た。外の新鮮な空気を吸って再度クラウドを探そうと長椅子に腰掛けた時だ。知っている声が聞こえた。気になって其方へ足を運ぶと……探していたクラウドがいた。側にはネージュにとっても祖父に当たるイエガーがいる。
何を話しているのか気になって2人の声がギリギリ届く距離まで近付き、側にある花壇を盾にして耳を澄ませた。
「クラウド、まだ何か言いたいのかな」
「色々と」
「君の気持ちは理解している。だが、王国にとっては既に不要だ。気にしないでいい」
「でも、それだとベルやファウスティーナ様が可哀想かと……」
最初から聞いていた訳じゃないから詳細までは分からなくても、2人の会話内容が先程の出来事を指しているのは解せる。
「いいかい、クラウド。ファウスティーナ様はリンナモラート神の生まれ変わりなんだ。彼の女神の生まれ変わりの相手となれるのは、初代国王ルイスの生まれ変わりだけ。ベルンハルド殿下がファウスティーナ様以外の相手と運命を結べる時点で彼はルイスじゃない」
「そうだとしても、ファウスティーナ様だって何だかんだベルの事を」
「それはファウスティーナ様がルイスの生まれ変わりと会っていないからだよ。ルイスの生まれ変わりと会えば、殿下の事は忘れる。決められた相手ではない殿下では、女神の生まれ変わりと結ばれる道など何処にも存在しない」
たとえ女神の生まれ変わりであるファウスティーナがベルンハルドを選んだとしても、である。肝心のルイスの生まれ変わりは誰かと話は変わるもイエガーはまだ誰か掴めないと溜め息を吐いた。けれど必ず、自分達の知らない王族……つまり王子がいる。オルトリウスやティベリウスが隠している王子こそルイスの生まれ変わり。
不可解なのは、何故フォルトゥナが何もしないのか、である。
知っている筈だ、ベルンハルドが嘗て妹神の愛したルイスの生まれ変わりではないと。知っていて何もしないのなら、そこに意味があるからでは? とクラウドは疑問を呈した。
「女神様の本心なんて、僕達人間には知る術なんてないですよ」
「そうだね。やれやれ」
「お話は終わりでいいですか?」
「ああ。行っていいよ」
頭を下げ、この場を去ったクラウド。イエガーの方はまだ去らないのか、佇んだまま。
——ぼくもクラウド兄上の所に行こうか……
腰を上げ掛けた時、ぼそりとイエガーが零した言葉にネージュは動きを止めた。
「ルイスの生まれ変わりではない王子が女神の生まれ変わりと結ばれるなんて……これまでの歴史上1度もなかった。例外は作ってはならない。たとえ……」
続きはイエガーの声が小さく聞こえず、そろそろ離れようとネージュは会場に戻りクラウドを探した。まだテラス出入口付近にいる筈だと思うものの、人が多いから中々見つからない。
「ネージュ、こっち」
自分を呼んだ声はクラウドのもの。どこ? と右、左を見たら——クラウドはいた。
こっちこっちと手招きをされ、一旦会場を出ようと連れ出される。
「よく分かったね。ぼくが探してるって」
「なんとなくかな。ベルの様子はどう?」
「顔色が悪いのは変わらない。今はゆっくり眠ってもらう他ないよ」
「そう。……うん?」
怪訝な声を漏らしたクラウドに釣られてネージュも同じ方を向くと王家が用意している客室の扉が少し開いていて、普段通りの歩き方で進んだクラウドに付いて行きこっそりと室内を窺う。室内には泣いているエルヴィラを泣き止まそうとしているヴィトケンシュタイン公爵夫妻がいた。
大体エルヴィラが泣くのは他人にとってはどうでもいい理由が多い。どうせ、体調が悪くなったベルンハルドに引っ付いていたのをケインに咎められて泣いたか、女神に祝福されても婚約者はファウスティーナのままだと言われたかのどちらかで泣いているのだろう。泣いている理由の見当が簡単につくのはエルヴィラくらいだ。
「エルヴィラ泣き止んでちょうだい。ケインも本心から言ったのではない筈よ」
「いいえ! いいえ!! お兄様はわたしの事が嫌いなんです! そうじゃ、なかったら……っ、あんな酷いことを……!」
「考え過ぎよ。エルヴィラの事を思って厳しくしているだけなのよ」
「絶対違います!! だって、お兄様はお姉様にはあんな酷い言葉言わないじゃないですか!!」
癇癪と同等の泣き声は耳を塞ぎたくなる声量を持ち、扉の前で聞き耳を立てるネージュやクラウドの耳にも不快感を齎す。言葉の中にエルヴィラがベルンハルドの婚約者になるなら、後継者の座からケインが降りるとあった。
微かに顔を歪めるネージュとは違い、考えが読めないふわふわっとした笑みのクラウドは「困ったな」と発し、側にいるネージュに向き。
「ケインが公爵位を継がないなら、僕もフワーリン家を継がない」
「え?」
「だってケインがいないと楽しくないよ。僕個人の意見だけど」
「クラウド兄上がフワーリン家を継がないなら、誰が継ぐのさ」
「ルイーザがいる。何なら、ネージュが継いだらいいさ。ネージュにもフワーリンの血が流れているんだから」
言葉では困ったと言いながら、表情と全く一致しない。ふわりと笑むとネージュを置いてクラウドは会場へ戻ってしまった。
残されたネージュは未だ泣き続けるエルヴィラやエルヴィラを泣き止ます夫妻を冷めた紫紺色の目をやり、すぐに逸らし会場へ戻る道を歩いた。
「折角のチャンスなのに……やっぱり駄目だね、あの役立たずは」
4度目で“運命の恋人たち”に選ばれたのは貴族学院在学中。前と比べるとかなり早い。
十分に挽回出来る時間はある。本気でベルンハルドの妃になりたいなら、泣いてないで這い上がる覚悟を見せるべきだ。
「やって見せていたら、誰も不幸にならないか……」
人がお膳立てしてもチャンスを生かせず、無駄にするしかないと散々見て来たのに。
最優先で知りたい事が生まれたからエルヴィラについては頭の隅に置く。
ルイスの生まれ変わり……。ベルンハルドが今までファウスティーナと結ばれなかったのも、ファウスティーナを嫌っていたのもルイスの生まれ変わりでは無かったから? なら、結ばれなくて正解だった。
「ルイスの生まれ変わり、か……。該当する人がぼくの知っている範囲にはいない。多分ケインも同じかな」
こっそりと探そうとし、これからどうなるか楽しみだと天使と評される愛くるしい笑みで会場に戻った。
背中が急にむず痒くなったり、嚔を連発させたヴェレッドは言い様のない寒気を感じた。
「風邪か?」
「知らないよ。……どうも嫌な予感がする。はあ……フワーリン公爵に王太子様がルイスじゃないってバレたせいかな」




