最後にわらったのは――⑫
室内にいる誰をも驚愕とさせる爆弾を落としたケインだけは淡々としており、引き攣った声を漏らしたシトリンに一瞥をくれると肩を竦めた。
「だってそうでしょう? 女神様の決定だからって、ファナの4年間が台無しになるのは納得出来ません。なら、女神様の決定に従えない俺は後継者に相応しくないでしょう」
「ケイン、まだファナと殿下の婚約が解消されると決まった訳じゃない」
「分かっていますよ。ただ、本気でエルヴィラと殿下を婚約させるなら、俺は後継者を降ります。さっきも言ったように俺だって将来仕える相手くらい自由に選びたい」
つまり、王太子妃となったエルヴィラに仕えるのは断固お断りという意思表示。言葉の意味を漸く理解したらしいエルヴィラは大きな声で泣き出した。子供のように泣き出すエルヴィラを見る紅玉色の瞳の零度が更に増した気がしないでもないファウスティーナはケインから一旦視線を逸らし、エルヴィラに声を掛けた。が、兄から告げられた言葉へのショックが大きくて誰の声も耳に入らない。
仕舞いには「お兄様なんか大っ嫌いっ!!」と叫び部屋を飛び出した。
「エルヴィラ!!」
呼び止めるリュドミーラの声にすら振り返らず、リュドミーラは慌てて立ち上がりオルトリウスとシエルに一礼するとすぐにエルヴィラを追い掛けて行った。
「シトリン君は追い掛けなくていいの?」
「も、申し訳ありません……大変お見苦しいところを……」
「後日、今後を決める場を設けるから、今は次女を追い掛けると良いよ」
オルトリウスの言葉を受けてシトリンも2人に一礼をしてからエルヴィラを追い掛けた。エルヴィラがいなくなると室内は静まり、微妙な空気が流れ始め誰も口を開かない。
何と言おうかとファウスティーナは考え、お兄様、と呼んだ。
「さっき、お父様に言った言葉は本気なのですか?」
「本気だよ。もしも、エルヴィラが殿下の婚約者になるのなら、俺は後継者から降りる」
「そんな事になったら、ヴィトケンシュタイン家を継ぐ人がいなくなってしまうのでは……」
「そうだね。なんならファナ、俺と領地に籠って領地運営でもする?」
「え」
思ってもみなかった提案に一驚すると同時に柔らかな笑いが発せられた。シエルだ。
「司祭様?」
「いや。公子が後継者から降りて、エルヴィラ様がベルンハルドの婚約者になるのなら、自動的に次の後継者はファウスティーナ様になるのではと思ってね」
「あ」
「ファナには向いてません。おっちょこちょいですから」
「それ関係ありますか!?」
気を抜いたら然り気無く下げる言葉を出すケインに食って掛かりながらも、やはり昔から続くやり取りだけあってファウスティーナの心から幾分かの不安を取り除いた。
「ファナはこれからどうしたいの?」
「エルヴィラと殿下がこのまま結ばれるのは……何だか嫌です。嫌だと思うだけで具体的な打開策は何も思い付いていません……」
「そう……」
今までのファウスティーナなら、女神に選ばれたのならとあっさりエルヴィラに譲っていただろうが今はもうそうじゃない。エルヴィラにベルンハルドの隣を譲りたくない。我儘な気持ちじゃない、今まで過ごしてきた時間がファウスティーナの考えをゆっくりと変えた。
ケインの声が安心した風に聞こえた気がしつつ、最大の悩みはベルンハルドとエルヴィラの運命の糸をどうするかだ。これについては、ケインが後日クラウドやリオニーに相談する。
ファウスティーナとケインが会話に集中している隣、オルトリウスはシエルに手招きをした。
「今回の一件でイエガー君はベルンハルドちゃんが女神の生まれ変わりの相手に相応しくないと判断してしまった」
「でしょうね」
容易い予想はしても意味がない。
「恐らく、イエガー君はベルンハルドちゃんとエルヴィラちゃんの運命を否としない。リオニーちゃんや僕が説得しても駄目だろうね」
「離宮に引き籠っている人を出さないと」
「あまり使いたくない手だ。何時眠気に襲われて眠ってしまうのか分からないのに。僕達でイエガー君を説得するしかないが……聞き入れてはくれないかもね……」
ベルンハルドがルイスの生まれ変わりではないと知られた以上、イエガーは必ず本物のルイスの生まれ変わりを見つけ出そうとする。その本物自身が見つかるのを嫌がっている。理由の割合としては、7割がシエルに嫌われるから。残り3割は他となる。
「ベルンハルド自身にかなり頑張ってもらわないと」
「そうだねえ。ローゼちゃんがこの場にいても同じ台詞を使っていただろうね」
運命の糸を操れるイル=ジュディーツィオが2人の運命を否としないなら、残る方法は2つ。
1つは運命の女神にこの運命は否だと判断してもらうこと。これは女神本人に訴え続け、思いが届けば成立する。
もう1つは、運命を結ばれた内の片方がこの運命は否だと抵抗すること。
「運命の抵抗は極めて苦痛だと聞く。彼に耐えられるかな」
「耐えられないならそこまで。幸いエルヴィラ様は、誰が見てもベルンハルドを慕っているんだ。自分を心底慕う相手と結ばれるだけまだ幸いですよ」
「シエルちゃん……」
味方の筈なのに辛辣な言葉に引くオルトリウスに触れず、シエルは静かに続けた。
「ただ、ベルンハルドが本気で決められた運命を否とするなら私も協力は惜しまない」
柔く細められた蒼の瞳がまたケインに揶揄され半眼となるファウスティーナにやった。
「ファウスティーナとベルンハルドは、会うといつも笑っているんですよ。あの子にもベルンハルドにも、最後まで笑っていてほしい。その為なら……」
他者を魅了し、幸福さえも与える絶美に鋭利な冷たさが混ざった。
「手を汚すのも厭わない。幸い私の手は、とっくの昔から汚れている」
「……」
オルトリウスの脳内にある記憶が甦る。
息絶えた血に濡れた先王妃と床に座り込んで呆然とするシリウス、そして、返り血を浴びたのか全身ほぼ真っ赤なシエルと……ローゼがそこにいた。
読んでいただきありがとうございます。次はネージュ視点です。




