最後にわらったのは――⑪
王族にしか受け継がれない紫がかった銀糸と瑠璃色の瞳を持つという事は――つまり、そうであるという無言の肯定。愉快そうに笑いながら、膝を折ってケインと目線を合わせたヴェレッドは黒い頭に手を置いた。
「吃驚でしょう?」
「ええ。とっても」
「坊ちゃんってさ、驚いている割に全然驚いている風には見えないんだよ」
「これでもかなり驚いている方ですよ」
自分でも感情の起伏が薄いのは理解しており、持って生まれたものだと納得している。ファウスティーナやエルヴィラのような感情豊かな人間である自分を想像したら、イマイチピンとこなかった。
「はい」
紙切れを渡され、紙に指定した日時と場所においでと言われ、ヴェレッドは去った。
「俺も戻ろうか」
どうせ今頃、オルトリウスの説明や両親から説得をされてエルヴィラは大泣きしているだろう。
●○●○●○
ヴィトケンシュタイン家の面々やオルトリウスがいる別室にシエルと共に入ったファウスティーナ。4者の視線が一気に向いても動じない。
「ファナ、何処へ行っていたんだい。心配したよ」
「ごめんなさいお父様。自分を冷静にさせたくて外に出ていました」
「無理もないよ……」
「お姉様!」
起きてしまった事が事だけに、ファウスティーナの言い分を理解したシトリンであるが、次の言葉を発し掛けた時、目元が赤くなり先程まで泣いていたのが丸分かりなエルヴィラがファウスティーナを呼んだ。
「わたしがベルンハルド様の運命の相手と女神様が正式に認めて下さったので、お姉様には即刻ベルンハルド様の婚約者から外れてもらいます!」
「エルヴィラ! いい加減にしなさい!」
「何でですか! あれは女神様がわたしとベルンハルド様を選び、祝福してくださったと司祭様達が説明していたではありませんか! わたしがベルンハルド様の婚約者に、王太子妃になるんです!」
父シトリンが叱ってもエルヴィラは反論を止めない。女神の祝福を男女という点において、エルヴィラは最もベルンハルドに相応しい相手となった。けれど王太子妃になれるか、とは別の話となる。
「エルヴィラは一体ファウスティーナの何を見て来たんだい」
「何をって」
「王太子殿下との婚約が決まってから、王妃教育を受けに毎日登城していただろう? それだけじゃない、屋敷にいる時だって毎日家庭教師や専用講師の授業やレッスンを受けていた。次期公爵となるケインと同じか、それ以上の量を熟していたんだ。エルヴィラがファナやケインと同じ量の勉強を熟せるとは思えない」
「わ、わたしだって出来ます! ベルンハルド様の婚約者になれるのなら、もう我儘は言いません!」
エルヴィラがこう言っても、前回ベルンハルドの婚約者となり王太子妃になったのに実力不足としてアエリアが王太子妃の執務を熟す為に側妃として嫁がされた。
信用は難しい。ファウスティーナと理由は違えどシトリンやリュドミーラの面が渋いのもエルヴィラでは王太子妃は務まらないと自覚しているからだ。
自分の最大の味方であるリュドミーラもシトリンと同じ表情をし、焦りを隠せないエルヴィラは縋るように母の手を握った。
「お母様、お母様はわたしの気持ちを分かってくれますよね? お母様はわたしの婚約者は、わたしが好きになった人で良いとよく仰っていたではありませんか」
「た、確かにそう言ったわ」
「なら!」
「私はこうも言ったのを覚えてる? ベルンハルド殿下は駄目だと」
「……」
微かに宿った希望の光は、母の次の言葉によって消えた。
この間、勝手に教会に家出した際に教えられた。ヴィトケンシュタイン家が王族に嫁げるのは女神の生まれ変わりのみ。大昔に決定された決まりはずっと守られ続けた。過去エルヴィラのように王子に恋心を持った娘はいただろうが誰1人王子妃にも王太子妃にもなっていない。
「でも!」と顔を上げ、女神がベルンハルドの運命の相手に選んだのは自分だとエルヴィラは譲らない。こう言われるとリュドミーラやシトリンは何も言えなくなる。
「はあ……」と小さな溜め息をファウスティーナの耳は拾った。すぐ側にいるシエルが吐いたもの。
「どうしますか叔父上」
「どうもこうも。さっきから何度も説明しているのだけど中々納得してくれないんだ」
「一応、そうなるであろう予想を言ってあげればいいでしょう」
予想? と聞き返すとシエルに教えられたのは、現状女神がベルンハルドとエルヴィラを祝福したのなら、エルヴィラは王太子妃候補の1人となり、ファウスティーナと同じく王妃教育を受ける必要が発生する。仮にエルヴィラに王太子妃の適性有りと判断されれば、ベルンハルドとファウスティーナの婚約は無くなり、新たにエルヴィラが婚約者となる。
婚約者がエルヴィラになると言われると胸がチクチクと痛んだ。魚の小骨が刺さったような不快な感覚。
「ただ」とシエルは続ける。
「エルヴィラ様が王太子妃になれるとは、私も思わないかな」
「なっ」
「この間の家出騒動然り、今回の件についても然り。君は貴族としてよりも自分の気持ちを最優先に動く傾向が目立つ。国の為、民の為に上に立つ王を現王妃のように支えられるとはとても思えない」
恋心は美しい。恋は軈て愛へ昇華し、女神に認められればルビーレッドの光が祝福をする。
「結局、決定を下すのは陛下だ。私がどうこう言ったところで今は何も決まらない」
「はあ……」
今度溜め息を吐いたのはオルトリウス。
「シエルちゃん、そうやってシリウスちゃんに放り投げないの」
「私はあくまで教会の司祭をしているしがない王族ですから」
「あーもういい。これ以上何も言わないでお願い」
シエルに言われたのがショックだったのか、嗚咽を漏らし涙を流し初めたエルヴィラはリュドミーラに抱き付いた。
「な、んで、なんで誰もわたしのベルンハルド様への気持ちを理解してくれないのですかっ」
誰かを愛する気持ちは尊いとは誰の言葉だったか。少なくともベルンハルドを慕っている令嬢はエルヴィラの他に大勢いる。それこそ、エルヴィラ以上に慕っている令嬢もいるかもしれない。公爵令嬢でベルンハルドの婚約者の妹だからずっと周りより近い距離で接せられたに過ぎずとも。
「エルヴィラ」と呼ぶと涙目でも睨むのを忘れないエルヴィラに呆れたくなる気持ちを抑え、とある旨を訊ねた。
「エルヴィラが王太子殿下をお慕いしているのは知ってる。逆に聞くけど王太子殿下はエルヴィラをどう思っているの?」
「そんなの決まってます! ベルンハルド様はわたしにとても優しくしてくれます! わたしがどんなお話をしても聞いてくれて、それから」
何故だろう、以前にも同じやり取りをした気がしないでもない。
「多分、私かお兄様が言ったかもしれないけど、殿下がエルヴィラに優しいのは私の妹だからよ。婚約者の身内に意地悪するような方じゃないもの」
「お姉様よりわたしの方がベルンハルド様をお慕いしています! 現に、お姉様はベルンハルド様を名前で呼んでいないではありませんか!」
痛いところを突かれるもこれについては既にベルンハルドと話を付けており、他人にとやかく言われる筋合いはない。
「名前で呼ばないからと言って相手を慕っていない理由にはならない。エルヴィラがこれからも殿下と一緒にいたいなら、女神様に選ばれたエルヴィラが正解だと知らしめる為にエルヴィラ自身が努力をしないといけないの」
本気で王太子妃になりたいのなら、今まで泣いて逃げていた勉強やレッスンから一つも逃げられなくなる。王妃教育を受けるのなら、登城しないとならない。無論、そこにエルヴィラの絶対的味方たるリュドミーラは来られない。エルヴィラを甘やかす存在は誰もいない。
「お姉様に出来てわたしが出来ないなんて有り得ません。わたしだってやれば出来るんです!」
——なら最初からそうしてちょうだいよ!
と心の中で絶叫しつつ、顔を引き攣らせていると「なら、見てもらいなよ」と戻って来たケインが開口一番放った。お兄様、と振り向いたファウスティーナはすぐにケインから顔を逸らした。今のは見なかった事にした。
「父上でも母上でも、誰か、エルヴィラがファウスティーナと同じようにできるところを見てもらえばいい。それで現実を見ればいい」
「わたしが出来ないと言いたいのですか」
「少なくとも、エルヴィラを知っている人で出来ると思う人はいない。俺も含めて。大体、そんな自信がどこからきているかこっちが聞きたいくらいだ」
「っ! あ、あんまりです……!!」
大きな年齢差はないのに、他者を恐怖させ、絶望へ叩き落すケインの紅玉色の瞳は、涙目なエルヴィラと大いに違った。触れれば凍り付く氷の紅玉は無感情にエルヴィラだけを映す。
このままではエルヴィラが泣き出すと察知したリュドミーラは2人の間に入り、耐えきれなかった涙を零し始めたエルヴィラを抱き締めた。
「ケインそこまでにしてあげて。エルヴィラもよ」
「わたしは……!!」
「……酷なことを言うけれど、私も旦那様もエルヴィラがファウスティーナと同じ勉強量を熟せるとは思ってないわ」
「え……」
突然の言葉に愕然とするエルヴィラ。苦い表情をしながらもリュドミーラは続け、ケインのあまりの冷たい雰囲気に何もしていないファウスティーナは固まっており、そのケインに手を握られて隅へ寄った。
「俺が言うのもあれだけどファナは何処にいたの?」
「冷たい風に当たりたくなって……」
まだ、嘘を言うしかない。
「そう」
「お兄様、エルヴィラと殿下はこのまま婚約すると思いますか……?」
「どうだろうね。ただ——」
再び部屋の中央に移ったケインは母に諭されながらも泣き続けるエルヴィラに近付き、顔を上げたところでシトリンにこう言い放った。
「俺は女神の決定に従えません。このまま、殿下の運命の相手だからとエルヴィラが王太子妃になるのなら、俺は後継者の座から降ります」
淡々とした声色が放った言葉は、この場にいる誰をも驚愕とさせた。
「ケ、ケインっ」
「俺だって将来仕える相手くらいは選びたいですよ。エルヴィラが王太子妃になるのなら、後継者から外された方がマシです」
氷の如く冷たい声色とは程遠いのに、言葉のあまりの衝撃故にファウスティーナはまた固まってしまった。
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