最後にわらったのは――⑩
「アエリア様はどうして此処に?」
「ファウスティーナ様がテラスに出るのを見たから、気になって追い掛けてきたの」
「侯爵様達は?」
「お父様達は、さっきのアレに釘付けで気付いていないから平気よ」
ファウスティーナも同じ。周りにいる誰もが絵画からルビーレッドの光を注がれるベルンハルドとエルヴィラに視線が集中していた。会場に戻るとどよめきを残しつつも、今日のメインたる『建国祭』は開始していた。楽団が音楽を奏で始めたばかりで中央にはシリウスとシエラが踊っていた。
一先ず、自分達の家族の許に戻りましょうと言うアエリアの言葉に頷き、ファウスティーナは家族を探した。さすがにもう上座にはいなかった。ベルンハルドもネージュも。ベルンハルドに関しては、顔色の悪さが極まっていた。大丈夫だろうか、倒れたりしてないだろうかと心配だけが募る。
「お父様達……何処だろう」
周囲の視線がファウスティーナに多く刺さる。無理もない、先程の光景を見たら、ベルンハルドとエルヴィラが女神によって祝福されたと思う者は多い。魅力と愛の女神リンナモラートの生まれ変わりとされるファウスティーナが何かしたのでは、と囁く声がする。
絵画に向かって礼をした際、心の中でベルンハルドの幸福を願ったのは違いない。その時、頭の中に直接聞こえた女性の声。もしも、あれが女神の声だとして、リンナモラートかフォルトゥナか、どちらの声になるのか。
そもそも、あの女性の声を聞いた覚えがある。何処だっただろうと思い出しても記憶に靄が掛かって思い出せない。
ベルンハルドとの婚約を公にしていなくても、大体の貴族はファウスティーナとベルンハルドの婚約は結ばれていると思っている。7歳の時婚約が結ばれるも、何度かファウスティーナが倒れてしまい、公にはしないと事となってもだ。
「お嬢様」
「!」
人が多く、中々家族が見つからないファウスティーナの後ろから声を掛けたのは上級騎士の正装をしているメルディアス。その見目麗しい姿から、女性達の視線を集めていた。
「探しましたよ。ヴィトケンシュタイン家の方々は別室に移動されています」
「殿下はどうしていますか?」
「王太子殿下ですか? 会場では持ち堪えましたが……」
会場を出た途端ベルンハルドは倒れてしまい、手を離そうとしなかったエルヴィラは騎士によって強制的にベルンハルドから引き剥がされ大層不満げであるも、倒れたベルンハルドを心配していた。
「お手をどうぞ」とメルディアスに差し出された手を取ると女性達の視線が一気に鋭くなり、身を強張らせるも早々に会場を連れ出されたお陰で長く視線に晒される脅威からは解放された。
「ありがとうございます」
「いいえ。さあ、公爵家の方々がいる部屋へご案内します」
「はい」
メルディアスと向かいつつ、先程の光景をどう思っているか訊ねた。
「メルディアス様は、先程の殿下とエルヴィラをどう思いますか?」
「かなり厄介な事になったな、と」
「厄介、ですか?」
「ええ。オルトリウス様やシエル様が説明をしたのですがね。さっきの殿下とエルヴィラ嬢に注がれた光は、恐らく姉妹神があの2人を“運命の恋人たち”に選んだ証。オルトリウス様とシエル様は、明確には発言しませんでしたが2人を祝福しているとだけは言いましてね」
「……」
「こうなるとお嬢様が王太子妃になるのはほぼ無理になります。“運命の恋人たち”は必ず結ばれ、幸福が約束されますから、望んで別れる者はほぼいません」
王国は運命を大切にする。故に、姉妹神によって祝福されたベルンハルドとエルヴィラの別れは誰も想像しない。メルディアスが語るのは王国民としての一般論。正しいと解していても、どうしてかファウスティーナの胸にポッカリと空いた穴は塞がらない。
7歳の時に前の自分を思い出してから早4年。長いようで短い間だったが漸く大きな目的を達成した。前のベルンハルドとエルヴィラが“運命の恋人たち”だったように、今回の2人も選ばれた。自分が望んだ誰も——ファウスティーナを除いた——不幸にならない幸福のハッピーエンドまで後1つとなったのに、全然嬉しくない。
——そうか……
前のベルンハルドと今のベルンハルドの違いは、ファウスティーナが最初を間違えなかったから。婚約者として初めて出会う時、もしも前のようにエルヴィラを泣かせて追い出したら同じようにベルンハルドに嫌われただろう。
幸福の為のハッピーエンドへ繋げる最後に必要なのは婚約破棄。
達成感も喜びも嬉しさも湧かないのは、4年間築き上げたベルンハルドとの優しい思い出があるからで、ベルンハルドもきっと今までのファウスティーナとの思い出があるからエルヴィラを選ぼうとしない。
優しいベルンハルドにとったら、自分を慕い真っ直ぐに好意を見せるエルヴィラを拒絶するのは想像を超える苦痛となる。ならば、ファウスティーナがするのはもう1つしかない。
「メル。ファウスティーナ様を連れて来てくれてありがとう」
もうすぐ部屋に到着するといったところでシエルが待っていて、此方に来るとファウスティーナと目線が合うよう膝を折った。
「何処へ行っていたの? 心配したよ」
「すみません、あまりに衝撃的だったので外の冷たい風を浴びたら冷静になれるかなと……」
「まあ、そうなるよね」
頭をよしよしとシエルに撫でられ、今部屋ではオルトリウスとヴィトケンシュタイン家の面々で話が続いている最中だと聞かされた。ベルンハルドとエルヴィラが祝福された以上、王太子妃候補に挙がってしまい、エルヴィラは大喜びだがシトリンやリュドミーラは反対してエルヴィラが泣きながら反論しているのだとか。
簡単に光景が頭に浮かんでしまい、何も言えなくなるファウスティーナだが。
「……司祭様、殿下とエルヴィラはこのまま結ばれたままで良いのではないですか」
「……それは以前君が言っていた話かな?」
こくりと頷き、でも、と続けた。
「殿下が幸せなら……エルヴィラと一緒の方がいいと思います。でも……全然嬉しくないんです。殿下が幸せになれるのならって、潔く身を引くのが正しいとしても……」
「さて、それはどうかな」
撫でていた手を空色の頭に置き、するすると下へやりファウスティーナの頬に触れた。
「何をもって幸福か、不幸と捉えるのは個人の感覚だ。君が幸福と思えても、ベルンハルドにとったら不幸かもしれないよ」
それと、と付け足され「今の君の顔は、どう見てもエルヴィラ嬢といる事がベルンハルドの幸福になってほしくない、そう書いてある」と言われるとファウスティーナは何も言えなくなった。
「どうする……は違うか。君はどうしたい?」
「……殿下に幸せになってほしい、です。……私が殿下の側にいて殿下が不幸にならないなら、殿下と一緒にいたいです」
老若男女問わず魅了する蒼の瞳と真っ直ぐと向き合って、嘘じゃない本心からの言葉を出すとシエルの表情が幾分か和らいだ。額と額を合わせられ、目を閉じた。頬に触れる手から伝わる温もりとシエルのファウスティーナとベルンハルドを思う気持ちが十分に伝わり、一緒にいたいと願う気持ちといない方がベルンハルドの為と思う気持ちを中和させ——一緒にいたい気持ちを強くしてくれた。
——別室で自分とファウスティーナ以外の家族とオルトリウスが話をする最中、会場にハンカチを落としたと理由を作って部屋を出たケインは服の中に隠していたネズミを出し、下に置いた。会場を出て別室へ案内される直前、ケインの足下にやって来たネズミの小さな体にはそれに見合った風呂敷が巻かれていた。解いた風呂敷には1枚の紙切れがあり、指定した場所に来いというもの。
ネズミの使いを出した相手に心当たりがある。以前、同じ字の紙切れを本人から貰っている。後日と言っていたくせに今なのは、相手の事情というより、ベルンハルドとエルヴィラの祝福を目撃したせい。
舞踏会場から外に出て、王宮の方へ足を運ばせ、指定された場所である王宮の外側を回った瞬間。
「いらっしゃーい」と呑気で愉し気な声が届き、驚かずに振り向いたケインでも、予想した相手の異変には目を見張った。
「やってくれたねえ。それとも、これも君には想定内なのかな?」
「……そうですね、と言っておきましょう。俺からもいいですか?」
「予想はつくけど……どうぞ」
「なら率直に聞きましょう。
随分と髪と瞳の色が変わりましたね」
灯りを持っている彼のお陰で、彼の名前の通りの薔薇色の髪や瞳の色は、王族にしか受け継がれない紫がかった銀糸と瑠璃色の瞳になっているのがよく見える。




