最後にわらったのは――➇
毎年参加している『建国祭』で絵画が光ったという現象が起きた記憶は1度もない。それは他の貴族達も同じ。長く生きている者でもこんな現象を見たのは初めてだ。何が起きるのだろうと固唾を呑んで見守っていると絵画の光は徐々に薄まり、軈て消えていった。絵画が消えたので自分の目はどうなっているかと母に聞くと消えていると言われた。瞳が光っていた以外ファウスティーナに異変はなく、周囲を見ても変化は起きていない。
姉妹神の祝福だと所々で誰かが言うもそうだろうかとぼんやり考える。
ファウスティーナは何となくベルンハルドの方へ向いた。特別、何かを思った訳じゃない。本当に何となく。
「殿下?」
化粧で顔色を誤魔化しているのに、誤魔化しが通じないレベルでベルンハルドの顔色が最悪となっていた。
ふらりと足元が揺れたベルンハルドが心配になり、「殿下っ」と駆け寄った。
「ファウスティーナ……」
「どうされたのですか? 顔色がとても悪いですよっ」
「わ、分からないんだ。でも、あの光を見ていたらすごく気分が悪くなって……」
「あ」
またふらりとなったベルンハルドを支えようと後ろに回って背中に触れた。
その刹那――凄まじい静電気が発生した。バチっという、大きな音が発生した直後ファウスティーナの体が後ろへ飛ばされた。静電気の強烈な痛みと体が宙に浮く妙な感覚に呆然となっていたのも束の間、次にどんな痛みがくるのかと強く瞼を閉じた。周囲から上がる悲鳴を聞きながら床に叩き付けられるのを覚悟した瞬間、誰かに体を受け止められた。ふわりと香った芳醇な薔薇の香り。薔薇の香水を好んでつけるのはシエルだが、この香りは違う。思い当たる人を1人知っている。ゆっくりと瞼を開けたファウスティーナが見上げると青水晶の瞳が焦りの色を浮かべファウスティーナを見つめていた。
「大丈夫か? ティナ嬢」
「リ、リオニー様……」
リオニーが受け止めてくれた。
「な、なんとか……。一体何が……」
「分からない……絵画が光ったのもそうだがベルンハルド殿下に触れようとしただけであの拒絶反応……」
「あ、で、殿下、殿下は……」
まだ若干体が痺れているものの、ベルンハルドが心配でリオニーに体を支えてもらいながら自分の足で立つと……何時倒れてもおかしくない顔色の悪いベルンハルドが泣きそうな顔でファウスティーナの方を見ていた。
「ファ……ファウスティーナ……!」
此方に駆け寄ろうとしたベルンハルドの腕を掴み、止めたのはネージュだった。ネージュが触れてもファウスティーナに起きた凄まじい静電気は起きない。
「兄上! 今は不用意に動かない方がいいよ!」
「で、でも、ファウスティーナが、ファウスティーナが僕のせいで……!」
「ぼくが触れても何も起きていないけど……またファウスティーナ嬢に近付いたら、さっきみたいに吹っ飛んじゃうかもしれないでしょう!」
「っ」
ネージュの指摘に取り乱してばかりいたベルンハルドも幾分か冷静さを取り戻し、顔色は最悪なままだが動く気を一旦止めた。
「リオニー、ファウスティーナ様」
急いで駆け付けたシエルに体の痛みや異変はないかと確認を受けるファウスティーナ。静電気を食らった際の痺れや痛みは徐々に薄くなっていると話し、ベルンハルドに触れようとした瞬間に起きた凄まじい静電気は何だったのかとシエルに訊ねた。
シエルにも分からないと首を振られるが絵画が光ったのと関係があるのではと口にされた。
「さっき、君の瞳が絵画と同じ様に光っていたでしょう? あれと関係があるんじゃないのかな」
「司祭様でも分からないとなると……他に姉妹神に詳しそうな人となると……」
シエルやオズウェルよりも妙に詳しいヴェレッドとなるがパーティー会場にはいない。
「リオニー様でも分かりませんか?」
「王弟と同意見としか言い様がない」
「そうですか……」
「あ……だけど叔父上なら……」
「先代司祭様……」
今パーティー会場には、先代司祭オルトリウスもいる。ヴェレッドがいなくても先代司祭を務めたオルトリウスなら何か分かるかもしれないと思った時、既にオルトリウスも玉座の方へ来ていた。
側にはフワーリン公爵イエガーがいる。
ファウスティーナがオルトリウスとイエガーの許へ近付くと瑠璃色の瞳を心配そうに向けられた。
「災難だったねファウスティーナちゃん。怪我はないかい?」
「リオニー様が受け止めてくださいましたから」
「それは良かった。しかしこれは……何と言うか……」
「先代様は何かご存知ですか?」
「ご存知というか、何と言うか……」
率直に言わない、曖昧な言葉しか出さないオルトリウスの次の言葉を待つ。
オルトリウス自身も予期していない事態が起きて説明する為の言葉を探している気がする。側にいるイエガーの表情が些か険しい。
「……オルトリウス様、どうもベルンハルド殿下はそうじゃないようだ……」
「イエガー君今その話は後にしよう」
「薄々気付いてはいましたよ。ただ、今この瞬間証明されましたな」
「お願いだよ。今は、その話をしないでおこう」
険しい顔付きと若干込められた苛立ちの声がイエガーの内心を表すも、対応するオルトリウスは毅然とした態度を崩さず、話を強制的に終わらせた。
「ベルンハルドを医務室へ運べ」
一先ず、倒れる寸前と予想される顔色の悪さが目立つベルンハルドを医務室へ運ぶよう騎士に命じたシリウス。即座に駆け付けた騎士がベルンハルドを支え、会場から移動させる直前人影が動いた。
揺れた長い黒髪がエルヴィラだと即判断出来た。リュドミーラやシトリンが気付いた時には既に遅く、騎士に支えられてやっとなベルンハルドに駆け寄り手を握った。
「ベルンハルド様っ、大丈夫ですかっ? わたしもご一緒します!」
「エルヴィラ離れなさい!」
父に声を上げられるも振り向いたエルヴィラは絶対に嫌だと叫んだ。ベルンハルドの手を強く握り、医務室まで一緒に行くと言って譲らない。
エルヴィラが触れてもファウスティーナに起きた凄まじい静電気は発生しない。
つまり――。
――私、だけ……?
自分だけがベルンハルドに触れられない?
頭が混乱する。どれだけ考えても時間も自身の余裕も全くない。思考がぐるぐると回って気分が悪くなってきた。異変に気付いたリオニーに心配をされるが大丈夫だと首を振り、ベルンハルドとエルヴィラの方へ意識を戻した。
ら。
「……」
最初に起きた現象は姉妹神の薄黄色の瞳とファウスティーナの薄黄色の瞳が光った事。
新たな現象が既に起きていた。絵画からベルンハルドとエルヴィラに向かってルビーレッドの光が注がれていた。
王国では、ルビーレッドの光は愛を意味する。
誰もが呆然とし、声を発しない。
2度も起きた現象に言葉が誰も出ない。
「……」
呆然とする周囲が絵画やベルンハルドとエルヴィラに視線を集中させる中、お互いを見つめ合っている者がいた。
ケインとネージュだ。
ネージュにテラスを指差され、そっとその場から離れたネージュに倣ってケインもこっそりと動いた。誰もが意識を同じ方向へ集中させている今なら気付かれない。
「お兄様…………?」
とても小さく自分を呼んだファウスティーナの声は気のせいだと感じ、足を止めずケインはテラスへ出た。
暫く誰も来ないテラスで内緒話をする絶好の機会。冷たい夜風に当たって腕を擦るネージュは平然とした様子のケインに口を尖らせた。
「よく平気な顔をしていられるね、こんな寒いのに」
「なら外へ出なければ良いのでは?」
「内緒話をするなら、ここが今1番打ってつけだよ」
「そうですか。それで?」
「なに?」
「さっきから起きているあれ、貴方の仕業ですか?」
「何度も言っているけどぼくは何もしていないよ」
「それにしては、起きると分かっていたような顔をしていましたよ」
淡々と言葉を並べるケインに面白く無さげに溜め息を吐いたネージュだが、愛らしい天使の笑みを浮かべた。
「そりゃあね。君だって知っているでしょうケイン。前も起きたんだから」
「前は、ベルンハルド殿下に触れようとしたら吹き飛ばされませんでしたよ」
「そもそも、触れようともしなかったじゃないか」
「まあ、そうですね」
「ルビーレッドの光は愛を証明する。この国では“運命の恋人たち”の誕生を意味するってケインは知っているでしょう?」
「知ってますよ」
「今回はかなり早くに兄上とエルヴィラ嬢が“運命の恋人たち”になってしまったけどおかしくはないよ」
――だって、遅かれ早かれこうなっていたんだから。
事情を知らない人が見たら愛らしい天使の微笑みに騙されるだろう。王国でネージュの本性を知っているのはケインやアエリアくらい。小さく溜め息を吐き、前の4度目の際何をしたのかと改めてネージュに問うた。何もしていないと言うのなら、少なくとも前の4度目で何かをしている筈だ。
今の5度目が始まる前に。
ケインの淡々とした口調の問いにネージュは変わらない表情のまま告げた。
「簡単さ。運命の糸を操れる能力者2人にお願いしたんだ。
兄上が、ファウスティーナが不幸になった挙句死んだのは、自分ただ1人幸福の絶頂にい続けたエルヴィラ嬢のせいだ、ぼくは2人を追い込んだエルヴィラ嬢を絶対に許さないって」
「……」
「後は……ある程度ケインも想像は出来るでしょう?」
「……つまり、クラウドとリオニー様にとびっきりの呪いをエルヴィラに掛けさせた訳ですか」
「そう。どうせ4度目が終わるんだ。なら――とびっきりもとびっきり、決して誰にも解呪させないよう命を代償にした呪いをね」
愛する従弟と愛する妹が遺した娘を失った2人の悲しみ、憎しみ、絶望全てが込められた呪いが今現在エルヴィラを苦しめている悪夢を招いている。ベルンハルドと“運命の恋人たち”になった今エルヴィラは不幸どころか、嘗てネージュが嫌った幸福の絶頂そのもの。
ネージュもそれを分かっているが幸福の絶頂には到達しないと放った。
「理由は自分で考えてね」
「……」
違う出入口からテラスに出て2人の会話を聞いているファウスティーナは、ただただ呆然としていた。
一体、何が、どういう事なのか、あそこにいるのは本当にネージュなのか、自分の知るネージュとは程遠くて信じられない。
ケインにしてもそう。
今まで自分が見て来た兄と雰囲気が違うどころの話じゃない。
「ファウスティーナ様」
「!」
声を出しそうになったのを耐えきり、1人かと思っていた場所にもう1人いたとは知らなかった。
「ファウスティーナ様。今は戻りましょう」
「アエリア様……」
ピンクゴールドの髪をさらりと流したアエリアは新緑の瞳を真っ直ぐとファウスティーナにやる。
「……貴女の言いたい事は解るわ。でも、今は戻りましょう」
「でも」
「後日、私が知っている全てを話すわ。勿論、公子を無理矢理同席させてね」
「……はい!」
こっちだとアエリアに手を引かれ、ファウスティーナは会場に戻った。
2階から下の光景をこっそりと眺めていた人物はこの場を後にし、慣れた足取りでパーティー会場から離宮へ足を踏み入れた。
離宮内の部屋には入らず、庭に設置されたテーブル席でぼんやりとしている男性に近付いた。
「妙に騒がしい気配がするな。何か起きたか」
「起きたよ。それも最悪なのが」
シエルと同じ流麗な銀糸を持つ男性の瞳がその先を言えと語っている。空いている椅子を引いて腰掛けた彼――ヴェレッドは左襟足を弄った。
「フワーリン公爵が知っちゃった。王太子様がルイスの生まれ変わりじゃないと」
「そうか……」
「まあ……少し前から気付いていたのが決定的になったって言うのが正しいか。はあ……」
左襟足を弄るのを止め椅子の背に凭れた。




