26 遠い眼
朝食を終え、出掛ける準備をするべくプレゼントを持ったリンスーを連れて私室へと戻り、それらをテーブルの上に置いてもらった。1つずつ置いてもらい、シトリンに要望したプレゼントのリボンを解き包み紙を開いた。真っ白な大きな箱の蓋を開けると――
「わあ! とっても可愛い!」
ファウスティーナは両手で、真っ白で丸くてもこもこなコールダックのぬいぐるみを取り出した。オレンジ色の嘴と足、円らな黒い目、愛嬌のある姿。実物を見なくても伝わる可愛さ。周囲に向日葵を撒き散らしながらくるくる踊るファウスティーナを温かい眼差しで見守るリンスー。欲しいぬいぐるみを与えられたのともう1つ、嬉しい理由がある。ファウスティーナの髪で揺れる髪飾りがそれを裏付けている。
動くのが好きなファウスティーナの邪魔にならない髪飾りを選ぶのに、どれだけ悩んだのか。
「奥様の趣味とは全然違いますから、相当時間は掛かったでしょうね……」
「ん? 何か言った?」
「いいえ、何も」
そう? と不思議に思いつつもまたコールダックのぬいぐるみと踊り始めた。これから出掛ける為の準備をしないといけないのだが、今日はファウスティーナの誕生日。主役が浮かれたって良いじゃないか。もう少しだけこのままにしておこうとリンスーは見守るのだが、不意に視線を後ろから感じた。ちらっと見て声が出そうになったのを必死で堪えた。
少し開いた扉の隙間から、リュドミーラが心配げにファウスティーナを見つめていた。食堂での反応から喜んでいたのは明白なのに、やはり心配があったのか。ぬいぐるみと楽しげに踊る姿に安堵しているように見える。
ここで声を掛けたら、何となく(リンスーが)気まずい空気になってしまいそうなので見なかったことにした。
「さあお嬢様。そろそろ教会へ行く準備をしましょう」
「そうね」
リンスーに言われ、ファウスティーナはコールダックのぬいぐるみをソファーに置いた。
王国の住民は、誕生日を迎えると姉妹神を主神とする教会で祝福を受けるのが通例となっている。平民、貴族、王族関係なく。
「今日はどの様なお召し物で向かわれますか?」
「とても天気が良いから、水色のドレスがいい!」
「はい。すぐに準備をしますね」
リンスーは衣装部屋に向かう前に再度出入口を見た。リュドミーラの姿はもうなかった。安心して部屋へ戻ったのだろうと判断した。が、扉をコンコンとノックされた。リンスーが出る前に訪ね人が入った。
朝食の場にいなかったエルヴィラが寝間着姿のまま立っていた。
「エルヴィラ?」
急な訪問にファウスティーナが目を丸くする。
母親譲りの黒髪は所々跳ねている。寝間着姿だけあって、朝の支度は何もしていないのが目に見える。
「お姉様」
些か不機嫌な顔で室内に入ったエルヴィラの目が、ふと箱の中に大事に仕舞われている瑠璃色に染色されたリボンを捉えた。
「そのリボンは?」
「これ? 今朝、使者の方が届けてくれたの」
ベルンハルドからのプレゼント、とは敢えて言わず。
「……そうですか」
「で、どうしたの?」
「ベルンハルド様は今日いらっしゃいますよね?」
「来るって手紙は来てないから来ないわよ」
「今日はお姉様の誕生日なのに?」
「殿下はとてもお忙しい方よ。会えなくても、こうやってプレゼントを贈って下さるだけで私は十分よ(この台詞を前の私にも言ってやりたい)」
プレゼントに付いていた手紙は部屋に戻る道中読んだ。
ファウスティーナの8歳の誕生日を祝う言葉と会いに行けないことを謝罪する旨が書かれていた。それとファウスティーナの体調を気遣ってもいた。全然元気ではあるが2度の前科があるので大丈夫ですとは強く言えない。
エルヴィラはきっと、今日はベルンハルドに会えると楽しみにしていたのだろう。思惑が外れ落ち込んでいる。
「それより、いつまでも寝起きの格好をしてないでトリシャを呼んで着替えていらっしゃい。エルヴィラの朝食はちゃんとあるから」
「……はい」
「リンスー、付いて行ってあげて」
「分かりました。さあ、エルヴィラ様」
トボトボと戻って行くエルヴィラをリンスーがトリシャの所へ連れて行ったのを見送り、やれやれと息を吐いた。
テーブルに置かれたプレゼントの内、ケインから貰った本はまだ包みを解いていないが夜の楽しみにしておこうと置いたままにすると決め。瑠璃色のリボンは箱の蓋を閉めて机に置いた。
記憶と違うプレゼント。これが何を意味するかファウスティーナには見えないが、1つ違った所で大部分はきっと変わらない。
リンスーが水色のドレスを持って部屋に戻り、着替えをした。次に化粧台の前に座った。髪飾りは一旦外し髪を梳いていく。
「髪型は如何致します?」
「下ろしたままでいいよ」
「王太子殿下からのリボンは使われないのですか?」
「また会う時に使えばいいよ。今日はこれだけでいいよ」
これとは、言わずもがな髪飾りのこと。
リンスーはそれ以上のことは言わず、ファウスティーナの髪を梳き終えると髪飾りを右耳の上辺りに付けた。
「準備OKだね」
「時間まではゆっくりしてください」
「うん。何かあったら呼ぶね」
準備を終えたリンスーは部屋を出て、残ったファウスティーナはベッドの下に隠してある【ファウスティーナのあれこれ】を開いた。
前も教会に行った。
特に問題は起きていない。
ケインやエルヴィラの誕生日でも問題行動は起こしていない。ちゃんと大人しくしていた。
ならば、次のイベントは何だったろうかと腕を組んだ。
「あ」
ファウスティーナは思い出したように声を出すと羽ペンにインクをつけノートに書き込んでいく。
「これだ……」
次に自分がやらかしたことを書き終えるとガクッと項垂れた。
「行動力のある人間だったわねホント……」
もう嫌になる、と過去の自分に嫌気をさしつつ、ファウスティーナは詳細を書いていく。
王妃シエラの生家フワーリン公爵家のお茶会。フワーリン公爵家は、シエラの兄が継いでおり子は王妃主催のお茶会でエルヴィラのドレスを汚してしまったクラウドと妹君が1人いる。ヴィトケンシュタイン家の3兄妹が招待されるのだが、お忍びで王子達が来る。
「舞い上がった前の私は殿下にずーと、ずうっっっと引っ付き虫してすっっっごく迷惑がられてたんだよね……」
で、エルヴィラにベルンハルド様が可哀想と言われ、……お決まりの側にあったグラスの中身をエルヴィラにぶちまけた。
「あっはは、ワンパターン……でもやるのが私だもんね……はあ~」
これを全部婚約が結ばれた年にやっているのだから目も当てられない。
8歳以降のことも書いていくか、とファウスティーナは羽ペンを持った。順調とは言い難いが羽ペンを走らせていくと、ふと、動きを止めた。
11歳になった辺りを書き始めると急に頭が痛み出した。締め付けられるような痛みに敵わず、一旦思い出すのを止めて羽ペンを置いた。すると、痛みはあっという間に消えた。
ん? と首を傾げ、再び羽ペンを持って思い出そうとすると同じ目に遇った。
「どうして……」
11歳で何か大きな出来事はあっただろうか? 11歳が駄目なら、12歳以降を思い出そうとしてみる。
これも同じだった。
「……」
最後の勘当される前後を思い出してみる。
これはしっかり覚えている。
卒業間近になってもベルンハルドは自分を見ず、エルヴィラだけを見続けていた。それに我慢ならず、邪魔なエルヴィラがいなくなれば寵愛を得られると暴走したファウスティーナはエルヴィラを害そうと企てるも、企みに気付いたベルンハルドに阻止された。
そして最後は王妃の嘆願と父の温情によって公爵家を勘当となった。
「長い期間の間を覚えてないのはかなり痛いな……」
アエリアに手紙で訊ねてみるか、と一瞬考えが過るも、彼女と多く関わり始めたのは貴族学院に入学してから。それまではほぼ関わりはない。
空白の11歳以降、一体自分は何をやらかしたのか――。
これからに必要な記憶を思い出せず、リンスーが呼びに来るまでファウスティーナは突っ伏していた。
*ー*ー*ー*ー*
ファウスティーナ好みの衣服は、どれも動き易さを重視したシンプルなデザインが多い。今日着た水色のドレスもそれだ。上位貴族らしい高級生地を使用しているが派手な装飾はない。靴は踵に小さなリボンがついたブラウンのショートブーツ。
リンスーに呼ばれ、門前まで案内されたファウスティーナは待っていたシトリンに抱き上げられて馬車に乗せられた。シトリンは見送りをする使用人達に振り向き、先頭に立つ執事長に昼前に戻ると告げて馬車に乗り込んだ。中にはファウスティーナの他にリュドミーラもいる。ケインとエルヴィラはお留守番。教会へは誕生日以外に行く日がないのでファウスティーナは膝立ちして窓に手を当てて、早く教会に到着しないかとわくわくしている。
「ファウスティーナ。ちゃんと席に座りなさい」
「大丈夫ですよ。揺れも少ないですし」
「ファナ。危ないからリュドミーラの言う通り座りなさい」
「はい……」
両親に言われてしまえば聞かない訳にもいかない。
きちんと座り直すも、視線は外へ向けられたまま。食い入るように流れていく景色を見つめるファウスティーナをシトリンはどこか懐かしそうに見ていた。
「旦那様?」
「うん?」
「どうされました? ぼうっとして」
「うん。いやなに、あの人も昔、ああやって外を見ていたなと思ってね」
「リオニー様ですか?」
「いいや、アーヴァだよ」
「アーヴァ様に……」
2人が紡いだ名前はシトリンの従姉妹の名前。
懐かしむように薄黄色の瞳を細め、ファウスティーナを見守る姿はどこか寂しげに見られた。
ファウスティーナが外に夢中になっている間、2人は会話を続けた。
「陛下とは、あれからもう1度話したがやはりベルンハルド殿下の婚約者はファナではないと駄目だと言われたよ。大昔に結ばれた誓約を破ることは出来ないと」
「ですが、またファウスティーナが倒れれば……」
「そうなったら、婚約者をネージュ殿下に変えるだけだとも言われている。重要なのは、王家に女神の血を残すこと。アーヴァのことがあるから、此方は強く言えない」
「……」
「一応、最後の手段としては陛下の天敵リオニーを呼び戻すとは伝えてある。強行手段には出ないと信じよう」
姉妹神と同じ髪色と瞳の色を持って生まれた娘=フォルトゥナの妹リンナモラートの生まれ変わり。リュドミーラが嫁入りする際、王家とヴィトケンシュタイン家、姉妹神のことに深く関わらせて苦しい思いをさせたくない為にシトリンは詳しくは教えていない。ただ、リンナモラートの生まれ変わりが生まれれば、例外なく王族に嫁がされるとしか言っていない。
シトリンはまだかまだかと到着を待ち侘びているファウスティーナを、誰かを重ねた遠い眼で見つめるのであった。
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