真夜中のお務め
王城内にある、とある部屋から出てきたシエルは無を通り越して何の感情も浮かんでいない表情のまま長い道を歩く。真夜中とあり灯りを持って歩くシエルの後ろを数人の騎士が後を追う。室内では事件の首謀者の母であるアレッシア=イグニスの取り調べを行っていた。大半はシエラが終わらせたものの、シエル個人としても聞きたい旨が幾つかあった。取り調べ中のアレッシアは冷静でシエルの質問に淡々と答えていった。先王妃の時代から侍女長を務める優秀な彼女が、息子の凶行を止められなかったのは何故か。誰もが感じた疑問はシエルにとってはどうでも良かった。ただ、ファウスティーナを害そうとした者をタダで済ませる気はない。たとえ直接的に関わっていなくても。最後アレッシアは椅子から下り床に額を擦り付けシエルに謝罪をした。シエルは返事も振り返る事もなく部屋を出た。
「王弟殿下、どちらへ」
「付いて来なくていい。私はもう帰るから」
「しかし、外はもう」
「分かってる。子供じゃないんだ、大の大人が真夜中に街を歩いたって個人の問題さ」
騎士にこれ以上付いて来るなと念を押し、1人になったシエルは城の外へ向かった。真夜中とあってやはり誰もいない。今頃ファウスティーナは寝ているだろう。グランレオド家に滞在させており、シエル自身もグランレオド家に『建国祭』終了まで滞在する。王城にいてはシリウスと顔を合わせる可能性が上がり、且つ、向こうがシエルと会いたがっているのもありオズウェルがグランレオド公爵夫妻に頼んだのだ。国王と王弟の面倒くさい関係を公爵夫妻である2人が知らない筈もなく、快く受け入れた。オズウェルが頼んだのが大きい。
オズウェル自身は、先々代公爵である父親を失脚させる計画に手を貸し、先代公爵である弟に多大な苦労を掛けさせた負い目からあまりグランレオド家に近寄りたがらない。先代公爵が会いたがっているのに会おうとしないのもそれが理由だ。
「会えばいいものを」
1人呟いたシエルは迷いのない足取りで外を目指して歩く。すると通り過ぎた部屋の扉が開いた。気になって足を止め、灯りを持ち上げると小さく欠伸をするメルディアスがいた。
「ふあ……ん……? 何してるんですか、シエル様」
「君こそ何をしているの」
「仮眠を取っていたんですよ。ふあ……連日扱き使われてさすがに疲れが取れなくなってきた」
「仮眠を取っていた割には服が乱れているよ。誰を誘惑していたの」
「人聞きの悪い。仕事ですよ、仕事。色仕掛けって上級騎士の仕事でしたっけ?」
「さあ。何でも出来るよう叔父上が君を育てていたからね」
シエルの指摘する通り、黒いシャツは肌蹴ており、鍛えらえた肌がチラリと見える。近付くと香る石鹸の爽やかな香りから湯浴み後眠ったのだと推測。
「ローズマリー伯爵夫人辺りかな」
「当たりですよ。すぐに乗ってくれるとは意外でした」
ケインに睡眠薬を盛ろうとしたローズマリー伯爵夫人を誘惑し、情報を引き出せというシリウスの命令を完璧に熟した後は湯浴みをし、部屋で仮眠を取っていたと語られた。
「相手は多少歳を取ったご夫人です。無理をさせてはいけないのでワインを飲んだだけですけどね」
「それなら、湯浴みをする必要はあるのかな」
「伯爵夫人は香水の香りがキツイ方でしてね、離れても匂いが取れなかったので湯浴みをしました」
「で、夫人は何か良い情報を教えてくれた?」
「ワインの中に自白剤を入れてましたので何でも話してくれましたよ」
睡眠薬の入手ルート、ケインに睡眠薬入りのジュースを渡した給仕の情報、更には眠らせた後についても事細かく話してくれたとメルディアスは欠伸に耐えつつ話す。ワインに自白剤を盛られたローズマリー伯爵夫人はその後眠り、証拠が揃い次第騎士をローズマリー伯爵邸に向かわせる予定となった。
「シエル様は何を?」
「アレッシア様と話をしていただけさ」
「侍女長は何と?」
「娘があまりに哀れで、息子の姉を思う気持ちを止められなかったと話されたよ」
「そうですか。シエル様はなんと返したのですか?」
橙色に照らされたシエルの美顔が背筋を凍らせる冷気を帯び、メルディアスの眠気を吹き飛ばした。
「知った事じゃない、とだけ」
「はは……そうですか」
「そうだよ。そんな下らない理由の為にあの子を危険な目に遭わせたんだ。相応の罰は覚悟してもらう」
「……前から気になっていたんですが……貴方、ヴィトケンシュタイン公女に肩入れし過ぎではありませんか。公女はアーヴァ様ではないのですよ」
「知っているよ」
嘗てシエルとアーヴァが恋人同士だと噂が流された時、すぐに間違いだと多数は知り。極少数は事実だと知っていた。
メルディアスは後者の方。アーヴァの魔性の魅力にシエルがどれだけ夢中になっていたかを知っており、姉のリオニー以外心を閉ざす傾向にあったアーヴァが信頼を寄せる数少ない相手がシエルだという事も知っていた。
ファウスティーナは驚く程にアーヴァに似ている。シトリンとアーヴァが従兄妹だとしてもあまりに似ている。そのせいで最近は散々な目に遭っているファウスティーナに同情はしていた。
「あの子とアーヴァを重ねてみる事はないよ、私は」
「口では何とでも言えるでしょう」
辛辣な指摘にシエルは肩を竦めて見せるだけ。風邪を引かないようにね、と言い残しメルディアスと別れた。歩きながらふと思った。そういえばメルディアスには、ファウスティーナが自分の娘だと1度も話していなかったと。
「教会に戻ったら話しておくか」
『建国祭』が終わればファウスティーナもまた教会に戻る。
事件の調査とフリューリング先代侯爵夫妻の始末を終え次第、リオニーやメルディアスの仕事も落ち着く。ファウスティーナ達が連れて来られた屋敷にはアーヴァの絵があった。初めて見たであろうアーヴァの姿をファウスティーナはこう語った。
『1度でもいいから、会ってお話をしてみたかったです。アーヴァ様とはお話が合っていたと思います』
「合っていたさ……きっと……」
動植物が好きで、綺麗な花を何時間でも眺め続ける部分は同じ。
「アーヴァ……」
もう2度と会えないと頭では理解していても、時折心は酷くアーヴァを求めた。アーヴァに会いたい、と。
生まれた我が子の姿を目に焼き付けるように、強く青い瞳を開き続けたアーヴァは弱弱しい手でファウスティーナの頭を撫でていた。
『私と…………シエル様の……宝物…………』
宝物……そう、シエルにとってもファウスティーナは何が何でも守り通したい宝物。
「……顔が見たいな……」
アーヴァの事を思い出すと無性にファウスティーナに会いたくなる。
城を出たシエルは待機させていた馬車に乗り込み、ゆっくりとグランレオド家に向かわせた。
馬車はグランレオド家の裏門に回り、門番に門を開けさせ敷地内を走行。正面玄関に回り、馬車から降りて出迎えたグランレオド公爵に苦笑した。
「寝てて良いのだよ」
「いえ。夜更かしは慣れているので」
「奥方は?」
「妻はもう寝ています。ファウスティーナ様も」
「そう」
「すぐにお眠りになられますか?」
「その前にファウスティーナ様の寝顔を一応見ておくよ。昨日の今日だ、どうしても心配でね」
過保護なのは王国も教会も待ち望んだ女神の生まれ変わりだから、と判断されるだろうがシエルにしたら何でもいい。ファウスティーナの側に行く理由作りで自分がどう思われようが知った事ではない。
グランレオド公爵に案内され、ファウスティーナが眠る部屋にそっと入った。寝台の上でぐっすりと眠るファウスティーナの髪を慎重に撫でた。
「お休み。いい夢を見てね」
額にキスをして戻りたいのをグッと堪え、シエルは静かにファウスティーナの部屋を出て行った。
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