夜のお話
「驚かないの?」
「十分、驚いてますよ」
「ほんと〜? 全然驚いてる風には見えないよ?」
「外面はそう見えても内心はかなり驚いているので」
「ほんとかなあ」
食い下がってくる割には表情に疑っている節はなく、なんとなく会話を続けたいだけなのだと察する。いや違う、下らない会話の中でも引き出そうとしているのだ。
敢えて乗らず、淡々と目の前に急に現れた相手に臆することなく、子豚のピギーちゃんの灯りをそのままにケインは彼——ヴェレッドを見上げた。
「どうやって入ったのですか。こう言ってはなんですが前にファウスティーナが誘拐されて以降、屋敷の警備は厳重になったのに」
「関係ないよ俺には。入りたいから入っただけ」
「そうですか」
「うん」
そろそろリュンがチョコレートソース掛けマシュマロココアを持ってくる時間だ。考えた矢先、扉が控え目に叩かれた。スッと前を見たらヴェレッドは消えていて。これならリュンを入れても大丈夫だとケインは入る様促した。
「ケイン様、ご注文のココアです」
「ありがとう」
リュンから子豚のピギーちゃんマグカップを受け取り、ホットココアの上に載せられたマシュマロにはチョコレートソースが掛かっていて甘味より苦味が好きな傾向にあるケインでは甘すぎるのだが普通に飲んだ。ファウスティーナ仕様の甘い物を屋敷に戻ってすぐにも食しており、疲れているせいだとリュンは何も言わないでいる。
ケイン自身も疲れが取れない為糖分を欲していると解している。
「飲んで寝るから、明日の朝にマグカップを回収して」
「ええ。ゆっくりお休みください」
一礼したリュンが部屋を出るとカーテンの後ろに隠れたヴェレッドが出て来てケインの前に立った。
「お嬢様みたい」
「偶には欲しくなりますよ」
「俺もよく作るよホットココア。今度作ってあげようか?」
「機会があれば」
彼がよく作っているのもその味も知っている。
本題に入ろうとせず、無駄話を続けるヴェレッドに無駄な事は言わず、出される話に淡々と相槌を打つか、時折ケインが質問をし回答を得て終わる。
「ねえ坊ちゃん」
ヴェレッドの声色が変わった。薄暗く見える表情は愉快で堪らないと言っているのに、変わった声色は鋭さが格段に増していた。
「お嬢様や妹君を見ているとね、君はとても異質に見える。お嬢様とも妹君とも違い過ぎるんだ」
「双子であろうと同じ人格を持つ事はありませんよ」
「そういう話じゃないの。同じ親、同じ家に住んでいるのに坊ちゃんだけ達観し過ぎているんだよ。何て言うのかな、山奥で1人住む仙人の爺さんみたいな雰囲気がする」
「腕の良い眼科医を紹介しましょうか」
「ひど! 視力はすごく良いよ」
「俺の何処をどう見ても年寄りには見えないでしょう」
冗談で言ったのに本気と捉えられたらしく、声に真剣さがある。気を取り直したヴェレッドはふう、と息を吐いて常に冷静過ぎるのだと指摘してきた。
「周りが異常事態に混乱して他人の声が届いていなくても、君だけは常に一歩引いて冷静でいる。異常だと自分で思わない?」
「さあ? 物心ついた頃からこうなのでなんとも」
「ふーん?」
探っているのに確信に敢えて触れようとしてこない。通常ならこの焦らしに我慢ならず、口を滑らせて相手の思う壺となるのだろうがケインは平静を保ったままヴェレッドとの会話を続ける。
繰り返しを5度も体験すれば冷静さ等嫌でも身に付く。
「お嬢様はよくね、我儘を言っては叱る母親にとって可愛いのは妹君だけって言うんだ。お兄ちゃんの目から妹達はどう見えるの?」
「ファナはおっちょこちょいで落ち着きを持つように、エルヴィラは嫌な事、苦手な事から逃げず向き合え。とくらいしか」
「母親みたいに、泣く妹君が可愛いとは思わないの?」
「何故?」
中身が半分まで減った子豚のピギーちゃんマグカップを掌に置いたケインは心底不思議だと言いたげに首を傾げて見せた。
「泣いた相手が被害者で、泣かせた相手が加害者。これに絶対の定義はない。泣いた相手に原因があって、泣かせた相手が被害者という場合もある」
「普通は前者を見るだろうね」
「本当にエルヴィラの泣く理由がファナに原因があるのなら、母上のようにファナを叱った。でも現実はそうじゃない。実際エルヴィラが泣いてファナが悪かった事なんて極僅かだった。後は自分の都合が悪くなってファナのせいだと泣いて母上にファナを叱らせていただけ。そんなエルヴィラをどうして庇わないとならないのですか」
「はは。容赦ないね」
ケインが言うのは全て事実。
ファウスティーナは贔屓せず、平等に人を見る兄や父に心を開く。エルヴィラが泣く理由を母に話したところで泣いているエルヴィラが被害者だと頭で決めつける母にはファウスティーナの言葉は届かない。いつも悪者にされて最悪頬を打たれ部屋に戻されていた。
4度目まではそこにベルンハルドも追加されていた。だから最後、母もベルンハルドもファウスティーナに捨てられた。捨てられて漸くファウスティーナの愛を得ようと必死になるが何もかも遅い。愛を欲している時に、少しでもファウスティーナへの理解を深めていたら捨てられる結末にはならなかっただろう。
「娘に捨てられた母親、か。はは……我が子に見捨てられた親程、惨めな生き物はいないねえ」
「……」
最終的にケインはエルヴィラやベルンハルドだけではなく母も見捨てていた。公爵位を父から受け継ぐとすぐに両親を領地に押し込めていたのも、2度と母の顔を見たくなかったからだ。誰の目から見てもファウスティーナを冷遇していたのに、それら全てが王妃になるファウスティーナの為だったと涙ながらに訴えられた。
涙を流して情に流されるのは父やベルンハルドだけで、ケインは一切動じなかった。
「貴方がこんな夜に侵入をした目的は何ですか」
「暇つぶし」
「それにしては危険が高い」
「俺にとったら何てことはない。後は坊ちゃんの反応が見て見たい、かな。急に現れた俺にどんな反応をくれるか見たかった」
「期待通りでしたか」
「全然?」
「そうですか」
中身が半分まで減ると温度も温くなる。温いココアはあまり好まず、一気に飲み干したケインはマグカップをサイドテーブルに置いた。
「長話がご所望なら後日で良いですか。1日で体の疲れは取れてくれないので」
「いいよ。『建国祭』が終わったら、此処に来て。事情があって外に出れなくなるんだ」
そう言ったヴェレッドに渡されたのは1枚の紙切れ。朝になったら読めばいいとヴェレッドは窓に近付いた。
「そこでゆっくりお喋りしようよ。俺が坊ちゃんに聞きたい事があるように、坊ちゃんだって俺に聞きたい事あるんじゃないの?」
「……ええ。ありますよ」
——沢山……
窓に手を掛けたヴェレッドに「1つだけ、聞かせてください」と投げかけた。
「これから先何が起きても、貴方やシエル様はベルンハルド殿下の味方でいてくれますか」
「どうして?」
「……殿下やファナの幸福において、絶対必要なのはシエル様や貴方の協力です」
「へえ……愉しそうな内容だね。王太子様はなにかしちゃうの? もしもそうなって王太子様がお嬢様を傷付けるなら……シエル様は容赦しない。たとえ可愛がっている甥っ子であろうとシエル様は捨てるよ」
懐に入れた相手は絶対に大切にするシエルだが、その相手が何よりも大事にするファウスティーナを傷付けたならシエルが大切にする理由は一瞬にして塵となる。とはケインも嫌という程知っている。
ケインは無言のまま、窓から出て行ったヴェレッドを見送った。
「此処、1階じゃないのにどうやって侵入したんだか」
侵入もそうだが帰りもどうやって飛び降りたのか不思議だ。
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