その日の夜の三者
夜。
昼間食べたアップルパイの美味しさに感動したらグランレオド公爵夫人は我が事のように喜び、勧められて調子に乗ってしまったファウスティーナはアップルパイを食べ過ぎて夕食があまり入らなくなる失敗をした。ただ、公爵夫人はお腹事情を考慮してくれたらしく、少な目で胃に優しい料理を料理人に指示をしていた。お陰で残さず食べられてファウスティーナはホッとした。
何事も程々が1番というのを身に染みて知っている筈なのに偶に忘れて失敗する。ただ、あのアップルパイは公爵夫人にとっても思い出の味で美味しく食べたファウスティーナに感謝していた。
「どんな思い出か今度訊いてみましょう」
公爵夫人の様子からきっと良い思い出なのだ。
ベッドに寝転がり、後は寝るだけのファウスティーナは窓越しから夜空を見上げていた。今頃兄は、ベルンハルドは何をしているか気になってしまう。特にベルンハルドは夢見が悪くて表情が悪かった。願って叶うのなら、どうかベルンハルドが悪い夢を見ずぐっすりと眠れますように。
ファウスティーナが瞼を閉じて眠った頃、既に就寝していたベルンハルドは額から汗を流し魘されていた。
真っ暗な空間をひたすら走っているベルンハルドは逃げていた。どんなに逃げても追い掛けて来る赤い花がエルヴィラの声をしてずっと呼び続ける。ベルンハルド様、ベルンハルド様、ベルンハルド様、と。赤い花がエルヴィラと思わないのにどうしてエルヴィラの声がするのかベルンハルドには不可解だった。
「あっ!」
足首を後ろから引っ張られ転んでしまった。夢だから痛みはない。
「離せっ」
足首には蔦が巻き付いていて、足を引っ張っても蔦は離れず、寧ろベルンハルドが離れようとする度に巻き付く力が強まる。赤い花が迫りベルンハルドの周辺に瞬く間に増殖し、エルヴィラの声でベルンハルド様と呼ぶ。耳を抑えても声は小さくなってくれない。エルヴィラは悪夢を見て苦しんでいると聞く。彼女もこんな夢を見ているのだとしたら、体調を崩し情緒が不安定になってしまう気持ちがよく分かる。
それだけ今ベルンハルドが見ている悪夢は酷いものだ。
不意に目を開けたベルンハルドの視界に映ったのは大人になった自分と仲睦まじく歩くエルヴィラの光景。どうして隣にいるのがファウスティーナじゃないのか、どうしてエルヴィラと腕を組んで仲睦まじく歩いているのか。声を出して否定したいのに声が出ない。
嫌だ、嫌だ、ファウスティーナがいい、隣にいてほしいのはファウスティーナがいい、と心の中で叫んでいると花壇の石垣に座って本と睨めっこをしているファウスティーナと会った。
ファウスティーナの薄黄色の瞳が2人を見るとエルヴィラはビクッと肩を跳ねベルンハルドの後ろに隠れた。ファウスティーナは何も言っていない、怒った様子もないのにエルヴィラが怯える意味が分からない。
『エルヴィラ、怖がらなくて大丈夫だ』
『はいっ……』
何で大人の自分はエルヴィラを慰めているのだと怒鳴りたい。険しい瞳でファウスティーナに向いた自分自身にベルンハルドはショックを受けた。悪夢だとしても、こんな悪趣味なのはどうしてなのだ。
ファウスティーナはベルンハルドやエルヴィラに無感情な目をやり『御機嫌よう殿下。私は場所を移しますわ』と淡々とした声色で何か言いたげな自分に会釈をして去って行った。エルヴィラには一瞥さえやらず。
「なんなんだこれはっ」
出ないと思っていた声がやっと出た。去って行くファウスティーナにエルヴィラが『お姉様! わたしもいるのですよ!!』と何故か泣き叫んだ。ファウスティーナを見ただけで怯えベルンハルドの背に隠れたのに、存在をスルーされて泣くのは何故か全く意味が分からない。
泣き出したエルヴィラを慰めながら、遠くなったファウスティーナに縋るような目をやり続けた自分自身も意味不明だ。
悪夢の中の自分とファウスティーナは現実と違って不仲なんだ。現実には決してなってほしくない。早く悪夢が終われと強く念じた直後、ふわりとした温かい光が周囲を覆った。エルヴィラの声を出していた赤い花もベルンハルドの足首を捕らえた蔦も瞬く間に消え去り、光に包まれたベルンハルドは急激な眠気を感じて眠りに就いた。
「すー……すー……」
先程まで悪夢を見て魘されていたとは、到底信じられないくらい安らかな眠りに就くベルンハルドを——リオニーは無言で見下ろしていた。王妃と夜遅くまで話をした帰り、ベルンハルドが魘されていると丁度従者が来て、リオニーが王妃の代わりに様子を見に来た。酷い魘されようで顔や髪が汗で濡れていた。
エルヴィラと運命の糸を結ばれてしまったが故の影響ならクラウドやイエガーでなくても助けにはなると踏んでそっとベルンハルドに祝福を掛けた。
そうすることで悪夢に魘されていたベルンハルドの寝顔は穏やかになり、汗も引いていった。起こさないよう汗を拭き、服を替えてやれと従者に告げてリオニーは部屋を出て王城を去った。
「……」
片手に子豚のピギーちゃんの灯りを持ってエルヴィラの寝室に来たケインは橙色が照らす薄暗い室内で、魘されて苦しむエルヴィラを無言で見続けていた。眠る前にホットココアでもリュンに作ってもらおうと部屋を出た際、侍女のトリシャに眠っているエルヴィラが魘されていると聞かされ寝室に入った。昨日はリュドミーラと寝たようでその時はぐっすりと寝ていたらしい。
今日になってまた魘されだしたのは1人で寝ているせいと考えられる。
「母上を呼んでエルヴィラの側にいてもらおう。トリシャ、母上を呼ぶのと睡眠薬を用意して」
必要な指示だけを出してケインは部屋を後にし、リュンを見つけるとファウスティーナ仕様のチョコレートソース掛けマシュマロココアを頼んで部屋に戻った。
灯りをテーブルに置いてベッドに腰掛け、ふう、と息を吐いたケイン。
「クラウドか、リオニー様か」
ベルンハルドと運命の糸を結ばれて悪夢を見なくなった筈のエルヴィラがまた悪夢を見ている。考えられるとしたらクラウドかリオニー、どちらかが何かをしたのだ。可能性があるとしたらベルンハルドが悪夢を見ていると気付いたどちらかが処置をした。ただそれは応急処置で根本的な解決とはならない。
「『建国祭』が終わらないと何も出来ないのがね……」
また、ふう、と息を吐いたケインの視界が暗くなった。「それはどうして?」と声が頭上から降った。
3度目、ふう、と息を吐いたケインは驚いた様子もなくゆっくりを上を見た。
「驚かないんだ?」
「いいえ……これでもかなり驚いていますよ」
ある意味で予想していたし、何より、彼が来るのをケインは待っていた。
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