思考が一致した瞬間
王城からの馬車でヴィトケンシュタイン邸に戻ったケインを出迎えたのは事情を聞かされ、ずっと扉の前で待っていたリュンだった。ケインが降りるなり涙目になって駆け寄られやれやれと苦笑した。
「ただいま、リュン」
「ケイン様〜……! ご、ご無事で良かった……!」
「はいはい。泣く程でもないでしょう」
「泣きますよ……! もっとこう感情的になっても良いのですよ……!?」
「はいはい」
リュンを軽くあしらいつつ、御者に礼を述べリュンを連れて邸内に入った。シトリンは後から戻る予定となっており、先に戻ったケインを迎えたのは事実とは異なる理由を聞かされたリュドミーラとエルヴィラで。普段突拍子もない事をしないケインが突然フワーリン家に泊まるとなり、更に事前の報告もなく聞かされたのが事後という事で母は少々お怒りのようだ。
「お帰りなさい、ケイン」
「ただいま戻りました母上」
「旦那様から聞いた時はビックリしました。前以ての予定もなく勝手に泊まるなんて……フワーリン家に迷惑を掛けました。後日フワーリン家に伺って謝罪します。良いですね」
「はい」
こういう時相手がファウスティーナなら、エルヴィラなら、リュドミーラはどんな対応をするか予想してみるが特に自分の予想を上回る展開にはならないと判断して直ぐにやめた。
これ以上叱るつもりはないらしいリュドミーラは急に泊まった理由を訊ねてきた。想定していたので予め用意していた「クラウドとの話が楽しくなって止めたくなかったので泊まりました」という言い訳を出した。友人のクラウドと会ったらよく話しているのを茶会で見かけているリュドミーラは疑わず、ケインの言い訳に納得はしたが今後無断の外泊はしないようにと注意をして終わった。
リュドミーラの注意が終わるのを待っていたエルヴィラが不意に前に出た。
「クラウド様と何を話されたのですか?」
「色々だよ」
「色々ってなんですか。意地悪しないで教えてください」
「俺に令嬢の流行が分からないように、エルヴィラだって令息の流行が何か知らないだろう?」
「は、はい」
「だから、聞いても仕方ないし興味ないだろう」
「それは……はい……」
渋々下がったエルヴィラを一瞥し、部屋に戻ろうと足を向けた時、またエルヴィラに呼び止められた。
「フリューリング先代侯爵様の容態が急変してエルリカおば様は今朝早く出発してしまいました」
「先代侯爵が? そう……」
「心配です……エルリカおば様も先代侯爵様の急変を聞いてとても顔を青褪めていましたから……」
「そうだね……なんなら、フォルトゥナ神に祈りを捧げたらいいよ」
「そうですね! 運命の女神様に先代侯爵様が回復するよう祈って願いを叶えてもらいます!」
そう決めると早速と言うばかりにエルヴィラはリュドミーラと共にこの場を去り、残ったケインは気にせず私室に戻った。リュンも一緒に入った。普段勉強で使用する椅子に座って背に凭れた。
「リュン。ホットココアを持ってきて。ファナ仕様で」
「ファウスティーナお嬢様仕様だとかなり甘いですが宜しいのですか?」
「ああ。今は、とても甘い飲み物が欲しい」
「お疲れなんです。すぐにお持ちします」
「うん」
リュンが出て行くと引出しからある本を取り出した。他人が見ても表紙も背表紙も、何だったら中身も何もかも白紙の本。但し——ケインにだけ文字が見える。
「……力を持つ人が大切な人を失った時に発する憎悪は普通の人と比べると恐ろしさは雲泥の差となる」
——ねえ、クラウド
心の中で呟き、ページを開いていくケイン。今開けたページにはネージュが4度目の最後エルヴィラに何をしたかが記されていた。
単身極秘任務の為、不在のベルンハルドの帰りを待つエルヴィラの許に数人の騎士が押し寄せた。抵抗するエルヴィラを無理矢理地下へ運ぶとある牢の中に入れた。そこには、先代司祭オルトリウスと先王ティベリウスによって廃人にされた元王太子が封印されていた。理性も知性もなくし、奇声を上げ奇行を繰り返すだけの異常者の側に放り出されたエルヴィラは襲われた。
「無かった事になるのなら、何をしてもいいか」
アエリアは何をしてもいい理由にはならないと憤慨していた。そう思うのが普通で、そう、で終わらせたケインは普通じゃない。
自分が普通じゃないのはとっくに自覚している。
元王太子に襲われ、泣き叫び、ベルンハルドに助けを求めるエルヴィラを誰も助けない。鉄格子の前に現れたネージュは王太子妃の役目を果たす時だと言い捨て地下から出て行った。王太子の子を身籠るのは王太子妃の役目だと周りに豪語し、側妃として嫁がされたアエリアにも牽制していた。誰のせいでアエリアが側妃にならざるを得なかったのかすぐに忘れるのは頭が痛いもののエルヴィラらしい。
今の5度目、エルヴィラが呪われているのは運命の糸に触れる能力を持つ者が強力な呪いを掛けたからだ。
「クラウドは身内をとても大事にするタイプだから、エルヴィラのせいでベルンハルド殿下が不幸に落とされた挙句、死んだとなったらクラウドでも恨むか」
4度目が何故終わってしまったのか……。
“女神の狂信者”の襲撃を受け、連中に襲われかけたベルンハルドをファウスティーナが庇って死んでしまい、相手を殺したベルンハルドも後を追ってしまった。ケインが見つけたのはファウスティーナの亡骸を抱き締めて息を引き取る寸前のベルンハルドだった。既に手遅れなのは解っていても治療を、とファウスティーナから引き離そうとするケインの手を血に濡れた手が止めた。
『離さないで、くれっ。これで……ファウスティーナと……一緒に、いられるんだ……』
口から血を吐き、青白い顔は今まで見た事もないほど穏やかだった。そっと覗いたファウスティーナも……痛かっただろうにとても殺された人間の顔とは程遠い、幸せな表情をしていた。
唯一の救いはシエルがファウスティーナの死を知らずにいたことだ。
もしも知ってしまっていたら、2度も大事な人を失う目に遭っていた。
「はあ」
大きな溜め息を吐いたケインは別のページを開いた。そもそも、こんな本がケインの許にあるのは何故か。ケイン自身もよく分からない。気付いたらあった。だが、この本を作った人は強い憎しみをエルヴィラに持っている。当然か、と綴られている文字に目を通していく。
「フリューリング……魔術師が強い憎悪を持って呪った相手に幸福は訪れない。ファウスティーナが幼少期不幸なのも、ファウスティーナが王太子妃になれなかったのも、エルヴィラのせいだとリオニー様は思ってしまった……だから強力な呪いはクラウドがエルヴィラに結んだ呪いの糸と相性ピッタリ過ぎて抜群の効果を発揮してしまっているんだ」
ファウスティーナの幼少期が不幸なのはエルヴィラだけが原因じゃない、元凶は母リュドミーラで。5度目になっても分からない事は多いが母の心情もその1つ。母がファウスティーナに過度な教育を施していた理由が未だに不明だ。本人は頑なに未来の王妃になる娘だから、としか語らない。本気で本心そう願っての事なら考えるだけ無駄。
けれどシエルやリオニーの言う通り、自分の娘可愛さにファウスティーナを冷遇していただけにも思える。見目麗しい王子に心奪われたエルヴィラの恋心が叶わないと知りながらエルヴィラを応援し、婚約者の気を引こうと必死なファウスティーナを否定し続けたのもエルヴィラ可愛さから。ケインが何度エルヴィラをベルンハルドから遠ざけようとしなかったリュドミーラにも原因があると話しても泣き崩れ王妃になるファウスティーナが妹に嫉妬するような娘に育ってほしくなかったから、ベルンハルドの気を引けなかったのはファウスティーナの努力が足りないからと言われるだけだった。
「止めよう」
思い出すだけで疲れる。分かっているのに何度も繰り返してしまう。自分自身が繰り返しを体験しているせいで思考までもが繰り返しに落ちる。ゾッとしてしまう。
本を読んでいて思ったのはエルヴィラの呪いは、呪いを掛けた2人が呪いを掛けた以上の強い力を込めないと恐らく解呪されない。1番はファウスティーナとベルンハルドの幸福。2人の幸福がエルヴィラの呪いを解く鍵となる筈。
その為に必要なのは繰り返しの話をし、且つ、強い協力者になってくれる人を探す事。
「心当たりがある人といえば1人しかいないんだけど」
シエルの側にいるあの男性。妙に女神について詳しく、深く訊ねようとしたら領域に入ってくるなとひらりと躱す。初代国王ルイス=セラ=ガルシアの生まれ変わりは誰か。確実に知っているのは先王や先代司祭。多分、あの男性は知っていそうな気がする。
というより。
「案外、あの人がルイスの生まれ変わりだったりして」
もしもそうなら妙に女神に詳しいのも、国王に不敬な態度を取っても罰せられないのも、シエルの側にいるのも説明がつく。
——ラ・ルオータ・デッラ教会上層礼拝堂の地下を歩くヴェレッドとオルトリウス。長い螺旋階段を下りる間、2人の間に会話はない。延々と続く同じ景色を見ながら下りた着地地点には、巨大で頑丈な扉があった。
王族の血を引く者にしか開けない扉を軽々と開けたヴェレッドは全く異なる景色に薔薇色の瞳を細めた。広大に続く青空。王族が空の色を恋しがるのは女神と同じ色だからなのか。
何処を見ても青空一色の空間を歩いていると目的の物はあった。
教会が『ラ・ルオータ・デッラ』と呼ばれる所以の物を覗いたヴェレッドは薄く嗤った。
「見てごらん先代様」
「あー嫌な予感しかしない」
オルトリウスもヴェレッドと同様にそれを覗き苦笑するしかなかった。
「先代様が使った?」
「1度使って目的を達成したら、2度は使えないよ」
「だよね。なら、誰だろうね」
「君?」
「使ってない。フォルトゥナは万が一の救済措置だと人間に与えたけど、俺が知っている限り使った奴はあんた達だけ」
「はは……問題は誰が使ったか、だね」
「そうだね」
誰だろうと考えるオルトリウスの側でヴェレッドは心当たりが1つあった。
何でも知っていそうなのに、知らんぷりをするとても頭の良い子が。子供なのに大人以上の冷静さと思考を持つのが、予想する通りなら説明がつく。何よりエルヴィラに対してのあの冷たさ。幾つもの予想をしても本人に訊ねないと意味がない。
情報を得るには此方もある程度の情報を提供しないとならない。
「口を割らなかったら……無理矢理割らせればいいか」
「何か言った?」
「何にも」
貝のように固く閉ざされようが強引に抉じ開ける方法等幾通りもある。が、相手によってはあまり使いたくない。ヴェレッドが予想している相手も然り。
その頃、ファウスティーナはグランレオド家へシエルと共に到着して既に邸内に入っていた。後からやって来たオズウェルが改めてグランレオド公爵に説明をした。
「お世話になります、グランレオド公爵」
「歓迎しますファウスティーナ様。伯父上もお久しぶりです。父上にお会いになられますか?」
「私とは会わない方が良いでしょう」
「そんな事はないと思いますが」
肩を竦めたオズウェルはシエルに何事かを囁き、2人は一旦外に出ると言って出て行った。どうしたのかと眺めているとグランレオド公爵夫人が声を掛けた。
「ファウスティーナ様、今丁度アップルパイが焼き上がったところなのでご一緒しませんか?」
「はい!」
甘い食べ物に目がないファウスティーナはシエルとオズウェルを気にしつつ、公爵夫人の後を付いて行った。
案内されたサロンに入り、もこもこして座り心地がとても良いソファーを勧められた。
「ありがとうございます」
「オズウェル様から、ファウスティーナ様を預かってほしいと連絡を頂いた時から楽しみにしていました。ファウスティーナ様くらいの歳の子が我が家にはいませんから」
預かる理由も知らされており、エルリカのアーヴァへの並々ならない感情を何度も見てきた公爵夫人は側を離れて正解だと語った。
「アーヴァ様は同性である私から見ても、とても魅力的な女性でした。性格はとても内気で常に姉のリオニー様の背に隠れてばかりだったのであまりお話は出来ませんでしたが」
「公爵がアーヴァ様に夢中になっていたら、公爵夫人もアーヴァ様を恨みましたか……?」
「どうでしょう……私達は家族としての情が強いので恋愛としてあまり見た事がありません。仮に旦那様がアーヴァ様に夢中になっても、夫としての務めを果たすなら私はあまり気にはしなかったかと」
「……」
人によってこんなにも違うのかと内心驚くファウスティーナにふわりと公爵夫人は笑んだ。
「似たような人達を昔私も旦那様も知っているからでしょうね
「似たような人達?」
「ええ。エリザベス様とリジェット様。先王妃様と先王妃様にとって姉に当たる方です」
読んで頂きありがとうございます。




