フォルトゥナ神が人間の振りをするとしたら
「ファナ、準備出来た?」
「お兄様」
朝食を食べ終えると一旦各々が使用した客室に戻って休憩を取り、そろそろ聴取の時間が迫る時にケインが訪問した。ベッドから降りたファウスティーナは室内に入ったケインにある事を訊ねた。
「聴取が終わったら、お兄様は屋敷に戻られるのですか?」
「その予定だよ。俺がいない理由を急にフワーリン家の屋敷に泊まるからって母上やエルヴィラには伝えてもらってる」
「そうなるとお母様はとても怒っているんじゃ……」
「まあ、適当に言い訳を作っておくよ。クラウドの方も俺と大体同じ理由にしてもらってる」
「クラウド様もフワーリン夫人やルイーザ様に怒られそうですね……」
「だろうね。こればかりは仕方ないよ。お互い、口裏を合わせないと」
ただ、夫人同士が会った場合、口裏合わせが無駄になる。『建国祭』が終わり次第、何が起きたかは両家の母には伝えられる予定となっている。妹達には最後まで伏せておく。余計な心配を広げたくないとケインやクラウドが訴えたからだ。
ヴィトケンシュタイン公爵邸には大おばエルリカがいる。直接的には関わっていないにしろ、エルリカは危険人物。ケインが無事に戻ったら何をまたされるか解ったものじゃない。と言うとケインは幾分か考え込んだ後、もうエルリカは王都にはいないとファウスティーナに告げた。どころか、もう2度と現れないと告げた。
「それは、どういう意味ですか」
「……朝早くから、フリューリング領に戻ったんだ。先代侯爵様の容態が急変したと報せが入ってね」
「そんなっ、大丈夫なのでしょうか」
「どう、かな」
歯切れの悪い言い方に違和感を覚えつつも、先程口にした2度と現れないと言う台詞の意味を訊ねた。
「今回の急変はリオニー様すら覚悟するものらしいんだ。先代侯爵が亡くなった場合、おば様は立ち直れないくらいのショックを受けると。それこそ、王都に来てエルヴィラを可愛がる余裕なんてないって」
療養中と言えど、何時何が起きてもおかしくない。深刻になる心配はないと聞かされていたが病というのは、油断していると襲ってくるのだと思い知った。
愛する夫がもしも亡くなってしまえば、深い悲しみに落ち王都に来る余裕なんてなくなる。
先代侯爵には無事でいてほしいがエルリカと再度会いたい気持ちはない。亡くならず、ずっと先代侯爵の側にいたいとエルリカが願うように祈るしかない。
「エルヴィラはとても悲しみますね」
「ファナは?」
問われたファウスティーナは自嘲気味に笑んで見せた。
「薄情者だと叱ってくれて構いません。私は……エルリカおば様に会えなくなるのなら、ずっと領地にいてほしいと思ってしまいました」
「薄情だなんて思わない。俺もファナと同意見。エルリカおば様には、ずっと領地にいてほしいと願うよ。そうすれば、ファナが危険な目に遭う事だって無くなる」
「おば様のせいでは」
「仮令おば様が直接的に関わってないにしろ、おば様の影響を受けてファナに危害を加えようとする人はローズマリー伯爵夫人だけじゃない。きっと、他にも現れる」
アーヴァへの憎しみを持つ人がそれだけ多いのだと暗に語られる。
何もしていなくても、否、何もしていないからこそアーヴァへの憎しみは増したのかもしれない。
「酷い奴だろう? 俺は」
「私も人にとやかく言えるほど、良い人間ではありません。お兄様がそう考えるという事は意味があるからでしょう?」
「……前にも言った気がするけど、俺はファナが思う程良い人間じゃない」
「それでも、です」
ファウスティーナはケインの目の前に立ち、両手で手を包んだ。
「お兄様は無意味な事はしない。お兄様が何かをする時は、必ずそうしなければならない理由があるんだって知っています。お兄様は酷い人間なんかじゃありません。私の大事で自慢のお兄様です」
「……ファナは……ファウスティーナは、少しは俺に疑問を持ってみたら? 俺はファナにそこまで信頼されるようなお兄ちゃんじゃないよ」
「それを言うなら、私の方です。……私は本当は、お兄様に心配されるような妹なんかじゃありません」
不意に思い出す前回の記憶。
愛を欲する母から、婚約者から無条件に愛されるエルヴィラを嫉妬に駆られて散々暴言を吐き、虐めの限りを尽くした。リンスーや父といった身近な人以外から見捨てられたファウスティーナを叱りながらも、決して見捨てず、最後まで強い味方でいてくれた大切なお兄様。時にエルヴィラやエルヴィラに夢中になっているベルンハルドに物申し、エルヴィラに嫉妬して危害を加えるファウスティーナを責める母からも守ってくれた。
ファウスティーナの行いが悪でも、元々そんな行いをしてしまう原因を作ったのはエルヴィラにベルンハルド、母だと何度も訴えてくれた。
ケインの手を包む両手の力を込めた。
「お兄様は私を見捨てなかった。ずっと私を守ってくれました。誰が何と言おうとお兄様は私の大事なお兄様なんです。お兄様を悪く言う人がいたら、今度は私がお兄様を助ける番です。私は何があってもお兄様の味方です」
嘗ての彼がそうしてくれたように。
「……ファナを味方にしても不安しかないよ」
「なんでですか! ここはお礼を言う場面では!?」
「しょうがないよ、ファナだし」
「どういう意味ですか!?」
感動的場面になろうがならまいが兄は兄であった。
ただ、微かに安心して笑みを見せるケインに多大な安堵を覚えたファウスティーナ。こうやって揶揄われてもファウスティーナの気持ちはしっかりと受け取ってくれた。
「さて、そろそろ行こうか」
「はい!」
「おや? まだ部屋にいたのかい」
一旦手を離し、改めて手を繋いで部屋を出ようとなった時、ひょっこりと顔を出したのは先代王弟のオルトリウス。2人が繋いでいる手を解こうとするのを制し、仲が良いと上機嫌に笑う。
「そろそろ時間だろう? 僕が連れて行ってあげよう」
「ありがとうございます!」
「……」
「お兄様?」
ケインは真剣な眼差しでオルトリウスを凝視していた。強い視線を受けていたオルトリウスは当然気付いており、膝を折ってケインと目を合わせた。
「どうしたんだい? ケインちゃん」
「……オルトリウス様は先代司祭様だったのですよね?」
「そうだよ。王国の慣例に則って、兄上が即位した時に司祭の座に就いた。どうかしたのかい?」
「それなら、フォルトゥナ神やリンナモラート神についても詳しいですよね?」
「他人よりかは知っていると思うけど、何か知りたい事でも?」
コクリと頷いたケインは昨日クラウドがベルンハルドとエルヴィラの運命の糸を好奇心から結んでしまい、解こうにも謎の力に阻まれて解けないと話した。無理に解こうとするとクラウドが怪我を負ってしまう。ベルンハルドとエルヴィラの運命の糸をイル=ジュディーツィオの力以外で解ける方法はないかと訊ねた。
姉妹神について詳しそうなオルトリウスなら、何かヒントになる知識があるのではとケインは期待した。ファウスティーナも期待の込めた眼で思案するオルトリウスを見つめた。
「そうだねえ……あるとするなら、フォルトゥナ神自らにその糸を解いてもらうくらいじゃないかな」
「他にはありませんか」
「若しくは、リオニーちゃん……魔術師に能力を増幅してもらって解くしかない。ただ、今はそこまで時間を割いている暇がない。能力を増幅させるにもそれなりの準備と気力がいる。リオニーちゃんは警備全体の総責任者。『建国祭』が無事終わるまで、無駄な時間を使う暇はないんだ」
「そう、ですか」
やはり『建国祭』が終わらないと動けないのが現状。相談したら、きっと力になってはくれるだろうがオルトリウスの言う通り時期が悪すぎた。
「あの、オルトリウス様」
「なんだい、ファウスティーナちゃん」
「殿下とエルヴィラの運命の糸がずっと結んだままとなったら、私と殿下の婚約はどうなりますか?」
「ふむ……こんな事、言いたくはないが継続は不可能だ。運命の糸が結べる時点でその2人は、結ばれる運命にあるのがとても大きい。もしも縁がない相手なら、結べてもすぐに解けてしまう。解けないというのは、特別な意味を持っている」
「特別……」
つまり、2人が”運命の恋人たち”という証。
長かった婚約破棄への大きな歩みとなれる、最初の頃なら両手を上げて大いに喜んだ。
なのに、胸に広がる空虚さとチクチクと痛むのは何か……。魚の骨を喉に詰まらせたとしても、あまりにチクチクする。
「特別だったとしてもフォルトゥナ神なら解けると?」
「あの女神様ならあっという間に解いてしまうねえ。フォルトゥナ神は極稀に人間の中に紛れる。特に、人が多く集まる日は確率が上がる」
つまり『建国祭』当日、人に紛れるのが好きなフォルトゥナ神に会えるかもしれない。
「見つけるヒントはありませんか?」とファウスティーナ。
「そうだねえ……飴を売っているかもしれないね」
「飴、ですか?」
「そう。僕が何度か会った時、フォルトゥナ神は飴売りの人間に扮していた。色毎に味の違う飴を売っていたんだ」
「飴……」
ファウスティーナは奇妙な感覚に囚われた。飴。何故か非常に引っ掛かる。
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