ルイスの生まれ変わりじゃないと知られてはいけなかった
ファウスティーナ達が人払いをした客室の扉の前には、様子を見に来たつもりでつい話を聞いてしまったヴェレッドが立ち尽くすも。ほんの少し開けた隙間を閉め、早足でこの場を後にした。ヴェレッドが目指したのはオルトリウスのいる四阿。リオニーも同席しており、テーブルにお茶がない事から着いたばかりかお茶を飲みながらする話じゃないかのどちらかと見た。
けれど関係はない。
険しい表情で近付いて来るヴェレッドを瑠璃色の瞳を丸くして迎えたオルトリウスは小首を傾げた。
「どうしたのローゼちゃん。何だか焦っている様だけれど」
「先代様、すぐに人払いして」
「? いいよ」
オルトリウスは周囲にいた騎士や侍女を下がらせた。
ヴェレッドは椅子に勧められるも立ったままでいいと断った。
「で? どうしたのローゼちゃん」
「フワーリンの坊ちゃん、かなり面倒な事してくれた」
先程、客室の前で聞いたファウスティーナ達の会話をオルトリウスとリオニーに話すと。
オルトリウスは机に突っ伏し、リオニーに至っては額に手を当てた。
「何てことを……さすがイエガー君そっくりな孫。マイペース以前の問題だよ」
「この事をフワーリン公爵は知っているでしょうか?」
「恐らく知っているよ」
昨夜、彼はルイスの生まれ変わりが何処にいるのかと独り言を零していた。ルイスの名を持つベルンハルドがルイスの生まれ変わりではないとその時に知ったのだ。
「きっと前から不審には思ってはいたんだろうね……困った、よりにもよってイエガー君に」
「エルヴィラの運命の糸と王太子殿下の運命の糸は解けないと言っていたのなら、別の問題も浮上しますが」
「ああ、そうだよね」
本来なら結んだところでイル=ジュディーツィオなら問題なくすぐに解ける。解けないのは結ばれた2人の運命の糸に特別な意味があると示している。
「もしも私やオルトリウス様の予想通りなら、2人の運命の糸が解けないのは――あの2人が“運命の恋人たち”である可能性が非常に高い」
「若しくは、解けないよう誰かが細工をしたか、かな」
リオニーの予想に追加してヴェレッドが続けた。
「細工?」とオルトリウス。
「そんな細工をして誰に得が?」
エルヴィラとベルンハルドを意図的に“運命の恋人たち”にして誰の得になるのかと考えても誰もいない。また、2人の運命の糸を結べるのはイル=ジュディーツィオの力を持つイエガーやクラウド、人間でないのなら運命の女神フォルトゥナだけ。
クラウドは気になってしてみたくらいで2人を結ばせる気はきっとない。イエガーはベルンハルドがルイスの生まれ変わりでなくても、彼が王国の王太子として立派に育ち続ける限りは愚かな真似はしない。エルヴィラを王太子妃にして得をするのは誰かと考えを変えてもやはりない。ヴィトケンシュタイン公爵夫妻にしてもファウスティーナが王太子妃になってしまえば、ヴィトケンシュタイン公爵家から王太子妃を輩出したという実績となる。ファウスティーナに王太子妃となる素質や資格がないのならまだしも、王妃からの評判も王太子との関係も良好、更に女神の生まれ変わり。これ以上ない。
大人3人が頭を悩ませ、思考をフル回転させてもエルヴィラを王太子妃に、2人を“運命の恋人たち”にして得をする者がいない。
「考え方を変えてみよう。ファウスティーナちゃんを王太子妃にしたくないのは誰かとね」
「シエル様?」
「シエルちゃんがその気なら、随分前からファウスティーナちゃんを王太子妃にさせないよう手を回し尽くすってば。大体、シエルちゃんでも運命の糸をどうこうする力はない」
「じゃあ、フワーリン家の誰か?」
「うーん。それもないね。誰が王太子妃になろうがフワーリン家には関わりがない。シエラちゃんを選んだのは、当時の情勢から任せられるのが彼女しかいなかったからだよ」
防衛の要たるアリストロシュ辺境伯家の姫君ノルンを王太子妃に選んでも問題は無かったのではと意見が出るも、腐り切った王制を見限り辺境伯家を野蛮人だと忌み嫌う貴族に愛する娘を差し出すかと暴れられたのだとか。
現在はティベリウスやオルトリウスの尽力や辺境伯の歩み寄りで関係はかなり改善された。また、シエラとノルンが友人という点も大きい。貴族学院に入学したての頃、野蛮人だの髪の色で虐めを受けていたノルンをシエラが助けのがきっかけと聞く。辺境伯が溺愛する娘を虐めていた令嬢令息は半月もしない内に学院を去っている。
辺境伯を刺激したくないのと元々排除する予定の家の子だったのでオルトリウスが問答無用で手を回しただけ。
「……それか、フリューリング家か」
「え」
ポツリと零したリオニーの声にヴェレッドとオルトリウスは視線を集中させた。
「エルヴィラと王太子殿下が“運命の恋人たち”になり、ファウスティーナが王太子妃になれなくなって得をする者がフリューリング家にいます」
「……誰の事」
「……エルリカ=フリューリング。又はトレイン=フリューリングのどちらか、か」
「先代侯爵? なんで」
「父は……あの人は……母の望みならなんでも叶えようとする」
母がアーヴァを嫌い、冷遇しようと父はアーヴァを助けようとせず、だが冷遇に手を貸すでもなく傍観者の位置にいた。最低限父としての役目は果たしながらも、助けを求めるアーヴァの声に耳を傾けなかった、伸ばされる手を取らなかった。母にアーヴァについて注意をしようが所詮はその場しのぎの戯言で、周りに人の目が無ければ父は母を止めようとしなかった。
アーヴァに似たファウスティーナを見た時、父が口にした言葉が忘れられない。
『エルリカの平穏を壊すなんて……アーヴァはエルリカを恨んでいるんだな』と。
実の母親に対する怒りや殺意は何度も湧き上がっても父親に対してはまだなかった。その言葉を聞いた瞬間からリオニーの中の両親は消えた。オルトリウスからトレインの処分を任されても躊躇も悲しみもなかった。
病に倒れる父を見舞うのは長女としての義務であって、父親を愛してるからではない。
周囲にはアーヴァを母親から庇う父親の姿を見せながら、家庭内では母の冷遇に耐えるアーヴァを助けない最も最低な男。
アーヴァを憎むエルリカが憎しみのあまりファウスティーナを憎み、王太子妃になるのを妨げるべく魔術師の力で2人を“運命の恋人たち”にするよう夫に頼んだのなら、妻に弱い夫ならやりかねない。
リオニーの予想を聞いたヴェレッドは疑問を呈した。
「魔術師に男女を“運命の恋人たち”にする力はないよ。可能なのはリンナモラートだ」
「疑似的な物と言えばいいのか……。本物の“運命の恋人たち”には出来なくても、運命の糸に触れられるイル=ジュディーツィオにそう見せるようにするのは恐らく可能だ。エルヴィラの運命の糸に強い誓約を掛けるとしよう。エルヴィラの望む相手と運命の糸が結ばれた時、決して2人を別れさせるな、と」
エルヴィラの望む相手はベルンハルドただ1人。ベルンハルドの運命の糸をイル=ジュディーツィオに結ばせる事で2人の結びつきを強大なものとし、解けなくなるよう強力な誓約を掛けたのならエルヴィラの悪夢の原因が見えて来た。
「私の父がエルヴィラにそのような誓約を掛けたのなら、エルヴィラが王太子殿下に会うと悪夢を見なくなるのも頷けます」
「つまり、妹君が助かるには王子様といさせるしかないと周りに判断させて2人を婚約させようとした、って事?」
「あくまで予想の話だがな」
「はあ、面倒。面倒臭い。先代侯爵は病気で弱ってるんだよね? 病気とやらも、強い力を使った代償じゃないの?」
「有り得るかもしれない」
顔を両手で覆って嘆くオルトリウスは深く項垂れた。
「リオニーちゃんの予想が当たっていたら、大変だよこれは……」
「全責任はフリューリング家の当主として取る覚悟は出来ています」
「君やフリューリング家を失うくらいなら、先代侯爵夫妻を揃って始末する方が安い。ベルンハルドちゃんがファウスティーナちゃん以外の女性と運命の糸を結べるとイエガー君が知ったのが問題なんだ」
オルトリウスはルイスの生まれ変わりではない王子が女神の生まれ変わりと結ばれる事を決して良しとしないのがイエガーだと語った。ファウスティーナからエルヴィラに婚約者が変更となってもイエガーは否とせず、積極的に肯定し続ける。そして本物のルイスの生まれ変わりを見つけようとする。本物を見つけられると困るのはオルトリウスと本物である。
ルイスの生まれ変わりはリンナモラートの生まれ変わり以外の女性と運命の糸は結べない。これを知られたのは最も大きな痛手である。
「シエルちゃんに嫌われる覚悟はある?」
「ぜったいやだ」
「だよね。僕もシエルちゃんに本気で嫌われるのは辛過ぎて泣けちゃうから無理」
「なら言わないで。……先代様、王子様がお嬢様を傷付けて泣かせる最低野郎だったら徹底的に王子様を潰していたよ、俺もシエル様も」
ファウスティーナの方は婚約破棄を目指しているらしいが根気よく説得すれば時間が解決してくれる。ファウスティーナしか目にないベルンハルドに気付いてくれれば、貝の殻並に固い気持ちを解せる。
何より、2人の子供らしいながらも幸福な姿を見ていたらそのままで良いと思える。
「フォルトゥナが何もしてきていないのがあの2人を認めてるって事じゃん」
リンナモラートの幸福を誰よりも願うフォルトゥナが手を出して来ないのも、ファウスティーナとベルンハルドを認めていると認識しても過言じゃない。
「……放っておいてあげなよ。邪魔をするのがいたら、俺達で徹底的に潰せばいい」
朝食の席に着いたベルンハルドの顔色がとても悪く、心配したネージュは無理に作り笑いを浮かべるベルンハルドを従者のヒスイに命じて部屋に戻させ医者の手配をさせた。もうじき『建国祭』なのだ、王太子が体調不良で欠席は避けたい。1人で食べる事となった朝食を食べつつ、侍女のラピスに心配だよと話をしながら心の中で笑った。
――ありがとう、クラウド兄上
4回目の時にクラウドが掛けたエルヴィラの呪いは遂にベルンハルドの許にも到着した。
――どの人生でも、クラウド兄上はぼくや兄上を大切にしてくれる優しい従兄で良かったよ。
『建国祭』当日、きっと4度目と同じになる。そうなってしまえば、後は流れるがままに事は進んでいく。
エルヴィラとの運命の糸が解けないベルンハルドがファウスティーナとこれからも婚約を継続するのは困難なのだから。




