3 貴女に言われる筋合いはない
何事も順番、というのがある。
いきなり婚約破棄は早急過ぎた。昨日の青褪めたベルンハルドを思い出し、ファウスティーナは反省した。
しかし、嫌われる言動や行動をしていないからまだベルンハルドには負の感情を抱かれていない。
朝食後、私室でどうやって婚約破棄まで持っていくか考える。
「手っ取り早く殿下に婚約を破棄してもらうにはどうしたらいいかしら?」
王家と公爵家の間で結ばれた為簡単に破棄出来ないのはファウスティーナだって承知の上。前回は自分のせいで破棄されたので同じ失敗はしない。
「はあ……分かってても軽く凹む」
この前目撃したベルンハルドと妹エルヴィラが談笑している光景。前回身を以て知ったくせに、結局彼は妹を好きになるのだと悟った。今は婚約者であるファウスティーナに好意があるように見せかけて、将来はきっとエルヴィラを選ぶ。そう考えれば考えるだけチクチク胸が痛む。
喉に引っ掛かった魚の小骨だと思うことにし、再びノートに向き合うファウスティーナは思案するのだった。
――それから数ヵ月後。
第1王子にして、王太子であるベルンハルドの婚約者になったのだから、当然ファウスティーナは王太子妃筆頭候補となる。体調が戻った翌月から次期王妃としての王妃教育が現王妃直々の指導の下始まった。
現在ファウスティーナがいるのはヴィトケンシュタイン公爵家の廊下。王妃も毎日多忙な為毎日王妃教育をする訳にもいかず、近日中に行われる隣国の式典参加の準備の為にここ数日王妃教育はお休みである。お休みだからといって何もしなくてもいいわけじゃない。ちゃんと習った内容を復習し、必要があれば王城の書庫室にある本を借りて国の歴史、政治、経済、他国の言語や歴史、更に情勢など頭に叩き込む情報は山の如く存在する。
自身の家庭教師との勉強を終え、昼から定期的に屋敷に訪れているベルンハルドの訪問を聞かされたので彼が待っているという客室へと向かった。
そして――華麗にスルーした。
今日はファウスティーナ付の侍女リンスーは休暇を貰っているので街へ買い物に出掛けていていない。他の侍女がファウスティーナの身の回りの世話を担った。こっそりと室内の様子を窺っただけで中に入らず、行きましょうと眩しい笑顔で告げられれば、戸惑っても従うしかない。
私室に戻ったファウスティーナにオレンジジュースを出した侍女は部屋に入室しなかった理由を聞いた。
聞かれたファウスティーナはふう、と溜め息を吐いた。
「……あなたも見たら分かるわ」
「何があったのですか?」
「エルヴィラと殿下がとても仲良さげに談笑していたの。あの中に行く勇気私にはないわ」
「え? エルヴィラ様がいらっしゃったのですか? 確か、今の時間は家庭教師の方と勉強中の筈ですが……」
「え?」
侍女に聞いた話に思わず反応した。
家庭教師との勉強中? なのにベルンハルドの所へ行った?
「その家庭教師の方は今何処に?」
「そこまでは分かりかねます……」
「そっか……」
オレンジジュースを一口飲んだ。甘酸っぱいオレンジの味がファウスティーナは大好き。今日父シトリンは領地の端にある小さな村へ視察に行っている。次期公爵として兄ケインも同行している。なので、屋敷にいるのはファウスティーナとエルヴィラの他には母リュドミーラ。騒ぎを聞かない辺り、家庭教師との勉強をリュドミーラが見逃しているのだと推測。
ファウスティーナが同じ真似をすれば烈火の如く怒りだすが、自分に似て溺愛しているエルヴィラは叱らない。
(前は理不尽だと怒り、同じ娘なのにどうしてそんなに違うのか悩んで、悲しんで……。でも、もうどうでもいいわ。まだ7歳で母親に何も期待しなくなるなんて……)
吐きそうになった嘆息を喉から出るのを防ごうと飲み込んだ。
「オレンジジュースのお代わりを頂いてもいい?」
「ええ」
空になったグラスを侍女に差し出し、オレンジジュースの入ったピッチャーが傾きグラスに注がれていくのを見つめる。水を入れ物に入れる音や動作を見るのが地味に好きだったりする。
「どうぞ」
「ありがとう」
侍女からオレンジジュースが入れられたグラスを受け取り、ファウスティーナは再び飲み始めた。
ずっとオレンジジュースを飲んでいても退屈なので以前シトリンから貰った本を読んで時間潰しを決行。本を読むだけだからと侍女には退室してもらった。オレンジジュースの入ったピッチャーは満タンにしてもらった。
どの本を読もうとベッドの上に並べ吟味する。子供が読んでも大丈夫な恋愛小説、魔法使いが悪者をやっつける冒険物語、美味しい料理を作る少女のほのぼのストーリー、……どれも面白そうで先に読みたいのを選ぶのに難儀した。
「ん?」
ふと、もう1冊の本を手に取った。本、というより動物図鑑であった。
何気なく動物図鑑を選び、ペラペラとページを捲っていく。
「可愛いな~」
様々な種類の猫や犬、鳥、ウサギ等が綺麗なイラストで描かれていた。一度動物を飼ってみたいと前回両親にお願いしたが、王太子妃となるファウスティーナには必要ないと却下された。
主に母に。
「んん?」
あるページに目が止まった。
ふわふわもこもこな白い羽毛に黄色い嘴と足。黒豆みたいな小さな目。丸っこい体が何とも愛嬌抜群。
「……」
心をがっしりと掴まれてしまい、ファウスティーナは暫くそのページを凝視したまま動けず。
やっと動いたかと思えば、発した第一声が――
「か、可愛いぃ!」である。
「可愛いとっても可愛い! 何々コールダック……世界最小のアヒル。アヒルでも色んな子がいるのね。家で飼っても大丈夫って書いてある。必要なのは……」
ふむふむ、ふむふむとコールダックを飼育するのに必要な物や餌は何を食べるのか詳しく読んでいった。
内容をしっかりと読んだファウスティーナは本を閉じ、オレンジジュースを一気に飲んだ。空になったグラスにピッチャーを傾けオレンジジュースを注いだ。
「誕生日プレゼントにコールダックを飼っていいかお父様に相談しよう!」
どうせ、リュドミーラに話しても聞き入れてもらえないと思うから。
その日の夜、早速お願いしようと父の書斎を目指すファウスティーナを母リュドミーラが呼び止めた。
エルヴィラやケインと同じ黒髪に紅玉色の瞳。笑えば周囲に大輪を咲かせる美女の眉間には濃い皺が刻まれていた。こういう時の母の用件は大抵碌でもない。前回がそうだった。
「ファウスティーナ。今日はベルンハルド殿下のご来訪を聞いていましたね?」
「はい」
「何故殿下のもとに行かなかったの? 殿下はずっとあなたをお待ちになっていたのよ?」
目の前の母は、エルヴィラが家庭教師との勉強をすっぽかしてベルンハルドと談笑していたのを知っているのだろうか。
今更母の愛情等何も期待しない。そう決めていたファウスティーナは顔を上げた。
「そうでしょうか? 私を待っていたという割にはエルヴィラがずっと側にいましたよ。家庭教師との勉強の最中な筈のエルヴィラが」
「! そ、それとこれとはっ」
「関係ない、ですか? お母様がエルヴィラを可愛がろうが、私を嫌いだろうがどうでもいいですが私にだけ理不尽に怒るお母様の言葉なんて何も聞きたくありません。私が弱音を吐けば長時間説教をするくせに、エルヴィラが勉強を嫌がって我儘を言っても怒らないお母様にとっては、気に食わない私より可愛いエルヴィラが殿下と仲良さげにした方が嬉しいのではありませんか?」
今までリュドミーラに反抗的な態度を取ったことはない。現に、矢継ぎ早に娘に非難されたリュドミーラの顔は真っ青でパクパクと口を開閉している。丸で陸に上がった魚だ。
この様子を見るからに家庭教師との勉強をエルヴィラがすっぽかしたのは知っているのだろう。流石にファウスティーナを待っているベルンハルドの所へ行っていたと知っているかは不明だが……。
何も言えないリュドミーラにこれ以上何かを言うつもりもないファウスティーナは、気にせずシトリンの書斎目指して再び歩き出した。背後から何か気配を感じるも気のせいだと無視した。
1人残されたリュドミーラは遠くなる娘の後ろ姿を青くした顔のまま見つめていた。
「ふぁ、ふぁ、すてぃーな」
あんな風に言われる程実の娘に嫌われていたとは微塵も思っていなかったリュドミーラはショックと衝撃が強くて上手にファウスティーナの名前を紡げなかった。
嫌っている訳でもない。気に食わない訳でもない。
ファウスティーナもケインやエルヴィラと同じ、ヴィトケンシュタイン家の血を引く可愛い娘。
夫シトリンと同じ空色の髪に薄黄色の瞳を受け継いだファウスティーナの誕生を夫は勿論リュドミーラも喜んだ。次に生まれたエルヴィラがリュドミーラに似た子でも夫は同じように喜んでくれた。
自分に似た子程可愛く見えると誰かが言っていた。
「……」
今日の昼、王国の王太子ベルンハルドが婚約者のファウスティーナを訪ねて屋敷へ来るのは予め報せを受けていたので知っていた。しかし、待ってもファウスティーナは来ないので今日は帰ると護衛の騎士が告げに来た時にはとんだ恥をかかされたとリュドミーラは激怒した。夜ファウスティーナに訳を聞いて叱責するつもりだったのに、思いがけない言葉を矢継ぎ早に投げられ怒気は何処かへ消え去った。
もう1人の娘エルヴィラが家庭教師との勉強を放棄したのは、待っても来ないと家庭教師本人から聞かされたので知っている。あの子はケインやファウスティーナと違って普通の子だからあの2人のように出来ないからと無理に勉強をさせる真似はしなかった。
まさか、勉強をすっぽかしてベルンハルドの所へ行っているとは思っていなかった。
「……もしかして、ファウスティーナは……」
エルヴィラとベルンハルドが一緒にいる所を見て行き難くなったのではないかと思う。
「……」
もう一度会って話を聞きに行こうにも先程のファウスティーナの無関心な薄黄色の瞳を思い出し足が動いてくれなかった。
読んで頂きありがとうございました!