謎に……
頭をそっと撫でられる心地良さが浮上し掛けている意識を何度も底へと追いやり、瞼を上げられないまま眠り続けた。次第に眩しさが追加され、重たい瞼を上げた。ぼんやりとした視界が最初に映したのは夜遅くまで起きていたであろうシエルの顔だった。目覚めたファウスティーナににっこりと微笑み「おはよう」と述べた。瞬きを数度繰り返して挨拶をしたファウスティーナは徐々に明確になっていく意識で漸く現状を把握した。王城で泊まってもシエルの朝の訪問はあった。教会で暮らし始めてから毎朝シエルの顔を見て起きている気がするのは絶対に気のせいじゃない。背中に手を回されて体を起こした。昨日はずっと緊張状態だったせいか、今になって全身筋肉痛になっていると知った。落ち込んだファウスティーナの頭にシエルの手が乗せられた。
「そう暗くならないで。君が生きている証だよ」
「司祭様は平気ですか?」
「私? 慣れているから平気さ。『建国祭』もう間もなくだけど、今日はゆっくり過ごそう」
「ずっと此処にいる事になりますか?」
「いや、今日決めるけど……多分グランレオド家に少しの間滞在となるかな」
「グランレオド家に?」
フワーリン、フリージアと違い殆ど関わりのないグランレオド家。同年代の令嬢令息がいないのが大きい。
「グランレオド家は助祭さんの生家だ。今朝、事情説明の為にグランレオド家に行っているよ」
「オズウェル様も王都にいらっしゃるのですか?」
「そうだよ。私が先に君を助けに行くから、オズウェル君は王都に行って陛下達に情報を伝えてと頼んだんだ」
「そうだったのですか……」
という事は、現在教会はジュードや他神官達が運営しているのか……と予想すると違うようで。ファウスティーナの思考を読み取ったのか、シエルは明日までお休みにするとした。
「他の貴族達が怒りませんか? 明日、誕生日を迎える方だってきっといるのに」
「私の突然のお休みを王国の貴族達はよく知っているから、次の日に皆来るから安心して」
「は、はい」
相手が王族なら下手に文句も言えない。という訳ではなさそうで、皆シエルの天上人の如き美貌を前にすると怒りも消えてしまう。
「あ、司祭様、リンスーは、リンスーは無事ですか!?」
「落ち着いて。君の侍女は無事だ。怪我もしていない。私の屋敷にいるよう執事に命じている。『建国祭』当日には王都に呼ぶから慌てないで」
「ありがとうございます……!!」
昨日の話なのに遠い昔の出来事のように感じてしまう。気絶させられただけとはいえ、怪我をしていない保証はなかった。リンスーが無傷だと知ったファウスティーナは昨日助けられた時とは違った安心感で体から力が抜けた。ベッドに倒れると大きな手が頬に触れた。
「もう少し眠る?」
「いえ。起きてます。お兄様やクラウド様はもう起きていらっしゃるのですか?」
「ああ。先に朝食を食べている筈だよ」
「私も頂きます!」
「寝なくて平気?」
「お兄様達と私も朝食を食べたいです!」
「はは、そっか。今侍女を呼んで来るから待っててね」
「はい!」
良い子、と最後に頭を撫でるとシエルは出て行った。子供扱いされて嫌な気分にさせない人はそう多くなく、シエルは断トツで子供の扱いが上手だ。ファウスティーナには特別優しいらしいが教会が責任を持って預かっている身だから、だと決まっている。
侍女が来たら起きようと天井を仰いだ。
初めて見たアーヴァの絵姿。髪や瞳の色が違うだけで他は似ている要素が多々あった。
あんな美女ならこの世を去っても人々の記憶から忘れられないのは頷ける。同時にシエルが他に愛する人を作らないのも……。
他人に怯え、母に怯えてばかりいたアーヴァが信用した数少ない人なのだシエルは……。シエルの優しさにアーヴァは惹かれ、シエルもまたアーヴァの魅力に惹かれ、2人は恋人となった。年代が同じなら理想の恋人同士だったであろう2人を見られた。そう思うと年齢は大事だと痛感した。
「もしも、エルヴィラの歳が私より10も下だったら……」
そうだったらベルンハルドと愛し合う事も、母の愛情を一心に受ける姿に嫉妬する事もなかった。10歳下ならまだ0歳の赤ん坊。たっぷりの愛情を注がれて当然で、ベルンハルドが好きになる事もない。
「ううん、もしもの場合を考えても仕方ないわ。私が目指すのは殿下の幸せなんだから!」
朝食を食べ終えたら昨日の調査を受ける予定となっている。
「ヴィトケンシュタイン公女様、王妃殿下のご命令で公女のお世話をさせて頂きます。兄君とフワーリン公子は先に朝食を召し上がっている最中です」
「はい。よろしくお願い致します」
シエルがシエラに話を通し、王妃付きの侍女が2人ファウスティーナの世話をしに入室した。
――場所は変わって客室。王族が使用する食堂では現在ベルンハルドとネージュが利用している。幼い王子達に今回の誘拐事件が耳に入らないよう、攫われた子供3人は食堂や王子達が普段利用する部屋より遠くの客室でケインとクラウドは朝食を食べていた。
新鮮な野菜に酸味の効いたドレッシングを掛けてシャキシャキ感を楽しむクラウドの隣、ケインは焼き立ての食パンをいつもの無表情で頂いていた。
朝の支度を終えたファウスティーナがやって来ると2人の前に座った。
「お寝坊さんだねファナ」
「うっ……気持ち良く寝ていたと司祭様にも言われました」
「まあ、いいけど。疲れは取れた?」
「とっても。お兄様とクラウド様は?」
「俺も」
「僕も」
ファウスティーナの前に2人と同じ朝食が並べられていく。最初はどれにするか悩み、手に取ったのは焼き立ての食パン。イチゴジャムを塗りながら、クラウドの見目に変化があると気付いたファウスティーナは薄黄色の瞳を丸くした。
「クラウド様? 顔や手を怪我したのですか?」
クラウドの顔や手、目に見える肌に幾つか手当をされた痕跡があった。サラダを完食したクラウドは困り顔を見せ、ケインを見ると首を振られた。ケインが訊ねてもクラウドは言わなかったらしい。
「あー……」
翡翠色の瞳が周囲にいる給仕達を映し、子供の内緒の話をしたいから席を外させた。微笑ましく見られたのはクラウドが子供らしく「初めて王城に泊まった感想を言い合いたいんだ」と話すと部屋を出てくれた。
扉の前に人はいるとはいえ、室内はケイン、クラウド、ファウスティーナの3人。
ファウスティーナとケインからの視線を受けてクラウドは両手を上げた。
「先に謝っとく。ごめん」
「何をしたの」とケイン。
「多分、いや、間違いなくかなり面倒かもしれない」
「どうされたのですかクラウド様」
「……ベルとエルヴィラ様の運命の糸を繋げちゃった」
「は……!?」
「……!?」
驚愕故に声を上げたケインと声が出なかったファウスティーナ。冗談っぽく言っているように見えて放つ言葉は全て事実だと困った風に笑うクラウドは続きを語った。
「昨日ね、何となく結んだら解けなくなって」
「何となくて結んで良いものじゃない!」
「ケインの言う通りだよ。結んでも後で解けばいいと甘く見ていた僕の責任」
解こうとすると強力な力がクラウドの手を阻み、無理に力を入れると拒絶は強くなり全身雷を纏った光りに覆われ攻撃してくる。クラウドの怪我は2人の運命の糸を無理矢理解こうとした結果。
「お手上げだよ……」
「殿下とエルヴィラの運命の糸を結んでしまった場合、何が起きるのですか?」
「うーん……運命の糸が結ばれるって事は、2つを強く引き寄せるんだ。エルヴィラ様が悪夢を見ていたのも、悪夢の根源となる黒い糸がエルヴィラ様の運命の糸に絡み付いていたから。それを強く断ち切る道具として魔術師の祝福が掛けられた糸は有効だった」
しかしその糸はケインの窮地を救うべく使ってしまい、今はなく、再度用意しようにも『建国祭』の準備や警護の都合上、他に時間を割けられない。次可能だとすれば『建国祭』が終わってからとなる。
「殿下とエルヴィラが結ばれるってこと……?」
「大きいだろうね。解いてしまえば無かった事になるのだけど、解けなければ事実として存在する。屋敷に帰ってからも頑張ってみるよ」
口にするのは簡単でもクラウドは2人の運命の糸を解こうとして怪我を負っている。別の方法はないのかとファウスティーナが問うても緩く首を振るだけ。
「運命の糸に触れられるのはイル=ジュディーツィオである僕かお祖父様か、或いは魔術師の力を持つリオニー様……」
「……フォルトゥナ神……」
ファウスティーナの紡いだ名前にクラウドは目を見張った。
「そうか……運命の糸を生み出し、自在に操れる唯一の存在である運命の女神なら、謎に解くのを拒絶してくるベルとエルヴィラ様の運命の糸を解けるかもしれないね」
大きな問題があった。フォルトゥナ神にどう2人の運命の糸を解いてもらうか、だ。
人間が好きな女神は極稀に人間の前に姿を現す。
その極稀をすぐに実行する方法はないかと3人は朝食の手を止めて思案する。
――フォルトゥナ神なら殿下とエルヴィラ様の運命の糸をどうにかしてくれる……でもどう会えば……
「あ」と発したファウスティーナに視線が集まった。詳しく知っていそうな人が今王城にいる。
謎に王国や女神について詳しいヴェレッドや先代司祭のオルトリウスが。
読んでいただきありがとうございます。




