正反対となった夢
楽しくて幸せな光景を頬を綻ばせて眺める。視線の先には不細工な花冠を渡されても至高の宝石も霞む純美な笑顔を向けてくれるファウスティーナがいて、恥ずかし気に頬を掻きながらもファウスティーナに喜ばれてホッとしている青年となった自分がいて。大人になっても、ずっと先もファウスティーナとあんな風に笑い合いたい。
不細工な花冠をファウスティーナに渡されると空色の頭にそっと乗せた。今度作る時はもっと上手になってみせると意気込む自分にファウスティーナは待っていますと微笑む。
ファウスティーナの心からの微笑みに釣られ、夢の中だと分かっていてもベルンハルドはついつい吸い寄せられてしまう。
夢なら向こうにいる2人に自分の姿は見えない。少しくらい近付いてファウスティーナをもっと近くで見たって良い。
……そう思ったのがいけなかった。
突然足元の地面が崩れ、真っ暗な底へ落ちていく。
ファウスティーナ達のいる場所は崩れず、2人は背後の崩壊に気付かずずっと笑い合っている。
安心するべきか、急速に落下していく自分の心配をするべきか。
夢の世界だと言うのに感覚がやけに現実的過ぎる。固く目を瞑り、落下の感覚が消えるのを待った。
「あ……」
何も感じなくなったベルンハルドは恐る恐る瞼を上げた。右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても――どこまでも黒しかない空間に立っていて。不安の相貌で周囲を見渡し歩き始めた。すると左足が何かに引っ張られた。驚いて下を見たベルンハルドの瑠璃色に映ったのは、左足首が蔓によって動きを止められていた。
「な、なんだ、これは……あ!」
左足を上げ蔓から逃れようにも強い力で絡まれ離せる気配がない。他に逃げる手段はないかと再度周囲を見た時、淡い光を纏った光景が1部分に映された。
「え…………」
場所は多分王宮の庭園。南の方角にある王妃専用庭園ではなく、月に1度一般公開される広大な庭園で腕を組んで歩く男女の姿に瞠目した。1人はさっき見ていた自分よりも更に大人になった自分ともう1人は……ファウスティーナじゃない。
「なんで……エルヴィラ嬢なんだ……?」
さっきまであんなにもファウスティーナと睦まじくしていたのに急に相手がエルヴィラに代わったのは何故なのか。
「見てくださいベルンハルド様! 侍女長が話していた通り、今年の薔薇は満開のようですわ! ふふ、とても綺麗です」
「ああ……そうだな……」
何なのだろう……エルヴィラは喜びを露わにしているのに対し、夢の中の自分は全然楽しそうでもなければ嬉しそうでもない。貼り付けた笑みがあるだけで瑠璃色の瞳は死んでいた。ただ目の前にいる相手に最低限の感情を見せているだけのような虚ろな目……。
ファウスティーナは……ファウスティーナがいないのは何故……。
ベルンハルドが何処を見てもファウスティーナの姿はなく、2人の少し後ろを歩く侍女達の言葉から出た“王太子妃様”という言葉に唖然とした。
どうしてファウスティーナではなく、エルヴィラが王太子妃と呼ばれるのか。エルヴィラは疑問にも思わず侍女に振り向いた。
この夢は何か、きっと悪い夢なんだと思い始めた時、別の方からよく知る男性の声がした。
シエルの側に常にいるあの薔薇色の髪の男性。男性のすぐ後ろを宰相のマイムが追い掛けて来て小言を言うが男性は聞く耳を持たず、警戒心全開なエルヴィラはスルーし、昏い目で彼を睨むベルンハルドに近付いた。
「相変わらず仲が良いね王太子様と王太子妃様は」
「……何をしに来た。衛兵はどうした」
「俺を罰せられるのはシエル様か王様のどちらかだけ。昔言ったよね? 忘れちゃった? お嬢様にした仕打ちを忘れて恥ずかしげもなくシエル様の前に顔を出せる厚顔っぷりだもんねえ……」
「っ……」
仕打ち? ファウスティーナに何かをしてしまったのか? 男性の言い方からするにシエルを怒らせた、という事は相当な事を仕出かしてしまったのだ。わざとらしく煽る男性に唇を噛み締め拳を握り締めて凄まじい怒りを抑えて睨み上げるベルンハルドだが、余裕の態度を崩せないのは男性にとってはまだまだ。
「また貴方ですか! いい加減にしてくださいませ! わたしとベルンハルド様の折角の――」
「お前に用はね……ないの。引っ込んでろ」
「な……あ……ああっ……」
1度の睨みでエルヴィラを黙らせ、且つ腰を抜かせ泣かせようが男性の視線はベルンハルドから離れない。
「最後の警告、有難く受け取ってね王太子様。シエル様から伝言。
――これ以上手を煩わせるな。ってさ」
「っ……貴方と叔父上が隠しているのは知っているんだっ」
「さあ……隠している事が多くて何か分からないなあ……俺もシエル様も……。王太子様、これだけは言ってあげる。次公式以外でシエル様の前に現れたら――命の保証はしない。俺やあいつでも本気でキレたシエル様は止められないんだ。殺されたくないなら、2度と叔父としてのシエル様に期待するな」
「……どうして……叔父上に嫌われるって……僕は何をしたんだ……?」
夢の世界だと忘れて現実なのだと錯覚してしまうくらいに、現実味が強くどうしてか既視感があった。初めて見るのに、大体大人になった自分を客観的に見るのは不可能なのに見覚えがあるのは何故か。
シエルの言い付けを囁かれたベルンハルドは呆然と立ち尽くし、離れた男性を縋るように見てしまった。視線に気付いた男性は呆れた眼でベルンハルドを見やっていた。
「どうぞ、お幸せに王太子様。早く子供が出来たらいいね。その時はちゃんと優秀な乳母を付けてもらいなよ? そうでないと王太子妃みたいな子になるよ」
「わたしを馬鹿にしているのですか……!?」
「え~? どう聞いても馬鹿にしてるでしょう?」
「っ~~~!!!!」
怒りと羞恥で顔を赤く染め男性を捕えろと叫ぶ王太子妃の言葉を誰も実行出来ずにいて、焦りと怒りのマイムが男性に多数の小言を飛ばしてものんびりと先を行って話を聞かれなかった。
「なん……だ……一体何だこれは……」
夢なら早く醒めてほしい……
「ファウスティーナ……」
無性にファウスティーナに会いたくなった……。
名前を呼んだら、大輪の如き笑顔を見せてくれる……彼女の「殿下」と呼んでから見られる笑顔がとても恋しい……。
――一方で、もう1人夢を見ている人がいた。
体を多数の手によって抑えられ、悍ましい何かが行われ途切れない絶叫と救済を求める声を上げ続けるエルヴィラが見ている景色が突然変わった。
暗く、じめじめとしたどこかから、満開の花が咲き誇る庭になった。ぼんやりとだが覚えている。確か此処は王宮にある庭園。前に父シトリンに言って連れて来てもらった。月に1度一般公開される此処は貴族にも人気が高く、王族もよく休憩をしに来るからと行きたかった。ベルンハルドも来るのだと思うと何時間でも居られると自信満々なエルヴィラだったが、父シトリンの用が終わるとすぐに帰宅させられた。
あの時は剥れて帰ってからも不機嫌でいるとケインに叱られ、悔しくて母に泣き付いた。最近の母はエルヴィラにあまり優しくしてくれない。前まで見逃してくれた勉強やマナーレッスンを真面目に受けなさいと言ってくる始末。エルヴィラだって頑張っているのにケインやファウスティーナと比べると頑張りが足りないと家庭教師に叱られる。あの2人とは出来が違うし、元々公爵家の跡取りと未来の王妃となる2人が出来るのは当たり前なのに。
「もう……怖いことはないの……?」
地獄のような悪夢から解放されたなら、無人の庭園でも何でもいい。怯えながら周りを散策していると自分以外の人を見つけた。
「え……」
建物の方角から腕を組んで歩いて来る男女がいた。
大きくなった自分とベルンハルド。
ベルンハルドから向けられる愛おし気な眼や声に幸せそうに隣で微笑む自分がいて。
「もしかして……未来のわたし……?」
「ベルンハルド様、先日は素敵なドレスありがとうございます。王都で流行りのデザインでとても気に入りましたの」
「エルヴィラが気に入ってくれて良かった」
間違いない。
仲睦まじくする2人は未来のベルンハルドと自分。どこにもファウスティーナの姿はない。
これは夢じゃない、確定した未来。
そう思うと体の奥底から元気が漲ってきた。
「ベルンハルド様……! わたしの運命の相手はベルンハルド様しかいません……!」
早く夢から醒めて現実の彼に会いに行きたいと願いながらも、目の前で広がる幸福な2人の姿をもっと目に焼き付けたいと願うエルヴィラであった。
――朝。
ベルンハルドは悪夢に飛び起きて汗だくの自分に驚き。
エルヴィラは久方ぶりの熟睡で気持ち良さげな寝顔を見せ、添い寝したリュドミーラを安心させた。
ファウスティーナは熟睡しており、幸せそうな寝顔を眠そうに眺めるシエルがいる。
ケインも熟睡しているが少しあどけなさが残る寝顔。ファウスティーナが見たくても本人がよく眠る体質なので未だ見れていない。
クラウドはやらかしてしまった事に頭を抱えていたものの、ふんわりとした寝顔を見せ起きる気配はなかった。
読んでいただきありがとうございます。
クラウド……




