眠気は何処へ
イエーガーの独り言が暗闇の中へ吸い込まれていき、軈て足音が遠くなると気配を殺して暗闇に隠れていたオルトリウスが月光が照らす場へ姿を見せた。
「ルイスは何処にいるか、か……」
さすがだ、と認め肩を竦めた。
「知りたいよね、見つけたいよね。
残念だけど、言う訳にはいかないんだ」
ルイスが何処にいるのか、抑々誰がルイスの生まれ変わりなのかは言えない。オルトリウスの口からは言えない。
ルイスの生まれ変わり本人の口からなら言えるが、向こうは向こうで誰にも言うつもりはない。今の人生が最も楽しいからと昔言われた。
「すまないね、イエーガー君」
オズウェルと同じ、幼少期からの友人であり、この国を守り支えた戦友とも呼ぶべきイエーガーに心からの謝罪を口にした。
●〇●〇●〇
薔薇の花弁が浮かんだ風呂に入って湯浴みをしようが、栄養価の高い食事を摂ろうが、心をリラックスさせるハーブティーを飲もうが体に多く蓄積された疲労は完全には消えない。欠伸を何度も噛み殺せば瞳に涙が溜まり、瞬きをすれば雫となって零れ落ちる。
「寝そう……」
「鍛え方が足りないね、坊や君」
「うるっさい」
揶揄うメルディアスに苛ついても眠気は消えない。
此度の誘拐事件の報告をする為、内密に王城内にある会議室に集められたヴェレッドとメルディアス、シエル。シリウスとマイム、シエラもいる。オルトリウスが来るとそれぞれの報告が始まる。筈だったのが、ヴェレッドを揶揄ったメルディアスが小さく欠伸を漏らした。
「おやおやメルちゃん、だらしがないよ」
「坊や君みたいに疲れているだけなら欠伸なんて出ませんよ。おれの場合は毒のせいなので」
「言い訳じゃん」
ヴェレッドが半眼で突っ込むもメルディアスは「本当の事なので」と撤回しない。
「眠いのは私も同感」とシエル。
「報告は明朝にして今日はお開きにしましょう」
「ふざけるな。此度の一件がどれだけ重要な事か解っているのか」
「解っていますよ。ただ」
「はーい、ストップ」
シリウスが気を荒立てば、苛立ちをそのままぶつけるシエル。2人がこうなると止められるのは限られ、時間が無駄に流れる。眠くて止める気がないヴェレッドとメルディアスは当てにならないと即座に判断したオルトリウスが2人の間に入った。
「シリウスちゃんもシエルちゃんも喧嘩はよしておくれよ。メルちゃんもローゼちゃんも大人なんだから、ちゃんと仕事しなさい」
「相変わらずお厳しい」
「俺は無関係で良いじゃん。騎士でもなければ文官でも王様でも教会で働いてもないから」
「はいはい、ローゼちゃんは好きにさせてあげている分、こういう時くらいは協力して」
「はーいはい」
怠そうな返事をされるが眠い顔から一変、ヴェレッドもメルディアスも漸く真面目になる気になったようで顔色が変わった。眠いを連呼する2人がその気になるのを待っていたシエルは「始めましょうか」と合図を出した。
シリウスがマイムを一瞥。視線を受けたマイムは手に持っていた書類を読み上げた。
「ヴィトケンシュタイン公爵家のファウスティーナ様、ケイン様。フワーリン公爵家のクラウド様を誘拐した首謀者はダレン=アグニス。協力者はアレッシア=アグニス。誘拐に手を貸したのは金で雇った破落戸や同僚のアントニー=トルト、他3名。ダレン=アグニスは重傷を負い現在治療中。回復次第取り調べを。アレッシア=アグニスに関しては、今のところ素直に自供しています」
先王妃の時代から仕え、現王妃シエラにも忠実に仕えた侍女長のアレッシアが息子の企みを止めるどころか逆に手を貸して公爵家の子供を攫う等あってはならない。アレッシアを自白させたシエラには強い後悔があった。
その件については既にシリウスとシエルには話している。この場では口にしない。ファウスティーナがシエルの娘だと知らない者が1名いる為。
アレッシアの娘グリマーはアーヴァの魔性の魅力に当てられた夫に捨てられた女性の1人。嘗て恋心を抱いていたシエルが夫の豹変の原因でもあるアーヴァと恋人同士と知り、微かに保っていた心の防波堤が消え、娘と無理心中を計るも1人生き残り心を壊し廃人となってしまった。アグニス家は長男のダレンが継いでおり、夫は数年前に病死、長年王妃宮の侍女長として働くアレッシアには貯えがある。アーヴァに狂う夫も亡くなり、1人で生きていけないグリマーの世話をしていた。
「アレッシアの献身的な介護でグリマー殿の精神状態が安定していたと聞いたわ。ただ……」
大体は亡くなった娘マディソンの所在を聞いてばかりのグリマー。時折、微かに正気に戻ってはこんな事を訊ねていた。
「“アーヴァ様はどうされていますか?”と……」
アレッシアはいつもその問いには答えなかったとか。アーヴァが病死しているとも言わなかった。
「アーヴァが病死していると聞いた時のグリマー殿が怖かったから、とアレッシアは言っていた……グリマー殿が発狂して、再び精神が壊れないか心配だったのね……」
心に深い傷を負った者は何をしでかすか不明な狂気を身に宿す。
「ダレン=アグニスがヴィトケンシュタイン公女を攫った動機は、グリマー様の為ですか?」とメルディアス。シエラは「恐らく」と肯定した。
「アーヴァに瓜二つなファウスティーナの不幸を目の前で見れば、グリマー殿の心の平穏を取り戻せると思ったのでしょう」
「心の平穏ねえ……」
流麗な赤い髪に青水晶の瞳のアーヴァと姉妹神と同じ空色の髪に薄黄色の瞳のファウスティーナ。父シトリンがアーヴァと従兄妹にしても不思議な程そっくりな2人でも、髪と瞳の色が違う。
「公女が顔だけじゃなく、髪や瞳までアーヴァ様と同じだったらアーヴァ様との血縁を疑われて今日よりも碌な目に遭ってはいなさそうだ」
メルディアスの感想はヴェレッドの眠気を一気に吹き飛ばした。隣から恐ろしい殺気を一瞬放ったシエルに冷や汗をかくも、すぐに消された。メルディアスは絶対に気付いているくせに気付いていない振りをする。
話の主導権を奪わないと何時またシエルの逆鱗に触れるか不明過ぎてこの後眠れなくなる。
「あの騎士様はどうやって連中に接触したかって吐いたの?」
「まだだ」
苦々しく否定したシリウスはマイムに別の書類を読み上げさせた。
「今現在リオニー様を筆頭とした尋問部隊が生存者への尋問を実行中です。他は有益な情報を持っていなさそうで……肝心の情報はダレン=アグニスから聞かないと誰も分からないかと」
「そうか……グリマーはどうしている」
「そこの子供が気絶させてからずっと眠っています」
「分かった。目を覚ましたら、精神安定剤を使用後尋問を開始しろ」
「はい」
一般の精神異常患者に投与する精神安定剤ではないと、この場にいる者なら皆理解している。
深く息を吐き、背凭れに体を預けたオルトリウスに視線が集中した。
「この間の『リ・アマンティ祭』といい、此度の件といい、ファウスティーナちゃんは1度魔術師の祝福を受けてみてはどうかな」
「魔術師より、フォルトゥナの祝福を受けさせたらいい」ヴェレッドは「手加減を知らない運命の女神に掛けてもらった方が後々良いかもしれないよ」と続けた。
「そうだねえ……僕達人間に手を貸してくれる稀有な女神様だが、どうも手加減を知らない。人間にしたら過ぎた祝福は時に呪いへと変貌する」
祝福と呪いは表と裏。誰かにとっての祝福は呪いに、その逆も然り。
張り付けた優しさが浮かぶ瑠璃色の瞳がシエルとヴェレッドを視界に入れた。
「現に、シエルちゃんやローゼちゃんが過ぎた祝福を受けて呪いになってしまっている」
嘲るように嗤ったシエルは怪訝な相貌を見せるシエラやマイムにどの様な呪いかを話した。
「その人間が最も輝かしい美しさを持った姿のまま、歳を取らなくなるんだ。先王妃の狂気的な願いによってね」
瞠目し、愕然とするのはシエラとマイムのみ。メルディアスに至っては口を引き攣らせている。先王妃の苛烈さは彼も知っている。運命の女神が苛烈極まる先王妃の願いを叶え、祝福を授ける際に先王妃からシリウスを庇ったヴェレッドとヴェレッドを探していたシエルに掛けられてしまった。
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