不可解な言葉
日常の光景を青年の目線から書いた話、男女の純愛をテーマにした恋物語、子供と動物の一時の幸せを題材にした涙を誘う物語まであらゆるジャンルを詰め込んだ短編集を知っている作家限定で読み終えたファウスティーナは大きく伸びをした。真剣に読んでいると読み終えた時の満足感から眠気が大きくなると期待したものの、体は疲れているのに頭が覚めて眠れなくなった。ベッドに横になっていたら眠れるかもと倒れた。目を瞑っても中々眠れない。
「お兄様はもう寝てるかな」
読書を夜更かしで読了しても翌日平気な顔で起きているケインでも、今日は非常に疲れて眠っているだろう。一瞬、部屋へ行こうかなと過ったものの、明日に備えて意地でも眠ろうと強く瞼を閉じた。ら、ドアをノックされた。返事をすると「俺だよ」とケイン。今丁度会いに行こうと考え、諦めた人が訪ねてきた。すぐに入ってもらい、ベッドの隣を叩くとケインは座った。
「ファナの事だから寝てるかと思った」
「本を読んで眠ろうとしたのですが、思ったように寝れません」
「体は疲れていても、頭だけ別物になって眠れない時だってあるよ」
「お兄様はどうして?」
「なんとなく、かな。ちゃんと眠れているか気になったんだ」
表情は普段通り無に等しいのに、声には確かにファウスティーナを気遣う優しさがあった。
「クラウド様は?」
「クラウドの所には行ってないよ。まあ、何だかんだクラウドも疲れているだろうから寝てる筈だよ」
「クラウド様には助けられてばかりでした。今度、何かお礼を」
「そうだね。でもまあ、本人はあの顔で要らないって言いそうだ」
ふわふわっとした顔で拒否しそうだと言うケインの言葉に想像してみた。クラウドらしくてファウスティーナはつい笑ってしまい、ケインも釣られて笑う。
「お兄様とこうしてお話出来るのも奇跡に近いのだと感じています」
頼りになる大人がいようが、もしも、万が一という場合は決して除けない。ケインの腕にギュッと抱き付いた。「痛い」と文句を飛ばされてもファウスティーナは離さなかった。
「俺は大丈夫だよ。勿論ファナも。無事だった、今はこれで良いじゃないか」
「そうですけど……もしもって考えたら」
「考えるから暗くなるんだ。考えちゃいけない」
ケインに言われて意識しないようにしても駄目だった。が、現実にケインと一緒にいる。もうこれが全てである。
ファウスティーナは不意にある事を呟いた。
「『建国祭』ももう間もなくですね」
「そうだね」
「せめて『建国祭』は何事もなく終わってほしいです」
『リ・アマンティ祭』や今回のような修羅場は2度と御免で、絶対に巻き込まれたくない。
「ねえ、ファナ」
「どうしました」
「ファナは……フォルトゥナに何を願う?」
「へ」
唐突な質問に間抜けな声を出してしまった。珍しくケインは咎めず、再度問うてきた。『建国祭』では、最初の“運命の恋人たち”となった初代国王ルイス=セラ=ガルシアと魅力と愛の女神リンナモラート、2人を祝福する運命の女神フォルトゥナが描かれた絵画に一礼すると次に現王族となる。王国の貴族は毎年一連の動作を必ずする。知らない貴族がいればもぐりか余程の阿呆のみ。絵画に願いを込めた経験はない。
「どうしてですか」
「なんとなく、かな」
「はぐらかさないでください」
「フォルトゥナは人間が好きで、時折、人間の願いを叶える。『建国祭』は年に1度の大きな行事だ。人が最も多く集まる日と言っていい。そんな日に願いを出せば、フォルトゥナは叶えてくれるのかなってさ」
意外そうに見つめていると紅玉色の瞳が訝し気に見てくる。
「お兄様はフォルトゥナ神に叶えてほしい願いがあるのですか?」
「俺にだって1つくらいあるよ」
「私も、考えたら幾つもあります」
「碌でもない願いだと叶えてもらえないよ」
「変な願いなんてしません!」
本気で言っているのか、揶揄われているのかイマイチ読めない。
本当に願いが叶うのなら、ファウスティーナが願うのは大好きな人の最高の幸せ。これしかない。
「私は……大事な人達が幸せでいてくれますように、と願います」
「そう……俺は……なってもいい幸せを受け入れてもらえるようなってほしい」
「?」
言い方がおかしい願いがケインが叶えてほしい願いなのかと、怪訝に見ても表情に変化はない。
「どういう意味ですか?」
「……一方的な幸せは幸福と不幸、どちらかに極端に傾く。幸福なら良い。でも不幸だと……永遠に抜け出せない。抜け出したくても、幸福を願いながら不幸に落としていると気付かない限り、不幸の底なし沼からは抜け出せないんだ」
主語がなく、何に、誰に対して語っているのかが全く不明だ。理解しようと思考をフル回転させるファウスティーナだが、ケインが語っている内容の半分以上も理解出来なかった。唯一解るのは、誰かにとっての幸福は誰かにとっての不幸なのだと読み取れた。前の記憶を持っているか定かじゃなくても、何となく持っていると読んでいるケインの事。誰か、彼の知る人でそうなった人がいるのだ。
「お兄様にとって大事な人がそうなったのですか?」
「……ある意味では、ね。幸福と願っている側は、不幸に落としていると気付かなかった」
「相手にとっての幸せと定義が違うという事ですね」
「傍から見たら幸福そのものに見えただろうね」
前の記憶を掘り起こしながらでの会話。が、まともに覚えている記憶が極端に少なく、残りはぼんやりとしてしかない。ケインが語る相手が誰か分かるヒントくらい欲しいが、生憎とファウスティーナの前回の記憶は何も無かった。
「フォルトゥナ神にお願いしてみては? お兄様が思っている人を不幸にしないでください、と」
「さあ。聞いてくれるかな。俺よりも、俺じゃない誰かが相手の幸福と信じながら不幸に落とすのだと気付かないと繰り返しは終わらない」
「繰り返し……」
あれ? と妙な感覚に捕らわれた。たった一言が大きな違和感を胸に感じた。どうしてか、無視が出来ない言葉。胸に居座り、重くなる言葉の何が引っ掛かるのかファウスティーナには見当もつかない。
気を紛らわせようと別の話題を振ってみるも、時計を一瞥したケインがベッドから降りて会話は終わった。
「部屋に戻るよ。ちゃんと寝るんだよ」
「お兄様も寝て下さいよ」
「夜更かししても起きられるよ、ファナじゃないんだから」
「そこで下げなくたって……!」
不可解な言葉が多かったケインだが、最後になるといつも通りに戻っていた。悔しいような、安心したような、不思議な感覚に陥りながらも「お休み」と告げて部屋を出たケインに苦笑した。
「お休みなさい、お兄様」
ケインと話せたお陰か、ベッドに寝転がると不思議とすぐに眠れた。
夢の世界の自分は今よりも大きくなっていた。きっと成人済みだ。ヴィトケンシュタイン公爵邸ではない、どこかの屋敷の庭で成人済みしているであろうケインと会話をしながら散歩していた。大人になってもこうして仲良くしていたい。微笑ましく眺めていると強い視線を感じた。気になって探すと――いた。「え」と夢の世界なのに発してしまった。
「で、殿下?」
旅人が使用するマントに身を包み、フードを被ったベルンハルドが遠くの場所からファウスティーナとケインを見ていた。
ファウスティーナが知る瑠璃色とは程遠い……昏い色をしていた。
――同じ頃、今頃寝ていると判断されてケインの訪問を受けなかったクラウドは両手で顔を覆っていた。
「やっちゃったなあ……」
固く結ばれた2本の糸。結び目を解こうとしても、強力な拒絶が発生し、触れられない。明朝、祖父に叱られるのを覚悟で言い力を借りよう。
「……それにしても」
2本の運命の糸は、どちらも悪夢を見る黒い糸に蝕まれている糸だ。一方を切ると別の糸に絡み、その糸から黒い糸を切ってもその糸にきつく絡み離れようとしない。最初、黒い糸に絡まれていた運命の糸と現在進行形で黒い糸に絡まれている運命の糸を近付けた。
すると不思議な事に、黒い糸は逃げるように消えていった。代わりに黒い糸に絡まれていた運命の糸がもう1本の運命の糸に強く引き寄せられる。
「違うか、側に行きたくて必死なんだ」
興味本位で結んでしまった2本の糸は後で解けばいいと呑気に考えた自分が馬鹿だった。ベルンハルドとエルヴィラの運命の糸は、1度結ばれるなり不可解な力に阻まれ結び目に手を伸ばせない。
「ベルンハルド……違うな、エルヴィラ様だ。エルヴィラ様がベルンハルドから離れたくなくて必死なのか。だとすると僕の手を阻んでいるこの力は……」
再度、結び目に手を伸ばした。
変わらず拒絶され、痛みに耐えて結び目に触れた。うるさい程に鳴る雷に似た音と強い光に包まれ、触っていられなくて手を離した。用意された寝間着から焦げた香りと湯気が上がる。
「うーん……やっぱり、明日お祖父様に叱られるのを覚悟で協力してもらおう」
「近くを通りかかって騒がしくしてると思ったら、何をしているのかなクラウド」
「あ」
朝を待たなくても、祖父イエガーはすぐ側にいた。
寝間着が所々焦げている理由を話すと細い目が微かに揺れた。ベルンハルドとエルヴィラの運命の糸を見せ、イエガーの掌に乗せた。暫しの沈黙の後、クラウドは頭を撫でられた。
「クラウド、この事は誰にも話してはいけないよ?」
「それは良いですけど、糸を解かないと」
「……いや、このままにしておこう」
「え?」
どうしてと言いたげなクラウドに瞳から動揺を消したイエガーは笑んだ。
「ずっと前から気になる事があったんだ」
「それはなんですか?」
「いつか、教えてあげよう」
結ばれた糸を返され、すぐに着替えと手当てをさせるとイエガーは部屋を出た。暗闇の王城内を歩くイエガーはふと、窓越しから夜空を見上げた。
「ずっと気になっていたんだ……生まれ変わった筈のルイス=セラ=ガルシアが何処にいるのかが……」
クラウド君……




