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婚約破棄をした令嬢は我慢を止めました  作者:
婚約破棄編ー最後にわらった人ー
291/353

あなたが死んでくれれば⑩

 


 右を向いても、左を向いても春の世界に包まれた王宮を愛しい夫と歩ける自分は世界で最も幸福な妻。逞しい腕に顔を寄せ、大きな手で自分の手を握られるとギュッと握り返した。風景を楽しもうとゆっくり、ゆっくりと歩くエルヴィラとベルンハルドの王太子夫妻。毎日多忙なベルンハルドは隙間時間を作っては様子を見に来てくれる。王太子妃になると決まった瞬間から課せられた厳しい王妃教育も今まで見逃されていた公爵令嬢としての教育はエルヴィラに地獄を見せた。愛されてもいないくせにみっともなくその座に縋り付いたファウスティーナのせいで、教育を受ける期間が極端に短かったせいだ。そのせいでエルヴィラの代わりに王太子妃の役割を果たす側妃を無言で受け入れないとならなかった。エルヴィラが反対しようが泣き叫ぼうが誰も耳を傾けなかった。ベルンハルドも受け入れてくれと困ったように言うだけで拒否はしてくれなかった。

 当時は悔しくて悲しくて涙が止まらなかったが、現在は側妃として嫁いだアエリアが大部分の負担を担っているお陰でエルヴィラは余裕の気持ちを持って毎日ベルンハルドの訪れを待てた。

 朝はベルンハルドと共に起床して朝食を食べ、昼食は時間が合えば共に摂り、夕食も共にした。夜の生活については、初夜はエルヴィラを気遣ってしなかったのにある日突然抱かれた。覚えているのは呆然としているベルンハルドの面は絶望しているように見えた。理性が失ったように抱いてしまったから、後悔しているのではとエルヴィラは考え敢えて何も訊ねなかった。本来なら、ずっと前に済ませておかないとならない初夜をお預けにされていたのだ。愛する女が側にいて肌に触れたくないと思う男はいないと王太子妃付きの侍女は言う。


 1度は怖くて仕方なかった行為も回数を重ねるとエルヴィラも慣れ、最近では毎日肌を重ねたいと思うようになった。自分から言うとはしたないから言えない。ベルンハルドは週に何度かしか抱いてくれない。子を生すのは重要な役割だと迫っても「暫くは2人の生活を楽しみたいんだ」と言われてしまえばエルヴィラは納得するしかなく。エルヴィラもベルンハルドの言う通り、まだ2人の生活を楽しみたい。結婚して2年経つが周りは子供を急かしてこないのでのんびりとしよう。



『ベルンハルド様?』



 不意にベルンハルドが足を止めた。見上げると瑠璃色の瞳がある方向を見ていた。エルヴィラも見てみると南の教会にいる筈のシエルと兄のケインがいた。

 王太子妃になってから兄は公爵として接するだけで、兄として接してくれなくなった。何度か実家に顔を出したいと手紙を送っても王太子妃としての役目を果たせと返されるだけで戻れていない。久しぶりに見た兄は変わりなく、シエルの方もどんな若作りをしているのかと問いたくなる美貌のまま。遠くて聞こえないが2人が会話をしていのは分かる。

 読唇術の心得がないエルヴィラでは、2人の会話は読めない。ベルンハルドを見ると悔し気に、そして悲しみと縋るような感情を2人へ向けていた。



『ベルンハルド様? 如何されたのですか?』

『……いや……なんでもないよ。そろそろ部屋に戻ろう』

『はい』



 エルヴィラを見たベルンハルドは普段と変わらない優しいいつもの彼に戻っていた。ベルンハルドの腕に強く抱き付いたエルヴィラは、部屋に戻ったら王都で美味しいと評判のスイーツを食べようと提案しようと決めたのだった。



『…………ファウスティーナ…………』



 愛しい夫が虚ろな目をして、捨てた婚約者の名を呟いたとは……幸福の絶頂にいるエルヴィラは気付かなかった。




 ――うさぎのぬいぐるみを抱いて眠るエルヴィラは熟睡そのもの。夜中に目を覚ましたリュドミーラは隣で眠るエルヴィラの寝顔を見てふわりと笑んだ。幸福な夢を見ているに違いない。幸せそうにうさぎのぬいぐるみを抱くエルヴィラが可愛くて仕方ない。

 自分と同じ黒い髪を撫で、もう1度眠ろうと目を閉じた。息子のケインが突然フワーリン家に泊まると馭者が伝えた時は吃驚した。外泊するのなら前以て報せるのに、今回に限って急に決めたのだとか。馭者も戸惑っていたが王宮の者が伝えたのなら事実なのだろう。フワーリン家の長男クラウドとは友人であろうが礼儀というものはある。ケインが無理に泊まるとは思えないものの、帰宅したらきちんと理由を聞かないと。


 ……リュドミーラは再び眠った。

 その頃、静かに公爵邸の扉が開いた。手に子豚のピギーちゃんランタンを持ったリュンの後ろに立つシトリンは、見送りに来た執事長クラッカーに振り向いた。



「では、行ってくるよ」

「お気を付けて」

「もし、朝になっても戻らなかったら、領地から緊急の報せが来たと誤魔化しておいてくれ」

「畏まりました」



 ランタンを持つリュンを先頭にシトリンは正門前に停めてある馬車に乗り込んだ。ケインやクラウドが無事に戻るまでは眠れない。王宮からの報せを待っていると1匹の白いネズミがやって来た。小さな体に巻かれた風呂敷を解くと小さな紙切れが入っていた。指定の時間に登城しろというもの。ネズミは確かメルディアスが世話をしており、名前はチューティー君。しょげた顔をしているのはメルディアスにも何かあったのかと勘繰ってしまう。


 願うのはケインやクラウドが無事に戻って来る事のみ。

 捜索しているのはリオニーを筆頭とした上級騎士。フワーリン公爵も必ず動いている。フリューリングとフワーリンが動いているというのに、胸に居座る不安は何なのか。得体の知れないもやもやを抱えたまま、王城へ向かう。






 ●〇●〇●〇


 先端に火が点いた細長い筒の正体は、頭では理解しても体が思考に追い付かない。早く動かしている筈なのに、とてもゆっくり、ゆっくりと体が動く。逃げないとただ死ぬより惨い有様となる。全身綺麗なまま死ぬのとあらゆる肉が飛び散って死ぬのとでは訳が違う。強い力で手を引っ張られた。ケインに手を引っ張られる。少しでも距離を取ろうと走ると――2人揃って前へ倒れた。後ろから、重量のあるものが襲ってそのまま地面に倒れ込んだ。鼻孔が嗅いだ香りは……と瞠目した直後、耳を塞ぎたくなる爆発音が響いた。頭を抱え込まれると香りが強くなったのと一緒に他の臭いも混ざった。

 後ろの重みが消えると「良かった……」と疲れと安堵の声がした。起き上がって後ろを向いた途端抱き締められた。強い力で抱き締められるから相手の背を叩いた。通常時ならこれで離してくれるであろう抱擁はなくならなかった。


 体が離れると大きな両の手に顔を包まれた。近くにあるその人――シエルの顔には幾つもの雫が零れ、額に銀髪が張り付いている。息も若干切れている。余裕のないシエルを初めて見た。



「どこも、怪我はしていないね?」

「司祭、様」

「公子、君は?」

「俺も、ファナも無事です」

「そう。……良かったよ、本当に」



 着ている服は司祭服のまま。教会から王都まで、また、此処に来るまでどれだけ大急ぎで来たのかはシエルの様子を見ると一目瞭然。

 どさっと大きな音がして、見ると“女神の狂信者”の男が地面に倒れていた。ふう、と息を吐いたメルディアスは此方にやって来るとハンカチをシエルに差し出した。



「随分と遅いご到着で」

「ああ、随分な鉄腸漢でね。無駄に時間を取られたよ」

「シエル様が手こずる程、ですか。おれがしても同じだったかな」

「どうだろうね」



 メルディアスから受け取ったハンカチで汗を拭いて懐に仕舞った。先程の爆発で王都からの救援も場所が分かりやすくなった。



「司祭様、助けてくださりありがとうございます」

「お礼なんていいよ。ところでヴェレッドはどうしたの? 1人逃げちゃった?」

「違います、私とお兄様が攫われちゃって……きっとクラウド様といる筈です」

「クラウド様?」



 誘拐されたのがファウスティーナとケインだと情報を持っていたシエルでもクラウドがいるとは知らなかったらしい。何故いるのかと訊ねられるとケインが説明をした。話を聞き終えたシエルは苦笑を隠そうとしなかった。



「成る程、フワーリン家らしい子だ。アーノルド君より余程フワーリンらしい」

「フワーリン特有の性質を濃く受け継いでいるからでは?」

「だろうね。そうでなければ、他人の運命を変えられるイル=ジュディーツィオの力に心を蝕まれ、正常ではいられない」



 ヴェレッドとクラウドと合流しようと元の場所に戻る前に、大事な証言をしてもらう“女神の狂信者”の男も一緒に連れて行かないとならない。ファウスティーナとケインを捕らえたボーラで男を縛り、舌を噛めないよう男の服を破いて猿轡を噛ませた。口内に毒薬を仕込んでいないかは確認済み。



「その人起きませんか?」

「起きませんよ」



 男を引き摺って歩くメルディアスに問うたケインは、間髪入れずに返された言葉に「そうですか」とだけにした。ファウスティーナはシエルに手を繋がれて歩いている。抱き上げられそうになったものの、何時また何が起きるか分からない状況での抱っこは遠慮した。もしもの場合、シエルが身軽に動ける方が良いので。



「ファウスティーナ様や公子を攫った騎士は?」

「首謀者以外は全員始末しました。首謀者の騎士は……坊や君次第でしょうね。手加減をしていたら生きているでしょうが」

「望み薄かな」



 最後に見たのは大きな木に顔面を押し付けられる騎士の姿。ヴェレッドが後頭部を足で押し付けていた。無事……であっても大怪我を負っている。後は騎士の生命力を信じるのみ。



「司祭様、あの爆弾からどうやって私とお兄様を助けて下さったのですか?」

「あれは」



 シエルが説明を始める前に次が訪れた。

 暗闇の向こうから迫って来る人影。両手を突き出すようにしてその人は走って来て。

 ファウスティーナの体はシエルによって後ろへ投げられ……後方にいたメルディアスが受け止めた。



「シエル様!」



 ファウスティーナより少し前にいるケインが叫んだ。

 背を丸めるシエルの前には誰かがいて。口の両端を吊り上げた歪な笑みを作る女性グリマーだ。

 何が起きているのか、思考が理解してくれなくても膝から崩れ落ちたシエルの手がお腹辺りにあって……突き立てられている柄を見て漸く理解した。


 ファウスティーナの(かんばせ)が瞬く間に絶望へと塗り替えられていく。



「あなたが……あなたが死んでくれれば、死んで、誰の物にもならなくなって!!」



 グリマーの大笑が真夜中に響き始めると唐突に終わった。笑った顔のまま前方へ倒れたグリマーの後ろに大層不機嫌で疲労が色濃いヴェレッドがいた。



「悪趣味も時と場所考えろよっ」




読んでいただきありがとうございます。

このサブタイも次かその次くらいで終わるかと。



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― 新着の感想 ―
[一言] なんでこの女をしっかり縛っておかなかったんやー!
[気になる点] この時点でシトリンはファウスティーナも拐われたって知らないのでしょうか? 心配してるのがケインと、よその子のクラウドのことだけっていうのが違和感が……。
[一言] ファナ達が助かってホッとしたのも束の間、シエルが~っ!!歪んだ愛、怖いです。 エルヴェラもベルンハルトも、どうも好きになれないなぁ…。ファウスティーナがベルンハルト好きなので、二人を応援した…
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