あなたが死んでくれれば➈
――どうか、間に合ってくれ……
敵は一体何人体勢で此処を襲撃したのか。ボーラで捕らえられたファウスティーナとケインは全身黒ずくめに仮面を着けた2人の人間の前に引き摺り出された。体格からして男だろうと推測される。
「1人違うぞ。金髪のガキがいない」
ケインが庇ったことでクラウドは捕らえられずに済んだ。
「体の自由を奪ってしまえばイル=ジュディーツィオは無力だというのに何をしてる」
「もっかい飛ばす?」
「やるか」
上で男達が話している間にどうこの場を逃げるか思考を高速回転させるが絶望的状況を打破する突破口が何もない。フワーリンやフリューリングのような能力もなければ、アリストロシュのような並外れた身体能力もない。無力でしかない。
2人の内、大柄な男がファウスティーナに手を伸ばす。身を捩じって逃げようとしても、あっさりと捕まった。「ファナ!」ケインの声が響く。髪を鷲掴む力が強く、頭皮ごと持って行かれそうな激痛で涙目となるが悲鳴だけは絶対にあげてやらない。潤んだ視界で男を睨み付ければ横に放り投げられた。
「いっ……」
体を拘束されているせいで受け身もとれず、そのまま地面に落ちた。
「ヴィトケンシュタイン公女。お前の態度次第でお前の兄だけは逃がしてやってもいい」
もう1人の男に体を起こされ、向かされた先にはケインの咽喉に切先が突き付けられていた。悲鳴を上げかけるも声を飲み込んだ。
「ファナ、言う事を聞くな。こういう連中は約束を守らない」
「余計な事は言うな。公女よ、どうする」
「な……何が目的ですかっ」
ファナ、と叫ばれてもケインの命がファウスティーナにとって最優先。連中の目的は自分。助けが来ると信じながらも助けが来る前にケインが殺されたら、一生後悔し立ち直れない。
「俺達と一緒に来るんだ」
「……貴方達と一緒に行ったら、お兄様は逃がしてくれますか?」
「ファウスティーナ!」
「ああ、約束しよう」
男の約束をどの程度信用していいのか不明ながらも、少しでもケインが助かる可能性があるのならファウスティーナはそれに賭けた。
「行っても殺されるだけだ! ファナ、行っちゃ駄目だ!」
「安心しろ。ただ殺しはしない」
方法がどうであれどの道殺されるしかない。「公女を連れて来い」とケインを人質にする男がファウスティーナの後ろにいる男に告げる。抱き上げられるとケインが解放された。
……かに見えたら、大きな間違いであった。
地面に転がされ、仰向けにされ男の足が胴体に乗った。瞠目するファウスティーナとケイン。嘲る大柄の男が短刀を振り上げた。話が違うとファウスティーナが叫ぶと大柄の男が嗤いながら言う。
「目撃者を生きて帰すと本当に思ったか? お目出度い頭で残念だな」
「お兄様は関係ない! お兄様逃げて!!」
男から逃げたくて暴れても拘束されている力が強くてまともに動けず、嘲り、大笑しだした大柄の男を強く睨み付けた。
このままだとケインが殺されてしまう。悲痛な叫び声を上げるファウスティーナの声など、耳に入れようがお構いなしの男は仮面越しからケインを見下ろした。
背筋が凍った。
何十歳も下の子供に寒気を抱いた。
ドロリとした紅玉の瞳が無感情に男を見上げていた。ケインの表情に絶望も焦燥もない。一切の感情がない相貌がジッと男を見ている。
短刀を振り下ろし、咽喉を刺し上半身を切り裂けば確実に死ぬ。早く動け、動け、と念じても男の腕は動かない。金縛りにあったかのように。
「フォルトゥナは……運命の女神は、気に入った人間には強い祝福を掛けます。女神にとっては大した事なくても、俺達人間にしたら大きすぎる祝福を」
「な、何を」
「フォルトゥナ本人に言われました。王国には、運命の女神に強大な祝福を掛けられた人間が何人かいると」
「お前がそうだと言いたいのかっ」
「試してみたらいい。“女神の狂信者”が今更女神の罰を恐れるなんてないでしょう?」
「っ」
到着地点のない底なし沼の如く、昏く重い瞳に凝視された男の腕は震えを覚え始めた。腕を振り下ろせばあっという間に殺せる子供に何を怯える、恐れる、動け動けと念じても男の腕は動かない。
大声を上げて動かそうと試みても男の腕は別の生き物のように意思を聞かない。遂には短刀が手から滑り落ち、ケインの顔の横に刺さった。
「ヴィトケンシュタイン公子、そのまま動かないでね」
「あ、へ」
顔中に滝の汗を流す男の耳に場にそぐわないのんびりとした声が入った瞬間、顔面に強烈な衝撃が加えられ後方に吹き飛んだ。
「お兄様!!」
「ファナ」
ファウスティーナは自分を抱いていた男から下ろされるとボーラを解かれ、ケインの許へ駆け寄った。ケインを縛るボーラを解くと仮面とフードを外したメルディアスを見上げた。
「メルディアス様だったのですか!?」
「はあ。やっと外せた。これかなり窮屈で息苦しいですね。2度はごめんだ」
「いつから変装を……」
「おれ1人で連中を請け負った時にね。指示役を捕まえるなら、連中の中に紛れ込めばと思って。声も彼等の声を借りました」
いつまで経っても姿を現さないと心配していたら、“女神の狂信者”に紛れて機会を窺っていたらしい。外に出て来るのが遅いとは心配されており、事情を話すと深い溜め息を吐かれた。
「そうですか……グリマー様案外元気だったんですね」
「夫人はどうも、アーヴァ様を恨んでいる理由が司祭様と恋仲になったから……としか思えなくて」
「夫とは政略結婚ですから、関係を育んでも長い間抱えた恋心には勝てなかったんでしょうね。可哀想な人だ。グリマー様もグリマー様の弟もタダでは済まないでしょう」
「騎士の人はヴェレッド様がかなりやっつけていましたが無事、なのかな……」
「坊や君はシエル様の真似をするのが好きでね。そういう所もシエル様の真似をしているんでしょう」
「お話は一旦止めましょう」メルディアスがファウスティーナとケインを背に、顔を押さえのろのろと起き上がった男と対峙した。
「き、貴様、何時の間にっ」
「国王陛下の番犬なんてやっていると色々出来るようになるものなので。貴方には色々とお聞きしたい事があるので大人しく捕まってくれた方が楽なんですが」
気持ちはそうでも現実はそうはいかない。罵声を浴びせながら向かってきた男に肩を竦めた。ファウスティーナとケインに絶対此処を動かないよう釘を刺し、男のケイン相手では振り下ろせなかった短刀を自身の剣で受け止めた。
激しく鳴り響く金属音と男の罵声が放たれる中、ファウスティーナはケインの胸元に付いた土を手で払った。さっき、男に踏まれた足跡だ。
「いいよ、帰ったら着替えるから」
涙目になりながら首を振った。ケインも苦笑するだけで手を止めなかった。
「一緒に、帰りましょうお兄様」
「ああ、帰ろうファナ」
男に鷲掴みにされた時乱れた髪をケインが手で梳いてやる。ぴょんっと跳ねた2本の髪はファウスティーナの気持ちを表しているらしく跳ね具合に元気がない。
「くそがっ!!」
「!」
突然発せられた男の自棄となった声に弾かれ顔を上げたら、先端が点火された細長い棒がファウスティーナとケインへ投げられていて。
「お嬢様! 公子!」メルディアスが剣を投げ捨て2人へ駆け出した。
――3人の“女神の狂信者”を片付け、人の気配がないのを確認したヴェレッドは額から垂れた汗を服で乱暴に拭う。
「しんどっ。久しぶりだよ、こんな長期戦」
「騎士だったの?」
「いや。先代様に無理矢理戦場に放り込まれた時」
「はは、すごいね」
「はあ。お嬢様と坊ちゃん助けに行くよ。あいつが実はいてくれたら良いのに」
クラウドを連れてファウスティーナとケインが引き摺られて行った方向へ体を向けた。
矢先、大きな爆発音が発生した。




