24 元ライバル令嬢との会話は静かでした
桃色一色の部屋に花柄のベッド、ソファー、テーブルクロス、ベッドに置かれているウサギのぬいぐるみ。可愛いもの大好きが強く主張されている室内にて、朝からずっとそわそわと落ち着かない様子でうろうろするのは、部屋の主であるアエリア。ドレスもピンクゴールドの髪に似合う薄いピンク色。
今日はファウスティーナが来る。先日出した手紙の返事は了承。自分で出しておきながら、いざ本人が来る当日となると気分が落ち着かなかった。
今日ファウスティーナと会うのをあの狂王子は知っている。何しろ、ファウスティーナに会えと指示を出したのは彼だ。2ヶ月前の王妃主催のお茶会で第2王子ネージュにお友達認定されたので、彼から手紙が届いても家の者は騒がなかった。予め、ラリス侯爵家から王家にアエリアを王族と婚姻は結ばせないと伝えてあるので、アエリアとネージュが婚約を結ばされることはない。母ノルン=ラリスは、王国で最強と名高い辺境伯家の長女。辺境伯家を敵に回したくない王家はラリス侯爵家の願いを聞き入れるしかなかった。
貴族なら知っている。ヴィトケンシュタイン家に女神と同じ容姿の娘が生まれたら、必ず王族と婚約が結ばれると。公には公表されていないがファウスティーナがベルンハルドとネージュ、どちらかと婚約は結ばれていると思われている。そのファウスティーナが原因不明の高熱で倒れた。幾らヴィトケンシュタイン家でも体調が安定しない令嬢を王族の婚約者にしたままなのは不安だ。他の貴族の家は、ここぞとばかりに自分の娘を王子達の婚約者にと王に勧めている最中だ。
その中でラリス侯爵家は王子と娘の婚約は絶対にしないと告げた。
本音で言うとアエリアにこそ王太子妃になってほしいラリス侯爵だが、愛する妻に世界で一番だと言っても過言ではないクッキーを二度と作ってもらえない、愛娘のアエリアには目も合わせてもらえないとなると諦めるしかなかった。片腕で目元を覆って涙を流すラリス侯爵を双子の息子達は慰めた。
そわそわ、そわそわ
何度時計を確認しても一向に時が進まない。すぐに確認するからそう見えるだけで実際にはちゃんと進んでいる。
アエリアは心を落ち着かせようと大きく深呼吸をした。何度か繰り返し、少し落ち着き始めた。
桃色のソファーに座り、一緒に座らせているお気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱いた。
「落ち着け、落ち着くのよアエリア。貴女はアエリア=ラリス。こんなことで心を乱してどうするの。らしくもない」
自己暗示をかけ平静を保つ。
アエリアがファウスティーナに聞きたいことは山のようにある。
一番聞きたいのもある。
ファウスティーナが自分が何時死んだかを覚えているか、だ。
これを覚えているか、覚えていないかで話は変わってくる。
アエリアは覚えている。
若干朧気な部分はあるものの、ファウスティーナがいなくなった後のことを覚えている。
全部を知っている訳じゃない。
それを知るのはネージュとあと……。
「……絶対に王太子の婚約者の座から蹴り落としてやるわ」
次の王太子の婚約者の座に自分が、とはならない。
あのエルヴィラが収まったらいいと思うものの、そうなったせいで前回自分が側妃として無理矢理嫁がされ、要らない苦労を被った。王太子妃となったエルヴィラが処理しなければならない書類、手配等全てアエリアがした。
ラリス侯爵もアエリアを守ろうとしたものの、結局無理だった。当時、母ノルンの生家である辺境伯家である問題が起きていたからだ。それを解決する代わりに王家はアエリアを寄越せと要求した。
「側妃になったとは言え、バカ王子はスカスカ娘に夢中で初夜も何もなかったから、仕事以外では楽だったわね」
王太子妃の代わりに執務を熟すだけだった。なので、妻としての役目を求められることはなかった。あっても全力で拒否した。
王城での生活も悪いだけではなかった。お喋りだがベルンハルドの尻拭いのつもりで仕事を手伝ってくれていたネージュや王妃シエラの気遣い。特にシエラは、ベルンハルドの仕出かしたことに非常に腹を立てていて、ファウスティーナから婚約者の座を奪ったエルヴィラに一切の優しさは見せなかった。アエリアにはエルヴィラの代わりをさせている罪悪感から、何かあった時の為にと色々と力になってくれた。
――ネージュに対する感謝は、本性を知った瞬間幻となって消えるが。
アエリアはうさぎのぬいぐるみを抱き締める腕の力を強めた。
「でも……もしファウスティーナが前を覚えておきながら王太子を好きだったら……私のしようとしていることは全部無駄に終わるのでは……」
一抹の不安を抱きながらも、使用人がファウスティーナの来訪を報せに部屋へと訪れた。
「お嬢様。ファウスティーナ様がお見えになりました」
「分かったわ」
うさぎのぬいぐるみをソファーに置き、前回ライバル関係にあった令嬢を迎えに行った。
玄関へ向かう際、双子の兄達がこっそり様子を伺っていたのを目撃した。お茶会の場で初対面の相手に刺のある会話をしたのを余程気にしているらしい。
アエリアが目を向ければ兄達は素早く姿を消した。
無駄に身体能力が高いのは多分母方の血だろう……。
*ー*ー*ー*ー*
ファウスティーナは緊張していた。
目の前に座るアエリアに。
彼女が自分と同じ記憶持ちだとは聞いていないがあの時のお茶会での発言で確信していた。付き人も付けず、1人でラリス侯爵邸を訪問した。ファウスティーナが1人で来ると予想していたアエリアも、お茶のセットを運ばせると使用人を客室から追い出した。室内にいるのはファウスティーナとアエリアだけ。
ファウスティーナの前にはオレンジジュース、アエリアの前にはラリス領で作られた茶葉で淹れられた紅茶。砂糖をたっぷりと入れた紅茶をアエリアは優雅に飲む。
「召し上がらないの?」
座ったまま微動だにしないファウスティーナに問う。
「頂くわ。でもその前に、アエリア様。貴女に聞きたいことがあります」
「そう慌てなくても私は逃げも隠れもしませんわ」
「じゃあ頂きます」
「……」
開き直ったファウスティーナはオレンジジュースの入ったグラスを持って飲んでいく。
ジト目で見てくるアエリアの視線をものともせず、ピョロンと1本だけ垂れている前髪が邪魔ではないのかと思いつつ、ファウスティーナは再び口を開いた。
「貴女は私が知るアエリア様で間違いないですか?」
「それはどういった意味で?」
「……前の、王太子妃の座に拘った貴女です」
「ええ。合っているわ」
「……」
アエリアは前回の記憶を持っている。
これは確定された。
紅茶を飲んだアエリアはティーカップをテーブルに置いてファウスティーナを真っ直ぐと捉えた。
「私からも聞きたいわ。ファウスティーナ様。貴女は何を覚えていらっしゃいますか?」
「何を?」
「ええ。貴女が過去にしたこと、王太子殿下に婚約破棄をされて公爵家を勘当されたこと、色々です」
「勿論覚えてるわ。エルヴィラを殺そうとして、でも失敗して、お父様や王妃様の嘆願で法に裁かれる代わりに家を勘当されたことも」
「他には?」
「勘当された後は、お兄様が持たせてくれたお金で街の何処かの宿に泊まった」
「そこからは?」
「覚えてない。寝て、起きたら殿下との顔合わせの日に戻ってた」
「……つまり、ご自分がどう死んだかは知りませんの?」
「全然。……やっぱり、私死んだんだ」
覚悟していたが、いざ言われると凹んだ。
ファウスティーナはオレンジジュースを飲みアエリアに問うた。
「アエリア様。私の死んだ理由を教えてください」
「知らないわ」
「え」
「知らないわよ。私、風の噂で貴女が死んだと聞いただけだもの。どうして死んだかは知らないわ」
「そ、そうですか」
考えてみればそうだ。貴族籍を抜かれ追放された元公爵令嬢と現侯爵令嬢。ファウスティーナとアエリアの住む世界は大きく変わった。関わりを断たれたアエリアにどうしてファウスティーナの死の原因を知れる。
自分が死んだ理由をアエリアなら知っていると期待していただけに、知らないと返され肩を落とす。
目に見えて落ち込むファウスティーナに喉元で上がった言葉を無理矢理飲み込んだアエリア。目の前で落ち込み続けられるのも鬱陶しいので違う話をした。
「でも、貴女がいなくなった後の周りの話くらいなら言えるわよ」
「あ、それでも良いです! 殿下やエルヴィラのその後が知りたい!」
「先ず、バ……王太子殿下と貴女の妹が婚姻の儀を上げたのは1年後。彼女の貴族学院卒業を待ってからとなったわ」
「うん」
「貴女の兄君も1年後に爵位を継いで新公爵となったわ」
「そっか。流石お兄様だわ」
ケインが無事父の跡を継いで公爵になっていたのを知りファウスティーナは嬉しくなった。
「でも、その代わり先代公爵夫妻は早々に領地に引っ込んだと聞いたわ」
「え? どうして。エルヴィラは王太子妃になって、お兄様は優秀だけどいきなり1人で」
「さあ? 詳細は私も知らないわ。ただ、事実を言っているだけよ」
「そう……。ねえ、貴女はどうしたの?」
「私? ス……貴女の妹の代わりをさせる為に王太子殿下の所に側妃として嫁がされたわ」
「!!」
プライドの高い彼女が側妃?
それもエルヴィラの代わり?
王太子妃としての能力がないエルヴィラの代わりとして、側妃となったアエリアが仕事を処理していったとか。姉として申し訳なくなった。ラリス侯爵が簡単によく了承したなとは思うも、それ以上はラリス侯爵家と王家の問題になるだろうと敢えて聞かなかった。
「私からも聞いて良いかしら?」
今度はアエリアがファウスティーナに問う。
「前を覚えているなら、当然殿下から受けた仕打ちを覚えているわよね?」
「……うん」
「どうして未だに婚約者の座に座ったままなの?」
「……」
彼女なら幾らでも理由を作って婚約者の座を辞したいと訴えられるだろうと考えるも、すぐに発言を取り消そうとした。自嘲気味な笑みを作ったファウスティーナはアエリアの声を遮った。
「前の11年間。ずっと殿下を好きだった。刷り込まれた気持ちを消すのって、簡単には出来ないのよ」
「……」
アエリアは黙ってファウスティーナの話に耳を傾ける。
「記憶を取り戻して、殿下に婚約破棄をしてもらう為に動いたつもりだけど全然。空回ってばかり。エルヴィラに何もしないだけで殿下に嫌われずに済むなら……なんていうのもちょっとだけ考えたりもした。でも、やっぱりあの二人は結ばれる“運命”にあるんだと……見て、改めて実感した」
「……例えば?」
「うん? うん。初対面でも会話が弾んだり、私といる時よりエルヴィラといる方が殿下は嬉しそうだったり、後はこの前の殿下の誕生日パーティーでエルヴィラに見惚れてたり。かな」
「……」
またアエリアは黙った。
前と同じだ。ファウスティーナはベルンハルドにひたすら嫌われていても視線はいつもベルンハルドを追っていた。
ファウスティーナの口にした“運命”という単語に背筋が凍りついた。
ネージュの嗤う姿が脳裏に蘇る。彼はよくベルンハルドとエルヴィラを“運命の恋人たち”と称していた。
そして――
「ベルンハルド殿下とエルヴィラは“運命の恋人たち”なのよ。だから、何もなくてもあの二人は惹かれ合うのかもしれない」
ファウスティーナの口からもそれは出てしまった。
半分残っている紅茶を飲み干したアエリアの口内が潤うことはなかった。カラカラに渇いた状態で声を発した。
「本気でそう思ってるの?」
「ええ」
「そう……。なら、ファウスティーナ様。貴女には王太子妃になる気はないということ?」
「そうよ。でも、今のエルヴィラだととてもじゃないけど殿下の婚約者に選び直される可能性は極めて低いの。今日、アエリア様の招待に応じたのは」
「ごめんよ」
「へ」
最後まで言い切る前に台詞を予想外な言葉で遮られ、きょとんと首を傾げた。
「私、もう王太子妃の座には興味ないの。元々、あの王太子を好きだった訳でもないし」
「顔を合わせる度に人に嫌がらせしてきた貴女が……?」
「お互い様よ。とにかく、私は王太子妃にはならないし、興味もないわ。それにラリス家は王族との婚姻は絶対にしないと辞退もしたわ」
王家との婚姻は貴族にとっては非常に有益な話。絶対に必要としている貴族と必要としていない貴族に分かれる。
ヴィトケンシュタイン家は王家と姉妹神が交わした誓約の為にファウスティーナを嫁がせるだけ。
意外過ぎるアエリアの話に目をパチクリさせるファウスティーナ。
「貴女本当にアエリア様? 私が知ってるアエリア様と全然違う……」
「私の台詞よ。……でも、今の貴女が本来の貴女なのかしら」
ベルンハルドに振り向いてほしくて、認めてもらいたくて、報われない努力を必死にしてきたファウスティーナをライバルだったアエリアはよく見てきた。周囲には王太子に見向きもされない嫌われた婚約者と陰で笑われながらも、それだけは決して手を抜かなかった。唯一の過ちは嫉妬に狂ってエルヴィラに危害を加え続けたことくらいだろうか、とアエリアは考えるが、本人に言わせると追加で性格の悪さと付け足される。
2人の飲み物が空になった。呼び鈴を揺らしたアエリアが部屋に入った侍女に紅茶とオレンジジュースのお代わりを要求した。手際よく侍女が紅茶とオレンジジュースを注いだ。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
仕事を終えた侍女が一礼して部屋を出ると再び会話が始まった。
「ネージュ殿下はあの後どうしたの?」
一瞬アエリアの身体が強張ったのを見逃さず、体調に異変が起こったのかとファウスティーナは焦った。とても親身になってファウスティーナを気に掛けてくれたネージュは幸せであったと聞きたい。恐る恐る声を掛けるとアエリアは平静を装い話した。
「ネージュ殿下は貴女が公爵家を勘当されてちょっとしてから体調を崩されたけどすぐに元気になったわ。私も暇ではなかったから、ネージュ殿下とは頻繁には会ってなかったけどいつも元気そうだったわ」
「そっか……良かった」
心底安堵した表情を浮かべるファウスティーナを紅茶を飲む振りをして観察する。元が整っているから、本心からくる笑顔は非常に綺麗でどんな宝石や花にだって負けていない。真正面から受けたのは初めて。アエリアが知る限り、当時のファウスティーナがこの笑顔を向けていたのは兄ケインだけだった。常に不機嫌で笑っても相手を見下す嫌な感情が多分に含まれていた笑顔とは比べ物にならない程に――綺麗だと言える。それをベルンハルドにも向けていれば、違う未来があったのでは? と出かかるもエルヴィラしか見ていなかった彼が見る筈もなかった。
美味しそうにオレンジジュースを飲むファウスティーナには話さないでおこうと決める。最初に聞かれた、彼女が死んだ理由。元々、今日は言うつもりはなかった。日を改めて話そうとしたが――止めた。話してはいけないと直感が警鐘を鳴らす。ネージュが寄越した手紙に死亡理由を話してはならないという旨は書いていなかった。
言わないのはアエリア自身の意思。
「ねえアエリア様」
不意に話し掛けたファウスティーナは綺麗な笑顔を浮かべながらこう告げた。
「私達がどうして前の記憶を持ってるかは分からないけど、これも何かの縁。お互い王太子妃の座に興味がないなら、お友達になれないかな? 私、自分で言うのも何だけどお友達って少なかった気がするの」
「あれだけ苛烈な性格の貴女とお友達になりたいっていう輩はいないわよ。余程の度胸と下心がないと無理よ」
「うぐっ……人の古傷に塩を塗らないでよ」
「事実よ」
――でも……お友達……ね
「……まあ、いいわ。ライバルじゃない貴女と関わるのは楽しそうだもの」
内心断られるのではないかと危惧していただけに、頷いてもらえてとても安心した。良かった、と胸を撫で下ろすファウスティーナを見ながら新緑色の瞳はずっと遠い所を見ていた。
*ー*ー*ー*ー*
「へえ……話さなかったんだ」
――夜
昼以降、伝書鳩が届けてくれた手紙をベッドの上で読むネージュ。達筆で書かれた手紙を読み終えると折り畳み枕の下に置いた。翌朝回収すれば問題ない。ベッドに寝転んだネージュは「ふふ」と微笑んだ。
「ぼくは話しちゃいけないとは書かなかったのに。言っちゃえば良かったのに。アエリアが知っているのは顛末だけ。何故そうなったかの経緯は知らないから、ぼくは書かなかった」
あーあ、と声を出し、でも、と瞳を閉じた。
「ファウスティーナは兄上とエルヴィラ嬢は惹かれ合ってるって思ってるんだ。そっか。兄上には、ファウスティーナよりもエルヴィラ嬢が相応しいと誘導しよう。どうせファウスティーナだってそうするよね。アエリアも、ファウスティーナと兄上の婚約破棄を願ってる。……うん、よし、ファウスティーナの誕生日プレゼントに未だ悩んでる兄上に前と同じ物を贈ってもらおう。きっとファウスティーナはそれで更に兄上はエルヴィラ嬢が好きだと思ってくれるよね」
子供が面白い悪戯を思い付いて誰かに披露したい時の様子でベッドから降りた。向かうのはベルンハルドの部屋。扉の前で待機していた騎士はネージュが出てきて驚くも、怖くて眠れないから兄上の所に行くよ、と言えば苦笑しつつ案内してくれた。ベルンハルドはまだ起きている時間だから。
騎士に続いてベルンハルドの部屋へ向かうネージュは、ふと忘れていたことを思い出した。
(そういえば、アエリアの手紙にはファウスティーナの記憶が結構あやふやっぽいって書いてあったな。当たり前だけど、何を覚えているかもうちょっと情報が欲しかったな)
サブタイトルの後ろに
最後はお約束の……と入れようとしましたが、
「あ、また奴が出る(・_・)」
とバレそうな気がして止めました(バレていたかもしれませんが……)
次回はファウスティーナのお誕生日です。