あなたが死んでくれれば➇
諦めの悪さも度が過ぎればただの嫌がらせと同じ。顔に重傷を負い血が止まらない騎士の登場と精神崩壊を起こしながらも常軌を逸した笑みを見せる夫人の登場は、時刻が夜なせいで恐怖の象徴お化けと同等化しており、怖い話が苦手なファウスティーナはケインの腕に強く抱き付いた。自分のほっぺを抓っても残念ながら現実。
「今更?」
「怖すぎるからです……!」
「此処にいるのが俺達だけだったら、呆気なく殺されて終わりだろうね」
「お兄様変に現実主義なこと言わないでくださいっ、絶対生きて王都に帰りましょう」
「そうだね」
揶揄われ、自分1人だけ怖がっている感じがしてならない。ケインは普通過ぎて、クラウドは若干顔を引き攣らせているが苦笑の方が多分に出ており、ヴェレッドに関しては面倒くささを隠していない。長く不快な溜め息を吐いたヴェレッドは薔薇色の頭をガシガシと掻き、息も絶え絶えな騎士へ不敵に嗤った。
「死にかけで何で来るかな。あそこで死んでれば良かったのに。動かなければ、運が良かったら命だけは助かってたかもよ」
「あ、姉上、には、指1本触れさせんっ。公女を、はあっ、こちらに渡せっ」
「お嬢様を……正確には、リンナモラートの生まれ変わりを狙う奴等と手を組んだお前に渡すかよ。どうやって連中と接触した」
「公女を、公女を渡せえええぇー!!」
「お嬢様達、離れ過ぎない安全な場所にいて」
「何処ですか!?」と叫んだファウスティーナの声に応えず、奇声を上げて襲い掛かった騎士の相手を始めたヴェレッド。異常な身体能力を手に入れる薬の効果は瀕死の騎士に力を与えていて、優勢はヴェレッドの筈なのに決着がつかない。何度体を斬りつけ血を流させても騎士は倒れず、ひすたらにファウスティーナを狙う。理性と呼べるものはもう騎士にはない。夫人と同じ、アーヴァへの憎しみに囚われ自我がない。
ヴェレッドに気を取られていると不意に腕を引っ張られケインから離れた。後ろにやったのはクラウドだった。ケインとクラウドの背に隠された。前には、口の両端を歪に吊り上げた夫人がゆらゆら歩きながら距離を縮めて来る。騎士と違って武器も人を殺せる術も持っていないだろうが得体の知れない怖さがあった。アーヴァ様アーヴァ様と呟きながら歩く様は幽鬼に近い。
「困ったな。あの人は騎士の相手で手一杯だろうし、僕とケインは剣の手解きは受けてないから戦えない」
「ラリス家の双子みたいに生まれながらの身体能力もないからね」
「はは。アリストロシュ家の血は姉妹神を守る為にあるからね。普通と同じにしちゃいけない」
「そう言うクラウドだって、普通とは違うじゃないか。死糸はまだ見えてる?」
「見えてるけど使うの? さっきは、使わない方向でいこうとしたくせに」
「なるべく使いたくない。彼女がああなった理由に彼女自身は関係ない」
「娘を無理心中に巻き込んだ時点で関係大ありさ。目の届かない安全な場所に預ければ良かったんだ。夫がアーヴァ様の魅力に当てられて豹変したのなら、周囲は夫人に同情して幾らでも手を貸したさ」
「そうしなかった何かがあるんだよ」
「何か、ねえ」
会話を聞いている間にも夫人との距離が縮まっていく。
ファウスティーナは目が合った。
釣り上がった目があっという間に憎しみを滲ませ、口は笑っているせいでとても歪な憎悪の相貌が完成された。
「アーヴァ様ぁ、ねえ、なんですか、何故ですか、とても小さくなられましたね」
「私はアーヴァ様じゃありません。ファウスティーナ=ヴィトケンシュタインです。アーヴァ様はとっくの昔に亡くなられました。アーヴァ様はもう何処にもいないんです」
「嘘よ、嘘よ、アーヴァ様は死んでない。げんに、わたくしの目の前にいるっ」
「私はアーヴァ様ではありません。アーヴァ様は私が生まれる前に亡くなったのです。会える筈がありません」
「違う、嘘よ、アーヴァ様は死んでない。だってアーヴァ様が死んだら、アーヴァ様に魅了されていたシエル様が正気を保てる筈がないもの。アーヴァ様はわたくしに言ったのよ? シエル様とは何もない、無関係だって。嘘吐きよねえ? 実際は隠れてシエル様の恋人になってシエル様に愛されていたんだから!!」
愛する夫はアーヴァの魔性の魅力に当てられ豹変し、恋した人はアーヴァと恋人となり彼女を愛した。
愛する人も恋した人も失った夫人は、唯一の宝物を自分の手で失ってしまった。
怒りを、悲しみを、憎しみの矛先を向けるべき相手はいただろうに……全てをアーヴァ1人に向けてしまった。
ファウスティーナはアーヴァと瓜二つ。アーヴァが描かれた絵を見て漸く実感した。
実際に会ってみたかった。多分だが気が合うと感じた。内気で姉や極限られた人としか話せなかったらしいがファウスティーナとは、きっと気が合っていた。何故だか分からなくてもそんな気がする。
動植物が好きなら趣味も合う。
会ってみたかった。
「さっきから聞いていたら、夫人。貴女がアーヴァ様を憎む理由がシエル様と恋人同士だったから、以外に聞こえませんよ」
「子供には分からないわ、シエル様を、恋する人を奪われたわたくしの気持ちなんて」
「おかしいな。貴女は人妻で夫がいる身。片思いをした相手に恋人がいたって、結婚をして子供までいる貴女には無関係だ。さっきからシエル様シエル様と出ますが夫の事は1つも出ていませんよ」
仲睦まじい夫婦だったからこそ、豹変した夫に裏切られた夫人の絶望は計り知れない。
ケインの言う通り、先程から夫人の口から出るのはシエルだけ。夫の名前は出ない。愛してなかった? そう問われた夫人は激怒の面を見せ付けた。
「愛する人に裏切られたわたくしの気持ちが、あんた達子供に分かるものですか!!」
「貴女が夫を愛していたのは事実だとしても、さっきから出ている名前がシエル様しかない。愛する人より、恋する人を奪われた気持ちの方が勝ったのでは?」
老若男女問わず魅了するシエルの美貌にあっという間に恋に落ちる人は大勢いる。近い人で言うとルイーザがそう。
恋に蓋をし、政略結婚で夫婦となった夫と愛し合い子供を授かった夫人の不幸も恋する人を奪われたと知った不幸もアーヴァが理由なら、夫人がアーヴァを憎むのは仕方なかったのかもしれない。憎しみの矛先を夫に、シエルに向けたところで夫人の傷付いた心は癒えはしない。
「貴女がアーヴァ様を憎もうが俺やファウスティーナにとっては他人なのでどうぞ勝手に。けど、そっくりだからと言う理由で俺の妹を危険な目に巻き込むのは筋が通らない。ファウスティーナが言った通り、アーヴァ様とは無関係だ。勝手な思い込みで妹を巻き込むな」
声だけで相手を凍らせる冷徹な声色と相手に畏怖の念を抱かせる無情な紅玉色の瞳が一心に夫人へと注がれる。怯懦な性格ではなかろうと身を竦む怖さに慄く。相手は大人、此方は子供。なのに、子供の冷徹な声により顔面を蒼白とさせた夫人は足を震わせ尻もちをついた。
「もう1度言いましょう……貴女方の勝手な思い込みで非常に迷惑を被っているんです。此処にいる誰1人アーヴァ様とは無関係だ。どうしても復讐を果たしたいなら、フリューリング家に抗議を入れるか、シエル様に文句を言ってください。どちらもきっと相手をしてくださいます」
「な、な、ひい」
「勝手な思い込みで相手を傷付けて自分は悲劇のヒロインに浸って誰かに助けられて……そういう人はね、俺の知っている限りでは誰1人幸福にはなっていない」
お兄様は一体何歳ですか、と突っ込みたい。
絶対に敵に回さない。
何度目になるか分からない誓いを心の中でするファウスティーナである。
言葉にならない声を出す女性を暫し見つめた後、もう大丈夫だと確信を得たケインがファウスティーナに振り向いた。
「俺は12歳だよ」
「私の心が読めるのですか!?」
「何年ファナのお兄ちゃんをやってると思ってるの。読めなくたってある程度の予想はつく」
「ぐぬぬ……」
いつか、いつかケインに勝てる日が来てほしい。
「ふう。どうなることか心配した」
「ヴェレッド様が騎士を倒したら、物置小屋に入って隠れられる場所を探しましょう!」
早く救援が来てくれれば無事に家に帰れるのだ、待っている間の辛抱。
「姉上!!」騎士の絶叫が響いた。
次にゴキっと骨が折れる音と潰れた騎士の声が鳴った。大きな木に騎士の後頭部から顔面を足で押し付けているヴェレッドがいた。
足を離すと騎士は崩れ倒れた。
「ヴェレッド様!」ヴェレッドの許へ走り出したファウスティーナの後をクラウドとケインの順で追い掛けた。
刹那。
「クラウド!!」
ケインが叫んだのとクラウドの腕を横に引っ張り倒したのは同時で。
森の方向から飛ばされた2本のボーラがファウスティーナとケインをそれぞれ捕らえ、森の中へと素早く引き摺って行った。
クラウドが2人の体に手を伸ばしても無駄だった。
「ケイン、ファウスティーナ様」
クラウドの横を大きな物体が飛ぶ。正体は“女神の狂信者”の死体。いつの間にかヴェレッドの方に3人いて。クラウドには見向きもしない。
「最悪なんだけどっ」
「そうだね……最悪だ」
ケインの――友達の――願いで最後まで使うのは取っておきたかった魔術師の祝福が込められた糸。
「ごめんねエルヴィラ様。君の悪夢はまだ暫く続いてしまうけど、僕の友達を優先させてもらうよ」
祝福の糸を2人の死糸に強く、強く結んだ。
誰にも見えない、クラウドにしか見えない死糸は眩い光を放ち、祝福を込められた糸と同じ純白に変わった。
死の運命を大幅に下げても絶対に死なない保証はどこにもない。
「あ」
「なにっ」
3人を2人にし、死体を仲間へ投げ捨て隙を突き、相手の頸動脈を斬ったヴェレッドが苛立ち気に問う。“女神の狂信者”は運命の糸に触れ、操れるフワーリンの能力持ちを何よりも恐れる。故に殺しに行かない、近付きもしない。
「あの騎士様はどうしてるのかなって」
読んでいただきありがとうございます。
……メルディアスはどこへ行ったのやら……。




